第8話 芳香剤、身なり

 妹はすぐにまた部屋を訪ねてきた。側に寄ってきて机の上に何かを置く。


「なんだこれ」


 小洒落こじゃれた形状の瓶に竹串のような棒が五、六本ささっていた。


「芳香剤」

「ふうん」


 集中力が増すとかそういうのだろうか。

 大きく息を吸うと、優しく懐かしい香りがした。


「金木犀か」


 妹は目を丸くした。


「わかるんだ。お兄ちゃんって、花とかに詳しかったっけ」

「いや全然。でも、なんだか思い出に残ってる匂いってあるだろ。嗅いだだけで昔の情景を思い出すような」

「お婆ちゃんちの匂いとか?」

「そうそう、そんな感じ。……てか、なにしてんのお前」


 音に振り返ると、妹が俺の部屋のクローゼットを勝手に漁っていた。


「お兄ちゃんが着る服を選んでるの。家にいるからって、ちょっとだらしなさすぎるし」


 自分の服を見下ろす。

 上下ともに寝間着兼部屋着のスウェットだ。


「部屋着なんてこんなもんだろ」

「そんなことないよ」


 確かに、妹は俺と違い家の中にいるときも服装に気を使っていた。

 しかも部屋着と外出着を明確にわけているらしいのだ。

 今の服装のままでも近所のコンビニくらいにならいける俺とは意識も価値観もまるで違う。


「服選んでるからさ、その間にシャワー浴びてきなよ。寝癖すごいよ」

「いいよ、めんどくさい」

「身なりをきちんとした方が集中できるから」


 それは一理ある。


「わかったよ」


 特に逆らう理由もなかったので従うことにした。

 廊下に出たところで、言うべきことをふと思い出す。


「てか、勝手に部屋漁んなよ」


 漫画とかも勝手に読んでるみたいだし。

 妹は服を物色する手を止めずに言った。


「プライベートなものは見ないよ」

「そういう問題じゃないだろ」

「いいじゃんこれくらい、家族なんだから」

「俺がお前の部屋漁ったらどう思うんだよ」

「いいよ、別に」


 意外な返答だった。

 一生口きかない、とかそういう理不尽な答えが返ってくると予想していたのに。


「でも最低限のプライバシーは守ってね。日記読むとかパンツ嗅ぐとか」

「嗅ぐか馬鹿」

「ブラジャーならまだいいけど」

「基準がわからん」

「ブラジャーなんて肌着とそんなに変わらないし」

「全然違うだろ」


 そう言ってから、遅れて納得する。


「ああ、そっか。お前もう中二なのに未だにスポブラだもんな。ペッタンコだから他に合うブラジャーがなくて」

「なっ」


 手に持っていたシャツが、はらりと床に落ちた。


「せ、成長中なの! ペッタンコ言うなっ! いいからさっさとシャワー浴びてきてっ」

「はいはい」


 洗面所と風呂場は二階にあるから部屋を出てすぐだ。

 便利なんだけど、ことあるごとに親が二階に上がってくるからわずらわしくもあった。


 シャワーを終え洗面所を出る。

 自分の部屋に戻ろうとしたけれど、ふと気が変わり、妹の部屋を漁ることにした。

 俺はノックもなしに妹の部屋の扉を開け放った。


 半裸の妹と目が合う。

 身に着けているのは、可愛らしいリボンのついたパンティーだけだった。


「……あれ、俺の服は?」


 妹は両腕で胸をかばい、じとっと睨んできた。


「もう選び終わった。ベッドの上に置いてる」

「ああ、そうなんだ」


 俺は部屋に足を踏み入れて後ろ手に扉を閉めた。


「えっ!? な、なんで入ってくるの!?」

「ん? いやさっき部屋を漁ってもいいって言ってただろ。今読んでる小説がもうすぐ読み終わるから、なにかいいのないかなと思って」

「着替え中なんですけどっ!?」

「いいじゃん、家族なんだから」

「いいわけあるかっ」

「俺だって風呂上がりでパンツ一丁なんだし、お互い様だろ」

「それが余計に駄目だって言ってるの! いいから出てってっ」


 追い出される。


「なんだよいったい。てかあいつ、本当に胸成長してないな」


 ガンッ! と扉に何かが投げつけられる。


「成長してるわっ」


 扉越しに怒鳴り声。

 聞かれてしまったようだ。

 思ったことをついそのまま口にしてしまうのが俺の悪い癖だった。


「安心しろ。胸は見たけど、おっぱいはどこにも見当たらなかったから」


 意図的に余計なことを言うのも俺の悪い癖だった。


 また扉に何かが投げつけられる。

 さっきよりも重く堅そうなものだった。

 これ以上は扉を突き破って被弾しかねないので、からかうのはやめにする。


 自室に戻ると、妹が言っていた通り服が一式ベッドの上に置かれていた。

 丁寧に畳まれたそれらを身に纏う。


 白シャツに黒のパーカー、下はチノパン。

 無難な組み合わせだった。

 俺はシンプルで同じような服しか持っていないから当たり前なんだけど。


 机に向かい、問題集を開く。

 シャープペンシルをしおりの代わりにしていたから、取組中だった問題をすぐに見つけることが出来た。

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