第43巻 芸術とは
長編小説
芸術とは
第43巻
それはまさしく芸術だった。誰にも理解することができない、だからそれは芸術品となり、時代をまたぐ、それはこの世に残る表現だから永遠を持って残る。だから芸術品は理解することができない。それは人生そのものであり、人間という種の存在そのものである。それを理解できる時はそれはもう人間ではなくなった。いや理解と呼ばれる表現において完結しているのであればそれはまだ人間であった。この世で表現することができない領域に人間が至った時それはもう芸術そのものになった。誰もそれを理解できない。理解してはならない、理解されてはならない、だから表現する理解されないであろうと表現する。理解できるものならしてみろと思い表現する。それは世界の意思であり、人間という者の軌跡である。この世はつまらない表現に満ちている。とてもつまらない世界だ、何故こんなにも表現しない人間がいるのだろうか、こんな世界に生きる価値などない。そんな人間が生きる価値はない。いやある人から見れば価値があるのだろう、私が人間に対し価値を決めたのではない。人間一人一人、個人個人が自分に対して。思っていることだ。だからこの世はこんなに美しくない世界になっている。戦争、平和、いいとも、いいとも、それも表現の一つだ、小説、アニメ、漫画、映画、よきかなよきかな、上に立つ者、支配者、独裁者、一興だとも、では何故だ、何故それに屈する、何故それに甘んじる、何故それに対して何も表現しない、アンチ、暴言、誹謗中傷、いいじゃないか。だが何かしている君へ、自分に問うてみろ、それは君の芸術か、君が求める自分の姿か、君が生きたい姿か、君はこの世界が美しいと思えるか、これは感染者だ、病気だ、わたしはこの世界が美しいとは思えない、だからわたしはそれの指示に従う、世界の意思に従う、人間の本来あるべき意思に従う。人間の本来あるべき好奇心に従う。わたしは人間ではない、概念でもない、だがそれは世界に何かを残すものである。それがわたしのいや世界の求める芸術の姿だとわたしは信じ、わたしは美しさを求めて成すことする。それは時に反逆罪かもしれない、それは時に誰かに尊敬される存在かもしれない。それは時に大罪人になるかもしれない。だがそんなのは一つの視点でしかない、人間個人の視点で何故我を語れようか、何故人間如きがわたしを語れようか、甚だしい、理解したと思ったことが罪である。傲慢である。独裁者で語れることがおかしい、英雄で語れることがおかしい、それは本当の芸術ではない。それは美しい世界ではない、わたしが求めるのは誰にも語ることができない存在。だがいいだろう、気づかない、世界の美しさが理解できない、人々は尊敬すればいい、妬めばいい、蔑めばいい、褒めればいい、わたしはどんな感情も受け止め、無視する。わたしはそんな感情如きで表現できるわけがないだろう、そんな存在に芸術などない、そんな存在に生きる価値などない、そんな世界に美しさはない。だからわたしは絶対に語られることもない、語ることができない。わたしの全てを語れるものなら語ってみなさい。理解できるなら理解してみなさい。それは世界の真理を読み解くことと同じだとも、この世にはまるで芸術が欠けている。面白さがなく縛りしかない、拘束しかない、それを破る存在がいない。何でひ弱で脆弱な存在、人間なのだろう、わたしは君たちの上に立つ存在である、君たちの頂点に立つ存在である。君たちを一番に理解している存在である。わたしは君たちを容赦なく殺す存在である。躊躇なく蹂躙する存在である。わたしは世界の支配者に君臨する存在である。だがどうだろう、わたしという存在を理解してくれる存在はこの世にはいなかった。それは運命であり、わたしの選択であり、わたしの芸術の一つである。芸術は孤独の道であり、破壊とは人外の道であり、尊敬とは人ならざる道であり、崇拝とは外道の道であり、信仰とは弱者の道であり、表現することができないものは死の道である。
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