IDIOM.異世界の落ちこぼれ魔女はクーデレ少女に管理されたい

@ruritate

第1話 ティーセットの思い出

とある住宅街の路地裏、そこに紺色のローブを身に纏った少女がひっそりと塀に身を隠していた。少女の緊張した視線の先には、ゆっくりと歩く“小さな影”がある。


「……今だ!!」


隙を突いた少女が、白い髪をなびかせながら飛び掛かる。影が逃げ出すよりも早く、彼女の手は影についた“取っ手”を握りしめていた。


「捕まえた!」


寂れた路地裏に、少女の嬉しそうな声が響き渡る。そこに握られていたのは、モーモーと牛のような鳴き声を発しながら暴れる“ミルクポット”だった


「大丈夫でしょうか、フェリエッタ。」


遅れてやってきたのは、トランクケースを持ったスーツ姿の黒い髪の少女だ。スラリとした細身の体系で、髪を後ろで結んでいる。彼女を見たフェリエッタが叫ぶ。


「い、唯月さん……は、早く鞄を……!」


黒薙唯月くろなぎいつきがトランクに開くと同時に、フェリエッタは暴れる“ミルクポット”を急いで押し込む。手を離した彼女は、安堵するように息を吐いた。


「ふぅ……これで今回出現した“アイテム”は全部なんです?唯月さん。」


ミルクポットが大人しくなると、黒薙は静かにケースを閉じる。


「いえ、情報にあった“ティーセット”は6点。最後にもう一つ、残っています。」


「ま、まだ、あるんですか。……あと何が残ってましたっけ?」


フェリエッタは大きく肩をすくめると、指を折りながら一つ一つ数えていく。


「えーと、お茶を入れる“ティーポット”、飲むための“ティーカップ”、カップを置く“プレート”、砂糖の“シュガーポット”と牛乳の“ミルクポット”、それから……」


「――かき混ぜる“スプーン”、です。」


「ああ!」


黒薙の静かな補足に、フェリエッタは納得するように頷いた。彼女は疲れた表情で、黒薙の方を見上げる。


「ス、スプーン……流石に動き回るものじゃないですよね?」


フェリエッタの問いかけに、黒薙は冷静に返答する。


「それは分かりません。私たちが追いかけている“ティーセット”は、いずれも別の世界から迷い込んできた特異な力を持つ存在――“アイテム”です。」


フェリエッタの瞳を見た黒薙は、肩をすくめながら話を続ける。


「彼らに、この世界の理屈は通用しない。そのことは“あなた”が一番よく知っているのではありませんか?……“異世界の魔女フェリエッタ”。」


黒薙の突き刺すような視線に、フェリエッタは青く光る瞳を思わず見開いた。手に持っていた“魔法の杖”を握りしめると、彼女は少しムッとした表情になる。


「……いやいや、私が“元々いた世界”でも食器は生きてなかったからですね!」


フェリエッタは真剣な眼差しで、首を横に振るのだった。




ミルクポットを回収した黒薙とフェリエッタが、人気ひとけのない路地裏で一息ついていた。その時だった。


――彼女たちの視界に、銀色に輝く“何か”が映り込む。


「フェリエッタ!見ましたか、“アイテム”です!」


黒薙が隣にいるフェリエッタに声をかけると、素早く行動を開始する。


「追いかけましょう!」


裏路地を出た二人は、まるでハチドリのように空を素早く飛び回る“スプーン”を追いかけて走る。だが、その距離はなかなか縮まらない。


ふと横を見たフェリエッタは、そこによじ登れそうな塀があることに気が付く。


「唯月さん、私、先回りします!」


彼女はそう言い終えるや否や、黒薙の返事も待たずに塀をよじ登っていった。


「フェリエッタ!勝手な行動は――!」


黒薙が声をかけた時には、フェリエッタの姿はすでに消えていた。スプーンを追いかけながら、黒薙は大きく肩をすくめる。


「……全く、もう。」


ため息を吐いた黒薙がスーツのポケットに手を伸ばすと、そこから“ある物”を取り出す。それは金色の装飾が施された黒い“万年筆”だった。


「“特別認可アイテム”の使用を申請……」


『許可します。』


低いシステムボイスが鳴ると同時に、万年筆の蓋に設けられていたロックが解除される。蓋を外すと、黒薙は煌めくペン先を目の前を飛んでいるスプーンへ向けた。


「“理の介さず綴る筆オートマティスム追跡する散弾スタブ”!!」


彼女が万年筆を大きく一振りすると、空中に描かれたインクの軌跡がまたたく間に無数の小さなインクの弾へと変わる。


「……行け。」


発射されたインクの弾はスプーンの動きを追尾し、狭い空間を埋め尽す。空飛ぶスプーンは黒薙の操る弾を次々と躱しながら、小道の方へと逃げていく。


――その瞬間、スプーンの頭上に人影が現れた。


『水流よ、汝を包む壁となれ、“流水の防壁ロウネア”!!』


フェリエッタが手に持った杖を振るうと同時に、渦巻く水流が勢いよくスプーンを包み込む。水流はスプーンの動きを止め、その動きを完全に封じ込めた。


「やった……!」


フェリエッタが喜びの声を上げたのも束の間、屋根から飛び降りた彼女は着地に失敗し、大きく倒れ込んでしまう。


「きゃっ……!い、痛た……」


尻もちをついたフェリエッタを見て、黒薙は呆れた様子で駆け寄る。


「全く、本当にあなたは無茶ばかりしますね。……ほら、立てますか?」


「す、すいません……。」


黒薙に手を引っ張られたフェリエッタが、ゆっくりと立ち上がる。彼女は恥ずかしそうに顔を赤らめていたが、すぐに水流の中に捕らえたスプーンを見せびらかす。


「……でも、これで全部回収できましたよ、唯月さん!」


黒薙はスプーンを受け取ると、トランクケースの中にしまった。カチリとケースに鍵をかけた彼女は、静かに頷いた。


「はい、“ティーセット”はこれですべて回収できました。任務はこれで終了しても問題ないでしょう。」


「やった!」


黒薙の言葉を聞いたフェリエッタが、勢いよく両手を上げて喜ぶ。立ち上がった彼女の横を、春の風が花びらを運びながら通り過ぎていった。


「……そう言えば、“ティーセット”は一体どこに向かってたんだろ?」


飛んでいく花びらを眺めていたフェリエッタが小さな呟くのを聞いて、黒薙が不思議そうに顔を上げる。


「……え?」


「発見者さんから逃げ出した“ティーセット”は、すべてこの辺りにいたじゃないですか。進んでいく方向も同じで、まるでどこかに向かっているみたいで……」


スプーンが進んでいた跡を追いかけるように、彼女の視線が小道の奥に向けられる。そこで彼女は一軒の古びたお店を見つけた。


「もしかして……!」


そこに並ぶ商品を見たフェリエッタは、大きく声を上げるのだった。




“スプーン”を捕まえた少女たちは、とある一軒の住宅を訪れていた。暖かい日差しの差し込む部屋の中にはもう一人、腰の曲がった高齢の女性が座っている。


女性は机の上に置かれたトランクケースを見て、大きく安堵する。


「私が失くした“ティーセット”、無事に見つかったのね。本当に良かったわ……。」


「はい、お婆ちゃんのおかげです。ご協力、ありがとうございました。」


満面の笑みで答えるフェリエッタを見て、女性は辛そうに表情を歪ませた。彼女は申し訳なさそうな顔をすると、小さく下を向いた。


「そんな……道端で見つけたその鞄を勝手に持ち帰った私が悪いの。中に亡くなった夫が昔大切にしていたものとそっくりな“ティーセット”があって、私、つい……」


震える声で語りながら、女性は深く頭を下げる。


「もとは“あなた達”のものだったのでしょ?……返します、本当にごめんなさい。」


謝罪する彼女に、黒薙は身体を乗り出すと穏やかな口調で話しかけた。


「いえ、お気になさらなくて大丈夫です。……それより、お湯も沸いたみたいですし、そろそろお茶をご一緒に飲みませんか?」


「え、ええ。」


「私、持ってきますね!……お婆ちゃん、台所をお借りします。」


フェリエッタは元気よく椅子から立ち上がると、台所の方に姿を消す。次に彼女が姿を現した時には、湯気をたてる “ティーポット”を持っていた。


フェリエッタは白鳥があしらわれた“ティーポット”のお茶を、子猫が描かれた“ティーカップ”に注ぎ入れると、亀を模した“プレート”に乗せて女性に渡す。


机には、リスの“シュガーポット”と牛の“ミルクポット”も置いてあった。


女性がティーカップのお茶を一口飲むと、ふわりとした香りとともに柔らかい味わいが口の中に広がる。その瞬間、彼女は驚きに満ちた表情を浮かべた。


「これ……夫が入れてくれたお茶の味と同じだわ。」


彼女は両手でカップを握りしめると、机の上にうずくまり、そっと涙を流す。


「あ、あの人、どこで買ってきていたのかも一言も教えてくれなかったから……もう飲めないと思っていたのに……どうして――」


泣き崩れる女性を、フェリエッタはそっと見守っていた。


「見つけて来てくれたんです……“彼ら”が。」


その手の中には、ハチドリが彫られた“スプーン”が優しく握られていたのだった。




女性の家を後にした二人はトランクケースを片手に、夕日に照らされた道を歩く。フェリエッタが手に持ったトランクを見つめながら、ぽつりと呟いた。


「お婆ちゃんの記憶、消えちゃったんですよね……。」


それを聞いた黒薙は、静かに返答する。


「ええ。“アイテム”の存在は、混乱を避けるために世間から秘匿されなければなりません。残念ですが、関係者の記憶は消すのが組織のルールです。」


「それでも……最後に飲んだお茶の味は忘れてないといいなぁ。」


「……そうですね。」


フェリエッタの呟きに、黒薙は小さな声で頷く。黒薙が隣で切なげに目を伏せているのに気が付き、フェリエッタはいたずらっぽく笑みを浮かべた。


「へぇ……それにしても、唯月さんも変わりましたよね。」


「え?」


「昔の唯月さんだったら、『任務外の勝手な行動は許されない』とか言って、最後にお茶なんて絶対に作らせてくれませんでしたよ。」


フェリエッタの言葉に、黒薙は少し動揺したように視線を逸らしてしまう。


「そ、そのようなこと…………無い、とは言い切れませんね。」


「ふふふ、あの時の唯月さん、もっと冷たい感じでしたもんね。」


「え……!フェリエッタ、そんな言い方は――」


眉をひそめて言い返そうとする黒薙をよそに、フェリエッタは嬉しそうに微笑みながら彼女の前へと駆け出す。


「でも、そういうとこも唯月さんらしくて、私、結構好きですよー。」


「フェ、フェリエッタ……!?」


顔を赤くした黒薙は、慌ててフェリエッタを追いかける。淡い夕焼けに染まった道には、二人の影が肩を並べて長く伸びていたのだった。




これは運命と選択肢に翻弄される、二人の少女の“始まり”と“終わり”の物語である。

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