act.1 ファンタジー篇③

 古泉は漂白ひょうはく洗剤せんざいみたいに白い歯を見せて、

「実は僕にも解りません。たぶんあなたと同じで、ふと気がつけばいつの間にか王宮にいましたね。それ以前の記憶きおく曖昧あいまいでして。あなたは覚えていますか?」

 それが思い出せないから不安になってるんだよ。王様の御前ごぜんにいる自分を発見する前、俺はいったいどこで何をしていたっけな。

 竪琴片手に古泉は、

「気のせいかもしれませんが」とエクスキューズをしておいて、「どこかでゲームをしていたような感覚があるんですよね。テーブルトークRPGのようでもあり、パソコンを使ったオンラインゲームのようでもあり」

 俺は顔をしかめた。そう言われればそんな気もする。しかし実感はまったくない。ゲームをしてたはずが、そのままゲーム世界の中に飛び込んできた――なんて、そんなお手軽なシチュエーションを簡単に信じたくはないぞ。

「朝比奈さん」

 ぱたぱたとよく働くマント姿をした給仕少女を呼び止める。

「はーい」

 おぼんかかえて小走りで来た朝比奈さんは、

「ご注文は?」

 そうではなくてですね。あなたは魔法使いなのかメイドなのか、どっちのロールプレイをしているのかときたかったが、

「これはどういうことです」と俺は置いていたけんを拾い上げて、「ハルヒが勇者で、魔王を倒すだの何だのって、どういったわけで俺たちはこんなところにいるんです?」

「えっ?」

 朝比奈さんは愛くるしい目をぱっちりと開いた。

「これ、テーマパークのアトラクションじゃなかったんですか?」

 初耳です。

「えっと……。みんなで遊園地みたいなところに来て、館みたいなところに入ったような気が……。確か役になりきって冒険ぼうけんするんじゃなかったでしたっけ?」

 俺は古泉にアドバイスを求めた。だが古泉もまたあごに指を当てて首をひねっている。

「その割にはリアル指向ですね。城やこの店が作り物で、ここにいる人々がエキストラのようには全然思えませんが。それに僕にはそんな記憶はまったくありませんよ」

 俺にもない。ゲームしてた記憶も遊園地に行った記憶も、同じくらいないぜ。

「あれ?」朝比奈さんはたおやかな手を頰に当て、「何だか最初から魔法使いだったような気も……。あれ? 変ですね……。SOS団……涼宮さんは勇者で、キョンくんは戦士で……。あれれ?」

 俺は溜息ためいきく。ハルヒなんぞを勇者としてたよりにしなければならない世界があったとしたら、そこは異常なまでの人材難だ。ハローワークで募集ぼしゅうしたほうがまだマシな勇者が集まるだろう。

「朝比奈さん、魔法使えるんですか?」

 ためしに訊いてみたところ、朝比奈さんは自信ありげに、

「使えますよー。見せましょうか? ほら、これが耳が大きくなる魔法で……」

 実演してくれた。

「これが百円玉にタバコを通す魔法です。えいっ、えいっ」

 目頭めがしらが熱くなってきた。ちがいますよ朝比奈さん、それは魔法ではなく……。確かに英訳したらどっちもマジックですが。

「あれ、うまくいかないなぁ。あっ、練習ではちゃんと出来たんですよ。もう一回、」

 いや、もういいです。充分じゅうぶん堪能たんのうしました。

 俺が額を押さえていると、どこかのテーブルから給仕を要求する声があがり、すかさず「あ、はい、はいっ」と手品使い師朝比奈さんはあわてた仕草でけ寄ろうとした拍子ひょうしに、マントをふんづけて転んだ。

「ひゃあっ」

 もうこうなったら最終兵器を持ち出すしかあるまい。

「長門」

 頰をぱんぱんにふくらませて料理を音もなく咀嚼そしゃくしていた小柄こがら盗賊とうぞく姿は、俺の呼びかけにひっそりと立ち上がってやって来た。

 そして俺が口を開く前に、

「シミュレーション」

 と言って、俺の前にある食いかけの皿をじっと見つめた。

 シミュレーションだと? この状況はどう見てもRPGだろう。

「…………」

 長門は言葉を探すような雰囲気ふんいきで立っていたが、やがて淡々とした声で、

「わたしにもよく理解できない。もっとも高い可能性は、ここがシミュレーション空間であるということ」

「それはつまり」と古泉が言った。「我々は何者かによる何らかの手段によって、現実とは切りはなされた別の空間に放り込まれているということでしょうか」

 長門はこくんとうなずいて、しかし目は皿の上に落としたままである。俺は手近の椅子を引き寄せて座るようにうながし、料理を長門のほうに押しやって言った。

「何者かによる何らかの手段って何だよ。こんな真似まねができるのはだれだ?」

わからない」

 長門は答えて、それがどうしたと言わんばかりに俺の食べかけを黙々と頰張った。そして食い終えてから、

終了しゅうりょう条件が設定されているように感じる」

 憮然ぶぜんとした俺へのサービスのつもりか、考えるような顔つきでゆっくりと、

「状態を復帰させるトリガーが存在するはず」

 それは何か、と訊くまでもないな。今現在の立場として、俺たちがしなければならない任務とは、この場合……。

「魔王を倒せ、でしょうね」

 古泉が代わりに言って、優雅ゆうがに竪琴をかき鳴らした。



 そんなわけで俺たちは魔王を倒さなければならない。これで問題の一つは片が付いた。とにかく目的だけは明確になったってわけだからな。後は手段を考えればいい。

「それはいいのだが……」

 俺はうんざりとした顔をハルヒに向けた。最大の問題が残っている。言うまでもない。いつだって問題を発生させるのは、この迷惑めいわくなSOS団団長だった。

「料理が足んなくなってきたわよ! ほら、新しく来たお客さんにも駆けつけ三杯さんばい!」

 宴会えんかいは三日目に突入とつにゅうしていた。この間俺たちがしたことと言えば、宿屋と居酒屋の往復だけである。魔王の城がどこにあるかとか、レベル上げのためにモンスターと戦うとか、有益なアイテムを探すとか、いっさい何もやっていない。

 ハルヒは勇者などではなく単なる気前のよすぎるお大尽だいじんになってるし、朝比奈さんは運命のようにメイドと化し、古泉は日に日に上達する竪琴の腕前うでまえを観衆に披露ひろうしては女性たちのうるんだ目をひきつけ、長門は完全にフードファイターである。

 ひょっとしたら自分たちは勇者とその一行などではなく、にせ勇者とその一味なのかもしれないと思い始めている俺だった。この世のどこかに真剣しんけんに世界をうれう正義感あふれた善人パーティがいて、その名をかたる不届き者が俺たちの正体なのかもしれん。この間違いに王様が気づき、捕縛ほばくを命じられた衛兵がいつ店のとびらをぶち破って登場するかとヒヤヒヤものだ。まったく、誰かが入ってくるたびにギョッとする。食い過ぎたわけでもないのに胃が痛むのはそのせいで、その胃痛の原因がまた新たにきしむ扉を押し開いてやってきた。衛兵ではなさそうなので安堵あんどする。

 それは年齢ねんれい不詳ふしょうじいさんだった。隠退いんたいした仙人せんにんのような白髥はくぜん白眉はくびしわ深い顔を持ち、今にもフォースの何たるかを教えてくれそうな気配をただよわせている。その爺さんは何を思ったか、俺にするどい眼光を向けてきた。

「……まだこんな所におったのか」

 そんなあきれたように苦言をていされても、俺はこしを引かすくらいしかできないぜ。

 爺さんは木枯こがらしめいた溜息をつくと、ハルヒが陣取じんどる奥の席へ向かった。

「勇者ハルヒよ」

「何か用?」

 酔漢すいかんたちと即席そくせきアームレスリング大会を開いていたハルヒは、胡散うさんくさそうに老人を見上げた。

「参加料は金貨一枚よ。優勝者の総りってことでいいんなら、そっちのトーナメント表に名前を書き込んでちょうだい」

おろか者」

 爺さんはあまりにも的確なことを言い、

「とっくに魔王城への道半ばと思いきや、いまだにこの町を出ておらんとは何たることか。勇者ハルヒよ、破滅はめつの時はすぐそこにせまっておるのじゃ。その前に魔王を倒すのがおのが使命であると思い知れ」

「誰、このお爺さん。やたらえらそうだけど」

「わしは」と爺さんは年甲斐としがいもなくまっすぐな背筋をさらにばして、

「森の賢者けんじゃじゃ。おぬしたちに様々な情報をあたえ、正しい道筋を辿たどらせるのがわしの役目なのじゃ」

 店内が静まりかえり、老賢者のしぶい声がますますひびわたる。

「本来ならばおぬしたちが来るのを待つべきなのだが、いつまでたっても来ないものだからこうしてわしのほうから出向いてきたのじゃよ。よいか勇者ハルヒよ――」

「解ったわよ」

 何が解ったのか、ハルヒはいともあっさり立ち上がってみをかべた。

「そろそろこんなんが来るころだと思ってたわ。ちょうどお金も使い果たしたみたいだし、場所えするのも悪くないかもね」

 確信犯的とは今のハルヒを表す言葉だろうな。しかし軍資金を残らず遊興費に使ってしまうとは、とんだ勇者様ご一行がいたもんだ。

「やれやれじゃ」

 森の賢者とやらが俺の心中を代弁し、

「さあ、ついて参れ。勇者ハルヒとその仲間たちよ。まずは第一関門におぬしらを案内せねばならぬ」

 やっとか。俺は首をりながら腰を上げた。見ると古泉は名残なごりしげな町むすめたちと一人一人握手あくしゅをして別れを惜しみ、朝比奈さんは店の主人からバイト代が入っているらしき小さな革袋かわぶくろを手渡されていて、長門は早くも店の外で俺たちを待っている。

「キョン、行きましょ」

 俺の腕を引き、戸口に向かう途中とちゅうでハルヒは振り向いた。

「じゃっ、ちょっくら魔王まおうたおしてくるわ。財宝ぶんどって来るからさ、そん時はまたみんなで宴会しましょ。きっとよ!」

 店の客たちの歓呼かんこが、俺とハルヒの背中を後押しした。

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