第2話 魔族王女の肖像画その1
朝食を終えると、俺は屋敷の執事を探した。
「坊っちゃん、今日はご機嫌がよろしいようですね」
執事の声は低く力強く、どこか親しみを感じさせる風格があった。
だが俺は、この声に寒気を覚えた。ジェスにとっては、最も信頼できる存在であり、一番面倒を見てくれる人物だが、俺にとっては、この笑顔を浮かべて絶やさない執事こそが、素性を隠している一番の危険人物だ。
「頼みがあるんだ」
彼との無駄な会話を避け、単刀直入に言った。
「何なりと」
「昨日、仕留めた鳩のことなんだが、どうやら誰かの使い魔だったようで、もしその相手が高貴な身分の人物だった場合、家に迷惑がかかるかもしれない。だから、昨日の一件を知っている者たちの口止めをしてほしい」
俺の言葉に、執事は明らかに驚いている様子だった。彼の目は、疑念がよぎって一瞬曇る。
「承知しました。お任せください」
執事は誠実な口調で答えた。
「それと、もう一つ頼みがある。同じくらいの年齢の女性で、灰色の髪に金色の瞳、古びた灰色のマントを着ている、街の流民に似た人物を探してほしい。ただし、彼女に俺が探していると気づかれないようにしてくれ」
これに執事は少し困った顔をした。
「尽力いたしますが、この城郭都市は広大ですので、すぐに見つけられるかは保証できません。もし、彼女の特徴がもう少し具体的であれば、調査や検索の時間が短縮されるかもしれませんが」
「そうか……もし俺が彼女の姿を描けたら、早く見つかるだろうか?」
「もし肖像画が正確であれば、1日以内にこの町で彼女を見つけられると保証いたします」
執事は笑顔を浮かべて答えた。
俺が絵を描けることを知っているようだが、長い間筆を取っていないこともわかっているのだろう。
「まずは目撃者たちを黙らせてくれ。その間に、彼女の肖像を描き終えるつもりだ」
「承知しました。では坊っちゃん、まずはそちらの手配を進めさせていただきます。正午までにキャンパスを用意いたしますので、どうかお急ぎにならず」
「ああ、頼んだ」
自信ありげに答えた。
何せ俺の得意分野は絵を描くことだ。しかも、カーシャを描くのであれば、目を閉じていても可能なほどに慣れている。
俺ほどカーシャをうまく描ける人間はこの世にはいない、そんな自負がある。
ここでようやく俺は少し安心した。確かに厄介ごとを抱えたが、今ならまだ挽回の余地がある。もちろん、証拠を隠すことで、魔族のプリンセスが真相にたどり着くまで、時間稼ぎにはなるだろうが、それだけでは十分ではない。もっと別の何かが必要だ。カーシャには嘘を見破る魔法があるという話を聞いたことがある。彼女が本気を出せば、隠し事など無理に決まっている。
彼女の執念深さを考えれば、使い魔を狩ったことがバレたら、どんなに頭を下げても、復讐が待っているだろう。その怒りを解消するには、彼女と直接向き合う必要がある。
……
書斎へ向かう途中、俺を起こしに来たメイドと再び顔を合わせた。
「お飲み物をお持ちします、坊っちゃん」
メイドは俺が酒を飲むと勘違いした。
ワインセラーへ向かおうとする彼女を、俺はすぐに呼び止める。
「書斎に行く」
その言葉に、彼女の表情は明らかに不安そうなものへと変わった。
「しょ、書斎ですか?」
彼女の反応がいまいち理解できなかった。
「ああ」
それでも、俺は頷いて言った。
メイドが書斎の扉を開けた瞬間、彼女の不安の理由が明らかになった。部屋には机も紙もない。代わりに高級そうな酒瓶が所狭しと並んでいた。
「申し訳ございません、坊っちゃん。まだ書斎の掃除が終わっていなくて……」
彼女はうつむき、声も小さく、まるでこれから怒鳴られるのを覚悟しているかのようだった。
おそらく彼女の予想では、ジェスは怒鳴り散らして部屋を出て行き、再び酒に溺れるだろうと思っているのだろう。
だが、俺はもうジェスではない。
「掃除なんて気にしなくていいさ。俺が必要なのは絵を描く道具だけだ。他の部屋でも構わないから、用意してくれ」
と俺は微笑んで安心させた。
メイドは目を大きく見開いて俺を見て、戸惑った様子を見せた。
どうやら今日の俺の穏やかな態度が、過去のジェスのイメージと大きくかけ離れていることが原因のようだ。
彼女の警戒心は少し和らいだらしく、すぐに「15分だけお時間をいただければ、書斎をきれいに整え、絵の道具もご用意いたします」と急いで答えた。
俺は微笑を浮かべながら「それは助かる」と言った。急ぐ必要はない。なぜなら、俺には成す術がもう思い浮かんでいるからだ。
誰だろうと、俺の自由な異世界ライフの邪魔をさせはしない!
……
10分ほどして、メイドは約束通り、書斎の掃除を終え、最高の画材を用意してくれた。この世界の筆は、俺が以前使っていたものとは少し違うが、基本的な原理は同じだ。使い方のコツをすぐに掴んだ。
キャンパスの前に座り、構図を整え、すぐにカーシャの肖像画を描き始めた。
かつて描いた完璧なキャラクター、堂々たる魔族の王女・カーシャが、乞食のような姿で町中を彷徨いながら人間に偽装しているのを想像すると、思わず笑いが漏れてしまう。
彼女を描くのに、頭を悩ませたりしない。俺の手は自然に動く。何度も描いたことがあるこのキャラクター、それがカーシャ。
俺が絵を描く時はいつも夢中になる。まるで時間の感覚を失い、周囲の全てを無視しているかのようだ。
時間が経つにつれ、絵は完成に近づく。キャンパスの中に描かれた少女は、ボロボロのマントを羽織っているものの、その美貌は覆い隠されることはなかった。そよ風が彼女の顔を撫で、フードの下から覗く灰色の髪が風に揺れているように見える。かすかに見える金色の瞳には、千年の氷の下に隠された炎が宿っているかのようだった。
孤独な姿ながらも、彼女がか弱い存在だと思う者はいないだろう。ボロをまとっていても、その血に流れる高貴さと力を隠しきれない。
「完成だ!」
俺は笑顔で、最後の筆を置いた。絵をじっくりと吟味して気づく——少し真剣に描きすぎた。
こ、これは....
俺が異世界で初めて描いた絵は出来すぎていた。
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