海の機関士フロイヒ
美里俊
第1話 波止場の誓い
「ワット、カスティリヤ、マルサンヌ経由、ロムス王国は首都プリンキパ行き特急列車ケルト13号、まもなくの発車でございます。お乗り遅れないようお願いいたします。まもなく、3番線から…。」
港町マルル。島国サナンの玄関口と言われる町で、今日も海洋列車に乗って世界中の見知らぬ人がやってくる。
海洋列車は世界に通じる。かつて世界は海で隔てられていた。しかし、先人たちは海に安定調節機を数キロごとに設置したレールを敷き、また陸地の底から海底にトンネルを切り開き、深海の水圧に耐えられる強化フェノール樹脂を利用した海底トンネルを作った。
これらの発明もあり、海上や島々を経由し、何千キロも続く果てしない旅路を切り開いた。
飛行機や船による移動も未だ続いているものの、水素機関車の需要はますます伸びるばかりだった。
水素石と呼ばれる固体化した水素を燃料とし、水素爆発によるものすごいエネルギーを原動力とし、時速825キロの高速移動を実現している。
列車に乗り込み、少し揺られ、次の駅のホームに降りれば、そこは異国の地なのだ。
母国の貧しさから抜け出し、異国の地を夢見るものは多い。しかし、海洋列車の一駅間の値段は、サナンの国民が生涯で稼ぐお金の3倍と言われる。
海洋列車は、庶民の足とは到底言い難く、まさに富裕層のためのお抱え列車なのだ。
そのため、マルルの住民は、生涯乗ることもできない列車を、ただひたすら見送るだけだった。もっとも、そんなものを見るほど、暮らしに余裕などなかった。
それでも列車に乗る夢を捨てきれない者はあまたいた。
フロイヒもその1人だった。
波止場で海洋列車から運ばれる貨物を荷分けし、それを街中駆け回って届けるのがフロイヒの仕事だった。
フロイヒに家族はない。生まれてすぐに裏町の奥まった暗い路地に捨てられ、か細い鳴き声で助けを求めた。
しかし、たまたま通りがかった飲んだくれのマキナスに助けられ、そこで同じように親に捨てられていた少年フィアと共に、荷分けの仕事をするのだった。
フロイヒは12歳、フィアは10歳だった。お互いに親に捨てられた2人は、兄弟のように仲が良かった。
今日も、波止場でフロイヒとフィアは、海洋列車からの荷物をひたすら荷分けするのだった。
「表町、表町、これは裏町、また表、表、表、裏、表、表…。」
「ったくキリがない。どうせ全部表町だろ。裏町の人間が外からの荷物に払える金なんてあるわけがない。」
フィアは荷物の上に座り、本を読みながらフロイヒの仕事の様を憐れむように見ていた。
「フィア、お前もちょっとは仕事しろよ。いつも僕ばかりにやらせて。お前が仕事する時は、パンとスープをもらいに行く時ばかりじゃないか。」
「僕はもともとこんな肉体労働は向いてないんだよ。もっと、知的な仕事じゃないと。フロイヒくん、人間ってのはそれぞれ自分に合った役割があるんだよ。僕は頭を使った、そう学者やお医者様、先生や経営者、宗教の教祖なんかも向いてるかもな。フロイヒくんは、資材運びやボディーガード、たくましくも美しきその肉体を使った仕事が向いてるよ。」
フィアは、フロイヒより1つ歳下だ。いつも本ばかり読んでいて、妙に大人びたことをいう。でも、フロイヒにとっては小馬鹿にされてるようで、気に食わないと思うことも多かった。
「口はよく動かすのに、何で体は動かないかな?ああ、そうか、チビのフィアは、頭に全部栄養がいって、他には全然いかなかったんだな。」
フィアは本をバンッと閉じ、ひょいっと下に降りた。
「もう一度言ってみろ、フロイヒ。誰がチビだって?よく見てみろよ。お前の目ん玉は節穴さ。さして僕と視線が変わらないじゃないか。」
フィアはフロイヒの前に立ち、足を懸命に上げてフロイヒを睨みつけた。
「ははっ、これはこれは。僕の知ってるフィアは、僕と目が合うはずがないんだけどな。」
そういうと、フロイヒはすっと体を下げ、フィアの足を払った。
「イテッ!」
「ほら、いつものフィアだ。もう一度見回してみようか?おやおや、今度は誰も人がいなくなったぞ?」
「クソッ、フロイヒ!許さないぞ!」
「さっきまでの知的な紳士はどこ行ったんだ?ほらほら、こっちまでおいで、おチビさん!」
フロイヒはフィアに荷を放り投げ、フィアは上手い具合にキャッチするが、荷の重さに耐えられず、落としてしまう。
「ああ!」
荷から食器の一式や蝋燭立てがガラガラと落ちてきた。
「おい、見ろよこれ、全部銀だぜ。でも、少し汚れてるな。年季の入ったアンティークか?」
「多分、それは海洋列車のだよ。確か食堂車があったはずだ。アンティークな車内で、古き良き時代を思い起こすような、そんな雰囲気の中で高級な食事を堪能できるらしい。」
フィアはいつものように少し鼻のつくような言い方で解説した。
「ふん。海洋列車ね。じゃあ、これは汚れがひどくなって捨てたやつか?」
「まあ、あの列車ではゴミだろうけど、僕ら庶民にはお宝さ。これ裏町って言ってただろ?ジャンク屋のバリーが安く買い取って、それを表町のブルジョワに高く売りつけでもしようとしてるんじゃないか?」
「これ、売ったらどれくらいになるんだ?」
「僕たちの半年分の飯にはなるんじゃないかな?」
「半年?そんな大金がゴミかよ!ったく、とんでもねえ奴らだ。俺らは、あの列車のゴミよりも安い生活をしてるっていうのか。」
フロイヒは波止場の向こうに見える海洋列車の駅を見た。マルル港駅は、ホームから波止場と海、そして、マルルの何百年も前の建物が並ぶ古い街並みを見ることができ、海洋列車の駅の中でも、「潮の香りに古き良さを感じる駅」と言われ、海洋列車に乗る観光客にも人気の場所だ。
しかし、波止場で働く荷夫や、街の人々は、乗れもせぬ高価なあの列車に、憧れを抱くものもいれば、場違いな違和感を感じるものもいた。
フロイヒもフィアも、海洋列車の姿をじっと波止場から眺めてきた。だが、その目は憧れだけだなく、自分たちの境遇を否応なしに突きつける、嫌悪感を感じるものでもあった。
「僕はさ、フィア。いつか、あの海洋列車に乗って、世界を旅したいんだ。今はマルルの街が僕の世界だけど、その世界がもっと広がればって思うんだ。新しい人と出会って、見たこともない街を楽しんで、聞いたこともない音楽に耳を傾けて、自分の足がこんなにも丈夫なんだっていうくらい長い距離を歩いて、僕らが見てる空が、向こうの世界では全く同じに見えるのか、とにかく、色んなことを経験してみたいんだ!」
「うん!僕も、今はお父さんからもらったこの本だけが、僕の世界だけど、もっといろんな本を集めて、いろんな知識を身につけて、この世界についてもっと語れることがあるんだって、知りたい!気づきたい!僕の知識なんて、まだまだ小さなものなんだって!」
フロイヒはフィアに手を広げた。
「いつか、あの列車に乗って、僕たちの世界がどれだけ広いのか、二人で見に行こう!」
フィアはフロイヒの手をパチンと握った。
「うん!僕らの世界はここで終わらない!あの海の向こうに広がる世界に行ってみせる!2人できっと!」
フロイヒはフィアとのこの日の約束を、後になっても忘れないだろう。2人で夢見た世界。それがどんなものか。波止場の一角で、少年たちは誓ったのだ。いつか、あの列車に乗ってやると。
「おい、てめえら、何してやがる!さっさと荷分けしねえか!」
「へい、親方!」
今は、まだこの狭い世界で、必死にもがいている途中なのだ。
海の機関士フロイヒ 美里俊 @Misa1389
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