一週間でパケ死するスマホ

 やっぱり大学は広いな。それに高い建物も多くて高校と全然雰囲気が違う。


 そして、俺はなぜか立華たちばなに腕を引っ張られ、部活勧誘で看板を掲げたりビラを配っている諸先輩方の人混みを抜けた。


「ねえ、二海ふたみ、見学も兼ねて学食に行こう」

「俺は弁当だから、適当に外で食べる」

「じゃあ、あたし、サンドイッチ買ってくる。一緒に食べよ」

「え? あ、ああ」


 俺は立華たちばなと一緒に売店に向かった。売店はちょっとしたコンビニ並みで、高校の時にあった購買とは全然違う。

 立華たちばな、髪型のせいか目立つな。他人の視線を感じる。


立華たちばな、よく売店の場所がわかったな」

「うん、私、近くに下宿しているから、入学式前にも来ていたの」

「そうか」


 立華たちばなは中庭っぽいところにあるベンチに座った。俺も隣に座り、バッグから弁当を出した。立華たちばなは珍しそうに俺の弁当箱を見た。


「自分で作っているの?」

「そう」

「すごいね」

「いや、金ないから節約で」

「でも、色々なおかずが入っている」

「ほとんど作り置き。それに白飯と梅干」


 俺たちはそれぞれの飯を食べ始めた。いや、立華たちばなはサンドイッチだから飯という感じではないが。


「どこに住んでいるの?」

「『阿井』っていう隣街。祖母ばあちゃん家に」

「ということは電車?」

「ああ。電車で大きな駅、駅からは自転車」

「ええ? 結構、距離あるじゃん」

「まあ、どうってことない。渋滞していたら自転車の方が早いし」

「ふーん」

「じゃ、俺、ちょっと身体動かすから」


 俺は、柔軟体操を始めた。


「どうして柔軟体操しているの?」

「筋肉はそこそこ気にしていれば衰えないけど、身体の柔らかさだけは、毎日やっておかないと維持できない」

「それって、空手のため?」

「まあ」


「ということは、空手道部に入部する可能性もあるってこと?」

「いや、それはない。ただ、おとろえちゃうのはなんかもったいないし、高塚さんに、時々、ヘルプ頼むかもって言われたし」

「そういえば、高塚さん、そう言っていたね。きっと、大会の時とか呼ばれるよ」

「俺もそう思う」


 十五分ほどのストレッチを終わらせると、ベンチに置いてあったバッグを掴んだ。


二海ふたみ、これからどうするの?」

「ジャズ研に行ってみる」

二海ふたみはジャズ好き?」

「いや、サックスを吹くのが好きなんだ。ジャズのことは全然わからない」

「変なの。じゃあ吹奏楽は?」

「譜面を読むのが苦手」

「あはは、そうなんだ。じゃあ、行こうか」

「一緒に来るのか?」

「うん、特に予定もないし」


 そんな訳で、再び部活勧誘地帯に向かって歩き始めたわけだが、なんだか恥ずかしい。


「ねえ、二海ふたみ、お願いがあるんだ」

「ん?」

菜可乃なかのって呼んでよ」

「あ、ああ。菜可乃なかの

「恋人みたいだね」


 そうだ、なんだか恋人みたいだ。菜可乃なかのは前髪が長いから不思議系に見えるが、まちがいなく美少女だ。

 それに一緒に話をしているだけで楽しい。


「そういえば、なんで前髪を伸ばしているんだ?」

「ああ、これ。空手で組手をする時に、視線を読まれないため」

「そっか。それもいいけど、それじゃ勝てないぞ」

「どういうこと?」

「相手を見ていたら勝てないってこと」

「全然わかりません!」


 そうこう話しているうちに部活勧誘地帯に到着した。

 空は相変わらずの晴天で、春の風が気持ちいい。ジャズ研は……あった。看板を持った女性の横にいる男性に声をかけることにした。


「あの、ジャズ研、見学させてもらいたいんですけど」

「大歓迎だよ。君は何か楽器をやっているのかな?」

「サックスです」

「吹奏楽?」

「いえ、中一の時にちょっとだけ吹奏楽部にいて、あとは独学です」

「好きなアーティストは?」

「ジャズはほとんど知らないんですが……ジャズならファトー・バルビエリとか」


 あ、こいつ、ニヤって笑った。まあ、理由はわかる。ファトー・バルビエリが好きって言うだけで、二流プレイヤーの烙印を押される、

 ラテン系が得意な演奏者だから。


「さあ、入って」


 部室に入ると、エレピ、ドラム、ギターアンプ、マイクとか、一通りそろっている。

 さすが大学、高校とは違うな。高校の時、軽音部があったけど、毎回、音楽室で楽器を出し入れしていたが、ここは常設だ。


「ファトー・バルビエリが好きということは、テナーサックス?」

「はい。レルマーのテナーと、あと、ラルカートのソプラノを持っています」

「両方ともBフラ楽器だね。黒本って知っている?」

「いえ」


 先輩は黒い本を二冊、部室の棚から取り出し、俺に渡してくれた。古いが、結構、ずっしり来るしっかりとした本だ。

 開いてみると、割と簡単そうな楽譜集のようだ。吹奏楽と全然違う。


「ジャズをやっている人は、だいたいこの本を持っていて、これをジャズ風に演奏、アドリブをやってまたテーマに戻って終わり、って感じの演奏をするんだよ」

「そうですか」

「で、数人でバンドを組んでもらって、練習日を決めてって感じかな」

「わかりました」


「良かったら、俺、アルトとテナー持っているから、吹いてみる?」

「いえ、人様の楽器は吹かない主義なので」

「そうか。じゃあ、ちょっと演奏だけでも聴いてくれよ」

「はい、よろこんで。菜可乃なかのもいいか?」

「うん」


 菜可乃なかの、そういえばほとんどしゃべっていなかった。音楽関係の言葉には疎いのかもしれない。

 ピアノ、ベース、ドラム、そしてここまで案内してくれた先輩はテナーサックス。知っていそうな曲を選んでくれたんだろう。

 確か、ルティービー・ワンダーの曲だ。って、あれ、ジャズなのか?


 テーマ演奏から始まり、サックスとピアノのアドリブ、そしてベースとドラムの掛け合い、再びテーマ演奏に戻って終了。

 さっき、先輩が言っていた曲展開ってこういうことか。なるほど。さすが生演奏、自然と俺たちは拍手をした。


「実は男子部員が少なくてね。吹奏楽部出身の人って女の子が多いじゃん。そんな訳で、すごくウェルカムなんだ」

「確かにそうですね、吹奏楽部は女子生徒が多かったです」

「今、即決してくれたら、この黒本二冊、プレゼントするよ。これ、卒業生が残していってくれたものなんだ」


 俺は、黒本をひっくり返して値段を確認した。う、た、高い。こ、これは魅力的だ。サックスはリードもメンテ代も高い。さらに黒本二冊買ったら七千円……。


 さっきの演奏も心地よかったし、よし、ここは即決にしよう。


「じゃあ、即決で入部します」

「ありがとう、じゃあ、入部届、書いてくれるかな」

「はい、わかりました」


 先輩は入部届用紙とペンを俺に渡すと、菜可乃なかのの方を見た。


「ところでそちらさんは? 楽器やる?」

「いえ、私は全然。それに、空手道部に決めているので」

「そう、じゃあ、もしかして彼女?」

「いえ、まだです。でも、明日には彼女になります」

「面白いこと言うね」

「いたってマジメです」


 ちょっと、急すぎるぞ、菜可乃なかの。いや、悪い気はしないが。


 黒本を受け取り、俺たちは部室を出た。そして、再び中庭のベンチまで戻った。


菜可乃なかの、訊きたいことがある」

「なーに?」

「お前、本当に俺の彼女になるのか?」

「うん、なるよ。ダメ?」

「俺、大した男じゃないぞ」


 菜可乃なかのは、前髪を分けて俺をじっと見た。弱い、この目に弱い。肺の上の辺りがギュっとする。

 俺は基本、腹式呼吸だが、今は呼吸が乱れているのがわかる。


「私、中学の頃から、空手の大会で二海ふたみを見ていたの。二海ふたみ、年下にも優しいし、強いし、組手や形演武の時に長い髪がフワっとなって。ずっと気になっていたのよ」

「そうか」

「それに、高塚先輩、絶対に二海ふたみのこと、狙っている。だから急いで既成事実を作らないと」

「どうしてそんなことが?」

「さっき、『まだ』って強調したからよ。あれは絶対……」


 足音が聞こえた。


「よくぞ見抜いたな」

「た、高塚先輩!」

「高塚さん、否定しないんですか?」


 高塚さんは腕を組んだ。何か考えているようだ。


「私の性格だ。物事、白黒はっきりつける、自分のこともはっきりとさせる性分だ」

二海ふたみは私のものですから」


 おい、ものかよ。まだ、返事してないぞ。


「わかっている。さっきから話を聞いていたが、私と清水きよみずくんとの関係性は君のそれに劣る。しかし恋には一瞬で落ちる。締め技のように数秒も必要としない」


 例えがよくわからなさすぎるし、さっきからって、いつから聞いていたんだよ。それに、俺が彼女持ちかどうかも聞かれていないぞ。


「それに君は空手道部に入部する。その時、モヤモヤしたり変に勘ぐったりするような状況は良くないだろう?」

「そ、それは確かに……」


 さすがの菜可乃なかのも押されまくってる、高塚さん、すごいな。


「というわけで、二人ともよろしくな」


 高塚さんは、俺と菜可乃なかのの肩をバシっと叩くと、ベンチの傍から立ち去って行った。


「ねえ、二海ふたみ

「なに?」


「好きよ」


「あの、俺、恋とか、まだよくわからないから」

「じゃあ、私のこと、好き? 嫌い?」


 だから、そんな目で俺を見ないでくれ。

 菜可乃なかのの手が俺の胸に近づき、やさしく押さえた。


二海ふたみ、ドキドキしているよ。私もドキドキしている。触ってみる?」

「いや、それはまずいだろ」


 ドキドキしていない。嘘だ。絶対、これ、誘導されているやつだ。俺には耐性がある。この程度のスキンシップで興奮状態は加速しない。


菜可乃なかの、好きか嫌いかで言えば好きだ」

「もし、七人、特別に好きな女性を考えたら、その中に入る?」


 なぜに七人?


「入る」

「どうして?」

菜可乃なかのと話していると楽しい」

「うん、じゃあ、付き合おうよ」

「でも、恋とかわからないぞ、俺」

「いいよ、お試し感覚で。私のこと、もっと好きになるよ」

「そうかもな」


 確かにその通りだ。でも、お試し感覚で付き合ってもいいものなのか?

 それより、付き合うって、どういうことをしたらいいんだろうか。デートとか、よくわからないし。


「ねえ二海ふたみ、私、あなたの胸を触っているのに、どうして心拍数が上がらないの?」

「ま、まあ、それなりに耐性はあるからな」


 菜可乃なかのはちょっとエッチっぽい触り方をしている。でも、あのことは言えない。


「そっか、なるほど。で、返事は?」

「俺、デートとかよくわからないけど、それでも良ければ」

「返事は?」


 菜可乃なかの、質問を繰り返しやがった。俺の口からはっきり言わさせるってやつだ。よし、決めた。俺は優柔不断らしいから、徹底的に優柔不断で行こう。


「付き合う」

「うん」


 あまり優柔不断っぽくなかったかな。



  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆



 ジャズ研に通うようになって二週間、先輩たちとバンドメンバーの相談を始めた。案の定、新入部員は吹奏楽部出身ばかりで、アドリブ演奏ができる部員は俺だけだった。


 そんなこんなで一通りの話が終わった後、先輩に声をかけられた。ジャズ研を見学した時に案内してくれた先輩だ。


清水きよみずくん、君の音は派手でつややかだ。でも、もうちょっと渋い音を出せないかな」

「ちょっと違いますか?」

「スイング感も、他の新入部員と比べればとてもいい。それだけに惜しい。もっとジャズを聴きこんでくれ。ゾウチューブで色々上がっているから」

「わかりました」


 どうやら俺の演奏は、俺が考えているジャズとは若干違うらしい。


「ところで、日本人アーティストなら誰が好き?」

「尾和下直弘さんです。ライブを観に行ったこともあります」


 先輩はスマホをいじり始めた。動画を探しているのだろう。そして額に手を当てた。


「全然、モダンじゃないな。ファトー・バルビエリといい、尾和下直弘といい、君はおもしろいな」

「ありがとうございます」


「まあ、みんなと演る時はほどほどモダンに、時々派手にはじけてくれよ」

「わかりました」


「でも、しっかり音源は聴いておいてくれな」

「はい」


 困った。祖母ばあちゃん家、インターネットが無い。あるのはスマホだけ。しかも格安SIMを入れているから3ギガでパケ死する。

 案の定、夜、ゾウチューブで動画を再生していたら一週間でパケ死した。


 大学にフリーWi-Fiはあるが、これでは平日、バイトができず、週末のバイトでシフトをたくさん入れるしかない。


 菜可乃なかのも週末、一緒に出掛けたりしたいだろうし、困ったな。




   ----------------




あとがき

数ある小説の中から読んで頂き、ありがとうございます。


「ラルカート」という楽器は(ちょっと名前はいじっていますが)、某大手楽器店にて販売されえるプライベートブランドの楽器です。


このサックスが値段の割になかなか良くて、金属の厚みもあり、結構、しっかり鳴ります。


ただし、中古で売る時には、とても安い値段になります。



おもしろいなって思っていただけたら、★で応援してくださると、転がって喜びます。

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それではまた!

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