シゴトチュウノオドロキ



「…………」


 しばらく、加瀬くんと響くんが出ていったドアを、ぼんやりと見つめていたんだけど。


「片付け」


「あ、そうだった」


 遊佐くんの声で我に返り、あわてて、遊佐くんとお皿やコップをキッチンに運ぶ。


「響のことかよ?」


「うん……」


 加瀬くんもいたし、結局、沙羅ちゃんの話は最後まで聞けずじまいだった。二人の間に何があったんだろう? 他に好きな人ができるなんて、どっちにも想像すらできないし、けんかにしても ————— 。


「璃子」


「あ」


 またもや、遊佐くんの声に呼び戻される。


「ごめん。わたし、手が止まっちゃってたね。何? 遊佐くん」


「いい。何でもない」


「そう?」


 わたしが考えても、どうにもならないこと。それでも、どうしても、響くんと沙羅ちゃんのことが頭から離れない。


「ねえ、遊佐くん」


 なんとなく、機嫌の悪い遊佐くんだけど、聞いてみずにはいられない。


「どうして、別れちゃったのかな」


「さあ」


 遊佐くんは、要領よく食器の汚れを流しながら、つまらなそうな反応。そして。


「他人の世話焼くより、おまえは花嫁修行でもしとけよ」


 そんなふうに、ため息までついてる。


「大丈夫だよ。今日のわたしのカレー、すごくおいしかったって、加瀬くんが言ってくれたもん」


 普段、菜乃子ちゃんの作った料理を食べ慣れてる加瀬くんがね。


「加瀬は、人間ができてるから」


「響くんだって! 日本人が作ったんじゃないみたいな味って」


 最高の賛辞だよね?


「ほめ言葉なのか? それ」


「違うの?」


 インド人さながらの、繊細かつ大胆な味を表現できたという意味だと思ったのに……。


「どうした?」


 片付けの手を止めて、遊佐くんがわたしの顔をのぞき込む。


「……ちゃんと、頑張るからね」


「ん?」


「おいしいって、遊佐くんに思ってもらえるように」


 少しずつでも、毎日練習して。いつかは、菜乃子ちゃんに追いつけるくらい。 そこで、顔を上げようとしたら、わたしの唇に遊佐くんの唇が触れた。


「遊佐くん……?」


 そっと唇を離した遊佐くんが、ふっと笑う。


「いいよ。今のままで。璃子が努力してるのは、知ってる」


「遊佐くん!」


 思わず、遊佐くんに抱きついてしまう。


「遊佐くん、大好き」


「……最近、甘やかしすぎだよな」


「そ、そうかな?」


「中断するか? 片付け」


「…………」


 また、遊佐くんの瞳に捕まった。


「向こうに行こう」


「うん」


 ベッドの方へ手を引っ張られて、遊佐くんと毛布をかぶる。


「遊佐くん」


「ん?」


「わたし、幸せ」


 遊佐くんの体温に包まれると、より実感するの。


「それより、早く一緒に住みたい」


「うん。なんだか、夢を見てるみたい」


 もう一度、指輪を確認してから、ゆっくり目を閉じた。







「璃子さん。昨日は、婚約者の方とデートですか?」


「えっ? あ、そう。そう、かな」


 婚約者……! まだ耳慣れない響きに、うろたえてしまう。


「結婚かあ。いいですね。優しい人なんですか?」


 書店での仕事中、レジのカウンター内。大学生のアルバイトのあやちゃんに、好奇心いっぱいの大きな瞳で聞かれる。明らかに、清楚系で可愛い彩ちゃんを目当に通ってる男性客も多いから、店にとっても、彩ちゃんはありがたい存在。


「うん……意地悪なときもあるけど、やっぱり、優しいかなあ」


 なんて、真面目に答えちゃったりして。


「わあ、いいんだ。会ってみたいな」


「そうだね。そのうち」


 遊佐くんを見たら、びっくりしちゃうだろうけど。


「わたし、店内整理してきますね」


「あ、ありがとう。お願いします」


 よくできた綾ちゃんのおかげで、仕事もスムーズ。こんなに順調でいいのかなあっていうくらい。


 だけど、気がつくと考えてしまうのは、響くんと沙羅ちゃんのこと。あの響くんと加瀬くんの口ぶりは、一方的に響くんが振っちゃったっぽかったよね。何か原因になるようなことでもあったのかな……と、そのとき。


「店員のくせに、何ぼさっとしてんの?」


「ご、いえ、申し訳ありません!」


 いきなり真横から聞こえてきた声に、反射的に謝る。


「あの、どのような……」


「バカ」


「えっ? あ」


 わたしの目の前に立っていたのは、まさに今、ずっと考えていた響くん。


「暇そうだけど、これで大丈夫なの? 経営」


「や、いつもはそんなことないんだけどね。もう、閉店間際だし」


 現れるなり毒づき始める響くんに、社員として、言い訳しておく。


「あのへんの棚一面の本に貼りつけてあるポップ、書いたの璃子でしょ?」


「そう! 毎日、家で書いてきてるの。力作でしょ?」


 気づいてくれるとは。さすが、響くん。思わず、得意げに自慢したんだけど。


「すごいね。量も密度も。買わないと呪われそうな、執念すら感じる」


「しゅ、執念? 呪われそう?」


 もしかして、わたしへの嫌がらせに来たの?


「まあ、いいや」


「何がいいの?」


適当なことを言いながら、響くんは楽しそうだけど。


「店、十時まで?」


「そうだよ」


 なんだか、わけのわからない気持ちで壁の時計を見上げたら、いつのまにか、すでに閉店五分前。


「じゃあ、前のコンビニで待ってる。終わったら、どこか店に入らない?」


「あ……うん。レジ閉めたりとかあるから、ちょっと待たせちゃうかもしれないけど」


 あまりに自然に誘われたから、わたしも普通に返事した。


「じゃあ、あとで」


「うん。待っててね」


 自動ドアから出ていく響くんの後ろ姿を見送ってから、急いで閉店の準備を進める。沙羅ちゃんの話とか、聞かせてもらえるのかな。わたしに何かできることがあればいいのに……と、そこで。


「璃子さん!」


 店内にお客さんがいなくなったのを確認して、自動ドアの鍵を閉めていたら、声を震わせた彩ちゃんが近づいてきた。


「えっ? どうしたの? 綾ちゃん」


 ふわふわした雰囲気ながら、社員のわたし以上にしっかり仕事をこなす彩ちゃんが、こんなに取り乱してるなんて。


「何かあった? レジの金額が合わなかった?」


 心配するわたしに、ぼう然とした表情で、彩ちゃんが首を振る。


「今の……モノレールの響さん、ですよね?」


「あ、そうそう。よく知ってるね、彩ちゃん」


 もう、音楽活動をやめてから、一年半くらい経ってるのに。響くん、有名人みたい。


「知ってるだなんて……! わたし、ずっとモノレールのファンです」


「そ、そうだったんだ」


 涙目になってる彩ちゃんに圧倒されながら、相づちを打った。わたしの友達は、遊佐くんや響くんをもともと知ってた人ばかりで、こういう機会は今まであまりなかったもんなあ。



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