第13話

席に着いたものの、まだ佐藤さんの姿は見えない。

彼女はいつも少し遅めに登校することが多い。

授業が始まる前に一言挨拶でもできればいいな、と期待しながら、教科書を机の上に広げる。

クラスメイトたちは、文化祭や運動会の話題で盛り上がっているのが耳に入ってくる。

文化祭での打ち上げの話も出ているようで、どうやらクラス全員で行う方向に話が進んでいるようだ。


「よしお、昨日の運動会の筋肉痛、まだ残ってる?」


と、隣の席の山田が笑いながら話しかけてきた。


「まあな。昨日結構全力で走ったからな、足がパンパンだよ」


と、俺は苦笑いで返す。


山田とは文化祭の準備でも一緒に行動していたので、自然と話すことが多くなった。

彼はどちらかというと陽気で、いつも場を和ませるタイプだ。

そんな山田と話していると、ふと教室の扉が開き、佐藤さんが入ってきた。


「おはよう」


と、軽く手を挙げて佐藤さんに挨拶する。


「おはよう、烏丸くん」


と、彼女は柔らかな笑顔を見せてくれる。

何気ないやりとりだけど、その一言が心にじんわりと響いてくる。

佐藤さんは自分の席に向かい、荷物を置くと、すぐにクラスの女子たちと会話を始めた。

彼女の周りはいつも賑やかで、クラスの中心的な存在だということが改めて感じられる。


ホームルームが始まるまで、しばらくぼんやりと彼女の笑顔や、昨日の運動会でのやりとりを思い出していた。

佐藤さんは運動会でも笑顔を絶やさず、クラス全体を応援していた姿が印象的だった。

俺もその姿に背中を押されて、競技に全力を注いだのを覚えている。

ホームルームが始まり、担任の先生が教室に入ってくる。

文化祭の打ち合わせも大詰めだ。

今日も文化祭の準備で忙しい一日になりそうだが、少しでも佐藤さんと話す機会があればいいと思っている。

クラス全体が文化祭に向けて一致団結しているのが伝わってくる。


授業が始まると、次第にクラス全体が集中し始める。

俺も気を引き締めて教科書に目を落とし、黒板に書かれた内容を書き写す。

頭の片隅には、どうしても佐藤さんのことが浮かんでしまうけれど、今は授業に集中しようと自分に言い聞かせる。

昼休みになると、自然と佐藤さんの方に目が向いてしまう。

彼女は友達と一緒にお弁当を食べ始めていたが、俺はなぜか声をかける勇気が出なかった。

昨日は一緒にお弁当を食べたけれど、今日はどうするべきか迷ってしまう。

いつものように山田と一緒に食べるか、それとも勇気を出して佐藤さんに声をかけるか。


結局、今日は山田と一緒にお弁当を食べることにした。

佐藤さんとは昨日たくさん話せたし、今日は少し距離を置いてみてもいいかもしれない。

そう自分に言い聞かせながら、鞄からお弁当を取り出す。中には昨日の夜に作ったナゲットと、朝作った牛蒡のきんぴらが入っている。


「お、また手作り弁当か。相変わらずすごいな、よしお」


と山田が感心した様子で声をかけてくる。


「まあな、家で作るのが習慣みたいなもんだから」


と、少し照れくさく答える。


そうこうしているうちに、昼休みがあっという間に過ぎていく。

午後の授業も無事に終わり、放課後の文化祭準備が始まる。

今日は教室の装飾を仕上げる予定だ。

各班に分かれて作業が進む中、佐藤さんも活発に動き回っている。

彼女と一緒に作業する機会があれば、もっと話せるかもしれない。

そんな淡い期待を抱きつつ、俺も与えられた作業を黙々とこなしていった。


放課後の文化祭準備が本格的に始まると、クラス全員がそれぞれの持ち場で忙しく動き回っていた。

俺は、教室の装飾担当として、黒板周りの飾りつけを任されていた。

文化祭当日のテーマが「萌えキュン喫茶」になってから、飾りつけも可愛らしいデザインに統一され、ピンクや白を基調としたリボンやポスターを貼る作業が進められていた。


「よしおくん、こっち手伝ってくれない?」


と、ふいに佐藤さんの声が後ろから聞こえた。


「あ、もちろん!」


と、即座に返事をして手元の作業を一旦中断する。


佐藤さんの班は、机や椅子の配置を変えてお店っぽい雰囲気を作り出すために、レイアウトを考えながら動かしていたようだ。

俺は、すぐにそちらに向かい、机を動かす手伝いを始める。


「ありがとう、助かるよ。結構重いから一人だと大変でね」


と、佐藤さんが少し汗を拭いながら微笑んでくれた。


その笑顔に一瞬見とれてしまい、思わず胸が高鳴る。

昨日の運動会からの距離の縮まりを感じつつも、まだ何かが自分の中で遠慮しているような気がしてならなかった。


「うん、大丈夫。二人でやればすぐ終わるさ」


と俺は、少し照れくささを感じながら机を持ち上げ、指定された場所に運んだ。


彼女との共同作業は思ったよりもスムーズに進み、次第に周りも盛り上がってきた。

各班が自分たちの持ち場で協力しながら文化祭に向けた準備を進める様子を見ると、やっぱりクラスの一体感を感じる。

俺もその一員として、少しでも役に立てることに喜びを感じていた。

しばらく作業を続けていると、クラスメイトの山田が俺たちの方に近づいてきた。


「お、二人とも頑張ってるね!そっちはもう終わりそう?」


と、彼は軽い調子で声をかけてくる。


「うん、あと少しで机の配置は終わりそうだよ。そっちはどう?」


と、俺が聞き返す。


「まぁ、うちは飾りつけ班だからな。ほぼ終わりかけてるぜ」


と、山田は得意げに言う。


その後も文化祭の準備は順調に進み、夕方にはほとんどの作業が終わりを迎えた。

教室はすっかり「萌えキュン喫茶」にふさわしい可愛らしい雰囲気になり、クラスメイトたちも達成感に満ちた表情を浮かべていた。


「これで準備は大体終わったね」


と、佐藤さんが満足そうに教室を見回す。


「そうだな。あとは本番を迎えるだけだな」


と、俺も彼女に同意する。


すると、ふいに佐藤さんがこちらを向いて


「ねえ、よしおくん、文化祭が終わったら一緒にどこか行かない?」


と言い出した。


「えっ?」


と思わず驚きの声が漏れる。

頭の中が一瞬真っ白になり、心臓がドキドキと高鳴るのが自分でも分かった。


「映画とかどうかな?前から観たいのがあったんだけど、一緒に行けたら嬉しいなって」


と、佐藤さんは少し恥ずかしそうに、でも真剣な表情で話してくる。


「もちろん、行こう!」


と、俺は勢いよく答えてしまった。

まさか佐藤さんから誘ってくれるなんて夢にも思わなかった。

嬉しさがこみ上げてきて、自然と笑顔が浮かぶ。


「やった、楽しみにしてるね!」


と佐藤さんが笑顔で言い、俺は胸の中にある幸せを噛みしめながらその場を離れた。

家に帰ると、頭の中は映画のことでいっぱいだった。

次の日曜日が本当に待ち遠しい。

心の中で何度もその日が来るのを想像してしまう。

夕食を食べて風呂に入った後も、ずっとそのことばかり考えていた。


「佐藤さんと一緒に映画か……」


ベッドに横になりながら、思わずつぶやいてしまう。

文化祭も大事だけど、やっぱり今は日曜日の方が楽しみで仕方ない。

これってもしかしてデートなのか?そう思うと、また心臓がドキドキしてくる。

次の日、学校では相変わらず文化祭の準備が進んでいたが、俺の頭の中にはもう一つの大イベントがある。

日曜日、佐藤さんと一緒に映画を観に行く。それが一番の楽しみだ。


俺の心は既にその日に向かっていた。


文化祭の準備は着々と進み、クラス全体に活気が溢れていた。

しかし、俺の心の中では、文化祭そのものよりも、翌週の日曜日に佐藤さんと映画に行く約束が何よりも大きな出来事となっていた。

教室で装飾を整えたり、クラスメイトと一緒にレイアウトを考えたりしている間も、ふと気を抜くと映画のことを考えてしまう。


「よしお、なんかぼーっとしてるけど大丈夫か?」


と山田が声をかけてきた。


「え、あ、ああ、ちょっと考え事してただけ」


と俺は慌てて返す。


「もしかして佐藤さんとのこと?」


とニヤリと笑う山田の顔に、俺は内心どきっとした。


「なんでそんなことわかるんだよ!」


と、動揺を隠しつつもツッコミを入れると、山田は


「お前、バレバレなんだよ」


と笑いながら肩を叩いてきた。


俺は少し照れながらも、何も言い返せなかった。確かに、佐藤さんと一緒に映画に行くことが頭から離れないのは事実だ。

少しでも彼女に近づきたい、もっと彼女を知りたい、そんな気持ちが強くなるばかりだった。

放課後、文化祭の最終準備が終了すると、俺は家に帰る途中でふと佐藤さんに


「映画の時間とか決まったら教えて」


とメッセージを送ることにした。

すぐに返事が返ってきて、佐藤さんからは


「もちろん!もう少ししたら決めるね。楽しみにしてて」


と書かれていた。

その返事だけで、俺の心は一気に高揚した。

彼女も俺との映画を楽しみにしているんだ、そう思うと、日曜日がますます待ち遠しくなる。

家に帰っても頭の中は映画のことでいっぱいで、夕飯を食べながらも家族との会話に集中できなかった。


「どうしたんだ、よしお。なんだか上の空じゃないか」


と、父が不思議そうに俺を見ていたが、俺は


「うん、ちょっと考え事してただけ」


と適当に返事をした。


翌日の金曜日、学校ではいよいよ文化祭のリハーサルが行われた。

クラスメイトたちは各自の持ち場で動き、模擬店の設営や最終確認に追われていた。

俺も「萌えキュン喫茶」の飾りつけや準備を手伝いながら、クラスメイトと協力して作業を進めた。

佐藤さんも、明るく元気に動き回っていた。そんな彼女の姿を見ていると、自然と俺も頑張ろうという気持ちになる。


リハーサルが終わった後、佐藤さんが


「明日の本番、楽しみだね!」


と話しかけてきた。


「そうだな、うまくいくといいけど」


と俺は答える。


「大丈夫だよ、よしおくんも頑張ってるし、みんなで力を合わせれば成功するって」


と彼女は微笑んだ。


その笑顔に俺はまたしても心臓が高鳴ったが、なんとか落ち着こうと深呼吸した。


そして、土曜日がやってきた。

文化祭本番の日。朝から学校にはたくさんの人が集まり、保護者や友人たちが校内を賑わしていた。俺たちのクラスの「萌えキュン喫茶」も大盛況で、クラスメイトたちは次々と来店するお客さんに対応していた。

俺も接客をしながら、忙しく立ち回っていたが、合間にふと佐藤さんの方を見ると、彼女も一生懸命働いていた。

その姿を見ると、なんだか不思議な安心感が湧いてきた。


「文化祭、成功したな」


と、俺は胸を張って思った。夜には後片付けを終え、達成感に包まれながら帰路についた。


そして、いよいよ日曜日がやってくる。

映画の約束の日。

俺は早起きして朝食を済ませ、気合を入れて準備を整えた。

どんな服装で行けばいいのか迷ったけれど、結局いつも通りのシンプルな服に落ち着いた。少し緊張している自分を落ち着かせようと深呼吸をする。


「佐藤さんと映画を観に行くんだ」


と何度も心の中で反芻する。まるで初めてのデートみたいに感じて、胸が高鳴るのを抑えることができなかった。

その日の夜、俺は妙にリアルな夢を見た。


夢の中、俺は見慣れた通学路を歩いていた。

しかし、どこか違和感を感じる。

空が異様に明るく、光が滲むように拡がっている。風はそよそよと吹き、周囲には一切の音がない。不自然な静けさだ。

いつもの道を進んでいるはずなのに、風景は徐々に見たことのない景色へと変わっていく。

突然、目の前には巨大な扉が現れた。

古びていて、両側に装飾が施された重厚な扉だ。俺はその扉に引き寄せられるように手を伸ばし、そっと触れてみた。

すると、扉は軋む音を立てて、ゆっくりと開いていった。


扉の向こうには広大な草原が広がっていた。

川が澄んだ水をたたえ、遠くには動物たちが平和に草を食んでいる。

景色はどこか現実離れしていて、それでも不思議と懐かしい感覚があった。


「ここは一体…?」


と呟いたその瞬間、後ろから誰かの足音が聞こえてきた。

振り返ると、そこには佐藤さんが立っていた。彼女はいつもの制服姿で、俺に優しく微笑んでいる。


「佐藤さん、どうしてここに…?」


「よしおくん、こんなところで何をしてるの?」


と彼女は静かに問いかけた。

まるでこの世界が普通の場所であるかのような態度だ。


「これは夢だよな?」


俺は半信半疑で問い返す。


「夢かどうかなんて、どうでもいいじゃない。ここで大事なのは、今、私たちがこうして一緒にいるってことだよ。」


彼女の言葉に、俺は言葉を失った。

確かに、夢であれ現実であれ、佐藤さんと一緒にいることが、何よりも大切に感じた。


「そうだな…」


と返事をし、俺は彼女の隣に立つ。

目の前には美しい景色が広がり、時間がゆっくりと流れているようだった。


「でも、不思議だよな。なんでこんな場所にいるんだろう?」


俺は疑問を口にした。


「それはね、たぶんよしおくんが望んでいたからじゃないかな」


と彼女は答えた。


「私たち、映画を観に行くって約束したでしょ?その気持ちが、きっとここに連れてきたんだよ。」


「映画の約束が…?」


俺は驚いたが、同時に納得もした。確かに、俺は佐藤さんとの約束を楽しみにしていた。

だからこそ、夢の中でも彼女と一緒にいるのかもしれない。


「そう、だから焦らなくていいんだよ。夢の中でも、現実でも、私たちは一緒にいるんだから。」


佐藤さんの言葉に、俺の心は不思議と落ち着いた。


そして、ふと気づくと、彼女の姿が次第にぼやけていく。

遠くから風の音が聞こえ始め、草原の風景も薄れていった。


「また…会えるよね?」


俺は思わず声を上げた。


「もちろん。またね、よしおくん。」


彼女は微笑みながらそう言い、風の中に溶け込んでいった。

次の瞬間、俺はベッドの上で目を覚ました。

静かな部屋の中、外からは朝の鳥のさえずりが聞こえてくる。

夢だったのか、現実だったのか、今となってはもうわからない。

でも、ひとつだけ確かなことがある。

それは、俺が今以上に佐藤さんとの関係を大切にしたいと思ったことだ。

夢の中で感じた安心感や、彼女の笑顔。

それが俺にとって、何よりも大事なものだと再確認した。


「また、会えるよな…」


俺は小さな声で呟きながら、ゆっくりとベッドから起き上がり、今日の朝の支度を始めるのだった。






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