第2章:第2節|城下町の夜

 一日城に閉じこもっていたが、進展はなかった。

 夜の警備を代わろうかとも訊いて回ったが、どうやら朝のメルトリオット通りでの対応が広く伝わっていたらしく、仕事熱心な団員たちに「ただ見回るくらいは自分たちでやります」と背中をせっつかれ、フェリアルは帰宅することになった。

 そんなわけにしてフェリアルは今、腰から剣を提げ、革鎧に身を包み、メルトリオット通りを進んでいた。通りの左右とわずかな会釈だけを交わし合い、今日は報告も発表も無かったが、今朝以上の嘆きを受けることもなかった。

 メルトリオット通りの朝市は、夜になると一変する。

 屋台に並ぶは食品であれど、生や新鮮さが売りなものたちではなく、加工された提供品となる。おまけに酒類が付いてくる料理に。要は、飲み屋街になるのだ。

 飲食の提供自体、元々は、入荷物が大量に余ったり腐ったりするくらいなら、別の物にして出してしまおうという考えで市場人たちが始めたものだった。メルトリオットでは、今ではすっかり、定石の店舗運営方式となっていた。

 昨日から今日にかけては、流石にそんな気分になれる者は少なく、今もその活気は戻り切っていない。開いてる店はあるにはあるが、その客足は、常日とはほど遠い数だ。一定の間隔を空け、立っていたり歩いていたりする警備兵に敬礼を交わしつつ、フェリアルは帰るつもりでいたところ、

「フェリアル!」

 聞き覚えのある声は、フェリアルが最も様子を見ておきたいと思っていた出店から聞こえた。朝には組み立て、無数の商品が積み並べてある簡易陳列の屋台も、この時間には脇に畳まれ、今日は閉まっているが、隣の店との区切りのようにしてある。その内側から、こっちを向いて手を振る小柄な女の姿があった。店主もフェリアルに気付くと、少なからずわびしげな表情で、フェリアルと会釈を交わした。

「お城じゃ会わなかったけど、今日も出勤だったんだね」

「言ったでしょう、ペノン。この事変が収束するまでは、休む気はないわ」

 勧められるまま椅子に腰掛ける。剣と鞘が、小さく音を立てた。

「ラントさん」

 ふすがおというべきか、小難しい顔の店主のチャーグの父親は、元々そういう顔であるというのを知らなければ、常に威圧的なおっかない親父のように、見られる。若年の女が声をかけるには、顔見知りでないのなら、多少の勇気を必要とするだろう。その顔がいつもよりも寂しげな理由は、フェリアルもよく分かっている。

「……あの娘がいないと、やっぱり寂しいよ」

 その声は低く、寂寥以上のものを秘めていた。チャーグの母親は、随分昔に他界している。言葉にすると思っていたよりも強く、自意識に作用したのだろう。妻も娘も失った男は二人の客から顔を背けると、鍋の中身をひたすらに回し始めた。

 フェリアルの隣で、ぺノンは小さく息を漏らした。

「……進展はあった?」

 ペノンは同期だったが、年齢的にはフェリアルよりも下である。人懐っこく純真無垢そうなその顔立ちは、まさしく性格までも現している。気を遣ってか、たぶん昨日もここにいたのかもしれない。そして明日も。

「進展は……まだ、微妙」

 あまり答えを濁したくはなかったが、娘を失った父親の手前、嘘は言いたくなかった。進展があったわけではない。が、終決したわけでも後退したわけでもない。

 城を出る前から、通りを歩きながら考えた。

 ただの予測だが、なにか、誰かの意図は必ずある。自分の思考に度々現れる謎の不具合﹅﹅﹅が、それを証明するはずだと確信があった。事故であろうと、事件であろうと、この事変﹅﹅は人為的なものだ。

 肉のスライスを口に運びながら、ペノンは言う。

「わたし考えたんだけどさ……ラトに連絡を取ってみるのはどう? 少なくとも、生きているか死んでるかどうかは、分かるんじゃない?」

 ペノンは良い子だ。純真無垢で、愚直で、影響を受けやすい。その全てが褒め言葉になるほどの良い子だが、まだ少し未熟だった。残された者を慮ってか、小声で言うということまではできていた。フェリアルは、そっぽを向いてても聞いているのであろう、チャーグの父親に向けて喋るつもりで、言葉を選びながら話す。

「……霊の国には、外交部が書状を送ったわ。数日以内に返答があるかも。それは期待して良いかもね」

 これまた真偽の混じった答えであった。霊の国・ラト——通称『ラト霊園』に、書状は確かに送ったが、それが200人の生死を尋ねるものであったかまでは、フェリアルは知らない。

「それは期待して良いかもね」

 未熟さの証明か、酒ではなくジュースを飲みながら、ペノンは納得したように、満足げに頷いた。そしてその言葉は、娘を失った父親にも届いていた。

「……今日は、なにか食べていくかい?」

 家に帰れば、祖母が夕食の準備をするだろう。しかし絶対ではない。勤務によっては帰りが遅くなったり、帰れなくなるかもしれない、とは言ってある。副騎士団長として、幼馴染のよしみとして、あくまでいつも通りを努めようとする、友人の父親の誘いを断る理由は、なかった。

「いつものをください」

 ささやかな注文だ。

 四人でここに来るときに、いつも頼んでいたものを。





 しばしの、時間が経った。

 滅多に酒を飲まないフェリアルは、酒が飲めない年齢のぺノンに合わせて、互いに食事だけを楽しみつつ、徐々に明るさを取り戻した店主との談笑に浸っていた。

 二時間そこらか、ペノンの料理長への愚痴がエスカレートし、「メシが美味くなる秘技を教えてやるから見返して来い」と、カウンターの内にまで入ったペノンが店主とあれやこれやと騒いでいるのを見ていると、客が一人、ぺノンが座っていた隣に腰掛けた。

「いらっしゃい」

 気付いた店主はぺノンをさておき、歓迎する。

「……『太陽色の茶ペンネルオドリア』を、一つ」

 麻色の古い外套を纏った、若い男の声だった。フードと首巻きで顔はよく見えないが、静かで低く、重さのある声だった。

 注文を受けた店主は、奥へ。残されたペノンとフェリアルは、互いに顔を見合わせ、肩を竦めた。

 久方振りか陽気な気分であったし、店の客は二人にとって、無類の歓迎の対象であった。

「お兄さん、珍しいのを頼むね」

 店主が奥へ行ったのを見届けると、ぺノンが話しかけた。

「…………」

「そのマント、暑くない?」

「…………」

 再び、顔を見合わせる。

 時々、シンカルン王国には人間以外の種族の者が来訪する。シンカルン王国に居住する者はほぼ人間だったが、それは種族ごとに、生息の「適性環境」というものがあるだけで、行き来自体は特段、法で禁じられているわけではない。

 ただ、目立つ。

 竜人リザード地人ドワーフはその背格好で遠目から分かるし、幽霊ゴースト人魚マーメイはそもそも地上を歩けない。

 故に、その全身を隠す者もいる。それも別に、法では禁じられていない。

 個々人の事情があるのだろう。それも、この二日を思えば特に。

太陽色の茶ペンネルオドリアだ」

 店主が戻ってくると、紅色の液体の入ったストレートのグラスが一つ置かれた。男は銅貨を一枚出すと、その中身を一気飲みする。フードが深過ぎて、口もとさえ見えなかった。一度フードに入れ込んだようだった。それを見ているとフェリアルは、そろそろ帰ろうかと考え始めた。夜遊びが禁じられているわけではないが、明日のことも思えば、そろそろ良い時間だ。

「ありがとう」

 フェリアルが財布を出そうとする前に、外套の男は立ち上がり、出て行った。

「なんだったんだろう? 喉だけすんごく渇いてたとかかな?」

「さあ……。そろそろ行くわね」

 銀貨を7枚、店主に渡す。

「……多いぞ」

「色々、です。お礼とかお詫びとか」

「若人が気を遣うな。なんなら、娘の友達料金だ。いくらでもいいんだ」

「精神安定のために、過剰な手間を使っているだけです。どうかお気になさらず。こちらも気にしませんので」

 これ以上なにかを言われる前に、フェリアルは一礼し、手を振ってから店を後にした。

 朝から晩まで働くのは苦じゃないだろうけど、今まで二人だったのが一人でとなれば、それは辛いはずだ。肉体的にも精神的にも。しかし休むほどの贅沢はできないから、夜も店を開けている。そんな店主に、最低限の金だけ落とす、なんて真似はできなかった。フェリアルは貴族ほどの金持ちではないが、祖母との二人暮らしに、金銭の心配はないのだ。祖母は祖母で、騎士団長を務めたときの貯蓄と、国から直接の支給対象となる年金が、今も入り続けている。今お金が必要なのは、明らかにラント家の方だ。その手間を惜しむ気はない。どうしてもと言われれば、チャーグが戻ってきたら、そのときに返して貰えば良い。事変の処理もできないような騎士団員が善良な市民から税金以外の金銭を授与、というのは、それがたとえ正当な権利であったとしても、フェリアルの美学には反している。

 娘のことで必死な父親に「いくらでもいい」などとは、言わせるべきではない。

 城門が迫る。

 まだ灯火の残った街灯が、城下町に住む者たちの強さを物語る。通って来た道を振り返ると、先がどこまでも長く続いているように、淡い橙色の光が続いていた。その中に、まだ護るべき者たちがいるのだ。その外にも。人通りはいつもより少なくとも、いずれ盛大なお祝いができるものだと信じて。

 フェリアルは思う。

 この夜を覚えておく。それがまた、これから先の力になるのだろう。

 人の力で、私の力だ。

 腰から提げ——「ナっ——!?」

 突然誰かに抱きつかれ、そのまま路地へと押し込まれた。

 街灯の遮られた暗闇に入り、悟る。この場を通るのを待たれていた﹅﹅﹅﹅﹅﹅

 フェリアルは、正面からタックルを続けてくるその者の、その腹を思いっ切り蹴り上げる。相手は「ヴっ!」と声を漏らした。その拍子に離され、フェリアルはそのまま退がると、剣を抜いた。

「誰だッ!?」

 誰かは知らないが、その姿は知っていた。さっきの、麻色の外套の男だ。

 あれは謂わば、フェリアルの下見﹅﹅だったのか。左手にあった剣を両手で握り直すと、フェリアルは鋒を下に向け、いつでも飛び出せるように構えた。

 男はその腹を手でさすりながらも、フェリアルと正面から向かい合う。

 もう一度訊く。

「何者だ?」

「……フェリアル・エフ・マターナだな。第一副騎士団長の……」

「身分を訊いているのはこっちです。お前はなんだ? 外套を脱いで、両掌を地に向けなさい」

「聴け。例の『白い光線﹅﹅﹅﹅』の話だ」

 目を細める。

「……なにか知ってるのですか?」

「知っている者を知ってる」

「詳細を言ってください」

「今は、ダメだ」

「……どういうつもりですか?」

「それを知る必要があるかは、知っている者が知っている」

「わけの分からないことに、付き合うつもりはありません。今この場で斬り伏せても?」

「止めておけ。無益な殺生に、したくない」

「ここに連れ込んだ理由は?」

「……公平フェアにいこうと思ったからだ」

「普通に声をかけるのでは、ダメですか?」

「今それを説明しても、貴女は納得しないだろう。しかし、最終的には。どうせこうなったと思われる。これに関しての、非礼は詫びる」

 声は低いままであったが、その言い方には、悪意はないように感じた。フェリアルは剣を構えつつも、肩の力を少しだけ抜いた。

「……どうすれば?」

「『ケルケル』、という店を知ってるか?」

「ケルケル? 知らないですね」

「シンカルンを南下した先、一キロほどの丘にある酒屋だ。流通関係者がよく通る馬道の、ちょうど脇にある小屋のような店だ。明日の暮れ時、一人で訪れてみろ」

「……何故? そこではなにがあるのですか?」

「行けば分かるだろう」

「騎士団を連れて行くと言ったら?」

「……答えは闇の中——いや、陰の中だ。そしてシンカルン王国、ひいてはウェルド大陸全域に、災厄が訪れるであろう……」

「何故、私が?」

「お前が最も、適任である……」

「具体的に」

「……性格の問題だと、言っておこう」

 なんだか、馬鹿にされている気がした。

「貴方は誰です?」

「名も無き協力者だ」

「その名くらい、明かしなさいッ!!」

 フェリアルは前に飛び出たが、外套の男は早かった。バックステップで通りに出ると、なにをどうやってか、ひと瞬きの隙にその姿を消した。

 人通りはさほどなかった。通りに出てきた、剣を抜いたマターナ副団長だけが、残される。

 視野を一周し、視線が痛くなる前に剣を納めると、フェリアルはそのまま、今のことに考えを巡らせる。

 人為的であるという想定は、正しかった?

 しかも、自称「協力者﹅﹅﹅」がそれを知っている。聞いたことが正しいのであれば、少なくとももう一人、「知っている者」がいる、らしい。

 満腹な食後のボヤけた意識は、もうどこかへ行ってしまっていた。

 ただ突っ立っているフェリアルを見て、通りすがりの市民は困惑している。遠くで警備兵たちが、ひそひそ話をしている。

 今は帰ろうと、足を城門の外へ。

 なんとなく、今日はこのまま何事もなく帰れるだろうと感じていたが、今夜すぐに眠れるかの確証は持てなかった。

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