してもいいからうちに来て

 世間ではゴールデンウィークが終わって、出勤するのがどうのこうのと言っている中、学生にとっては祝日が休みなだけなので、白けたもんだ。


 畑の方から漂っていた匂いもほぼほぼ無くなり、さわやかな風が頬をくすぐる。自転車置き場から見上げる空は薄曇りだが、それほど湿度は高くなく気持ちがいい。


 俺は再び正門に向かった。


「おはよ、二海ふたみ

「おはよう」


 菜可乃なかのは、大学から徒歩五分ぐらいのところにあるアパートに住んでいるらしい。正門で合流すると、一緒に講義棟に向かった。


 菜可乃なかのとは同じ講義を選んでいるので、講義中はいつも隣に座っている。

 いつも一緒にいるせいか、周りも「こいつら付き合っている」という認識ができているようで、それなりに気遣ってくれている。


 ほどよい距離感で話しかけてくれたりして、おかげで、快適な学生生活だ。

 休みの日、空いている時間にスーパーその他のバイトを目いっぱい入れていることを除けば。


 実家が貧乏という訳では無いんだが、それほど裕福でもなく、他にも色々あってあまり負担をかけたくない。

 祖母ちゃんに言えば小遣いをもらうこともできるが、そこはプライドが許さない。


 いつものように二人でベンチに座って昼飯を食べていると、菜可乃なかのが話し始めた。


「ね、二海ふたみ、今度の日曜日、映画を観に行こうよ。五EXマックスがあるんだよ。すごくない?」

「俺、もうバイト入れてて。再来週なら調整できるが」

「え~、なにそれ、つまんない。観たい映画、もう終わっちゃうよ」

「平日の夜とか?」

「夜、あそこまで行ったら、バスでここまで帰ってこれない」


 菜可乃なかのはプイっと横を向いてしまった。


 まあ、わからないでもない。付き合っているのに、あまりそれらしいことはしていない。


 平日は講義で隣に座る、昼飯を一緒に食べる。空手道部は毎日練習があるから、俺はジャズ研の練習か、空手部が終わるまでジャズを聴いて研究。

 その後、少し話をしてバイバイ。


 そして、週末は、いい遊びのアイデアがパっと浮かんでも、俺の都合が付けられない。

 収入を考えると、月二日ぐらいしか丸一日空けることはできないし、一週間以上前に言ってくれないと、掛け持ちバイトの調整が大変。


「訊きたいことがあるんだけど」

「何?」


 菜可乃なかのの表情は不機嫌そのものだった。


二海ふたみ、大会で見た時、子どもたちといっぱい話をしていた。でも、今は、ぶっきらぼうよね」

「そうかも」

「ほら、やっぱりぶっきらぼう。私のこと、好きじゃないの?」

「好きだ」

「だったらさ、もっとたくさん話してよ」


 言葉が出ない。


「何かあったの?」


 菜可乃なかのが自分の髪を分け、俺の顔を覗き込んだ。どうしようか……。嘘は嫌いだ。ごまかしたり黙っていたりすることはあっても、嘘はつきたくない。


「高三の時、ちょっとヘヴィなことがあってさ、それ以来」

「どんなことがあったの?」

「言えない」

「私にも言えないことなの?」

「言えない」

「髪の毛を切ったことと関係あるの?」

「違う」


 俺は菜可乃なかのの目をしっかりと見ながら答えた。菜可乃なかのからの信頼を失いたくない。


「そろそろ講義が始まるね。もどろうか」

「ん? ああ」

「部活終わったら会える?」

「もちろん」


 講堂に入ると、菜可乃なかのはいつもより少し離れて横に座った。不安を感じているに違いない。

 いつもの高いテンションは、話をしていなくても伝わってくる。今はそれがない。



  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆



 一日の講義が終わり、図書室でジャズのアドリブ教則本を読みながらスマホでジャズを聴いていた。

 大学の図書館にはアドリブ教則本なんてないから、大通り図書館という駅の近くにある図書館で借りてきた本だ。


 あまり参考になる情報は無いが、割とセッションで演奏される曲が書いてあったので借りてきた。全スケールのアルペジオ練習なんかしても意味がないと思っている。


「そろそろ時間かな」


 誰かに話しかけたわけではないが、何となく言葉にしてしまった。それだけ気が重いんだろうな、

 俺。菜可乃なかのと付き合い始めて一か月、特別、恋人らしいことはしていない。


 さらに、休みの日、あまり会えないことが菜可乃なかのの背中をグイグイ押してネガティブモードにしているような気がする。


 もしかしたら、菜可乃なかの、俺から何かするのを待っているんだろうか?


 武道場の前まで歩いていくと、菜可乃なかのが立っていた。


「お待たせ」

「うん」

「行こうか」

「うん」


 いつものように、薄暗くなった道を歩いて自転車置き場に向かった。


菜可乃なかの、あのさ」

「ごめん、今、あまり話したくないんだ」


 こんな時、なんて言ったらいいだろう?


 俺は自転車置き場から自転車を引っ張り出し、押して歩き始めた。

 菜可乃なかのはいつも俺の左側を歩くが、今日は右側、つまり自転車の向こう側を歩いた。


 無言のまま正門を抜けると、いつものように簡単な挨拶して別れた。この時間帯なら、ここから駅まで自転車で約三十分。


 駅前にある、公共とは思えないユーモラスなちょっとふざけた名前の駐輪場に自転車を停め、階段を登った。この駅から電車に乗って祖母ばあちゃんちまで帰る。


 帰宅したら、いつものように菜可乃なかのに到着メールをした。「おつかれさま」と、いつもの返事はすぐに来たのだが、何か写真が添付されているようだ。

 パケ死している俺のスマホではなかなか表示されない。



  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆



 翌日も同じ調子だ。菜可乃なかのと一緒に講義を受け、菜可乃なかのは俺の隣に座った。ただひとつ違ったのは、菜可乃なかのが学食に行ったこと。

 昼飯は一人で食べた。かなりやばい状況なのかも。


 それでも、武道場まで迎えに行くと、菜可乃なかのはいつものように待っていた。


「いこうか」

「うん」


 その後、しばらく無言のまま歩くと、菜可乃なかのがなにやらモジモジっとした仕草で俺を見た。やっぱり菜可乃なかのは可愛い。


「その、どうして何も言ってくれないの?」

「何のこと?」

「昨日のメールよ。見てないの?」


 なんか、怒り始めたぞ……。


「え、あ、写真さ、俺のスマホ、パケ死しているから見れなくて」

「もう、すごく勇気を出したのに」


 ああ、絶対に怒ってる。


 その時、後ろを歩いている人の足音が早足になった。


菜可乃なかの清水きよみずくん、どうしたんだ? いつもと雰囲気が違うぞ」

「あ、高塚さん、こんばんは」

「どうしたどうした、喧嘩でもしたのか? それでも一緒に歩くなんて良いことじゃないか」


 いつもって……この人、いつも俺たちのことを観察しているのかな。今度から気をつけよう。いや、まあ、気をつけてもしょうがないか。

 高塚さんは、後ろから俺と菜可乃なかのを抱き寄せた。なんか、チャンスとばかりに狙って抱き寄せられている気がする。


「高塚先輩、私、魅力無いんでしょうか?」

「そんなことはない。女の私から見ても連れて帰りたいぐらいだ」

「連れて帰る、ですか」


「なにかあったのか?」


 菜可乃なかの、なんて返事をするんだろう?


「なんにもないんです」

「なんにもない?」


「付き合い始めて一か月も経つのに。普通、手をつないだり、キスをしたりとかするじゃないですか」

「なるほど。清水きよみずくん、君はどう思う?」

「いや、どう思うって言われても……」


 菜可乃なかのは立ち止まり、握りこぶしを胸の前に持ち上げ、高塚さんの顔を見た。なんだかうれしそうだ。


「でも、高塚先輩、高塚先輩のおかげでいいことを思いつきました!」

「ほお、それはどんなことかな?」

「秘密ですけど、がんばります」

「そうか、じゃあ私はバスだからここで失敬する」


 俺は自転車を出すと、押しながら歩き始めた。静かだ。車もほとんど通らない。街頭の周りに虫が飛んでいるのがわかる。


二海ふたみ

「な、なんだ?」


 菜可乃なかのは俺の腕に抱きついた。やっぱり可愛い。


「これから私のアパートに来ない?」

「大丈夫なのか?」

「なにが?」


「いや、まだ付き合い始めて一か月、そこへ菜可乃なかのでも取り押さえられない男が行くんだぞ?」

「いいよ、なにしても」


「そ、そうか……」

「というか、二海ふたみが奥手すぎるんだよ」

「わかった、うん、わかった」


 実家の辺りでは、そんなにホイホイっと話が進むことは無かったと思うが。俺が鈍感だったからかもだな。


 菜可乃なかのの住むアパートは、本当に歩いて五分のところにあった。自転車置き場があったので、そこに自転車を置いて、菜可乃なかのの後ろを付いて歩いた。一階の角部屋だ。


「どうぞ、入って」

「ああ」


 俺は靴を揃えると――ついでに菜可乃なかのの靴も揃えると、立ち上がった。不意打ちのように菜可乃なかのが抱き着いてきた。

 菜可乃なかのごしに部屋を見ると、右に簡単なキッチン、小さな冷蔵庫、左には洗濯機、トイレっぽい扉、奥が部屋になっているようだ。


――ぐぅぅぅぅぅ


 俺じゃない。


「ごめん、二海ふたみ、お腹すいた。ご飯、作って」

「いいよ」


 キッチンの上には、塩、砂糖、しょうゆ、ソース、白コショウ、黒コショウ、あらびき黒コショウ……コショウだけ、やけに充実しているな。


 冷蔵庫を開けてみると、生卵、スライスチーズ、牛乳、玉ねぎ、ベーコン、生にんにチューブ……だけって、おい、菜可乃なかの、何を調理して食べているんだろ?


 冷凍庫は、えーと、冷凍食品が占拠している。餃子に炒飯、その他もろもろ。きっと冷凍食品が主食なんだ。


 続いて、キッチンの下を開けてみる。こっちは、乾燥スパゲッティ、カレーのレトルト、パックご飯。うーん、何を作ろうかな。


 そうだ、あれが作れる。


 二六センチのフライパンに水を張り、まずはお湯を沸かす。お湯が沸いたら、塩を入れる。

 そして、乾燥スパゲティをいれて……が、全部入らないので、半分だけ入れて、柔らかくなったら徐々にフライパンの中へ。


 よし、全部、フライパンの中に入った。


 七分茹でのスパゲッティだから、六分ぐらいでいいかな。


 その間に、玉ねぎをスライス、ベーコンも適当な大きさに切る。


 シンクに水を流し、茹であがったスパゲッティだけ残してお湯を捨てた。シンクは水を流して冷やしておかないと、ボコンと音が鳴り、シンクがけっこう痛むらしい。


 そして、スパゲッティをフライパンの隅に寄せ、真ん中あたりでスライスした玉ねぎとベーコンを炒める。

 塩はほんの少し追加、ニンニク代わりに生にんにくチューブ、そこへ牛乳を入れる。


 ついでに、スライスチーズを二枚、ちぎってポンポンっと放り込む。とろけるスライスチーズじゃなくてよかった。あれを使うと、ダマになるんだよな。


 もう一度、煮立つのを確認して、火を止め、そこへ生卵を落としてかき混ぜる。余熱っでいい感じにトロっとしたら、あらびき黒コショウを大量に振りかけて完成。


 あとは、お皿に、スパゲッティをねじりにながら、なるべく高くなるように盛り付ける。大きな皿は一枚しかないから、二人分、あとは適当な小皿でそれぞれ食べればいい。


菜可乃なかの、できたよ」

「え、なに? 二海ふたみ、超天才、これ、カルボナーラじゃん」

「そうだよ」


「ね、うちにあるものだけで作ったんだよね?」

「まあ。冷めるとまずくなるから、早く食べよう」

「わかった。小皿、運ぶね。二海ふたみくんはフォーク使って。私は箸を使うから」


 俺は、リビングの中央にある小さなテーブルまでカルボナーラを運び、菜可乃なかのはフォークと箸、それにサイズの違う二つの小皿を持ってきた。


 まあ、ひとり暮らしだから、そんなもんだろう。


「じゃあ、いただきまーす。うわぁ、おいしそうって。え、なに、これ?」

「口に合わない?」

「いや、これ、なに、お店レベルじゃん」

「もう一声か……」


 スパゲッティの茹で加減にムラがあって、歯ごたえがいまいちだ。でも、ソースはうまくできた。


「そんなことないよ。このカルボナーラのソース、信じられないわ。トロっとしていて、濃厚で、もう、百点満点よ」


 菜可乃なかの、ものすごい勢いで食べている。こういう時、箸の方が有利だよな。スパゲッティ、二百グラムじゃなくて、もうちょっと茹でた方が良かったかも。


「あらびき黒コショウがあって助かった」

「どうして?」

「カルボナーラは、あらびき黒コショウが命だから」

「そうなの?」

「カルボ、カーボン、似てない?」

「似てる、もしかして、イタリア語で炭のことをカルボって言うの?」

「正確には、カルボナーラが炭焼き職人のことだってさ。で、黒コショウを炭に見立てたって説」

「なるほど、二海ふたみ、博識!」


 うん、食事は人を幸せにする。大事大事。菜可乃なかのの笑顔を見ていたら、つい、言葉数が増えてしまった。


「うわ、ん、んん」


 菜可乃なかのはいきなり俺を押し倒すと、キスをした。濃厚なやつ。カルボナーラの味がする。いや、もう少し甘い。


「私、決めたわ」

「え? な、なにを?」


 唇を離すと、俺に馬乗りになったまま言った。何を決めたんだろう? 悪いことじゃないといいんだけどな。




   ----------------




あとがき

数ある小説の中から読んで頂き、ありがとうございます。


カルボナーラを作るシーンがありますが、かなり再現性高く作れるレシピですので、ぜひぜひ作って楽しんでくださいな。


卵は全卵(白身、黄身、一緒に)で大丈夫です。


焦らずに、余熱でトロっとさせていくのがコツです。


それから、あらびき黒コショウは絶対にお忘れなく。



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それではまた!

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