第23話 暴力

 俺はカーテンの閉まった薄暗い自室で仁王立ちになり、妹の帰りを待ち受けていた。


 一時間ほどして、玄関の扉が開かれる音がする。

 足音で妹だと確信した。

 律儀に手洗いうがいをしてから、妹は俺の部屋の扉を控えめに開き、恐る恐るといった様子で顔を覗かせた。


「よう」 

  声をかけると、妹はハッとして、すぐさま踵を返し逃げようとした。

 その首根っこを掴み部屋に無理矢理引きずり込む。


「逃げるってことは確信犯なんだな」

「ご、誤用ごようだよ」

御用ごようはお前だ!」


 勘違いには後になってから気づいた。

 妹を壁際に追い込む。

 俺が拳をきつく握ると、妹の顔に怯えが走った。


「ま、待ってお兄ちゃん、女の子に暴力はよくないよっ」

「関係あるか」


 俺は吐き捨てる。


「自分よりも立場や肉体的に劣る相手に、反撃されないことを見越した上で暴力を振るうのがダメなんだよ。つまり相手がたとえヤクザでもぶん殴ってやるって状況ならな——」


 俺は感情にまかせ力強く叫んだ。


「女だろうが子供だろうが老人だろうが死人だろうが、ぶん殴っていいんだよ!」

「さ、さすがに死人を殴るのは、どうかな」

「うるせえ!」


 拳を振り上げる。

 妹はばっと両手で頭をかばい、きつく目をつむった。


 その姿を目にした途端、怒りはしゅるしゅるとしぼんでしまう。

 しばらく迷ってから、嘆息とともに拳を開き、妹の頭をわしわしと乱暴に撫でた。


 俺はカーテンを開け、どさりと椅子に腰を下す。

 ずっと立っていたせいか、気が抜けたせいか、足が萎えてしまっていた。


「……なんで?」


 妹がきょとんとしながら尋ねてきた。


「なにが?」

「ヤクザでもぶん殴ってやる! ってくらい怒ってたんじゃないの?」

「ああ。……でも、怯えた妹は殴れないみたいだな」


 俺は他人事のように言った。

 妹は目をぱちぱちとしばたたせ、そして破顔した。


「そうだよね、お兄ちゃんってそういう人だよね」


 俺はまた一つ嘆息してから尋ねた。


「なんであんなことしたんだよ」

「もどかしかったから」

「もっと詳しく話せ」


 妹はベッドに腰かけ、しばらく思案していた。


「茜姉がさ、よくお兄ちゃんに勉強教えに来てくれるでしょ」

「ああ」

「それで私はいつも盗み聞きしてたんだけど、こう、コップを壁にあてて」


 なにしてんだよ、と言いかけて辛うじて飲みこむ。

 いちいち突っ込んでいたら身が持たない。


「それで?」

「それで、二人がずっと勉強ばかりしてて、雑談もあまりしないし……。それがもどかしくて、なんとかして二人の距離を縮められないかって考えて」


 妹はふと立ち上がり、部屋から出て行った。

 しばらくして一冊の本を手に戻ってくる。


 タイトルは『読んで楽しい雑学!』。


「えっと」


 妹はぺらぺらと本をめくる。


「あった、これ」


 妹があるページを示す。


『中国ではパンダに交尾を促すために、他のパンダが交尾している映像を見せるのだ!』


 どっと疲れが肩にのしかかる。


「なんだよ、お前。俺に茜姉を押し倒させようとしたのか?」

「そうじゃないけど、なにか進展するかなと思って」

「にしても他にやりようがあるだろ」

「私もいろいろ悩んだんだよ。おせっかいかなーとか、ぎくしゃくしちゃったらどうしよー、なんて。そんなときにこれを知って、これだ! って」

「お前ってちょっとそういうところあるよな」


 悩んだ末に一周回って暴走する癖、治した方がいいと思う。

 俺のために。


「てか、あのDVDはどこで」

「結構前に、本棚の後ろに隠してあるのをたまたま見つけて」

「……」


 そうですか。


「本当は家庭教師のお姉さんが出てくるヤツにしたかったんだけど、なかったから」

「……やっぱり一発くらいぶん殴っとくか」


 俺は重い腰を上げた。


「じ、冗談だよお兄ちゃん。私、そういうの苦手だからタイトルとか見ずに適当に選んだし」


 それもそうか。

 だって家庭教師モノは何作か持っていたはずだし。


「てか、適当に選んだって」


 俺は狼狽ろうばいする。


「どうしたの?」

「いや……」


 もし選ばれたのが『強姦モノ』とか過激なヤツだったらどうするつもりだったのだろう。

 好きな女優が出演しているから何作か持っているのだ。

 そういう性癖があるわけではないけれど、作り物だと知っていれば案外平気だ。


 妹は不思議そうに首を傾げている。

『強姦モノ』と呼ばれるようなジャンルがあるなんて知らないのだろう。

 ましてや俺がそういった類のものを所持しているなんて夢にも思っていないはずだ。

 なんだか罪悪感を覚え、怒りはとうとう霧消してしまう。


 俺は力なくふるふると首を振った。


「なんでもない」


 妹の顔がまともに見れず、俺は雑学の本をぱらぱらと捲った。


『ネズミとハムスターには、愛らしさ以外、ほとんど違いがない』という雑学が目につく。


 正確には、その下に描かれた某テーマパークの有名キャラに酷似したイラストが目を引いた。

 目線が入っているのが胡散臭さに拍車をかけている。


 ……大丈夫かこれ?


「それで、どうなったの」

「別に。見終わったあとに、半泣きになった茜姉が逃げるように帰って行っただけだけど」

「え、本当に最後まで見たの」

「いろいろあったんだよ。……ちゃんとフォローしといてくれよ」

「うん、わかった」


 妹は真面目な顔で頷いた。

 ここで「えー、めんどくさい」なんて無責任なことを言うような奴だったら、もっと怒れたりもするのにな、なんて詮無せんないことを考えた。

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