桃吉と守護霊

夏川諦

第1話

 昔々、お爺さんとお婆さんが住んでいました。ある時、お爺さんは山へしば刈りに、お婆さんは川へ洗濯に行きました。お婆さんが川で洗濯をしていると川上からどんぶらこどんぶらこと大きな桃が流れてきました。お婆さんは最初、得体の知れない桃を警戒しましたが、桃がお婆さんの前を通り過ぎてしばらくして、お婆さんは桃を追いかけて拾い上げました。

 お婆さんが桃を家に持ち帰り、お爺さんと一緒に桃を割ると、桃の中から赤子が出てきました。赤子は泣いていて、身を震わせています。お爺さんとお婆さんはその赤子に桃吉ももきちと名付けて大事に育てることにしました。


「桃吉、桃吉、桃や」

「なんだよ。うるさいな」

 声は僕に話しかけてきたが、僕はぶっきらぼうに返事をした。

「桃や、お前いくつになった?」

「十歳」

「十歳になったか。桃や、ではお前にはあることを話しておかないといけない」

「あること?」

「お前が大人になった時に、お前はある試練を受けなくてはいけない。それはお前の宿命なのだ」

 声はそう言うと、しばらく沈黙した。僕は家の居間の真ん中で寝っ転がりながらテレビを見ている。バラエティ番組をやっていてお笑い芸人が面白いことをしているのをただ眺めていた。声は続けた。

「お前は桃吉だ。だから将来、鬼退治に行かなくてはならない」

「鬼退治?」

「そうだ。鬼退治とは鬼をやっつけることだ」

「やだよ、鬼なんか。怖いじゃん」

「その通り、鬼は怖い。わしも鬼退治をしたことがあるが、大変ひどい目にあった。お前にはあんな目にはあってほしくない」

 テレビの中のお笑い芸人の頭の上からタライが落ちてきて、芸人の頭に当たる。芸人は大げさにこけて、そこに機械的な笑い声が差し込まれていた。

「それにお前は大変臆病な子だ。お前みたいな臆病な人間に鬼退治は無理だ。だから鬼退治には行くことになっても行ってはならぬ」

「うるさいなぁ。守護霊様がそう言うなら行かないよ、僕」

「そうだ。行ってはならない。鬼退治など。あれはめっぽうひどいものだ。何も得が無い」

「守護霊様が鬼退治に行った時はどうだったの?」

「うむ。まず鬼ヶ島に船で出かけていった。嵐で三日三晩荒波に揉まれて、犬と猿とキジが海に投げ出されて死んだ。わしはなんとか生き残ったが、鬼ヶ島に着くころには満身創痍であった」

「……」

 僕は守護霊様が言うことを黙って聞いていたが、なんとも鬼退治というものはひどいものだと思った。まだ続きがあるのが信じられなかった。

「ぼろぼろになりながら鬼ヶ島に着くと、鬼達がやってきたわしを取り囲んだ。鬼達は金棒でわしをめった打ちにしてきて、わしはその海岸で息絶えたのじゃ」

「そんな、ひどすぎる」

「そうだろう。ひどいだろう。わしは自分で言うのもなんだが、あの時代の中では勇敢な人間の方だった。そのわしがこの有様になっているんだから、臆病なお前にはとても無理だ。だから鬼退治には行ってはならぬ。お前じゃだめだ」

 家の中にチャイムの音が鳴り響いた。僕は起き上がると家の玄関まで駆けて行った。玄関のドアを開けると友達の猿島と犬田がいた。

「よう、桃吉。相変わらず冴えない顔しているな」

 猿島はそう言って笑うとずかずかと家に上がり込んできた。

「桃ちゃん、お邪魔します。ひひ」

 犬田は猿島の後ろに付いて家の中に入ってきた。

「また君たちか。よくもまぁ毎日人の家に上がり込んでくるよな」

「桃吉の家のきび団子は美味いからな。婆さんはいないのか」

 猿島はそう言うと、きょろきょろと家の中を見た。

「お婆さんは今、スーパーに行って買い物をしているよ」

「爺さんは?」

「お爺さんは町の役員会があるとかで家を空けているよ」

「なんだ、それじゃあお前が家に一人だけか。きび団子食わせろよ」

「はいはい」

「桃ちゃん、悪いねぇ。ひひひ」

 僕は台所に行くと冷蔵庫を開けて中に入っていたきび団子ののった皿を取り出した。居間にいくと丸いテーブルを猿島と犬田が囲んで座っていて、2人はテレビを見ている。

「こんな連中に馳走などせんでもいい」

「わかっているよ」

 守護霊様は僕にそう言うが、馳走を出さないとこいつらはうるさくなることを僕は知っていた。せっかく家でテレビを見ているのにガミガミうるさいのが守護霊様以外にも増えてしまったら僕の休日が台無しになってしまう。だから馳走を出すぐらい別に何ともなかった。

「おい、桃吉。何がわかったんだ?」

 猿島が丸いテーブル越しに俺に言ってきた。

「別に」

「桃ちゃん、独り言すきだねぇ。ひひ」

 犬田は相変わらずよだれを垂らしながら薄気味のわるい笑いを浮かべている。

「ほら、君たちの好きなきび団子だぞ」

「待ってました!」

「桃ちゃん、ありがとぉ」

 猿島と犬田はそう言うときび団子を手に取りがつがつと食らいついた。その様子を見ていると僕は動物が餌を食べる風景を連想した。もちろんこいつらにそんなことは言えないが、こいつらは僕と比べると多少、動物的な所が多い。食欲、乱暴さ、粗雑さ。僕みたいな繊細な人間がなぜこんな連中と友達でいるのか、僕にも不思議だった。

「この間、中島先生のやつがよぉ」

 猿島はきび団子を食べながら学校の教師である中島先生の話を切り出した。中島先生は僕たちのクラスの担任だった。

「俺がテストでカンニングしたって言ってよぉ。ゲンコツなんてくれやがったんだぜ」

「ひひ。ゲンコツで済んでよかったじゃない、猿島くん」

「犬田てめぇ! 俺が痛い思いして良かったってのか?」

「ち、ちがうよぉ。そんなこと言ってないよぉ」

「ち。カンニングしたのはそうだけどよぉ。ゲンコツくれることねーじゃねぇか。なぁ桃吉?」

「うーん。僕もゲンコツで済んで良かったと思うよ。停学とかになったらいやじゃない」

「ち。お前もかよ。たくよぉ」

 猿島はそう言うとごろんと寝転んでテレビを見続けた。テレビでは相変わらずお笑い芸人が面白いことをやっていた。なぜかお笑い芸人達は全身まっ黄色になっている。

「この猿島ってやつは、本当に乱暴な人間だな」

 守護霊様はそう言うと下あごを撫でるようにした。

「よし、腹ごしらえもしたし、チャンバラでもやるかぁ」

 猿島はそう言うと立ち上がった。犬田はびっくりしたような顔をして猿島に言った。

「猿島くん、ご飯食べたばっかりで運動したら、身体に悪いよぉ?」

「うるせぇ! 犬田、まずは俺の相手はてめーからだ。さっさと枝を拾って来い!」

 犬田はしょげた顔をして居間から家の庭にでると、木の下に落ちている枝を二本拾って猿島の元に戻ってきた。

「またチャンバラかよぉ。僕、苦手だから嫌だなぁ」

 僕はそう言うと眉間にしわを寄せて猿島に言った。

「ばかやろう、男は腕っぷしが一番だ。腕っぷしが良くなきゃ女にだってモテない。さぁこい犬田!」

 猿島と犬田は庭に出ると、犬田がへっぴり腰になりながら猿島に面を食らわせようとした。だが猿島はそれをさばくと犬田の腹に胴を入れるのであった。犬田は猿島に胴を食らうとその場にへたりこんだ。

「どうしたぁ、犬田ぁ。そんなもんか、だらしねーな」

「ううー、ううー」

 犬田はうめき声を上げながらよだれを垂らしている。

「次、桃吉! 来い」

 僕は犬田の元から枝を拾い上げると、猿島の前に出て構えた。すると守護霊様が言った。

「構えがなっちょらん。もっと剣先を下げろ」

「へっぴり腰だ。腰を入れろ」

 守護霊様はそんなようなことを僕に言い続けた。僕は守護霊様のアドバイスが耳障りでちっとも気が乗らない。耳元でこんなことを言われてまともに戦おうというのがおかしい話だ。そんなことを考えていると猿島が飛び掛かってきた。

「食らえぇ!」

「あぶないぞ、右に避けろ」

 僕は左に避けようとしていたが、守護霊様のその一言につられて途中で体を変えて右に避けようとした。だが、間に合わずに猿島の面をもろに食らってしまった。僕は頭を押さえてその場にうずくまる。

「はは、桃吉もよわっちいなぁ。なんでそんなに剣が下手なんだ?」

 猿島はそう言うと勝ち誇ったような顔をして僕に言ってきた。僕はカチンと来てつい言ってしまうのだった。

「守護霊様のせいだよ。この人がさっきから耳元でうるさいんだ」

 猿島はポカンとした表情で僕を見てきた。僕はしまった、と思った。

「守護霊? 守護霊の声を聞いてるのか? 桃吉よ」

「そうだ」

「ははは、そういうのオカルトって言うんだぜ」

 猿島はそう言って笑った。

「俺に敵わないからって守護霊なんかのせいにして、だらしねぇやつだ」

「違うよ、僕は剣はほんとはうまいんだ。それを守護霊様がさぁ」

「なんだ。わしのせいにするのか、桃よ」

「うるせえ! お前は俺に負けたんだ。いさぎよく負けを認めな」

「ちょっと、守護霊様、今は黙ってて」

「……桃吉、お前、ほんとに守護霊と話をしてるのか?」

「そうだよ。何度も言ってるだろ」

「桃吉、お前……」

 猿島がそう言い終わると、居間からお婆さんが声をかけてきた。

「桃吉、いま帰ったよ。なんじゃ、お友達かい」

「お婆さん! こんにちは!」

「おじゃましてますぅ。ひひ」

 猿島と犬田はそう言うと、お婆さんに挨拶をした。

「お婆さん、きび団子、ご馳走になりました! おいしかったです!」

 猿島は枝を捨てて威勢よくお婆さんに話しかける。猿島は僕のお爺さんとお婆さんには敬語を使うのだった。僕はそれを聞いていると、猿島はほんとに人によって態度を変えるやつだなぁと思うのだった。犬田も例外じゃなかった。

 猿島はお婆さんに走り寄ると何かを耳打ちした。するとお婆さんがぎょっとした顔をして僕を見てきた。僕はああ、猿島のやつ、余計なことをと思った。

「これ、桃吉や。こっち来なさい」

「なに? お婆さん」

「守護霊と話が出来るってのはほんとかい?」

「えーと、はい。ほんとです」

「いつからだい?」

「昔からです」

「そうかえ、お爺さんにも話さないといけないね」

 お婆さんはそう言うと神妙な顔をしながら台所に消えていった。猿島と犬田は気が済んだと見えて、家からいなくなった。夜になりお爺さんが帰ってくると、お爺さんとお婆さんが話し合っているのが台所から聞こえてきた。するとお爺さんが僕に言った。

「これ、桃吉。明日の学校は午前は休みなさい。連れていくところがあるから」

 僕はそれを聞いて「しまった」と再び思った。猿島のやつがお婆さんに僕の守護霊様のことを言ったせいで、やっかいなことになったなぁと思うのだった。

「ははは。桃や、明日はどこに連れていかれるんだろうなぁ?」

 守護霊様は呑気そうにそう言うと笑った。

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