第12話 絶体絶命
コカトリスの巨大な脚が、高々と頭上に振り上げられる。それは黒薙の首元に狙いを定めると、空気を切り裂きながら振り下ろされた。
「ぐっ……!」
間一髪で攻撃を避けた黒薙だったが、先に受けた攻撃の衝撃が彼女の全身をまだ蝕んでいた。足元がふらつき、片膝をつきそうになるのを必死に耐える。
振り下ろされた脚が地面にめり込むと、まるで大地そのものが避けたかのような巨大なクレーターを残した。その破壊力を目の前に、黒薙は奥歯を噛みしめる。
(……このままだと、まずい!)
黒薙はコカトリスから距離を取るために、素早く後方へと飛び退く。万年筆を構えた彼女の目には、冷静な光が戻りつつあった。
「“
彼女は手に持っていた万年筆を、滑らかに一振りする。空中に書き出された漆黒のインクの軌跡は、瞬く間に無数の小さな弾へと変化した。
「……行け!!」
その弾は黒薙の意思をくみ取るように、コカトリスに向かって一斉に放たれる。
インクの弾が着弾すると爆ぜるように飛び散り、黒いインクの飛沫が空間を包み込む。鶏の頭部を中心に塗りつけられたインクが、その視界を覆い隠した。
「今だ……!」
黒薙はコカトリスの巨体の影に、滑り込むようにして駆け込む。
万年筆の先端から放たれたインクが再び姿を変えると、黒い鎖の形を成す。その鎖は確実に捕らえられる隙を狙っていた。
「これで仕留める……!」
黒薙は低い息を吐くと、体勢を整える。彼女の目に迷いはなく、コカトリスの背後に回り込んだ瞬間に、一気に勝負を仕掛けるつもりだった。
――しかし、黒薙を待っていたのは鋭い蛇の牙だった。
コカトリスの背後に回り込んだ黒薙は、尾がある位置に生えた蛇の頭に襲われる。それは黒いインクで視界を覆われているのにも関わらず、正確に彼女を狙っていた。
「くっ……!」
黒薙は咄嗟に身を翻して牙を避けるが、蛇の頭は方向を変えながら彼女に襲い掛かる。それは、まるで本体とは意思を持っているかのようだった。
「“
黒薙は万年筆を振り上げて、インクの鎖を迫りくる蛇の牙に叩きつけた。鎖は甲高い音を響かせながら攻撃を弾き飛ばすと、反撃に転じるように見えた。しかし――
「
腕を力強く振り上げた反動で、黒薙の全身に痛みが走った。コカトリスの不意打ちで受けた傷が再び疼き、彼女の体力を無情に奪っていく。
後方へと大きく飛び退いた黒薙は、荒い息を整えながら痛みに耐えようとする。だが、その隙をコカトリスが見逃すはずもなかった。
――ドドドドドッ!!
巨体が大地を揺らしながら接近してくる。鋭い爪と翼を広げたその姿は、まさに圧倒的に暴威そのものだった。
「……しまった!!」
巨影に追い詰められた彼女は、笹平の残した最後の札を手に取る。
「
投げ放たれた札が、コカトリスの尾に貼りつく。次の瞬間には、鋭い稲妻が蛇の身体を駆け抜け、激しい痙攣を引き起こした。
しかし、コカトリス本体の動きを止めるには至らない。
翼を大きく広げた巨体が遂に黒薙の目の前に迫ると、その鳥脚が振り上げられる。その強大な一撃は、確実に彼女を捉えていた。
「“
黒薙は即座に万年筆を構えて、空中に盾を書き出した。インクで形成された盾が彼女の前に展開されるが、それすらも押しつぶさんばかりの勢いで脚が振り下ろされた。
「……くっ!」
激しい衝撃が盾を叩きつけ、その圧によって盾がひび割れていく。黒薙は目を見開きながら、全力で持ちこたえようとするが――
「うぐっ!!」
盾が砕け散ると同時に、コカトリスの巨大な脚が彼女の身体を押しつぶした。地面へと叩きつけられた黒薙の身体に、再び鈍い痛みが走る。
泥と枯れ葉が舞い上がり、彼女は苦痛に顔を歪ませたのだった。
「おやおや、もう終わりですか?」
黒薙とコカトリスの戦いを離れた場所で眺めていた月岡が、彼女が動かなくなるのを見ると嘲るように声をかけた。
彼女が声も出せないほど衰弱することが分かると、月岡はゆっくりと近づいてきた。
――ズズズッ
コカトリスは黒薙を押しつぶしている脚をどけると、尾についた蛇の頭を黒薙の腕に絡ませて、満身創痍の彼女の身体を宙に吊り上げる。
「……さて、そろそろ楽しい余興も終わりにしましょうか。」
月岡が満足げな笑みを浮かべながら、吊るされた黒薙の前に立つ。
「おっと、その前に――」
何かを思い出した月岡は黒薙の胸元に手を伸ばすと、彼女のスーツの中に手を入れた。その
「んっ……!」
黒薙は必死に身体をよじって逃れようとするが、彼女に抵抗できる力は残ってない。
「……ああ、ありましたね。これは返してもらいますよ。」
月岡がそう言ってスーツの中から取り出したのは、黒薙に奪われたステッキだった。嬉しそうに笑みを浮かべると、自分のローブにステッキをしまう。
月岡にステッキを持っていかれる様子を、傷だらけの黒薙はただ見ることしかできなかった。激しくぶつけた体が重く、少しでも動かすと鋭い痛みに襲われてしまう。
「はぁ……はぁ……」
何かを言おうとしても、口から出てくるのは潰れた呼吸音だけだった。
万年筆のインクカートリッジも、ほとんど残量は残っていない。彼女に抵抗する力はもう残されていないように見えた。
――それでも、黒薙は目を閉じなかった。
彼女は蛇に腕を縛り付けられた状態で、最後の力を振り絞って万年筆を握りしめる。
「……“
万年筆から溢れ出たインクは、鋭い針のついた鎖となって襲い掛かる。彼女の最後の抵抗を見た月岡は、悠然と防御魔法を展開する。――だが、狙いは月岡ではない。
インクの鎖は自在に動き回ると、コカトリスの腹部に突き刺さる。
――ギィアァァァ!!
突然の痛みに驚いたコカトリスは、大きく叫び声を上げながら仰け反る。黒薙の腕に絡まっていた蛇の頭も大きく揺れ、彼女は倒れ込むように地面に落ちた。
コカトリスの柔らかい羽毛に包まれた腹部に突き刺さった鎖は、赤い血を滴らせながら万年筆の中へと戻っていく。
(……これで笹平さんだけは助かるはず。)
万年筆の無くなったインクカートリッジの中には、コカトリスの血液が溜まっていた。ここから結成を採取できれば、笹平の石化は治すことが出来るはずである。
(あとは本部から送られてくる応援部隊に任せよう。)
応援部隊が万年筆の発信器を頼りにして、もうすぐ到着するはずだ。あとは彼らが何とかしてくれるはずである。
目的を達成した黒薙は、地面に伏せたまま静かに目を閉じた。
「……あなたを殺すつもりは、本来なかったのですよ。ですが、少々おいたが過ぎてしまいましたね。あなたには、相応の報いというモノを与えなくてはなりません。」
月岡の冷たい声とともに、コカトリスがその巨体を支えながら脚を高く上げた。その鋭い爪が、黒薙の心臓を狙い定める。
「それでは……これで終いです。」
コカトリスの脚が振り下ろされかけた、その瞬間だ。
『水泡よ、我が敵を貫け、“
誰かの澄んだ声が、辺り一帯に響き渡る。それと同時に、どこからともなく飛んできた水の弾が、コカトリスの胴体に命中した。
「……え?」
黒薙は息を切らしながら目を見開く。驚いて視線を声の方へと向けると、そこには白く輝く髪をたなびかせながら杖を構えた一人の“少女”が立っていたのだった。
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