裏山
壱原 一
家の裏手に山がある。一族が世話を預かっており、自分を含む親戚一同で、山を背にぐるりと取り囲んで居を構えている。
昔から異界に通じると恐れられてきた。見るだに麗らかな佇まいを誇り、山菜や草花、きのこなど、お為ごかしげに良く恵む。
たとえどれほど豊かだろうと、まさか入ってはいけない。
山腹の開けた片地、いわゆる
地面から顔を生やして空を眺め続けてしまう。
埋まった人が空になると、動物のように動き出してあちこちへ行ってしまう。
行った先で墨色の岩になり、積み重なって厄を寄せるとされているので、遅くとも埋まっている内に阻止できるよう努めている。
私有地、危険、立ち入り厳禁と丁寧に掲示しているが、交代の見回り当番の、およそ数回に1回は人が居る。
偶に行ってしまった後の穴もある。その時は埋めておく。
長年邪魔ばかりして、すっかり目の敵にされているため、見回りは必ず2人組で、良く晴れた午前中に行う。
生まれたての子供くらいの重さの餅を産着に収めて背負う。目の穴がやたら小さい面を付ける。互いの名前を口にしない。
滞りなく見回りを終えた後、下ろした餅がごっそりと粗削りに抉られている事は良くある。
遠方からのお嫁さんが今ひとつ決まりを合点せず、山裾から旦那さんを呼ばわって、旦那さんが行ってしまった事もあったらしい。
むかし見回りの途中でいとこが行ってしまった時は調子を崩して入院した。
*
いとこは突如とび跳ねて叫び、目元で両手をばたつかせて後ずさり、止める間も無く面をかなぐり捨ててしまった。
途端、尾を踏まれた猫の様な、短くひび割れたつんざき声と共に、ひゅっと空中へ上がった。
正面の大木が鳴って、山鳥が騒いで飛び去り、追って落ち葉が降った。
声が出ず、腰が引け、物も考えられずに鳴った大木を見上げると、梢に紛れた上枝に、深々と刺さっていた。
もう息絶えた顔で、両目と瞼が出鱈目に遊び、首がぐりぐり捻じれ回っていた。
顎が繰り返し開閉し、舌がはみ出した口から、弛緩した腹を押される風に、間延びした音が漏れていた。
両腕が頭上でぴったり合わさり、両足が体側へぴったり付いて、ぱたぱた鳥の様に羽ばたいた。
芯が抜け、皮で伸びた首が鳥の様に前へ突き出され、ぐうっとこちらに向けられて、騒ぐ山鳥の声で鳴いた。
飛んで行ってしまって、未だに見付からない。
当時、前例の無かった事に、面の小さな目の穴を覗き込まれたらしかった。
*
以来、面の目の穴が陰ったらすぐに目を閉じて屈み、両手で穴を塞ぐ練習が親戚中に追加されている。
今までそうされてきたように、これからもそうして、連綿と対策を講じ、更新しながら、裏山を見回ってゆくのだろう。
その様に見越していた先日、驚く事に裏山を売却すると持ち主からお達しが来た。
あまりに昔の話なので、誰も把握していなかったが、そういう形だったらしい。急な事態に親戚一同ざわついた。
先方は過日没した先代持ち主のひ孫とのこと。
祖父母が駆け落ち婚のすえ、親が幼い頃に亡くなって久しく、この度とつぜんの相続となったそう。
つまり裏山の実態を全くご存じないため、手を尽くして訴えたものの、悲しいかな返し渋っていると映ったようで、取り付く島なく一族転居の上お返しすると決まった。
よもやこんな日が来ようとは。
裏山を離れられるのだ。
*
引っ越しを数日後に控え、餅を負い、面を付けて、山裾でいとこに挨拶する。
屈んで俯き、閉じていた目を開ける。
顔を上げた立ち上がりしな、豊かに恵む麗らかな山の、木漏れ日が差す木々の根元に、あの日逃げ帰って持ち帰れず、以降、見回りに入る度、どれほど探しても見付けられなかった、いとこの遺品の面が見えた。
かぁん、と目の前が白く眩む。
数歩、入って手を伸ばせば。
いとこの親、おじとおばに、供養する物を渡せる。
いとこを親元へ帰せる。
ほんの形だけでも。
思うや否や、背後から行くなと大声が聞こえた。
その声を振り返る途中で、足元にいとこの面があると気付く。
今朝はとても天気が良い。
頭上の梢がしなって、緑陰と陽の光が入り乱れ、追って落ち葉が降った。
見上げると山鳥が鳴く。
足元の面に目を戻す。
振り返りかけた斜め後ろから、きっと親戚の誰かだろう、行くな行くなと大声を上げて、足音がこちらへ駆けて来る。
まさか入ってはいけない。
山裾で立ち止まったようだ。
終.
裏山 壱原 一 @Hajime1HARA
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