元ビッグアイドルきよこの変身人生

すどう零

第1話 大スター丸井きよこの大きな誤算

 私、丸井きよこの名を覚えている人は多いはずよ。

 かつて私は、五年前まで昭和の大スター、演歌歌手大空つばめや寿引退したビッグスター山下ももかをしのぐほどの大スターだったからね。

 私は十八歳でデビューしたときから、ヒットチャート一位をなんと六年間も継続した、金字塔を打ち立てたのよ。

 それからは渡米してジャズを勉強し、ジャズ部門ではCD売上一位に輝いたこともあったわ。

 少なくともこの日本で、丸井きよこの名を知らない人はいない。

 

 しかしそれと同時に常にマスコミからは追いかけられ、スキャンダルにまみれたことも数知れず。

 出る杭は打たれるというが、私はただの杭ではないわ。

 私は楽屋の挨拶回りなどしたことはないが、スターとして気取っているなんて思われるのは大マイナスだから、楽屋ではできるだけ礼儀作法は心得てるつもりよ。

 それでも、パパラッチは追いかけてきて、芸能記者は私が発言していなことをさもおかしく書き立てる。

 記者会見のときは、私一人に五百人の記者がついていて、スポットライトを浴びながら失恋話をさせられたこともあったわ。


 同じ年にデビューした男性アイドルーときくんーとの仲を週刊誌に書き立てられたこともあったわ。

 ときくんは、私にとってはよきライバルであり、良き励まし相手。

 ここだけの話、楽屋では結構いちゃついてたけどね。

 とき君はいつも私を励ましてくれるの。

「どうしたんだよ。元気出せよ」

 とき君が活躍していたから、私も存在していたといっても、過言ではないわ。


 しかし、とき君のファンからはきつい仕打ちを受けたわ。

 追いかけられる余り、空気穴をあけた大きな段ボールに入って移動したこともあったくらいよ。

 三人くらいのとき君ファンからは、階段からつき落とされたこともあった。

「ギャハッハッハ―、真っ逆さまの丸井きよこのバカ」

 そんな罵声を私は、哀れなものとして受け取っていたわ。


 山下ももかの売りは、年齢の割に大人びていて、どっしりとしていて、年齢とは思えないような色気のあることを売りにしていた。

 常日頃から暖かい家庭に憧れている百恵さんは、二十一歳の時、共演した俳優と結婚して、芸能界を引退したの。

 二十一歳というともう成年。

 大人びているのを売りにする年齢でもないわ。

 ももかさんが寿退職したあと、私はヒットチャート一位になり、スター街道を歩み始めたの。


 しかし私も、ちょっぴり不安はあった。

 だって、私は高校を卒業するとアルバイトの体験もないままにデビューして、世の中のことはなにも知らなかった。

 いつもマネージャー二人がついていて、女性マネージャーはさり気なく私にいろんなことを教えてくれたわ。

「ソ連のゴルバチョフ大統領が死んじゃったわね」

 コンサートの前に、聞かされたときはびっくりしたわ。

 しかし、私がインタビューのとき、世間知らずのアイドルと恥をかかないように教えてくれたのね。

 女性マネージャーは自分ではなにもできない、歌うだけの人形にならないように、いろんなことを教えてくれたわ。

 でもその女性マネージャーとも、独立するときはお別れする羽目になったけどね。

 私より一回り年上の女性で、私が買い物をしている最中、サインはできないというと「フン、なによ。丸井きよこって気取っちゃって」って言われるなか、憎まれ役になってうまく対処して下さって今は感謝しているわ。


 私にとっては、歌手という職業は辛いこともあるけれど、やはり生きることそのもの。

 コンサートのときの暖かい拍手と裏腹に、デマの記事にも悩まされてきたわ。

 しかし、中傷やゴシップなどに悩むよりも、私には歌、ダンスと勉強することもあるし、一人の女性として母親から料理を習ったりもしたわ。

 だから今でも、家庭料理は得意よ。


 ドラマで共演した俳優ー弘樹は、初対面は感じの悪い人だった。

 話しかけても知らんぷり。

 挙句の果てに「僕は君みたいなイモ娘、苦手なんだよね」と言い出す始末。

 恋人役だというのに、このままでは思いやられると不安になったものよ。


 そう、私は確かにデビュー当時も田舎のお嬢さんと言われていたわ。

 でもイモ娘って、それだけ世間ずれしていないということでしょう。

 純朴で擦れてなくて、結構好きなフレーズだったな。

 こうなれば、イモ娘の根性を見せてやると、むくむくと向上心が湧いたわ。


 とはいうものの、私はロケ先の海外で食中毒になってしまった。 

 夜中に嘔吐し、寒気がするほどのひどい食中毒だった。

 なんと弘樹が私の部屋まで、洗面器に熱いお湯を入れて見舞いにきてくれたのだった。

「さあ、お腹を見せてごらん」と弘樹はお湯でしぼったタオルをお腹にあててくれ、胸までたくし上げようとした。

 思わず「恥ずかしい」と遠慮気味に言う私に、彼はすごい剣幕で

「バカ野郎。恥ずかしいなんて言ってる場合か」と叱ってくれたのだった。

 そして弘樹は一晩中、なんと手を真赤にしながら、お湯を変えてタオルを私のお腹に当てて、温めてくれたのだった。

 その甲斐あってか、私は朝日が昇る頃、容態はよくなっていた。


 彼は、私に諭すように言った。

「普通の人は、病気になると自分で薬を買いにいくか、医者にかかるものだ。

 まあ、今は海外であるという例外もあるだろう。

 君はいつもいろんな人に囲まれ、自分ではなにもしようとはしない。

 まるで赤ん坊じゃないか。

 こんなことじゃあ、将来どうやって生きていくつもりなんだ」

 私はハッとした。

 芸能界は、売れれば売れるほど、本人が直接意見を言うわけではなく

「マネージャーさんがこう言ってたわよ」とプロダクションの社長やマネージャーを通していうのが通例である。

 こんなにはっきり私に発言してくれたのは、弘樹が初めてである。

「実は、私もそう思ってたんです」と言う言葉を飲み込んでいた。

 弘樹は、洗面器に湯を入れてタオルを絞り、何度も私の腹部に当ててくれた。

 弘樹の手は、低温やけどで真赤になっていたが、それでも一晩中、手当してくれたおかげで、私は腹痛から解放された。

 

 芸能界という世界は、売れているうちは腫れものをさわるようにスター扱いされるが、視聴率が下がり、少しでも落ち目になると無視という洗礼が待っている。

 それが継続すると、目に見えて仕事が減少してきて、代わりに新人が新しい仕事をするようになる。

 新人タレントは、ベテランタレントのすき間にいつももぐりこんできて、いずれ新しいスターとなり、新陳代謝が生まれるのが芸能界の常である。

 そのことに絶望して、自殺をする芸能人はあとを絶たない。


 ちなみに昭和の大スター大空つばめ曰く

「私は、歌手になって悲しかったことの方が、多かったですね」

 つばめは十九歳のとき、頬に硫酸をかけられたという。

 つばめを楽屋の近くで待ち伏せし「ひばりちゃん」と言って振り向くや否や、硫酸をかけられ、痛さにうめいていた。

 幸い、すぐ治療をしたが、頬の小さな傷は残り続けたという。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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