アクマ、アラワル



 いろいろ、処理能力が追いつかない。思考停止の状態で、テーブルの上に倒れ込んでいると。


「悪い。もう一人いるんだけど、入れよ」


 ふと気づいたら、そんな声が廊下から聞こえてくる。もしかして、友達? あわてて、乱れた服を整え、顔を上げると。


「あ……」


 戻ってきた遊佐くんの隣に、繊細で綺麗な顔立ちの男の子。やっぱり、遊佐くんと同じような特別な空気を感じるんだけど、ストレートの黒髪の間からのぞく目は、少し冷たい印象。ちょっと神経質そうで、尖ったガラスを思わせるような……。


「同じ学校の立原だよ。で、こっちはひびき


「響くん……あ、立原です。よろしくお願いします」


 まだ、どんな人なのかもよくわからないけど、響くんという名前は、ぴったりな気がした。ある意味、初期の遊佐くん以上に人を緊張させるオーラが。近寄りがたい、氷の王子様とでもいう雰囲気。


「えっと、響くんも、音楽とか……」


「また、女連れ込んでんの? 相変わらず、さかいないね。女なら、本当に何でもいいんだね。にしても、だけど」


「へっ?」


 会話の糸口を探ろうとした矢先の響くんの言葉に、わたしの体がぴたりと固まった。


「やめろよ。こいつ、本気にするから」


「や、あの……」


 遊佐くん、さらっと流そうとしてるけど、響くんは冗談のつもりでもなかったよね?


「ほら、見ろよ。動かなくなった」


「どうでもいいよ。そんなことより、あの話」


 最初に、わたしを見定めるように一瞥いちべつしてからは、わたしに完全無視を決め込んだようすの響くん。さっさと帰れという、無言の圧力。それに対抗できる、勇気も自信もなく。


「えっと……今日は、帰るね」


 今日のところは、あきらめよう。バッグを持って、立ち上がると。


「ごめん。響と約束してたの、忘れてて」


 一応、すまなそうに謝ってくれる、遊佐くん。


「大丈夫。お邪魔しました。響くんも、さようなら」


 意地で普通を装い、こっちを見ようともしない響くんにもあいさつして、居心地の悪さを感じつつ、一人で玄関へ向かう。


「…………」


 やっぱり、遊佐くんに、からかわれてるだけなのかな。こんなわたしのことを遊佐くんが真剣に想ってくれるなんて、よくよく考えたら……。


「立原」


 靴を履いていたら、背後から遊佐くんの声。


「えっ?」


 振り向くと同時に、遊佐くんの唇が、わたしの唇に触れた。


「ゆ、遊佐くん? 響くんに見られ……」


「明日、待ってるから」


 わたしをあわてふためいているのを満足そうにながめてから、遊佐くんが色気のある笑みを浮かべる。


「……うん」


 もどかしく思いながらも、素直に返事をしてしまう、わたし。


「じゃあ」


「また、明日ね」


 遊佐くんに全く勝てる気がしないのは、わたしが遊佐くんを好きになってしまった、弱味があるから。それにしても、わたしと遊佐くん。これって、つき合ってるっていうことで、いいんだよね?






 次の日は土曜日だから、学校は休み。気を取り直して、遊佐くんの部屋へ向かうことにしたんだけど、その途中、わたしは誓ったの。そう。今日こそ、遊佐くんの気持ちをはっきり確かめなくちゃ。いつまでも、はぐらかされたままじゃ、絶対だめ!


 好きでもない女の子にキスするなんて、普通じゃ考えられない。でも、遊佐くんって、何が何だか、全然わからないんだもん。響くんが言ってたみたいに、いつも女の子を連れ込んでるとまでは、思ってないけど。


 ———— ほんの数分だけ、同じ部屋の中にいた響くん。初対面で、あそこまであからさまに拒絶するような態度を取られたのは、初めて。だけど、この先、また顔を合わせることもあるよね。うまくやっていけるかなあ……と、考えてたら。


「あ」


 まさに、向こうから歩いてくるのは、響くん!


「おはよう」


 思いきって、声をかけてみたけど。


「…………」


 やっぱり、あからさまに無視?


「えっと……昨日、泊まっていったんだ?」


 やめておけばいいのに、引っ込みがつかなくって、さらに話を続けてしまう。


「あ、覚えてない? 昨日、遊佐くんの部屋で会った……」


「悪いけど」


 そこで、視線すら合わせてくれない響くんに、遮られた。


「親しくなる気ないから、話しかけないでくれる? 時間の無駄」


「え……?」


 さすがに、予想もしなかった反応に、わたしの体が氷つく。ただ、当たりさわりのない会話を普通にしようとしただけなのに。


「あの……」


 わたしが言葉を失っている間に、角を曲がっていった響くんの姿は、とっくに見えなくなっている。どうして? わたし、何も悪いことしてないのに、理不尽すぎる。もやもやした思いを抱えたまま、遊佐くんの部屋に到着。チャイムを押すと。


「来たんだ?」


 眠そうな目をこすりながら、ドアを開けた遊佐くんに、意外そうに言われた。


「立原?」


「…………」


 響くんといい、遊佐くんといい、どうなってるの?


「遊佐くんが、今日来いって言ったんじゃん!」


 糸が切れたように、大きな声を上げてしまった。そんなわたしに、めずらしく、遊佐くんがたじろいでる。


「冗談だよ、冗談」


「適当なんだから」


 人の気も知らないで。


「それより、響に会わなかった? ちょうど、帰ったところだったから」


 散らばった本やCDを棚に戻しながら、遊佐くんが聞いてくる。


「……会ったよ」


 あんまり、思い出したくないけど。


「何だよ? 今の間は」


「話しかけるなって、言われた。時間の無駄だって」


「響に?」


 わたしの答えを聞くなり、他人事のように笑い出す、遊佐くん。


「ちょっと、遊佐くん?」


 全然、おかしくなんかない。


「面白いだろ? 響」


「面白くないよ。わけがわからないよ」


 あの場にいた、わたしの気持ちにもなってほしい。


「あいつ、よっぽど気に入った相手じゃないと、そんなだよ」


「だからって」


 人として、そんなのおかしいよ。


「俺の彼女だから、なおさらなんだろ? 見る目が厳しいの」


 笑いをこらえながら、遊佐くんが言う。


「え……?」


 今、響くんのことなんか、一瞬忘れて。わたしの頭の中は、ひとつの単語でいっぱいになっていた。


「彼女なの?」


 緊張して、少し声が上ずる。


「え?」


「わたしは、遊佐くんの彼女なの?」


「何を、今さら」


 わたしの質問に、遊佐くんが笑った。


「遊佐くんは、わたしのこと……本当の本当に、好きになってくれたの?」


「好きだよ」


 あいさつでもするかのように、さらっと答える遊佐くん。


「あ……そ、そうだったんだ?」


 こんな簡単に言ってもらえると思わなかった。


「でも、好きだけど……」


「えっ?」


 ドキッとして、遊佐くんを見る。


「好きだけど?」


「眠い」


 そう言って、遊佐くんはベッドに倒れ込んだ。また、はぐらかされた気分。遊佐くんは、いつもこんな。


「響と、明け方まで遊んでたから」


 寝ぼけてるみたいな、モゾモゾとしたしゃべり方の遊佐くんは、ちょっと新鮮だけど。


「何してたの?」


「テーマ決めて、順番に選曲すんの。D J バトル的な?」


「そうなの?」


 それは、楽しそう……! と、そこで。


「一緒に寝る?」


 遊佐くんが、わたしのいる向きに寝返った。


「や、いい! こんな時間から、眠くないし」


 あわてて、首を振る。


「そうか? 初めて話した日、部室の前で寝てなかったっけ?」


「あ……そう、だったよね」


 そういえば、そんなことがあった。さっきの軽すぎる告白より、言葉を交わした日のことを覚えてくれていたことの方が、うれしいよ。


「ごめん。悪いけど、俺、もう限界……」


「ええっ?」


 限界という言葉に、とある妄想を抱いて、身構えてしまったけど。すでに、眠さが限界だったようで、遊佐くんは寝息を立てていた。綺麗な寝顔。


 どう見ても、わたしより長い睫毛でしょ? 透けそうなくらい、肌も白いし。それに、唇だって……と、またもやキスの記憶が呼び起こされて、顔全体が熱くなってきた。


「立原……?」


 そうこうしてるうち、一時間くらいは経過してたのかな。遊佐くんの目が、ゆっくりと開いた。


「何してんの?」


「起こしちゃった? ごめんね。ずっと、遊佐くん見て……」


 あ。つい、正直に答えちゃった。


「ふうん。俺の、どこ見てた?」


「ううん、あの……!」


 遊佐くんは見透かしたように、少し意地悪く笑った気がする。そして、気づいたときには腕をつかまれて、ベッドの中へ引っ張り入れられていた。


「遊佐くん?」


 なんだか、いつもと違う。遊佐くんが、わたしの唇の間から、強引に舌を侵入させてくる。


「遊佐く……」


 もう、しゃべれない。遊佐くんの体の熱さに反応してるのか。わたしの体だけでなく、頭の中まで溶けそうなの。


「その顔、そそる」


 覆いかぶさられた遊佐くんに耳元で囁かれて、完全に力が入らなくなった、その瞬間。


「や……」


 遊佐くんの手が、わたしの胸に伸びたことに気がついて、恥ずかしさに身をよじると。


「小せえ胸」


「…………!」


 そんな信じられないようなことを言って、笑ってる。


「ひどいよ、遊佐くん。わたし、気にして……」


 言っていいことと、悪いことがあるよ! 胸を押さえて、遊佐くんから逃げるように、起き上がったら。


「ウソ。可愛い」


 そう言って、そっとわたしの手を解いて、とっくにめくり上げられた服の下に、何回も優しくキスを落としてくれたから。


「遊佐くん、大好き」


「知ってる」


 このまま、わたしは遊佐くんに溶けつくされて、遊佐くんの中に吸収されちゃうような気がした。



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kiss, kiss, kiss 【高校生編】 伊東ミヤコ @miyaco_1

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