第1章:第3節|粗探し
ペノンと別れ、二人で廊下を進む。
「ウチの師団長、やっぱ敏腕だよねぇ」
受け取った報告書を見ながら、ヴァシーガは言った。
……言ったのだが。
報告書には、議会での推定で聞いたことと同じようなことしか……要は、大したことは書いてなかった。
巻き物一つで済む報告書。
有事のまだ早い段階では、よくあることだ。
元来、幹部階級者にしか見せるべきではないだろうが、トーウェンタリス師団長はヴァシーガが見ることも見越して、報告書を目の前で手渡したのだろう。
見たとて、だったが。
ただ「敏腕」という点は正しく、要点は的確に押さえた箇条書きの情報群は、持っていて損はないだろうと、ヴァシーガに返してもらうとフェリアルはポケットに納めた。
「でもほんと、師団長は露骨に、マターナ第一副団長がお気に入りなんだよ。今朝なんて、師団棟にいたときピリついてたんだから……」
「そうなの?」
「第四師団は、師団長と副師団長がピリついてるからね。いつもそう」
「そうだっけ?」
「外からじゃ分かんないようにしてんだよ、そりゃ。
『
知識の収集者。知恵の探究者。傲慢不遜は、
ちなみに、『騎士は折れないから』という
「なら聞かないようにする。16時までにひと通り調べなきゃ行けないわね」
「丁寧だったけど荒波みたいだよねぇ。油断したら色んな意味で呑まれそう……」
あとは、言葉は要らなかった。
二人は少し早足で向かう。
現場調査だと告げると、警備員は近くにいたもう一人の
「第三師団のヤンドール・ワイ・グレアットです。師団長に『調査に行け』と言われて来たのですが、第二魔法師団の方々に、『権限が無いと入れない』と言われまして……よければ、ご一緒しても良いですか?」
適度に長いブロンドヘアをポニーテールできっちりに結んだ、細いフレームの眼鏡の奥が妙に鋭い、厳格そうな印象を持つ
「知り合い?」
印象としては真逆のヴァシーガに訊くと、
「たしかに、第三師団にいたよ。何回か見たことある」
と。身分は保証できるらしい。
「警備の方にも確認はしてます。あとはもう『権限』だけなのです」
警備の顔を見る。こっちの顔は知っていた。第四騎士団の者が二人。
「副騎士団長権限で、どうでしょう?」
「どうぞ」
話が早い。
「ありがとうございます」
ヤンドールの御礼を受け、三人は部屋の中へ。
ベルテン卿の執務室は明瞭に、慌てて出払ったような部屋だった。
倒れた実験器具が幾つか。乱雑に積まれた本が沢山。焼け焦げた紙束と、箱に詰め込まれ溢れた巻き物が複数。
「よくある
ヴァシーガが言うと、ヤンドールも言った。
「これ以外は、ですね」
部屋の真ん中に置かれた、木枠の台車。本体がなにか特別そうには見えないが、ここにこれだけあるというのは、なにか特別な意味がありそうだ。
「日常的に、台車だけ部屋の真ん中に置いておく、はおかしいよね」
ヴァシーガはフェリアルを見たが、フェリアルも見た以上の情報は思い浮かばなかった。
「フェリアル……大丈夫?」
黙ったままなのが、不安にさせたらしい。チャーグのことも知っているからより一層心配なのだろう。
友人を失った、という仮の事実は、そこそこ辛いことだ。だが、これでも副騎士団長。見合うだけの仕事と経験を積んできた。悲しみに暮れることは後回し。市民が200人消えたことの方が、大問題だ。
「『白い光線』の分析結果は、なにか聞いてない?」
フェリアルはヤンドールに尋ねた。彼女もなにかの報告書らしき紙を手にしていた。関係なかったとしても魔法師団員だ。なにか知っていることだろう。
「いえ。……というよりも、分析する対象の痕跡が何も無い、という方が正しいかと。一応の報告は上がってますが、情報は皆無に等しいです」
ヴァシーガも続いて。
「壁も床も?」
「庭も外の城壁も、そしておそらくメルトリオット通りも、です」
…………つまり、
「生命だけを消滅させる、なんの痕跡も残さない『白い光線』」
ヴァシーガはそう纏めた。フェリアルは訊く。
「
二人の
「光魔法なら、ある……っちゃあ、ある? ……かも? ……ただ、魔力の痕跡が残らないってのは……」
「要素で分解して……いやでも、光と熱を生命が接触するまでの間を、断続的に再構成……」
専門的な話に際しては、フェリアルには未知の話だ。
「……いっそ、生命概念の枠を組み出しての可能性は……ないしね」
「
顔を上げた二人は、首を横に振った。
「あんまり、現実的じゃないかも」
「少なくとも、私たちの知っている『魔法』の類ではないかと」
フェリアルは訊く。
「ならもう一つ。『人間』と『生命』は魔法的に……なんていうか、『
答えたのは、ヤンドール。
「……ええ。そうです。生命概念全てなのか、それとも人間なのかは、魔法を構成するときの『
じゃあさ——と、ヴァシーガ。
「消失したのは市民だけ? 他の生物は? ネズミとか猫とか鳥とか虫とかの報告は?」
「さあ……。可能性としてはありますが、それでもやはり魔力の痕跡が残ってないのは……。全員人間以外だけに注目していた、みたいなことは、たぶん無いと思われます」
たしかに動物やらペットやらの話は……現場でも議会でも、無かったと思う。
「消えたのは人間だけ……」
あくまで仮定だが、フェリアルがそう漏らすと、
「他の国からの宣戦布告、ってこと?」
ヴァシーガは露骨に、懐疑的なる疑問を口にした。
「人間に恨みのある種族からの、古代兵器を使った先制攻撃! みたいなこと?」
そう続けたヴァシーガだったが、
「可能性があるとは……思えませんね」
と、ヤンドールは言った。
そう。
わざわざ平和を断ち切ってまで、シンカルンを攻撃する理由……。しかも、城の中から……?
違う情報を尋ねてみる。
「ベルテン卿は、そもそも人間?」
フェリアル自身が会ったことはないけれど、同じ
「のはず。見た目は完全に人間だったよ。何回かしか会ったことないけど」
「私も、見たことだけはあります。『
「
「ベルテン卿に関連する有名な魔法と言えば?」
「……『
「たしか、記憶によると……そうですね」
ヤンドールもやっとかっとで、頭を押さえながらも言った。
「『
「媒体向けの
「もっと具体的に、なにができるの?」
今度はヤンドールが答える。
「膨大な情報量を、ある程度まで
…………。
「その記録術が
ヴァシーガはそう言うが、
「可能性は低い」
「その『なんやかんや』が、たぶん重要かと」
フェリアルもヤンドールも、肯定的ではない理論だった。
もっと、アイディアが欲しい。
「……仮に、ベルテン卿じゃないとしたら?」
ヴァシーガが、慎重に疑うように訊き返す。
「……他に、誰が?」
「たとえばの話で」
「なら、身内の犯行?」
「そうかも?」
ヤンドールも、
「単純に、実験に失敗したとかは、どうでしょう?」
「メルトリオット通りに、恨みがあったとか?」
「城の誰かを——例えばお二方を狙った、とか?」
「王族の……は、やばい。非国民になっちゃう」
交互に意見をあげるも、
…………。
城の警備は万全だった。
警備兵も「怪しい人物は見かけなかった」と言った。
にも関わらず、発生源は城内だった。
……それも、魔力が残っていない。
「——魔法じゃないとしたら?」
きょとんとした顔で、ヤンドールとヴァシーガは訊き返した。
「それは……例えば?」
「他の国とか種族の隠された力、みたいなもの?」
噂はその名の通りで、よくもある話だった。
関係性が悪くないとはいえ、各国の交流が少ない以上、互いの種族に疑念は尽きない。シンカルンだってなにか隠していると、常々思われていることだろう。
全ての国に、その国特有の知られざることは、一つや二つ当たり前だ。
言いながら、ちょうど良い話を思い出した。
「半年くらい前にあった『
「…………あったね、なんか。なんだっけ——『
「ありましたね、そういえば」
言ってしまえば、
——光?
ヤンドールも勘付いていた。
「……あの女の子、今どうしてるんでしたっけ?」
ヴァシーガは言う。
「……王城の外塔にいるんじゃなかった? 北の2番か、3番に」
3人で顔を合わせる。
「会いに行こう」
「無理だな」
廊下で会ったダクード・ディー・ベルッツ第一騎士団長は、3人の話を聞くと、端的にそう言った。
本人は冷たい男ではなかったが、冷たい態度を取りがちな男ではあった。
「というか、意味がないぞ。『
「……その報告、聞いたことないですね」
フェリアルが言うと、
「そりゃ、国の管理下で市民が死んだってのは、公にするにはあまりに
団長はそれだけ言うと、3人と入れ替わりでベルテン卿の部屋へ向かった。
「振り出しだねぇ〜」
ヴァシーガはそう言ったが、
「いや。良い線は行ってると思う」
フェリアルは首を横に振った。
「どういうことでしょう?」
ヤンドールが首を傾げる。
「『
「どうやって?」
ヴァシーガは気の抜けた声で言った。フェリアルは答える。
「図書室よ」
シンカルン王城の、半地下に造られた巨大な図書室。
一階の一部と地下一階を大きくとって拵えられた、数万冊以上の分厚い本の群集が置かれた、情報資料庫。
一介の
「広いですね」
初めて入るのだろうヤンドールは、感嘆の声で二階や三階までもを見上げる。
「これほどまでに情報が多い場所も、なかなか無いよねぇ」
ヴァシーガは、首から下げた入館証に触れながら言った。フェリアルも来るのは久し振りだ。
ヴァシーガとヤンドールの入館証は、
発火性の魔法や破損を防ぐため『
窓のステンドグラスからは、昼間の太陽光が差し込んでいた。図書室はかなり明るい。本の日焼けが心配になるが、この空間では対処済みなのだろう。
「探すのは、歴史と種族と、あとは伝承関係。向こうの棚よ」
正直、無駄足になりそうな気もしていた。
城外の調査は、近隣住民の暴動や事故を防ぐため、第二騎士団から第四騎士団が現場保全の警備を担当し、魔法師団がメインとなって調査を行なっている。城内のベルテン卿の部屋は封鎖され、城にさえいればいつでも調査できる。
第一騎士団の他の団員は、城自体の警護をしている。たまたま「はぐれ者」の状態になった三人は、情報収集と可能性の模索以外に、できることはなかった。
書棚は歴史だけで2つ、種族だけで6つあった。
「もしかして……」
ヤンドールの言葉に、フェリアルは苦笑する。
「そう。片っ端から」
団長は別れ際に、一通り見たら情報交換をしようと言っていた。
待ち時間は、長くかかりそうだった。
「キーワードがわかってるから、ある程度は調べやすいですよ」
知識と法則の研鑽者である
「目次を見て、『白い光』に全く関係ないと思われる事項は
こういったことは、師団でも時々することです——と、積み上がった本に囲まれて、今は大判の「フィーレイ大樹林の通り方」を捲っているヤンドールは、フェリアルの顔を見ずにそう言った。
「その通りなのさ。えっへん」
と、ヴァシーガもページを捲りながら言った。フェリアルは、そのくらいはご存知だった。「サザの伝統篇集」を閉じると、ひと息吐く。
「なにか、ありましたか?」
顔を上げたヤンドールに、フェリアルは首を振った。
「
「こちらも似たようなものです。しかし『白い光線』は、どうも自然や環境由来のものではない気がしますね」
バタン、と本を閉じると、ヤンドールは次の本を手に取った。かなり薄い本で、「異種族間交配録」と書かれている。やたら淫靡に見える表紙だ。
「……調査のためですよ」
「分かってますとも」
図書室の隅にいるとはいえ、何十冊もの本を台車で運び、積み上げたそれらに囲まれている三人は目立つ。司書からの痛い視線はともかく、
が、ちょうど今、無視できない視線が登場した。
「精が出てるな」
団長は、フェリアルを探していたらしい。
「今それ言うとセクハラになります」
「なに?」
「こっちの話です。それで、どうでしたか?」
団長は向かいの椅子に腰掛けた。ヴァシーガは少し椅子を引き離し、歓迎する。
「ダメだ。皆目見当が付かん——物的証拠がなにもない。魔法の残滓も瘴気も、記録一つ存在しない。完全に闇の中。暗礁に乗り上げた。神のみぞ知るってやつだ」
肩を竦め、両手を広げる。
「もう現場調査は、自由にしても?」
「俺が構うことは無いが……師団の方はまだ動いてるぞ。もう少し待ったほうが良いかもな。それより、そっちはどうだ? なにか気掛かりがあっての調べ物、って感じだが……」
団長はヤンドールが閉じた「異種族間交配録」に、訝しげに視線を送る。
「……一生懸命、だな。成果は?」
「——『近似種の異種族間によっては、子を成すことはできる。けれども、遺伝子異常により短命化することが多く、生育の環境には気を遣うべし』」
覚えた一文を読み上げるヤンドール。
「……さっきの『
団長は眉を顰める。
「それが成果か?」
「ある意味では」
「というと?」
「
再び肩を竦める団長。フェリアルもよく分からなかったが、読みかけの本の——「大陸大全集(改十二・編十五訂)」の次のページを開く。
項目は『現象』と『異常気象』について。さらに細分化された項目を見て、違うと思って次の見出しへ。——『第8章 失われた古の術』。
目次のような簡単な紹介文が書かれており、召喚士、錬金術、転生、古代魔法、陰陽師、精霊化————つらつらと続いている。キリがなさそうだが、読んでみるしかない。
「これ」
ヤンドールが隣から身を乗り出し、その重なった紹介文の下の方を指した。
「……ホントにキリがなさそう」
フェリアルが呟くと、
「どうせ情報は見つかってないんです。いっそ、大本から辿りましょう」
ヤンドールは言った。
「なんの話?」
ヴァシーガは尋ねるも、フェリアルが訊いたのは、団長にだった。
「さっき、なんと仰いました?」
「ん? 『
「その少し前です」
「……『精が出るな』?」
「よりは後です。と言うか、これです」
団長とヴァシーガにも見えるよう、本を両開きにして、置いた。ページはちょうど真ん中辺りで、テーブルの上で綺麗に開かれた。
——『神のみぞ知るってやつだ』
しかし、シンカルンに神はいない。
そのページは、『
「流石に飛躍し過ぎじゃないか?」
フェリアルは、素直に頷いた。
「…………とも、思います」
とも、思ってはいたが。
それは、シンカルン王国の建国に関する物語であった。
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