スベテ、キエタワケジャナイ



「最低。もう、この一言に尽きるよね」


「美緒ちゃん……」


 あの事件から、すでに一ヶ月が経過。それでも、美緒ちゃんの気は済まないようで、三日に一回は、遊佐くんと亜莉ちゃんへの不平不満をわたしに訴えてくる。今日も、昼休み中のふとした話題から、そっちの方向へ。


「や、気持ちは、ありがたいんだけどね。でも、加瀬くんも困っちゃうだろうし」


 加瀬くんと遊佐くんの関係は、今までどおりに良好なわけだから。


「いやいや。でも、うーん……そうねえ」


 加瀬くんの立場としては、あいまいに応えるしかないよね。


「本当、信じられない。今井さんとは、今もつき合ってるんでしょ? 何考えてるの? あの子も遊佐くんも」


「そこは、悪いんだけど、俺も触れないようにしてるからなあ。でも、遊佐の立原への態度だけは、大人げないと俺も思うけど」


「うん……」


 同じ学校なんだから、廊下ですれ違うことは、普通にある。最初のうちは、あいさつくらいはできる関係に戻りたくて、頑張ろうとした。でも、遊佐くんの素振りはあまりに冷たく頑なで、視線さえ合わせてくれない。と、そこで。


「…………!」


 教室の前の廊下を横切っていく、遊佐くんの姿が見えた。反射的に、床にしゃがんで、身を隠してしまう。


「ちょっと、何やってるの? 璃子」


「べ、べつに。遊佐くんがいたから、隠れたわけでは」


「全然、吹っ切れてないじゃん。どうでもいいと思いなよ、遊佐くんなんて。あきらめきれてないの?」


「そんなことないよ……! 単なる条件反射だもん」


 今となっては、信じられない。もう、声をかけることさえできない遊佐くんと、同じ時間を過ごしたこともあったなんて。


「大丈夫だってば、美緒ちゃん」


 わたしだって、日々成長してるんだよ。


「まあね。璃子には、響くんがいるもんね。今日も会うんでしょ? これから」


「へえ。そうなんだ?」


 気まずそうにしていた加瀬くんが、そこで乗ってくる。


「バレンタインに約束してるってことは……」


「違うよ、加瀬くん! たまたま。たまたま、約束した日がバレンタインだったの。そんなことを言うと、響くんに嫌な顔されちゃう」


 冷やかすような口ぶりの加瀬くんに、大きく首を振った。


「えー。響なら、嫌がらないと思うけどな。それに、そうは言ってもさ、チョコの用意も、ちゃんとしてあるんじゃないの?」


「それは……うん。一応」


 あのあとも、響くんには何度か遊びに誘ってもらった。何より、お世話になってるし、せめてもの感謝の気持ちを込めて。


「なーんだ。璃子、やるじゃない。どこで買ったの? 見せて、見せて」


「うん。これ」


 ここ数日間、考えて、探し回ったチョコの包みを、バッグから取り出した。


「え……? ずいぶん、渋い包装だね。和っぽい感じ?」


「そうだね、和かも。こっちが山葵わさびチョコで、こっちが唐辛子チョコなの。長野の有名なお店なんだって。見た瞬間、即決しちゃった。味、気になりすぎるでしょ?」


 説明すると、微妙な表情の美緒ちゃんと、なぜか、笑いをこらえてるような加瀬くんが。


「えっ? 変だった?」


 普通に、不安になるよ。


「変じゃない、変じゃない。立原らしくて、いいと思うよ」


「だね。響くんも今さら、璃子にムードも何も求めてないだろうしね。ま、ちょうどいい機会じゃん。このチョコ渡してさ、ちゃんと響くんのものになってきなよ」


「ええっ? 待って、違うってば……」


 最後に言いたいことだけ言うと、美緒ちゃんと加瀬くんは、バレンタイン・デートに向かうため、早々と教室を出ていってしまった。


「…………」


 もう一度、響くんに渡すチョコを手に取って、ながめてみる。おかしくないよね? そして、受け取ってはもらえるよね?






「あ」


 改札を抜けて、こっちに近づいてくる、響くんを発見。ちょうど、約束した時間どおり。


「響くん。こっち……」


 でも、手を振ろうとしたら、後ろから駆けてきて、響くんを呼び止めた女の子の存在に気づく。この近辺で、いちばん人気の女子校の制服を着た、人目を引くくらい可愛い女の子。


 そうだよ、バレンタインだもん。響くんに、チョコを渡すつもりなのかもしれない。響くんだったら、あんな目立つ女の子からだって、想いを寄せられるの当然だよ。二人の会話は聞こえないけど、思ったとおり、女の子が響くんに綺麗に包装された箱を差し出してる。


「…………」


 どうしてか、その光景を直視できなくて、祈るような気持ちで下を向いた。彼女でもないのに、おかしい。でも、やっぱり、響くんが他の女の子からチョコを受け取ったりするところは見たくなくて ————— 。


「何やってんの?」


「えっ? や、ううん」


 ギュッと固く閉じていた目を開いたら、すぐそこには、いつもと変わらないげんそうな表情の響くん。そして、目線を下に移すと。


「あ……」


 響くんの手には、さっきの女の子が持っていた、きっとチョコレートの箱。と、突然。


「あげる」


「へっ?」


 その上品な綺麗な箱を響くんから突き出されて、びっくりする。


「おいしいよ、この店の。食べたことあるけど」


「ええっ? だって」


 それは、あの女の子が、響くんにあげたチョコで。


「何度も断ったのに、しつこかったから。受け取りさえすれば、あとは捨ててもいいとか言うんだけど、もったいないし」


「そんな……も、もったいないしって」


 そっと視線を横に向けると、その場でようすを見ていた女の子が、わたしをにらんでから、駆け足で立ち去っていった。響くんは何も気にしていないようすで、「寒いから、店に入りたい」とカフェに向かう。


「本当に、いいの? や、でも、たしかに。捨てるのは、もったいないよね。うん」


 改めて、あの女の子には悪いと思いながらも、安心してしまう自分がいる。わたし、性格が悪いのかもしれない。


「だけど……だったら、響くんが食べてあげたら? せっかくなんだから」


「嫌だ。なんか、重い味がして、もたれそう」


「そこまで言うことないのに」


 響くんがこんな人だと知ってたら、告白なんかしなかったよね、きっと。だけど、決死の覚悟で、響くんに声をかけたんだろうなあ。


「……やっぱり、わたしも食べられないよ」


「え?」


 響くんへの真剣な想いがたくさん詰まったチョコ、わたしが食べちゃうなんて、抵抗あるもん。


「だから、わたしのお父さんにあげるね。一応、男性だし。甘いもの、大好きなんだよ」


「璃子のそういうところ、面倒くさくなくて、いいよね。ちょっと発想がずれてるけど」


「な、何か変だった?」


「べつに。それより、いつまで待っても、璃子が買わないから。ほら、これ」


「ん? あ、うれしい……! ありがとう、響くん」


 響くんが見せてくれたのは、二人分のイヤホンを同時に接続できる、iPodのアダプター。


「片方で聴かされるの、いつも疲れるから」


「あ、だよね。ごめん。お金、ちゃんと払うからね」


 いつも、響くんの iPod の中身が気になりすぎるわたしは、片方のイヤホンを借りて、新しく入れた曲を聴かせてもらうのが習慣になってたから。


「えっと、お財布は……と」


 バッグの中を探っているうち、用意していたチョコが目に入る。これも、重いとか言われたら、どうしよう?


「何? それ」


「や、えっと」


 もしかして、バレちゃった? 渡すとき、どう言うかも、まだ決めてなかったのに……!


「そのね、なんとなく、わたしも自分用のチョコを買ってみたんだけど」


「いいよ。これで」


「え……?」


 響くんが、わたしのバッグの中から、チョコの包みを取り上げた。


「イヤホン代」


「あ……うん」


 これは、受け取ってもらえたということで、いいのかな。


「でもね、さっきのチョコと比べたら、あんまりかも」


 昼休みの美緒ちゃんと加瀬くんの反応を思い返すと、心配になっちゃう。


「そう? 何? これ。山葵と唐辛子のチョコ? 璃子が好きそう。やっぱり、もらうの気が引けるから、璃子が食べなよ」


「それは、だめだよ! だって、これは、響くんに……」


 言いかけて、ハッと口をつぐんだ。


「え? これ、自分用なんじゃなかった?」


「そう。そうなの。今のはね、違くて」


 せっかく、自然に渡せたのに、水の泡になっちゃう。


「あのね、物のはずみというか、何というか」


「いいから、貸しなよ。璃子のイヤホン」


 さっきのチョコを自分のバッグの中に収めると、入れ替わりに iPod を出した、響くん。


「あ、うん……!」


 わたしも自分の iPod のイヤホンを抜いて、響くんに渡す。早速、響くんがプレイリストを再生してくれた。


「この曲……」


「LOVE GENERATION だね。たしか、『She Touched Me』って曲」


「……うん。この曲、大好き」


 こんな曲を聴くと、今でも遊佐くんを思い出して、胸がギュッと締めつけられたようになるけど。


「さっきのチョコ、一緒にここで食べる?」


「いいの? 実を言うと、わたしも食べてみたかったの……!」


 今は、こんなふうに響くんと過ごす時間がずっと続けばいいのになあって、気がつくと考えてるよ。



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