惜春や明日に願うは夢の音
明日
惜春や明日に願うは夢の音
もうじき春が終わってしまう。枯れて朽ちるだけの桜が、こんなにも光に照らされたこの輝かしい春が。開花があれば落花があるのも当然。万物に永遠などなく、それを望むなど愚者のほかない。そんなこと、とうに理解していたつもりだ。……だが、今だけは願ってみようではないか。まだ最後は訪れないと、未来に希望を謳っていたい。騒々しい未熟な春の声を、華やかな風の音を、明日も明後日も聞きたい。そのために俺は限界まで足掻いてみせる。いくら愚かと笑われようとも、先が無いと知っていてもだ。現実から目を背け、朗らかな光で心が踊り出してしまうようなこの高揚は、まさしく酔っているかのようだ。
陽の光で透けた川の中を、六匹の魚の群れが穏やかな流れに沿って泳いでいる。透明な水上に、ちょんと薄桃色の花びらが落ちた。空を見れば風に吹かれた桜の花が、ひらひらと宙で舞い踊っている。その光景を見ている者が二人。桜よりも濃い、桃色のランドセルを背負っている風華。それと、風に吹かれる装束と立ち姿が見蕩れるほど美しい桜真神だ。ここは桜並木や彼女の家とは反対側の森の、さらに裏手。森の奥には、手前側よりもさらに広い田んぼや畑が広がっていた。それと森を仕切るように川が流れている。そんな自然の境界線の証といわんばかりにずっしり構えている、一本の立派な桜の木を二人で眺めている。桜真神が風華の方を見て呟く。
「俺と桜が見たいなど、妙なことを言うものだ」
彼は風華の背負っているランドセルと、にこやかな笑みを俯瞰するように眺める。彼女は学校の登下校で必ず桜並木を通るのだが、今日のそれは様子が変わっていた。桜の花は満開になる様子もなく、いつのまにか花が散りはじめていたのだ。道は花びらの絨毯へと変化し、空には小さな舞人が強い風に吹かれながら見事に舞っていた。
――桜が散ってしまう。
彼女は少しの焦りを感じて、家をも通り過ぎて桜真神の元へと走り向かう。原動力は彼への心配だとか、不安といった感情ではなく、彼と桜の花見をしたいといった願望。そうして祠で寝ていた彼を叩き起し、二人は今ここで花見をしているのだ。
「もう桜が散っちゃうと思って」
「……そうだな。花はいづれ散りゆく。だが、散り際までも美しいとは思わないか?」
彼は彼女に、ニヤリと笑いかけて桜にもう一度目をやる。枝には既に緑の葉が現れ、桃色の花はそれを隠せるほど残っていない。だが空の鮮やかな青色、消え入るようにほんのり存在している雲の白色も相まり、色彩のハーモニーが生まれていた。
「桜が満開になった様も、当たり前に美しいがな。俺は春の色が混ざり合う、この自然の絵画に……おっと、すまねえ。ガキにはこの感性は分からねえか?」
はん、と小馬鹿にするように鼻息を漏らし彼女を挑発する。ただ彼女はその挑発を掻い潜り、彼が惚れている素敵な光景を理解して目に焼き付けた。そして桜真神の顔を見てにぱっと笑う。
「ほんとだ。ピンクと水色と緑……春の色!綺麗だね!」
「お、おう……」
彼女の自然を観察する純粋な笑顔が、彼にはとても輝いて見えた。その輝きでほんの一瞬、彼の表情が固まる。桜を眺める子供というのは、これほどまで愛いものであったのか。彼女の簡素で単純な感想。それはまさしく幼い子供らしい感想。彼女のその幼さと、風景を眺めるキラキラと輝く目を見た彼の頬が、ほんのりと紅色に染まる。
「ふん、少しは分かるじゃねえか。……俺が最初に見た桜も、こうだった」
赤い顔を隠すように彼女から目を逸らして、桜と空を同時に見上げる。風華は彼が思い出に浸るような目をしているのを見て、自ずと近づき彼に腕を絡める。桜真神は彼女の急激な接近に驚いたものの、ほんの少し頬を緩ませ、彼女の頭をゆったりと撫でる。撫でられた風華の顔には、安心と喜びが滲み出ている。
「……今こうして桜を眺めていられるのは、お前のおかげなのかもしれねえな」
彼の感謝の念が込められた発言に反応し、風華は彼を見上げてにっこりと微笑んだ。思いもよらず出てしまった、らしくない言葉を口に出したと感じた彼の顔が段々と赤みを帯びる。彼女はそんな彼を見て楽しそうに笑う。
「あ、また真神さん照れてる!」
「ふざけるな、照れてねぇ!…………ふっ」
恥ずかしそうに声を荒らげた桜真神だが、ふと彼女の顔を見た彼は穏やかな笑みを零した。彼の愉快な様子で、風華の顔はにこにこしっぱなし。しかしそんな彼女から逃げるように目を逸らし、彼は神妙な面持ちでもう一度空を見上げた。先程とは違い、桜の映っていない空が彼の瞳に映されている。瞳に映る春の空は、彼の視界ではどのように色付いているのだろうか。
「真神さん、もっと近くで桜見ようよ!」
寂しげな目をしている彼の袖を引っ張って、風華は桜の木の下へと導いていく。
「お、おいそんな引っ張るな」
はしゃぐ彼女の手に引っ張られるがまま、桜真神は驚いた表情で自らも、のそりのそりと歩みを進める。
「もっと近づいた方が綺麗だよ!……わっ!?」
思うように動かない桜真神をどうにか動かそうと引っ張ったが、勢いあまって足が木の根に引っかかる。彼は転びそうになった彼女の手をぐいっと引き寄せ、体で抱き止めた。ふわっと温かい風が彼女を包み込み、心を落ち着かせる。彼は呆れたようにため息を吐き、彼女から手を離した。
「ったく……お前はもう少し落ち着きを持て」
ムスッとしている彼の瞳には、ほんの微かに優しさが込められていた。風華は彼に助けられたことが嬉しく、ニカっと笑いかける。
「えへへ、ありがとう真神さん!」
「ぐぬぅ……!?こ、こら……離れろ!」
風華は桜真神の体に満面の笑みで飛びついた。急に飛びつかれた拍子に、思わず彼のうめき声が漏れる。背中まで腕を回し、顔を胸の辺りに埋める彼女に思わず顔が八重桜のような桃色に染まっていく。
「やーだ!だって真神さん温かいんだもん」
「馬鹿者が、こっちは暑苦しいだけだ!」
「えー……」
彼の必死とも言える拒絶に、彼女は口を尖らせ渋々体から離れた。彼は顔を少し赤らめたままであるものの、ひとまず胸を撫で下ろした。
「ねえ真神さん。私達
彼女が桜を眺めながらふと呟いたその言葉に、桜真神は不意を突かれ静止する。言うべき言葉を頭の中で探し回り、数秒の沈黙の後に答えを返す。
「……俺は
その言葉にはほんの少しの寂しさが見え隠れしていた。彼は自分の手のひらをじっと見つめ、何かを掴んだようにぎゅっと閉じる。
「じゃあ来年!
彼女の目は太陽に反射する、川の水面ようにキラキラ輝いていた。あまりに不思議な提案に、思わず彼は目を丸くしてしまう。だがすぐに彼女から目を背け、馬鹿馬鹿しいと言わんばかりの鼻息を吐き出す。
「ふん、そう思えるのも今だけだ。月日を重ねれば俺の事など次第に忘れる。どうでもよくなる」
そう、彼女はまだまだ子供だ。今は一緒にいたいと思っているが、長い間会えなければ興味も好意も薄れていく。人間とはそう身勝手なものだと、彼女へ対しても同じように感じている。ひんやりと冷たい風が彼の心に吹いていた。
「だが俺は構わねえ。この景色が、高揚が、今だけだとしてもな」
彼の尻尾が、心なしか力無く揺れているように見える。彼女に元より期待はしていなかった。今この場が満足のいくものであり、それ以上求めるのは強欲というものだ。自分のことを、このひとときでも大切に想ってくれる人がいる。それだけでも幸せなことなのだと。彼の奥底から湧き出る別の感情を煩わしいと思い、どうにか忘れようと押し返す。
「……ううん、絶対に忘れない!私は真神さんとまた桜を見るから!」
桜真神は驚きで目を丸くし、口をぽかんと開ける。必要のない感情も、彼女の眩しい笑みで表に引っ張られていく。期待などしても、意味がないことはとうに理解しているはずだ。……それでも、彼女に明日への期待を見出してしまう。
「欲張りだな。本来俺と対話するのも叶わねぇと言うのに」
彼女の言葉を噛み締めるように目を閉じ、ほんのりと笑みを浮かべ、わざとらしくフンと大きな鼻息を鳴らす。彼自身の葛藤を悟られないように。そしてそれを打ち消すように。
「ならば、忘れるんじゃねえぞ」
「うん、約束する!」
風華が満天の笑みで小指を差し出す。小さく細い、脆弱な子供の指。差し出されたその指に一瞬硬直するが、すぐさま彼も小指を僅かに震わしながら近づけ、小指同士を柔らかく絡ませる。彼女の約束の指には力強さがあった。そんな固い指切りに、彼も思わずぐっ……と顔をしかめる。だがそんな顔とは裏腹に、心の奥底では喜びを覚えていた。彼女の意志の強さを、この指の温もりで感じたからだ。
「……あぁ、約束だ」
桜の木の下での契りを、宙に舞っている鮮やかな桃色の花が祝福している。心地よい春風の余韻に浸り、彼らは声も出さず桜を、空を眺めていた。
「おい、もうそろそろ」
桜真神が彼女へ帰るよう促そうとしたその時。彼の耳がピクピクっと反応する。何者かの足音が後方の森の方から聞こえてきたのだ。音のする方へ彼が視線を向けるのに合わせ、風華もよく分からずにその方へ目を向ける。すると、そこから出てきたのは。
「おや、風華ちゃんじゃないか」
意外、といった様子で彼女を見つめる白い髭が立派な老人。おっとりとした優しい声、それでいて芯のある声。桜と町の管理人、中瀬定吉だ。彼を見て、彼女はハッとして桜真神の方へ振り返る。中瀬に彼が見つかってしまったのではないかと焦っている。だが彼女の焦り具合とはうってかわって、桜真神は落ち着き払っている。
「大丈夫だ、お前以外には見えていない」
彼のその言葉で、彼女も安心して息をふうっと吐く。挙動不審な彼女に対し、中瀬は不思議そうに目を細める。
「……風華ちゃん?どうかしたのかい」
「ううん、なんでもない!」
誤魔化すように大きな声で返事をする。隠し事をしていることが彼にも見え透けていたが言及はせず、彼もまた川の横にずっしり佇んでいる、一本の桜の木に目線を合わせた。
「それしても……風華ちゃんも、この桜を知っていたのか」
「ううん、知らなかったよ。今日初めて来たんだ」
「そうかい。もしかして森を通ってきたのかい?」
「う、うん……」
優しく芯のある声で的確に貫かれ、彼女はばつが悪そうに目を逸らす。町内会の方針で、多くの家庭で森への立ち入りを禁じていることを、彼が知らないはずがなかった。彼女もまた、母親の言いつけを守らず森に無断で立ち入っている。先日怒られたばかりなのに懲りずに。母に知られたらと冷や汗を浮かべて、必死に彼に訴えかける。
「お、お母さんには言わないで!」
「はっはっは、わかったよ」
風華のたじろぐ様を可笑しく思い、大きく笑ってそう言った。彼は横に並び立って、桜の木を指さした。
「この桜はね、私のおじいさんが植えた桜なんだそうだよ」
彼のその言葉に、少し離れて様子を伺っていた桜真神の目が鋭くなる。考え事をしているのか、険しい表情と強い気迫を表に出している。そんな彼に気づかず、風華は中瀬の言葉に興味を示す。
「おじいさん……?」
「はは、ピンと来ないよねえ。大体……百二十年くらい前になるかな」
「えぇ、ひゃくにじゅう!?」
百二十年前という桁外れな昔話に、より興味津々になる風華は驚きの声を上げ、話の続きを今か今かと落ち着きない様子で待っている。彼も興味を持ってもらって嬉しそうに微笑みを向ける。
「それじゃあねえ……風華ちゃんはオオカミって知ってるかい?」
オオカミという単語に話を聞いていた風華、それに様子を伺っていた桜真神までもが反応する。彼の中瀬を観察する顔はより一層険しく、怒りも含まれているかのような表情となっていた。彼の不機嫌な表情とは対象に、彼女は桜真神のことを思い返して中瀬の問いに答える。彼女にとってのオオカミとは桜真神以外いないのだから。
「うん、犬みたいにフワフワで牙があって……かっこいい!でも、ぜつめつしちゃったんだよね?」
以前の先生の話、そして桜真神の話を彼女はきちんと覚えていた。ニホンオオカミはとうに絶滅してしまい、その理由はハッキリしていないということを。中瀬は髭を手で弄りながら、ほおと感心の声を出した。
「よく知ってるねえ。そう、昔にオオカミは絶滅してしまった。どうやらこの森にもいたそうでね。この桜は、そのオオカミを弔った……象徴の木らしいんだよ。まあ確かなのは、この森にオオカミがいたってことくらいだけどねえ」
話が分からず、ぼけーっとした表情で彼を見つめたままの風華に、彼はニッコリと笑みを向けた。
「風華ちゃんには難しかったか。詳しく聞きたければ、また今度話してあげようかね」
そう言って、よく分からないままでいる風華に背を向けて森へと歩き出した。だが森に呑まれる数歩手前で振り返り、彼女へ微笑む。
「暗くなる前に帰るんだよ。お母様が心配するからねえ」
一言だけ残し、彼は暗い森へと消えていった。話を理解しないまま、先程とは違った気持ちで桜の木を眺める風華へと、桜真神が静かに近づいてくる。彼の表情は険しくないものの、何か思うところがあるのか、森に消えていった中瀬の方をじっと見つめる。
「……お前の知っているやつか?」
数秒の沈黙を彼の重圧を感じる声が打ち破った。現実に引き戻されたかのようにハッとし、彼の方へ向き直る。
「うん。偉い人、かな?桜の手入れをしてるんだよ!」
「そうか……」
思い悩む顔をする彼の、頬で輝く桜の文様、そしてピクピク動く耳とゆっくり左右に触れる尻尾を見て、風華は興味本位で疑問を口に出す。
「ねえ、さっきの話にでてきたオオカミって、真神さんのこと?」
「さあな。俺以外にもいたから分からねえよ」
そう言い放ったものの、彼には中瀬の話に心当たりがあった。この森にいたオオカミの話が彼自身であることの適切な確証はないが、唯一強い証拠として
「だが、前にあのじいさんと似たようなやつは見たことある。同じ家系のやつかもしれねぇな」
話だけではなく、彼には中瀬の姿にも覚えがあった。どれほど昔のことだったは分からないが、あの容姿はどこかで見かけた。もちろんあの時見た人が今も生きているはずがないので、同じ家系なのではないかと桜真神は結論づけた。一通り整理を終わらせ天を仰ぐ。すると物思いに夢中になっているうちに、夕方が訪れていたことに気がついた。横で何かを考えている姿をしている風華の肩をポンと叩くと、彼女がビクリと反応して彼を見上げる。
「さあ、あのじいさんの言う通り暗くなる前に帰れ。……今日は、特別に向こう側まで連れてってやる」
「ほんと!?わーい!」
風華は思考を投げ捨て、ニコニコ笑顔で彼の手を握る。突如なんの躊躇いもなく握られたその手を振り払おうとしたが、抵抗をやめ静かにため息を吐き、なんとなく彼女の手を受け入れた。夜かと錯覚するような暗い森の中を、二人は迷うこともなく横並びで進んでいく。先が見えない森をキョロキョロと見回しながら歩く彼女は、ふと中瀬のことが頭によぎる。
「ねえ、あのおじいちゃんもこの森を通って帰ったよね。迷子にならないのかな?」
「ふむ……確かにそうだが、何度も通ってる様子だったし大丈夫だろ。お前よりも賢そうだったしな」
桜真神に馬鹿にされても、風華は全く気にしていなかった。そもそも馬鹿にされている事に気づいていないのだが。数分も歩かぬうちに森を抜け、見慣れた田んぼの道が見えた。彼は手をバッと荒々しく離し、彼女の背中をトッと押して距離をとる。
「わっ!?」
押された風華はよろけながら数歩進み、バランスをとって転ばずにやり過ごした。ムッとした表情で振り返って彼を睨みつける。
「なにすんの!危ないよ!」
「ははっ、すまん。ほれ、さっさと帰れ」
頬をぷっくりと膨らませて怒りをあらわにする彼女を、桜真神は愉快に思って笑う。悪意のないいたずらを仕掛けた彼女にむーっと不機嫌な表情を向けられたが、気にせずさっと背を向けて帰ろうとする。そんな彼の背に必要以上の大声で呼びかけた。
「また明日も会いに来るからね!」
「ふん……程々にしとけ。別れが辛くなるぞ」
一度振り向いてにやりと笑い、そのまま彼の姿は森へと消えていった。彼の笑顔から感じる幸福の風が、段々薄れて消えていく。彼女は尻尾の先端が見えなくなるまで元気に手を振ってから、ゆっくりと空を見上げた。空が微かに赤みを帯びはじめた。暗くなる前に帰らなければ、今度こそ母親にきついお説教をされるに違いない。そう考えた彼女は少しだけ焦って家へと走り出す。ポケットに入った桜の花は、今もまだうっすら輝いている。それは彼女がいつも持ち歩いている、並木で彼にもらったものだ。どれだけ乱雑に扱っても崩れることのない不思議な花びら。その頑丈さは彼女と桜真神、二人の関係を表しているのかもしれない。
「ただいまー!」
元気な声で靴を脱ぎ捨て、出迎えてくれた母親に飛びつく。勢いよく飛びつかれた彼女は、衝撃で後ろにぐらっとよろけたが、なんとか体勢を保って抱きしめた。
「風華ちゃん、おかえりなさい。いつもより遅かったわね?」
「あ……咲ちゃんとお話してたら遅くなっちゃった、ごめんなさい!」
母親からの鋭い指摘に、思いついた言い訳をさらっと差し出す。友人を盾に使うとは、彼女も中々狡い。玄関からリビングに向かい、ランドセルを床に放り投げる。テレビの前のテーブルには、新聞やチラシ、ボールペン、雑誌や教科書など様々な物が乱雑に置かれている。目に見えるものの、彼女がそのどれかを気にかけたことはほとんどなかった。新聞とかチラシとか、見たところで面白くないからだ。今日も特に気にかけることなく、手を洗いに洗面所へ向かおうとした。しかし目に不意に止まった一枚の紙が、彼女を引き止める要因となった。その紙の上部、タイトルの部分には"町内会からのお知らせ"と書いてあった。こういうものは子供が見るものではない。どうせ読んだところで理解しようがないのだから。だがその客観的とも言える思考は、下にある
「……え」
風華は思わず驚きと困惑、どちらともとれる声を漏らす。町内会からのお知らせ。その文書に書かれていたのは内容と日程、場所、そして図面。……
「あの森、解体されちゃうみたいね。土地も足りなくなってるみたいだし、仕方ないのかしら」
「解体って、どういうこと!」
母親の言葉に顔を真っ青にし、彼女は不安と焦りの言葉を捲し立てる。
「木を全部切り倒して、家でも建てるんでしょう」
「木を全部……?祠は!?壊されちゃうの!?」
彼女の焦りように動揺しつつ、祥子は以前聞いた祠の事を思い返した。神様のいる祠と言っていたが、実際に彼女が神様を見たわけではないだろう。森に人も立ち寄らない今、祠に神がいることを信じる人など少数だ。そもそも、祠の存在することすら知っている人がいるかどうか。
「そうなんじゃないかしら。長年人も立ち寄らなかったわけだし、取り壊されちゃうかもしれないわね」
「そ、そんな……!」
桜真神の居場所である森どころか、祠すらも壊されてしまう。それが壊されれば、彼はどうなってしまうのかなんて、彼女にも容易に想像がつく。
「ねぇ、神様にとって、祠って家みたいなものでしょ!?家を壊すなんて酷いよ!」
「……そうね。それに、祠はただの家じゃないの。神様が存在するために必要な印。つまり……命なのよ」
祠は神にとっての命。その一言が彼女を絶望へと誘う種となる。祠が壊されるということは、命を失うということ。それが実行されれば、彼は……桜真神は。
「私、工事をやめさせる!誰に言えばいいの!?」
「待ちなさい」
玄関から今にでも飛び出ていきそうな彼女を、静かに、それでいて先の尖った声で呼び止める。
「悲しいことだけど、風華ちゃん一人じゃなにも動かないの。森を大切に思う優しい気持ち……誇らしいわ。でも、どうにもならないのよ」
母親に頭を撫でられ、抱きしめられた風華の顔にはひと欠片の笑みも見られなかった。自分じゃどうにもならない。彼女は自身の無力さに、唇をかみしめ立ち尽くすほかなかった。……桜真神脅かすそれは、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます