眼鏡におさげ、どうも芋娘です

「……とう長官、せめて入室の確認くらいしてくださいよ」


 私が文句をたっぷり視線に込めて言ってやれば、入り口に立つ彼――冬長官は、両肩を小さく上げた。


「ちゃんと名は呼んだが……」


 あ、本気で分かっていない人の顔だ。


「それは確認じゃなくてただの点呼です。仮にも私は女なんですよ。気を遣ってください」

「ここ後宮には国中の美妃がごまんといるのに、わざわざお前のような芋を夜這いに来る奴はいないから安心しろ。しかも、後宮に男はいない。陛下以外はな」

「しっ、失礼すぎる……!」


 そりゃ確かに、後宮は国中の美姫を集めた桃源郷だなんて言われてるって聞いたけど。


(しかも……)


 私は冬長官を、足のつま先から頭のてっぺんまで眺めた。


(悔しいけど、この人も私より遙かに美男子なんだよ……うぅっ!)


 冬長官は名前を冬雷宗と言い、ここ後宮全体を監督する内侍省の長官だとか。

 つまり、後宮のお役人で一番偉い人。こっちの世界では、役人のことを官吏というらしいけど。

 長い黒髪の中、一房だけまじっている銀髪が月明かりにキラキラと輝いている。実に端正な顔立ちをしていて、派手さがないぶん冴えた美しさが光る。

 これで自分と同じ二十三歳とか信じられない。


 しかも、先ほど彼が言ったように、冬長官は男ではない。なんでも後宮の官吏になるには、男の人の大事な部分を切り落とさなければならないのだとか。怖いって……。


「髪を解いていても、芋だな」

「う……っ」


 眼鏡のブリッジ部分を、指先でカツンと軽く弾かれた。

 いつも私の髪型は三つ編みおさげなのだが、初対面の時「随分な芋娘だ」と言われたのだ。一生根に持ってやると決めた。


「そ、それで! 冬長官はこんな夜に何か用ですか? 随分と勢いよく来られましたけど」

「ああ……大事な大事な用事だからな」


 ゆらゆらした足取りでこちらに向かってくる。


「え? だ、大丈夫ですか? なんだかふらふらしてますよ」


 部屋が薄暗いせいだろうか、心なしか顔色も悪く見える。

 灯りと言えば、格子扉から差し込む月明かりと、卓の上の蝋燭くらいしかないし。


「大丈夫? ははっ……大丈夫なものか……」


 何かに取り憑かれたみたいに、体を右に左に揺らしながら近付いてくる。

 完全に幽霊だ。


(もっ、ももももしかして本当に幽霊!? とうとう過労死の末、成仏できずに……!)


 顔に無造作にかかった長髪がまたそれらしく見えて、背筋が寒くなってきた。


「ちゃ、ちゃんと供養はしますからあぁぁぁッ! 祟らないでくださいぃぃぃ!」


 椅子の上で小さくなった瞬間、卓を挟んだ向かいの席でバタンと音がした。


「……え?」


 恐る恐る目を開けてみると、向かいの椅子に座った冬長官が、卓に力なく突っ伏していた。


「え?」

「……腹が減った」


 ぐぅ、と説得力のある音が卓の下で鳴っている。


「何か……っ食べるもの、を……」


 卓に頬を就けたまま喋る彼は、もはや虫の息だ。

 思い出した。この人は、最初会った時もこんな感じだった。

 加減を知らずギリギリまで働く男なのだ。いや、男じゃないけど……ええい、面倒くさい。


「……今日はいつから食べてないんですか。三日前に来た時よりひどくないですか」

「この間は昼からだ。今日は朝から食べていない」


 わー社畜。

 私は最後のひとつだったみたらしごま団子を、彼にそっと差し出した。


「はぁ……すぐに何か作るんで、とりあえずこれでも食べててください」

「な、なんだこれは……っ! 団子が輝いているではないか!」


 皿の上のものを見た瞬間、ガバッと勢いよく冬長官の身体が卓から起き上がる。


「みたらしごま団子ですよ」

「みたらし……? 聞き慣れないものだな。琥珀の樹液のようでなんとも珍妙な……」


 珍妙なと言いつつも、彼の目は子供のように輝いている。皿を持ち上げ、前後左右さまざまな角度からまじまじと見つめていた。

 そんなに珍しいものかな、と思いながら私は厨房へと向かう。


「仕方ないか。ここは異世界で、当然、日本の料理なんかないんだし」


 ここは日本でもなければ、よく見知った世界でもない。

 瑞獣が守る国――せいかいこうこくの後宮にあるはくずいぐう

 そこが私の今の住まい。


「さて! じゃあ、美味しい料理でもつくりますか!」


 そこで私は、大好きな料理三昧の日々を過ごしている。

 こんな、のんびりした日々を過ごしてて良いのだろうかとも思うが……ま、いっか。



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