してもいいからうちに来て
世間ではゴールデンウィークが終わって、出勤するのがどうのこうのと言っている中、学生にとっては祝日が休みなだけなので、白けたもんだ。
畑の方から漂っていた匂いもほぼほぼ無くなり、さわやかな風が頬をくすぐる。自転車置き場から見上げる空は薄曇りだが、それほど湿度は高くなく気持ちがいい。
俺は再び正門に向かった。
「おはよ、
「おはよう」
いつも一緒にいるせいか、周りも「こいつら付き合っている」という認識ができているようで、それなりに気遣ってくれている。
ほどよい距離感で話しかけてくれたりして、おかげで、快適な学生生活だ。
休みの日、空いている時間にスーパーその他のバイトを目いっぱい入れていることを除けば。
実家が貧乏という訳では無いんだが、それほど裕福でもなく、他にも色々あってあまり負担をかけたくない。
祖母ちゃんに言えば小遣いをもらうこともできるが、そこはプライドが許さない。
いつものように二人でベンチに座って昼飯を食べていると、
「ね、
「俺、もうバイト入れてて。再来週なら調整できるが」
「え~、なにそれ、つまんない。観たい映画、もう終わっちゃうよ」
「平日の夜とか?」
「夜、あそこまで行ったら、バスでここまで帰ってこれない」
まあ、わからないでもない。付き合っているのに、あまりそれらしいことはしていない。
平日は講義で隣に座る、昼飯を一緒に食べる。空手道部は毎日練習があるから、俺はジャズ研の練習か、空手部が終わるまでジャズを聴いて研究。
その後、少し話をしてバイバイ。
そして、週末は、いい遊びのアイデアがパっと浮かんでも、俺の都合が付けられない。
収入を考えると、月二日ぐらいしか丸一日空けることはできないし、一週間以上前に言ってくれないと、掛け持ちバイトの調整が大変。
「訊きたいことがあるんだけど」
「何?」
「
「そうかも」
「ほら、やっぱりぶっきらぼう。私のこと、好きじゃないの?」
「好きだ」
「だったらさ、もっとたくさん話してよ」
言葉が出ない。
「何かあったの?」
「高三の時、ちょっとヘヴィなことがあってさ、それ以来」
「どんなことがあったの?」
「言えない」
「私にも言えないことなの?」
「言えない」
「髪の毛を切ったことと関係あるの?」
「違う」
俺は
「そろそろ講義が始まるね。もどろうか」
「ん? ああ」
「部活終わったら会える?」
「もちろん」
講堂に入ると、
いつもの高いテンションは、話をしていなくても伝わってくる。今はそれがない。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
一日の講義が終わり、図書室でジャズのアドリブ教則本を読みながらスマホでジャズを聴いていた。
大学の図書館にはアドリブ教則本なんてないから、大通り図書館という駅の近くにある図書館で借りてきた本だ。
あまり参考になる情報は無いが、割とセッションで演奏される曲が書いてあったので借りてきた。全スケールのアルペジオ練習なんかしても意味がないと思っている。
「そろそろ時間かな」
誰かに話しかけたわけではないが、何となく言葉にしてしまった。それだけ気が重いんだろうな、
俺。
さらに、休みの日、あまり会えないことが
もしかしたら、
武道場の前まで歩いていくと、
「お待たせ」
「うん」
「行こうか」
「うん」
いつものように、薄暗くなった道を歩いて自転車置き場に向かった。
「
「ごめん、今、あまり話したくないんだ」
こんな時、なんて言ったらいいだろう?
俺は自転車置き場から自転車を引っ張り出し、押して歩き始めた。
無言のまま正門を抜けると、いつものように簡単な挨拶して別れた。この時間帯なら、ここから駅まで自転車で約三十分。
駅前にある、公共とは思えないユーモラスなちょっとふざけた名前の駐輪場に自転車を停め、階段を登った。この駅から電車に乗って
帰宅したら、いつものように
パケ死している俺のスマホではなかなか表示されない。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
翌日も同じ調子だ。
昼飯は一人で食べた。かなりやばい状況なのかも。
それでも、武道場まで迎えに行くと、
「いこうか」
「うん」
その後、しばらく無言のまま歩くと、
「その、どうして何も言ってくれないの?」
「何のこと?」
「昨日のメールよ。見てないの?」
なんか、怒り始めたぞ……。
「え、あ、写真さ、俺のスマホ、パケ死しているから見れなくて」
「もう、すごく勇気を出したのに」
ああ、絶対に怒ってる。
その時、後ろを歩いている人の足音が早足になった。
「
「あ、高塚さん、こんばんは」
「どうしたどうした、喧嘩でもしたのか? それでも一緒に歩くなんて良いことじゃないか」
いつもって……この人、いつも俺たちのことを観察しているのかな。今度から気をつけよう。いや、まあ、気をつけてもしょうがないか。
高塚さんは、後ろから俺と
「高塚先輩、私、魅力無いんでしょうか?」
「そんなことはない。女の私から見ても連れて帰りたいぐらいだ」
「連れて帰る、ですか」
「なにかあったのか?」
「なんにもないんです」
「なんにもない?」
「付き合い始めて一か月も経つのに。普通、手をつないだり、キスをしたりとかするじゃないですか」
「なるほど。
「いや、どう思うって言われても……」
「でも、高塚先輩、高塚先輩のおかげでいいことを思いつきました!」
「ほお、それはどんなことかな?」
「秘密ですけど、がんばります」
「そうか、じゃあ私はバスだからここで失敬する」
俺は自転車を出すと、押しながら歩き始めた。静かだ。車もほとんど通らない。街頭の周りに虫が飛んでいるのがわかる。
「
「な、なんだ?」
「これから私のアパートに来ない?」
「大丈夫なのか?」
「なにが?」
「いや、まだ付き合い始めて一か月、そこへ
「いいよ、なにしても」
「そ、そうか……」
「というか、
「わかった、うん、わかった」
実家の辺りでは、そんなにホイホイっと話が進むことは無かったと思うが。俺が鈍感だったからかもだな。
「どうぞ、入って」
「ああ」
俺は靴を揃えると――ついでに
――ぐぅぅぅぅぅ
俺じゃない。
「ごめん、
「いいよ」
キッチンの上には、塩、砂糖、しょうゆ、ソース、白コショウ、黒コショウ、あらびき黒コショウ……コショウだけ、やけに充実しているな。
冷蔵庫を開けてみると、生卵、スライスチーズ、牛乳、玉ねぎ、ベーコン、生にんにチューブ……だけって、おい、
冷凍庫は、えーと、冷凍食品が占拠している。餃子に炒飯、その他もろもろ。きっと冷凍食品が主食なんだ。
続いて、キッチンの下を開けてみる。こっちは、乾燥スパゲッティ、カレーのレトルト、パックご飯。うーん、何を作ろうかな。
そうだ、あれが作れる。
二六センチのフライパンに水を張り、まずはお湯を沸かす。お湯が沸いたら、塩を入れる。
そして、乾燥スパゲティをいれて……が、全部入らないので、半分だけ入れて、柔らかくなったら徐々にフライパンの中へ。
よし、全部、フライパンの中に入った。
七分茹でのスパゲッティだから、六分ぐらいでいいかな。
その間に、玉ねぎをスライス、ベーコンも適当な大きさに切る。
シンクに水を流し、茹であがったスパゲッティだけ残してお湯を捨てた。シンクは水を流して冷やしておかないと、ボコンと音が鳴り、シンクがけっこう痛むらしい。
そして、スパゲッティをフライパンの隅に寄せ、真ん中あたりでスライスした玉ねぎとベーコンを炒める。
塩はほんの少し追加、ニンニク代わりに生にんにくチューブ、そこへ牛乳を入れる。
ついでに、スライスチーズを二枚、ちぎってポンポンっと放り込む。とろけるスライスチーズじゃなくてよかった。あれを使うと、ダマになるんだよな。
もう一度、煮立つのを確認して、火を止め、そこへ生卵を落としてかき混ぜる。余熱っでいい感じにトロっとしたら、あらびき黒コショウを大量に振りかけて完成。
あとは、お皿に、スパゲッティをねじりにながら、なるべく高くなるように盛り付ける。大きな皿は一枚しかないから、二人分、あとは適当な小皿でそれぞれ食べればいい。
「
「え、なに?
「そうだよ」
「ね、うちにあるものだけで作ったんだよね?」
「まあ。冷めるとまずくなるから、早く食べよう」
「わかった。小皿、運ぶね。
俺は、リビングの中央にある小さなテーブルまでカルボナーラを運び、
まあ、ひとり暮らしだから、そんなもんだろう。
「じゃあ、いただきまーす。うわぁ、おいしそうって。え、なに、これ?」
「口に合わない?」
「いや、これ、なに、お店レベルじゃん」
「もう一声か……」
スパゲッティの茹で加減にムラがあって、歯ごたえがいまいちだ。でも、ソースはうまくできた。
「そんなことないよ。このカルボナーラのソース、信じられないわ。トロっとしていて、濃厚で、もう、百点満点よ」
「あらびき黒コショウがあって助かった」
「どうして?」
「カルボナーラは、あらびき黒コショウが命だから」
「そうなの?」
「カルボ、カーボン、似てない?」
「似てる、もしかして、イタリア語で炭のことをカルボって言うの?」
「正確には、カルボナーラが炭焼き職人のことだってさ。で、黒コショウを炭に見立てたって説」
「なるほど、
うん、食事は人を幸せにする。大事大事。
「うわ、ん、んん」
「私、決めたわ」
「え? な、なにを?」
唇を離すと、俺に馬乗りになったまま言った。何を決めたんだろう? 悪いことじゃないといいんだけどな。
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あとがき
数ある小説の中から読んで頂き、ありがとうございます。
カルボナーラを作るシーンがありますが、かなり再現性高く作れるレシピですので、ぜひぜひ作って楽しんでくださいな。
卵は全卵(白身、黄身、一緒に)で大丈夫です。
焦らずに、余熱でトロっとさせていくのがコツです。
それから、あらびき黒コショウは絶対にお忘れなく。
おもしろいなって思っていただけたら、★で応援してくださると、転がって喜びます。
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それではまた!
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