act.1 ファンタジー篇⑤

 いくら攻撃こうげきしても竜は痛くもかゆくもないようで、まあ深い眠りについたまま目覚めもしなかったからよしとしよう。

 首尾しゅびよく『魔城門の鍵』を入手して出てきた俺たちを、森の賢者はりずに待っていてくれた。ずいぶんと苦い顔つきになってはいたが。

「これでいいんでしょ? それで、世界を支配したがっているなんていう考えなしの魔王はどこ? 教えなさい」

「あー」

 賢者はくちびるを舌で湿しめし、言いづらそうに、

「実はそのかぎだけでは魔王まおうの所まで行けないことになっておるのじゃ。魔王の城の奥深く、迷宮を抜けた所に立ちはだかるのは、その名も『幻夢げんむとびら』……」

「鍵はどこよ?」と訊くハルヒに、賢者はますます言いづらそうに、

「ここより北の位置に廃墟はいきょと化した街があり、その地下がダンジョンになっておる。魔王の忠実なる下僕、邪悪じゃあくなる魔法使いが暗黒神をほうじて立てこもる地下宮殿きゅうでんじゃ。そやつが持っている鍵こそ『幻夢の鍵』……。じゃが、の地は暗黒神の影響えいきょう下にあるため、そのままでは侵入しんにゅうできん。迷宮に入る前に『聖別の玉』の光を浴びる必要があるのじゃ」

「ふうん」とハルヒは極上ごくじょうみを広げて話の続きをうながした。

「……『聖別の玉』はわしが持っておるわけじゃが、いや……何というか、年のせいかのう、最近目がかすむようになっておってじゃな、この病には西の果ての地に生えておるという……」

 老人は寒々しい吐息といきらした。

「……『眼精がんせい疲労ひろう瞬殺しゅんさつ草』が効くらしいのじゃ。採取してくれたら喜んで玉を差し出すつもりじゃが、どうであろうの……?」

 またもや強盗ごうとう豹変ひょうへんするかと予想していたが、ハルヒはにぎりかけていた剣のつかから手を離して、

「あんたさ、本当に正義側の人間なの?」

 じろりと老人の顔をながめ、

「怪しいわね。今時『~じゃ』なんて言うお爺さんがいるのもおかしいけど、なーんか、胡散うさんくさいのよね。案外、あなたがラスボスなんじゃないの?」

「な、何を言うか」

 あわてふためく森の賢者を睨みつけ、ハルヒは唇をひん曲げた。

「本物の賢者はとっくに殺されてたりしてさ、親切めかして鍵やら玉やらの情報を教えてくれてるけど、本当はこれこそ魔王の、さらにバックにいるラスボスを解放する手段なんだったりして。魔王を倒してやれやれ帰ろうかと思った瞬間しゅんかんに、『よくやってくれた、勇者たちよ。おかげで私をつなぎ止めていたくさびは解き放たれた。礼を言うぞ』とかなんとかどっかから聞こえてきて、ズゴゴゴゴコって登場する算段じゃないでしょうね?」

 森の賢者は救いを求めるような表情で俺を見た。かたをすくめるしかないな。もしハルヒの思いつきが真相なら、こんなドッチラケなシナリオもなかろうが。

「それはない……」

 老人の反論の弁舌は弱々しい。

「うむ、ないはずじゃ。そうだったかもしれぬが、いやいや……ないことになった。間違いない。魔王がラストで、その後はない。わしはただの親切な森の賢者じゃ」

 その言葉を証明するように、老人は懐から水晶玉を取り出した。

「眼精疲労はしのべばよいだけじゃ。世界に比べれば何と言うこともない。ほら、『聖別の玉』じゃ、受け取るがいい、勇者ハルヒよ。それから」

 と、また別の玉を出してきた。

「これが『追儺ついなの玉』といい、魔王の動きを一時停止させる効果を発揮する。はるか南の地に生えていると伝えられる『万病封滅ふうめつ草』などどうでもよい。世界のためじゃ、わしも繰り言は言わぬこととしよう……」

「ありがと」

 ハルヒは何度もうなずきながら、しかし手をばすことはなかった。

「でもいらないわ、そんな玉。ややこしそうな鍵も必要ない。教えて欲しいのは一個だけよ」

 おどろき絶句する賢者に、ハルヒはかがやく瞳で問いかけた。

「魔王の城はどこ? 場所だけ教えてくれたら後はなんとかするわ。うん、もう面倒めんどうくさい遠回りはうんざりなのね。ようは魔王をたおせばいいわけでしょ? ちゃんとそうして来てあげるから、城がどこにあるかを教えるの。さ、早く言ってよ」

「じゃが」と老人は啞然あぜんとしつつ、「どうするつもりじゃ。城に行けたとしても、このままでは……」

「いいの」

 ハルヒは悪戯いたずらっぽく微笑ほほえんで、俺たちに顔を向けた。俺、古泉、長門、朝比奈さんの順番に眺めやり、

「あたしにはこんなにスゴい仲間たちがいるんだもんね。こざかしいアイテムなんていらないわ。世界なんかいくらでも救ってあげるわよ。きっと、あたしたちには出来るもん」

 そしてハルヒは唐変木とうへんぼくなまでに明るく笑うのだった。

「なぜなら、あたしがそう信じてるから」



 というわけで――。

 俺たちはやって来た。たぶん、色んな行くべき場所をすっ飛ばし、必要なアイテムも手に入れず、スタート地点からまるっきりレベルアップすることもなく、いきなりの最終地点に。

 そびえ立つ魔王の城が雷雲らいうんを背景にして圧倒あっとう的な威容いようほこっていた。邪悪なかおりがぷんぷんする上に、見ているだけで精神に負荷がかかるような恐怖きょうふの波動を立ち上らせているようにも思える。本能が接近をこばんでいた。もう一歩も進めやしない。

「どうすんだよ、ハルヒ」

 俺は富士山ふじさんでも眺めるように魔城を見上げている女勇者に、

「ろくすっぽ戦いもせずに来ちまったが、りゅうの時のまいになりそうだぞ。全滅必至だ。たぶん何回やっても同じことだと思うぜ」

「僕もそう思いますね」

 めずらしく古泉が俺の肩を持つ。こいつはこいつで酒場でいてた以外何にも使用していない竪琴たてごとを後生大事にかかえたままで、

「正面からの正攻法せいこうほうが通用するような相手ではないと思われます。何と言っても魔王ですからね。おそらく城の内部は強力な怪物かいぶつわな一杯いっぱいですよ。魔王の座まで辿たどり着けるかどうか」

「でしょうね」とハルヒ。まったく動じていない証拠しょうこに、微笑はそのままだ。

「…………」

 長門は何も言わない。ぽつねんと立っているかげうすい姿は、いつものようにイエスもノーもなく一団の中にひかえ目な冬の花のようだった。

「平気よ」

 ハルヒは自信あり気に力強く答えて、さっきからぶるぶるふるえつつ縮こまっていたマント姿の上級生を引き寄せた。

「ここはみくるちゃんに何とかしてもらうから」

「ええっ?」

 のけぞって驚く朝比奈さんの肩に手を回して、ハルヒはセキセイインコに言葉を教えるような口調で、

「いい? あなたは魔法使いなのよね。それも勇者グループに加えられるくらいだから、きっと世界のだれよりも強力な魔法が使えるに違いないわ。確信してるの、あなたなら出来るってね。潜在せんざい能力はピカイチのはずよ。後は覚醒かくせいすればいいだけのことだわ。さ、みくるちゃん、あなたの秘められた潜在能力を今ここで解放しちゃいなさい。ちょう強力なヤツを、どかんと遠慮えんりょなくあの薄汚うすぎたない城にたたき込むのよ」

「で、でも……」

 朝比奈さんはおろおろと両手でマントを握り、ハルヒと魔城を代わる代わる見つめる。

「あたし、あんまり魔法知らなくて……。せいぜい耳を大きくするくらいしか……」

「自分を信じなさい」

 時と場所を選びさえすれば非常にタメになるフレーズだが、時や場所なんかに配慮はいりょしないのがハルヒだから、これまたハルヒらしいと言えなくもない。

「みくるちゃんはやれる。あたしが選んだんだから絶対よ。あなたはスゴいなのよ。可愛かわいくて性格よくてちょっぴりドジな魔法使い、うん完璧かんぺき

 ピンと伸ばした指が魔城に向けられた。

「究極のみくるマジック、今こそ発揮の時が来たわ。覚悟かくごはいいかしら? さあ、みくるちゃん、何でもいいから魔法を使うの」

「は、はいっ……!」

 朝比奈さんは目を閉じてうつむき、なにやらモゴモゴと呪文じゅもんらしき言葉を唱え始めた。ハルヒは子ヤギを見守る羊飼いのような目でそれを見守り、俺は普段ふだんから朝比奈さんを見ては守っている。古泉がどんな目をしているのかはそっちを見ていないのでわからんが、ぼんやりしていた長門が不意に目を見開いたのだけは視界がとらえた。

 どうした? とたずねる前に――。

 朝比奈さんによる超弩級どきゅうの魔法が炸裂さくれつした。

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