大神は春に酔う

@kustard

訪れた 光よ照らせ 枯れ桜

第一節 桜の並木

 訪れた 光よ照らせ 枯れ桜


 春の訪れを感じた花は身を起こし、色を咲かせる。その姿は見事だ。真に綺麗な光に照らされた花は、非常に鮮やかで麗しい。だが、それはもう朽ちたには関係がない。既に枯れ咲くこともないこの花には。……ただ。この願いを受けるはずの俺が、何かを願うことを許してくれるのならば。そんな可笑しな事象を、認めてくれる者がいるのならば。どうか、枯れきって照らされることもないこの桜を、照らしてくれやしないだろうか。このを照らしてくれはしないだろうか。華々しく、この桜を散らしてくれはしないだろうか。


「みんなの自慢したい場所の絵を描いてくること。できるかな?」

 教壇に立つ女性教師が挙手を促す。人生始めたての無邪気な生徒たちは、はーい!と元気な声で呼応する。話を聞かず遊ぶ約束をしたり、配られたプリントを生身でランドセルに荷物を詰めたりする者。これらはもはや伝統とも言えるほどありふれた光景だ。この後、生身で詰められたプリントはくしゃくしゃになり、親に渡ることになる。ここまでがセットだ。さて、その中で一人ニコニコしながら、既に鉛筆を動かしお絵描きを楽しんでいる者がいる。

「ふうかちゃん、それ桜?」

 と呼ばれた少女の隣から、ヒソヒソと声が届く。ニコニコ笑顔で桜の絵を描いていたのは、佐島風華さじまふうか、小学二年生。隣の席にいるのは深山咲みやまさき。風華の入学時からの親友だ。ちなみに風華が絵を描いている紙は、宿題であるはずの渡されたばかりの紙だ。そこには既に鮮やかな桜が描かれている。……ハッキリ述べると、あまり上手では無い。

「そう、家の近くに桜が並んでる道があって、すごく綺麗なんだ!」

「いーなー!」

「そうだ、帰りにさきちゃんも見に来なよ!」

「いいの?でも、そっちまでいったら帰り遅くなっちゃうよ」

「そしたらお母さんが送ってくれるから!」

 ご覧の通り、もしくはご存知の通り、子供というのは理不尽なものだ。当事者の母親が居なくとも、約束がこうして取り付けられる。親はきっと困り顔をするだろう。しかし、いくら我儘であろうと、親にとって子供というのは放っておけない存在。喩えたならば、一種の王様のようなものだろうか。そんな話している王様と眷属に迫る足音があった。

「はーいおふたりとも、先生のお話は聞いてたかな?」

「あ、えーと……」

「二度は言いませんから。二人の絵を楽しみにしてますよ?」

 不気味さを感じる笑みの先生を前に、二人の少女は「は、はーい……」とか弱い返事をする他なかった。陰りのある笑みをしたままの先生が、背中を向けて歩き出した途端。風華と咲は顔を見合せて笑う。この二人は注意されたことを全く気にしてない。小学二年生の辞書に反省という文字は無いようだ。


 下校中、咲と風華は桜の並木を見るために数分は一緒に歩いていた。だがどうやら、咲には習字の習い事があったらしい。

「ごめんね、ふうかちゃん」

「えー、ちょっとだけいいでしょー?」

 風華が強引に説得するが、咲の困った顔を見て「……じゃあまた来週ね!」と見送った。だが、相当桜を見るのが楽しみだったようで、咲を失った代わりに寂しそうな顔が張り付いてしまった。まだこんなにも澄み渡った青空が広がってるというのに、春らしからぬ冷たい風が頬を撫でている。二人で見るはずだった桜の並木道を、風華はとぼとぼと地面を見て歩いている。桜の並木に通ずる住宅街の端、そこに風華の家はあった。奥には田んぼが広がり、都会のフリをした景色は、一気に田舎の風景へと早変わりする。駅周りは発展してるのに、少し歩けば田や畑ばかりのド田舎。例えるのならばそんなとこだろう。そんな家の裏手に見える、シケた田舎の風景。でもそれこそが、風華が密かに気に入っている風景なのだ。そんな景色すら見えていない時。不意に、彼女はに気がつき顔を上げる。緑の稲が群れで風に揺れている田。そんな田が広がる地の、さらに向こう側。誰も立ち入ることのない森がそこにはある。いや、森と言うほど大きいわけでは無い。苔生した木々、丈の高い雑草がボーボーに生え、幻想的な緑のグラデーションが支配している地帯。恐らく、開拓されきってない森の破片だ。この付近は元々森であったと、風華は母親から聞いたことがあった。風華は今、その場所に目線を奪われている。何か不思議な音が聞こえたわけでは無い。地面とにらめっこをしていたのだから、何かを見つけたわけでは無い。ただ、に気がついた。目を凝らし、田んぼに近い方の木々が密集しているとこに目をやる。その瞬間。森の目の前をが通った。その森に紛れようとするこの世のものでは無い速さのが。

「……犬?」

 風華には少しだが捉えることが出来ていた。うっすらと光る、を。年老いた者、老人並の動体視力ならば、通ったことにも気づかないだろう。ただの犬ならばそれも当然だ。しかし、今の生物は大型犬の中でも更に大型、横幅が森の木の幹の三、四倍……それ程大きく見えた。思わず目の錯覚を疑うほどだ。それでも目にも止まらぬ速さで走るのだから、大したものであるのは違いない。風華はしばらく立ち止まって森を凝視していた。やはりあの生物が気になっているようだ。巨大なワンちゃん?森の主?止まらない好奇心が、風華の心臓を強く叩く。そして数分。ついに風華は走り出した。、人気のしない森の方向……いや、その内部へ。人を食べてしまう凶暴な熊や、死に至るほどの毒を持つ蜂、触らずとも体が蝕まれる毒キノコ。森にいる典型的な危険物、そのどれもがあってもおかしくないような不気味な森に、足を踏み入れようとしている。彼女の怖いなんて感情は、好奇心で上書きされ続けている。人生を知らない子供にしか使えない、便利な感情だ。風華はハッキリとしないを見つけるために、颯爽と森へ踏み入っていった。

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2024年10月20日 12:00
2024年10月27日 12:00

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