ホントウノコト



「おはよう」


「……ああ」


 次の土曜日は、スタジオに直接集合。ドアを開けると、わたしより先に来てたのは、響くんだけ。今みたいな、“おまえかよ” みたいな響くんの反応にも、だいぶ慣れてきた。ドラムに関しては、及第点ももらえてるみたいだしね。でも。


「立川さんだっけ?」


「あ、ううん。立原」


 いまだに、名字すら覚えてもらえてないという……。先週は、竹原さんだった気がする。


「タチハラさん? 覚えにくい。名前、何?」


「ん? だから、立原だよ」


「そうじゃなくて、下の名前」


「ああ! えっと、璃子。瑠璃の璃っていう字で。わたしに合わないんだけどね」


 言われる前に、自分で言っちゃう。


「ふうん。璃子ね」


 なんて、響くんは、さらっと反応したけど。


「や、あのね、あの」


 思わず、言葉に詰まる。


「その……さん付けとか、しなくていいから! 立原って、呼び捨てで」


 わたしがあわてると、響くんはげんそうな表情。


「何? 璃子って呼ばれると、不都合なことでもあるの?」


「そういうわけじゃないんだけど。でも、遊佐くんですら、そんなふうに呼んでくれないし」


「…………」


 あ。なんだか、微妙な顔で見られてる。


「ごめん。わたし、すごく面倒くさいこと言ってるね」


 いちいち、考えすぎというか、意識過剰というか。


「べつに」


 体の向きを変えて、ギターのチューニングを始める、響くん。


「まともだね、立原さん」


「えっ?」


 意味がわからなくて、響くんの方を見る。


「人との距離感が、ちゃんとしてる」


「そ、そうかな? 普通だと思うけど」


「俺の周り、おかしいのばっかりだよ。自分の男の友達と平気で寝る女とか」


「とか?」


 内容が内容だけに、内心ドキドキしながら、バカにされないように平静を装いつつ、先を促すと。


「友達の女と平気でやる男、とかね」


「え……?」


 そこまで言い終わると、わたしを試すような目で顔を見た、響くん。


「ちょ、ちょっと待って。それって」


 今の、どういうことなの? 聞き返そうとしたとき、後ろのドアが開いた。


「もう、来てたのか」


 遊佐くんの声に、わたしの背筋が伸びる。


「うん」


 普通に返事をするのが、今のわたしには精一杯。


「おはよ。ん? 何かあった? 立原。いつもにも増して、挙動不審な感じ」


 あとから、加瀬くんも入ってきた。


「や、今日の3曲、まだ自信なくて」


 わたしにしては、かなり気のきいた言い訳。


「響のこと、怖がりすぎだよ」


 遊佐くんと加瀬くんが笑うから、横にいる響くんを気にしつつ、わたしも笑った。違うよね? さっき、響くんが、ほのめかすように言ったこと。まだ、わたしのことをあまりよく思っていない響くんが、わたしに少し意地悪しただけだよね……?






「そろそろ、帰るかな」


「あ、うん。そうだね」


 練習が終わったあと、みんなで軽いランチを食べて、それから、遊佐くんの部屋で適当に過ごしていた。わたしも、めくっていた雑誌を棚に戻して、ざっと荷物をまとめると。


「おまえは、もうちょっといろよ」


 遊佐くんに引き止められた。


「ううん。今日は、わたしも帰ろうと思って」


 響くんの話の真相が、気になりすぎるんだもん。響くんと二人で話せるチャンスなんて、めったにない。こういう、練習終わりの電車の中くらいしか。


「帰りは送っていくから、ゆっくりしてけよ」


「じゃあ……そうする」


 遊佐くんの目に、つかまっちゃった。こんなの、断れない。あきらめて、荷物を置いた。


「またね、立原」


「……うん。また」


 明るく手を振ってくれた加瀬くんと、意味ありげに笑った気がする響くんを玄関のドアまで送り出すと。


「やっと、帰った」


 そう言って、遊佐くんはわたしの手をつかんで、ベッドの方へ引っ張った。いきなり、そういう感じ?


「えっと、遊佐くん?」


「何?」


「何って、その……」


 すでに、わたしの体が、わたしの思うようにならない状態に。いつだって、こんなふうに、なし崩し的な流れになってしまってるけど。


「なんか、心配で」


「心配? 何が?」


「言い知れぬ不安、というか」


 怪しげに、目が泳いでいそう。


「響に、何か言われたのか?」


「ううん……! 決して、そういうことではないんだけど」


 さすがに、練習前に響くんに言われたことを、そのまま遊佐くんに伝える勇気はなかった。


「じゃあ、何だよ?」


「遊佐くんは、本当に……本当に、わたしのことが好きなのかなあって。正真正銘、本物の彼女として」


「また、それか。べつに、好きだよ。普通に」


「…………!」


 その『べつに』とか『普通に』が、よけいなんだよ。それを取って、答えてくれればいいのに。わざとやってるような気もするけど。


「好きでもなかったら、相手にするかよ? こんな重い女」


「えっ? 重い?」


「重いよ。キスもしたことないような女」


「そんなこと……」


 唇をふさがれて、続きは声にならなかった。大丈夫。過去に何があろうと、過去は過去でしかないから。わたしは遊佐くんのことを信じて、遊佐くんを好きでいればいいだけだよね?






「おじゃまします」


「あがって? こっち」


 ひさしぶりに来た、美緒ちゃんの家。


「親が出かけるときに限って、ひさしは都合悪いんだよね」


 階段を上りながら、ぼやく美緒ちゃん。


「遊佐くんも、今日は物理の宿題やってるって」


 おかげで、美緒ちゃんとゆっくり話せるのは、うれしいけど。


「バンドの方は、どうなの?」


「そうだ。そのうち、下北沢でライブやるんだって。もう、今から緊張しちゃって」


「ふうん。すごい」


「遊佐くんと響くんの知り合いに、頼めるみたいでね。あ、ありがとう。いただきます」


 美緒ちゃんが出してくれた紅茶に、口をつけた。まだ気持ちが晴れないけど、美緒ちゃんに心配かけないようにしなくちゃ。


「元気ないじゃん」


「あ……」


 わたしって、すぐに顔に出ちゃうんだよね。


「響くんがね、気になるようなこと、言うから」


「何? 遊佐くんのこと?」


「うん……あのさ、美緒ちゃんは、加瀬くんが前につき合ってた子のこととか、気にならない?」


 普通に考えて、いないわけがないけど。


「まあねえ。でも、それを言ったら、わたしも尚が初めてってわけじゃないし」


「そっか……」


 もしかしたら、こんなに気持ちがモヤモヤするのは、わたしが単に男の子に好かれなくて、誰ともつき合ったことがなかったせいかもしれない。


「前にも言ったでしょ? 大事なのは、今だと思うよ」


 わたしも、ぐちゃぐちゃ過去のことを考えない、美緒ちゃんみたいになりたい。


「そう、だよね」


「自信持ちなって。遊佐くんが選んだのは、璃子なんだから。不思議だけど」


「不思議って、言わないで。言われなくても、わかってるから」


 いつものように、美緒ちゃんと笑い合う。からかわれながらも、美緒ちゃんと話してるうち、気持ちがすっきりしてきた。夕方、明るい気分で美緒ちゃんの家を出て、歩きながら考える。


 だいたい、わたし、響くんの言うことを気にしすぎなんだよね。例の話も、どうして、遊佐くんと亜莉ちゃんのことだなんて、勝手に思ったんだろう? 本当に、考えすぎもいいとこる……と、何気なく目をやった、コンビニの中に。


「あ」


 響くんの姿を発見。そうだった。同じ中学だったんだもん。家、近いよね? でも、とりあえず、今は気づかれないように、こっそり通りすぎて……なんてこと、わたしにできるわけがなかった。


「こんなところで、何してんの?」


 結局、十歩も歩かないうちに、後ろから響くんに呼び止められてる。


「あ、や、友達の家が偶然、この近くで。響くんと同じ中学だった倉田美緒ちゃん、わかる? 」


「ああ……顔くらいは、わかるかも」


 相当、どうでもよさそうな反応だけど。


「美緒ちゃんは、響くんと亜莉ちゃんのことも知ってたよ。そう……中学の頃から、つき合ってたんだってね」


 ここは、無難な世間話でもしておこうと思ったら。


「ふうん。D Vカップルとか言ってなかった?」


「ええっ? 」


 心の準備もなく、そんな困惑するような情報が入ってくるとは。


「この前、見たときに気がつかなかった? 亜莉の腕とか脚に、いくつもあざがあるの」


「や、全然……でも、それ、響くんがやったの?」


「どうだったかな。それより、俺に聞きたいことはないの?」


 話題をそらして、響くんが意地悪な笑みを浮かべる。


「……昨日までは。でも、もういいかなって」


 いろいろ変な想像をして、負のループにはまっちゃいそうだから。と、そこで。


「もしかして、立原さんって、にぶい?」


 いきなり、バカしたような口調。少し打ち解けられたような気がしてたのに。


「そういう態度の人と、話したくない」


 嫌だ。胸がざわざわする。早く、響くんから離れたい。


「そう言わずに、せっかく会えたんだから、相談に乗ってよ」


「相談? わたしなんか、何の役にも立たないと思うよ?」


 何か、悪意も感じるし。


「そんなことないよ。今後の円滑なバンドの活動のためにも」


 それを言われると……。嫌な予感がしつつも、目の前の公園のベンチに、少し離れて響くんと並んで腰かけた。


「えっと……亜莉ちゃんは、今日は一緒じゃなかったの?」


「あんな女といたら、頭がおかしくなる」


「あんな女って」


 かばう理由があるわけでもないんだけど、そんなふうに言われても困る。


「だからさ」


 今度は、急に調子を変えて、響くんがわたしを見る。


「俺、亜莉と別れてもいい?」


「そんなこと……どうして、わたしに聞くの?」


「本当に、まだわかってないの?」


 わざとらしく、驚いたような表情。


「……さすがに、確信したけど。今ので」


 遊佐くんが、ずっと亜莉ちゃんを好きだったこと。そして、亜莉ちゃんは響くんの彼女なのに、遊佐くんとも関係を持っていたこと。


「俺が亜莉と別れたら、類は、もう立原さんの方になんか戻らないよ」


「そんなことないよ」


 大丈夫。何度も、そう自分で自分に言い聞かせてきた。


「そりゃあ、遊佐くんは昔、亜莉ちゃんを好きだったこともあるかもしれないけど。でも、今は……」


 昨日だって、言ってくれたもん。わたしのことが好きだって。そうじゃなかったら、手を出してないって。


「昔? あいつら、二ヶ月くらい前にも、一回やってるけどね。俺が把握してるだけでも」


「え……?」


 待って。わたし、そんな事実、知りたくないよ。知りたくないのに。


「……なんで、わかるの?」


「わかるよ、そんなの。空気で。特に、類の方の」


 遊佐くんと響くんの結びつきは強い。多分、響くんが感じとったというのなら、それは真実。二ヶ月前って、合同ライブの頃だ。


「その頃は……まだ、つき合ってないし」


 わたしだって、まだ加瀬くんのことが好きだったもん。だから ————— 。


「そう? なら、問題ないか」


 響くんが、皮肉っぽく笑う。どうしたらいい? 混乱して、考えがまとまらない。


「遊佐くんは、気づいてないの? 響くんが、全部知ってるって」


「気づいてたら、俺の前で普通にできるような厚かましさはないと思うよ。類は、そこまでは腐ってない」


「…………」


 今は? 過去じゃなくて、今の遊佐くんの亜莉ちゃんへの気持ちは?


「別れちゃうの……?」


「え?」


「亜莉ちゃんと」


 この前、カフェで亜莉ちゃんに会ったときの遊佐くんを思い出す。あのときの遊佐くんの、亜莉ちゃんを見る目……。


「別れないでほしい?」


 響くんが、わたしの顔をのぞき込むようにして、聞いてきた。


「……わからない。それは、わたしが決めることじゃないから」


「そう。じゃあ、保留だね」


 頭の中に霧がかかったみたい。今、響くんに何を伝えるのが正解なのか、答えが見つからない。



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