チワワは素敵な愛言葉(2)
「最近、いい雰囲気なんだよね。類と奈波ちゃん」
「え……?」
そんなこと、わたしに言われたって。
「だからさあ。悪いんだけど、このまま今日は戻らないで、帰っちゃってくれない? もう少ししたら、俺も奈波ちゃんを置いて、リコ連れて帰るから」
「…………」
言葉も出ない。
「どうしたの? 谷くん」
向こうから、ナナミさんの声がする。
「何でもないよ。じゃあ、立原さん。頼んだから」
「あの、ちょっと……!」
軽く無視されて、玄関に一人残されてしまった。そのとき、ふと気づいたら、下の方に何やらフワフワした感触。
「リコ……」
見ると、わたしの足元に、リコが悲しそうな目で寄ってきてる。そっか。リコは、わたしの敵じゃなかったんだ。わたしもリコも、遊佐くんが大好きだったのに、振られちゃったんだ。
「バイバイ、リコ」
優しくリコの頭をなでてから、奥から聞こえてくる笑い声と、寂しそうなリコの顔に背を向けて、ゆっくりとドアを閉める。ひどいよ、遊佐くん。
もう、何年もつき合ってきたのに。わたしを待たせるようなことも言ってたくせに。こんなに、好きで好きでたまらなくさせておいて。それなのに、他に好きな人ができたからって、こんなやり方、ひどすぎるよ……!
ボロボロ涙をこぼしながら、駅に向かって歩いてたら。
「何? 今度は」
「あ……」
公園の前で、響くんにぶつかった。遊佐くんに会いにきたのかな。
「まだ、しょうもないことやってんの? 二人で」
もっともなことを、あきれた表情で聞かれたけれど。
「……わかんない」
「え?」
「何が何だか、わからないよ。もう」
いつもの調子の響くんに、気が緩む。人目も忘れて、わたしは声を上げ、泣きじゃくってしまった。
「ふうん。類が、港区とねえ」
公園のベンチに座って、響くんにぶちまけ終わると、響くんは面倒そうに、ため息をついた。
「結婚の約束っぽいことがどうとか、ちょっと前に言ってなかった?」
「言ったよ。言ったけど……」
そんなの、ただの口約束だもん。いや、そもそも、遊佐くん本人の口からは、結婚なんて言葉は出てなかった? もしかして、最初から、わたしのカン違いだったとか。そうだったら、どうしよう?
「とにかく」
もう一度、響くんが大きく息をつく。
「璃子は、類の誕生日であるにもかかわらず、外に追いやられて」
「うん」
「今、類は部屋に他の女といるんでしょ?」
「そうなの」
救いを求める目で、響くんを見ると。
「二度と会うのやめなよ」
平然と、響くんが言い放った。
「へっ?」
いきなり、もう会えなくなっちゃうの?
「や、でも……!」
あわてて、言い訳を考える。
「その、何かしら、事情があるのかもしれないし」
「ないよ。そんなの」
「もしかしたら、その人に飽きて、戻ってきてくれるとか」
「また、次の女を連れてくるよ」
「そんなこと……」
と、そこで。
「璃子」
突然、響くんが真剣な表情になった。
「…………」
なんとなく、口をつぐむ。
「いいかげんに、やめなよ」
いつになく、真面目な口調の響くん。会ったのは偶然とはいえ、また響くんに頼ろうとしちゃって、反省しなきゃ。
「ねえ、璃子」
「……ごめんなさい」
そうだ。こんなだから、だめなんだよ。恥ずかしくなって、響くんから目をそらしたら。
「呼んでるんだから、こっち見なよ」
響くんが、わたしの顔の両横の髪を、耳にかけた。
「忘れた?」
「な、な、何を?」
遊佐くんより少し大きな、その響くんの手に、ずっと頬を触れられたまま。
「昔、俺が璃子を好きだったこと」
「あ、や、えっと」
響くん?
「こんな泣かされてばかりいるなら、引き下がらなければよかった」
「や、その、でも」
響くんの瞳に金縛りにあったみたい。
「そう、響くんには、沙羅ちゃんが」
「関係ないよ」
さっきから、一秒も視線が外せない。
「だ、だけど、それは昔のことで」
だんだん縮まってくる、響くんの顔との距離。
「勝手に、昔のことにするなよ」
「や、や、や、だって」
わたしには、遊佐くんという人がいるんだから。
「キスするの、何年ぶりだっけ?」
「だ、だめだってば」
響くん、本気なの?
「嫌なら、振り払いなよ」
「そんなこと言われたって」
体が動かないんだもん。
「あのときの続きしようよ。あれから、少しは胸も大きくなった?」
「いや、1ミリたりとも……! むしろ、えぐれたくらい」
そのとき、どこからか、唐突に犬の鳴き声。とっさに、後ろを振り返ると。
「リコ?」
リードを引きずって、足元で吠えるリコの姿。もしかして、脱走してきたの?
「何? これが、例のチワワのリコ?」
「あ、そ、そう」
すんなり、わたしから手を離すと、響くんはその場にしゃがみ込んで、リコに興味を示し始めた。
「へえ。可愛いね。こっちの璃子よりも、全然」
「ええっ?」
慣れた手つきでリコをなでると、リコはよろこんで、響くんの顔をペロペロとなめ出した。
「うん。何から何まで、俺好み。連れて帰りたい」
「えっと、響くん?」
さっきのあれは、何だったの? わたし、どうしていたらいいのか、わからないんだけど……と、そこで。
「リコ!」
リコを追いかけてきた、遊佐くんの声が。
「え? 璃子……?」
公園に入ってきた遊佐くんが、わたしと響くんにも気づいて、こっちを見る。
「響、呼んだのか?」
「ううん……! 違うよ」
偶然、そこで会っただけだと説明しようと思ったら。
「まさか。どうして、俺が璃子に呼ばれたからって、こんなところまでノコノコ来る理由があるの?」
リコに顔をなめられたまま、響くんが答える。
「じゃあ、おまえは何してたんだよ?」
「や、あのね」
さっきのこと、遊佐くんに知られたら、さらに遊佐くんが遠ざかっていっちゃう。誤解のないように言葉を探していたら。
「暇つぶしに、璃子の肋骨の位置の確認でもしようとしてたところ」
「…………!」
「あ?」
遊佐くんが、けげんそうに顔をしかめる。あ、でも、そっか。やっぱり、響くんには、からかわれてただけだったんだ。
「……とにかく、リコを返してくる。来いよ、リコ」
何とも言えないため息をついてから、遊佐くんがリコを呼んだ。でも。
「リコ」
何度呼んでも、リコは響くんから離れようとしない。
「もう、類には見切りをつけたんだよ。な? リコ」
「えっ?」
響くんの言葉に、ドキリとする。
「違うよ。こっちの、可愛い方のリコの話」
リコが響くんに寄りそって、ゴロリと横になった。あんなに遊佐くんに懐いてそうだったのに、あっという間に響くんに寝返っちゃってる。
「…………」
横目で、わたしをじっと見る、遊佐くん。
「あの、えっと……」
「とにかく返せ。戻ってくるまで、そこで待ってろ」
嫌がるリコを抱きかかえると、遊佐くんは携帯を片手に話しながら、駅の方向へ早足で歩いていった。
「で、なんで来たんだよ?」
はぐれたリコを飼い主の谷さんまで無事に送り届けた遊佐くんは、公園まで戻ってくると、嫌な顔で響くんを見た。
「ひどい言いようだね。あげないよ? これ」
「あ?」
響くんの差し出したユニオンの袋を開けると、遊佐くんの表情が、みるみるうちに明るくなった。
「俺が探してた、
「今日、ユニオンで見つけた。ちょうど、誕生日だしね」
「そうか。ありがとう。これは……うれしい」
「どういたしまして」
満足げに、響くんが笑う。
「女は、まだいるの?」
「帰らせたよ。戻ってくるなって、璃子が谷に言われてたことも、さっき知って」
そこで、バツが悪そうに、遊佐くんがわたしを見た。
「本当に?」
「本当だよ」
「わたし、遊佐くんに振られたんじゃないの?」
「何、バカなこと言ってるんだよ? どうして、谷が言ったことなんかまともに受け取って、帰ろうとするんだよ?」
「よかった……」
これから、一緒に誕生日のお祝いができるんだ。響くんがいなかったら、ここで抱きついちゃいたいくらいだよ。
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