第17話 ヤンデレセンサー
「じゃじゃーんっ、どうですか、兄さん。紫子特製、出汁香る愛妻御膳ですっ!」
もう紫子特製って言っちゃってるよ。文へのお料理教室はどうなったんだよ。
「結局、大したことは出来なかったな、私」
「うふふっ、見事な皮剥きでしたよ、千里先輩っ。とっても慣れた手つきでした」
「皮を剥いた記憶は全くないが、柚木こそ包丁さばきが美し過ぎて見とれてしまったよ。あれは教えられたところで身につけられるものではないな」
「はいっ、包丁はヤンデレにとって重要な武器でもありますのでっ」
もはや自分からヤンデレ言い出したよ。満面の笑みだよ。どうなってんだ、マリア様の教育。
時刻は18時半。
テーブルには、牡蠣と舞茸の炊き込みご飯、鮭の粕漬け焼き、厚焼き卵、ほうれん草のおひたしが並ぶ。どうやら出汁にこだわったらしい。あのおにぎりから得た情報と、料理中の文の反応を照らし合わせたかったのだろう。皮を剥いた痕跡が全く見当たらないメニューだ。
そんな晩ご飯を高校生四人で囲んでいる。両親は逃げた。
僕の右側に華乃、左側に紫子が座り、その正面に腰を下ろしているのが文だ。何だこの最終面接スタイル。だが面接官二人の目は、就活生ではなく人事部長の僕に向けられている。ホント何のために文はここまで連れてこられたのだろう。
だが、裏を返せば――
「しかし、本当に豪勢だな。難波はいつもこんなものを食べているのか」
「うふふっ、わたしが来たのは一昨日ですので、いつもではないですね。これから毎日ですっ」
「は? 普通にあんたが来る前までのが、じょーた好みのメニューだったんだけど?」
――紫子の疑いの目が、文から外されたということだ! 乗り越えたのだ、あの難関を! 文が一人で!
文ぃいいいいいいいいいいい! 信じてたぞ、文ぃいいいいいいいいいいい!
「なぁ、イチャつくのは構わないのだが、私はもうお腹が空いて仕方ないのだが。冷めてしまってはもったいないだろう、こんな美味しそうな晩ご飯」
汗一つかかず、淡々とそんなことを言ってのけてしまう文。すげぇよ、こいつ。見たかよ、お前ら。これが僕のセフレだ! 自慢したいけど絶対自慢できない。
「ごちそうさま。改めて最高だったよ、紫子。千里も」
全てをたいらげて、僕は心からそう言う。
いやぁ、最高だ。何の不安も気がかりもなく食べるご飯は、こんなにも美味しかったんだな! 三大欲求にスリルのスパイスなんていらないんだって! わかったか、華乃!
「私は何もしていないと言っているだろう。美味しくいただいただけだ。ごちそうさまでした」
文のごちそうさまでしたが出たのでまた半勃ちしてしまった。紫子と華乃に挟まれての、ごちそうさま勃起、このスリルたまんねぇ……!
「お粗末様です、兄さん」
このタイミング言われると僕の半勃起がお粗末みたいになっちゃうだろ。ほんとは八割勃ちだし。
「ま、85点ってとこかなー。出来としては確かに隙がないけど、肝心のじょーたの好みからは外れちゃってるしねー」
そのタイミングで言われるとホントは八割五分勃ちなことが華乃にバレたのかと思ってドキッとしちゃうだろ。
「では、私は後片付けだけさせてもらって、おいとましようかな」
「いや、それくらいは僕にやらせてくれよ、千里。ていうか、さすがに送ってくし」
「何を言う。難波には、二人の美女の相手という大仕事が残っているだろう? どちらが本命なのかは知らないが」
こいつ、クラスメイトモードでもそれ言ってくるのかよ。
まぁ、それが僕のただのクラスメイト、千里としての自然な立ち位置ではあるのか。
「もーっ、文ちゃんまたそうやって、あたしとじょーたの関係茶化してさー。今度澄佳ちゃんと幸太さんがいるときに来てよー」
「千里先輩、メス猿の外堀うめうめ作戦には絶対協力しないように。お帰りになるのであれば、そうですね。もう外も真っ暗ですし、兄さんが送って差し上げてください」
「あ、うん、もちろん」
華乃はともかく、紫子がそこに賛同してくるとは思わなかった。
これはもう、文への疑惑は完全に晴れたと見ていいんだろうな! 思ったよりチョロかったぜ、紫子! こんなもんか、自称ヤンデレって! これならこれからも、今まで通り文と都合の良いセックスしまくれそうだな!
「あ、そうでした。その前に一つだけ、聞きたいことがあったんでした。兄さんはどうして、千里先輩のことを苗字で呼んでいるのですか?」
「え。そりゃ、千里はただの」「難波」
何気なく答えようとした僕を、文の抑揚のない呼びかけが制してくる。
「どうしました、二人とも。紫子は今日、ずっと変だと思っていたんです。一昨日のお電話では、兄さんは千里先輩のことを『文』と呼んでいたのに。おかしいですよね? 電話越しと対面で呼び名を使い分けているのですか? この地域の風習なのでしょうか?」
「――――」
言葉が出ない。目を伏せることしかできない――が、そんな目の先に、紫子の綺麗な顔がニュッと、入り込んでくる。
横向きの白い顔。サラサラの長い黒髪が垂れて、その顔面を覆い――しかしその隙間から、大きな両目がギョロっと、こちらを覗き見ている。まばたきは、ない。血走った丸い目玉が僕を捉えて離してくれない。ただただバニラのような甘ったるい香りが僕の思考回路を麻痺させてくる。
「ねぇ、兄さん。わたしに、何を隠しているのですか? ねぇ。ねぇ。この女は兄さんの何なのですか。ねぇ、わたしに嘘をつくのですか? ねぇ。約束したのに。ねぇ。お手紙で言ってくれましたよね。ねぇ。兄さん。ねぇ。ねぇ、ねぇ、ねぇねぇねぇ、兄さ」
「柚木。そう責めてやるな」
「見つけた。泥棒猫。見つけた」
グリンと音が鳴るくらいの勢いで上体を捻る紫子。髪を乱して身を乗り出し、正面に座る文の眼前へと、その顔を突き出す。
「泥棒猫とは? 何を言っているのかは分からないが、いったん落ち着け。難波は普段から私のことは千里と呼んでいるよ。中学の頃からな」
「アピール。匂わせ。わたしがいなかった三年間の不貞の仄めかし。見つけた。排除」
紫子の頭で隠れて、文の顔は視認できない。それくらい、もはや鼻先同士がつくくらいの至近距離で、紫子は凄んでいる。静かでありながら、不気味なほどの威圧感が発せられる声。隣で聞いているだけで、震えが止まらない。それを真っ正面から浴びながら、しかし文の声音は全く揺らいでいない。いつも通り、淡々と続ける。
「不定の、何……? あまり難しい言葉を使わないでくれ。とにかくな、難波は確かにデリカシーのない男だ。たまに調子に乗って、おふざけで呼び捨てしてくることはあるよ。な? 白石?」
「ねー、じょーたー、この下着どーかなー? ん? どったの、文ちゃん? 呼び捨て? あー、そーいや、たまにあるかもねー。じょーたって童貞だから。ちょっと仲良くなったくらいで距離感間違えちゃったりとかするもんねー。てか何、にらめっこしてんの、この二人。打ち解けすぎじゃんね」
すげぇわ、こいつ。この空気に全く呑まれてないわ。マイペースにスマホでショッピングしてたわ。小悪魔みたいなイジワル顔で幼なじみに下着について意見求めてきたわ。
「ん、聞いただろう、柚木。そういうことだ。その度に私は難波に注意しているしな」
「……兄さんに、名前で呼ばれるのは嫌なのですか」
紫子の声に、僅かながら人間らしさが戻った。未だ、体勢は変わらぬまま文の顔を覗き込んではいるけど、おそらくあの暗く深い目つきにも光が戻ってきているんじゃないだろうか。
「それはそうだろう。男子の中では親しい方とはいえ、ただのクラスメイトに気安く呼び捨てされたくはないよ」
「困りますか。彼氏がいるから。彼氏さんに誤解されてしまいますもんね」
「うぷぷっ! やっぱメスガキ紫子騙されてるし! 文ちゃんに彼氏なんているわけないじゃーん!」
「なぜ嘘をついたのですか? 見つけた。お嫁さんのわたしを欺いて兄さんを奪おうとする女狐。見つけた」
華乃こいつ、余計なこと言いやがって! またヤンデレセンサー反応しちゃっただろ! ヤンデレセンサーって何だ。
「白石……黙っていてくれるはずだっただろう。私にだって羞恥心くらいあるんだぞ?」
「あっ……ごめん、文ちゃん。つい」
「臭います。これだけスペックの高い千里先輩が敢えて嘘彼氏だなんて見栄を張る必要性が分かりません。作ろうと思えばすぐにでも作れるはずですし、処女であるなら処女としての価値を保てるだけの美女です。紫子のヤンデレセンサーが『見つけた』と反応しています」
ヤンデレセンサーあった。
「見つけ」れらてしまった文は、しかし、ここに来て、初めて感情を表に出す。こぼしたのは、「ふふっ」という微笑であった。
「この私を女子としてそこまで評価してくれるとはな。まさかだが……いや、ここまでの君の話を聞く限り、そうだよな。柚木、私と難波が付き合っているとでも思っているのか?」
「……は?」
という声を漏らしてしまったのは、僕だ。間抜けな声だった。それくらい、文が見せた反応に意表を突かれたのだ。
「……付き合っているとまでは、言っていませんが」
紫子の声からも、どこか呆気に取られてしまったかのように、力が抜けている。
「付き合っているとまでではないなら、どこまでなんだ? 付き合う直前の、付かず離れず微妙な関係ということかな? だ、そうだが、難波。私達、いつの間にそんな親しい間柄になったんだ?」
ひょいっと顔を傾けて、ようやく僕に表情を見せてくれる文。柄にもなく、からかうような微笑みを口元に浮かべていた。それでもやはり、凜とした雰囲気は保っているけども。
「知らないよ……紫子のヤンデレセンサーとやらに聞いてくれ」
僕も、展開についていけなすぎて、逆に自然な口調で返せてしまった。演技しようとする暇もなかったし、そもそも実際、そんなピュアな関係なんかじゃないからな。本当に知らないのだ、そんなもの。
「しかし、そうか。これが男子との仲をからかわれるという感覚なのだな……確かにたまになら悪くない。白石の気持ちが分かったよ」
「はぁ? 文ちゃんのイチャイチャイジりはこんなもんじゃないですー。ほんっと、あたし困ってんだから。周りから、じょーたと夫婦扱いされちゃってさー。聞いてよ、この前もパルコの雑貨屋さんでね、」
「キーキーうるさいです、メス猿。……本当に、何の関係もないんですか? お二人には」
「別に疑ってもらっても構わないが」
「やめてくれって、文。僕たちはただの、」
「兄さん。何ですか今のは。名前呼び。見つけた。センサー反応した。見つけた」
素で間違えた。何か一件落着っぽかったから、気ぃ抜けちゃってた。またギョロッとした目が下から覗き込んできてた。首が不自然な方向にグリンっと曲がっている。可動域どうなってんだ、この美少女の首。怖すぎて震え止まんねぇよ。
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