4-2 毒気 

「使えないコマの一つくらい欠けても構わないわァ。なんで、ワタクシ、あんな俗物が怖かったのかしらァ。早く殺せばよかったのにねェ。」


 アルヴィスが去っていった扉に無数の黒い薔薇が突き刺さる。その様は黒く飛び散った血のようにみえる。



「ねェ…ヴィーチェ、このバラ…。綺麗だと思わない。ドス黒い怨念の塊の具現化。」



「本当に綺麗。貰っても…勿論いいでしょう。」



 ヴィーチェはその美しい橙色の髪に一輪のバラを挿す。その指先には血が滲んでいるのに、笑みは微塵も崩れない。



「退廃的でゾクゾクしちゃうゥ。いつかその綺麗な顔を踏み躙りたいわァ。」



 シャルルはその唇を歪めて、ヴィーチェを見つめた。その黒曜石の瞳に映るのは、兄を陥れた満足感と、もっと深い欲望だった。兄を壊しただけでは足りない。壊す快感、壊れてしまう最後の音そのものが、もっと欲しい。



「ワタシも、その黒曜石みたいな瞳をコレクションに加えたいから、勝手に死なないで。」



 ヴィーチェは戯れるように笑った。その声は甘く、だが毒を含んでいる。



 二人の間に漂う空気は、黒い薔薇の香りに満ちていた。ねっとりとした甘さと気だるさが入り混じり、胸の奥をざわつかせる。シャルルは微笑み、ヴィーチェはその目を細める。毒と妖艶さが絡み合い、むせ返るような香気。


 その毒気が、今にも部屋を呑み込もうとしている。



 その部屋に集まっているのは、人間ではない。人でありながら、魔族を討つ『マトモではない』存在。


 毒をもって毒を制す者たち。



 ここにいるのは、はじめから毒なのだ。






「冗談はここまで。さて、もうそろそろお客様がァ、いらっしゃるハズよォ。」


 シャルルが扇子で扇ぐ度に、流れる官能的なムスクの香り。




「…なんでだよぅ。非常識なのは僕たちだけでいいのにぃ…。」



 突然、未来を見る事ができるマリクの緑青に似た宝石を思わせる両方の瞳が涙で揺れた。何を彼が見たのか…。それはすぐにわかった。




 硝煙の香りと、血の匂い。



 軍の最高の役職であるにも関わらず、軍人の家系ではないことだけを理由に、蚊帳の外に置かれていた“最も優秀な軍人”は、返り血すらそのままに王宮にやってきた。


 マリクの瞳に映った未来がやってきたのだ。倒れ伏す人間、赤黒い泥のような血溜まり、たくさんの略章のついた軍服。それらを同じ軍服を着たものが排除している凄惨な光景を、ひとり見せられていたのだった。

 




『…の結果をお伝えします。三軍の大将及び参謀部は全員射殺されました。王立軍はペイロール統合幕僚長が直接指揮を摂られます。』


 人工音声の無機質さが、マリクの心を逆撫でる。



「射殺…。何も殺さなくても。」



 孔雀緑の優しすぎる瞳に映る光景は、あまりにも残酷な色をしている。彼は自分が人を守るため、魔族を殺すという大義名分で、元“人間”を殺して、自分の常識さえも少しずつ殺してきた。



 始まりは自己犠牲だったのか、ディオニシウスシステムというこの世の根幹の命令に背けなかったのか、この頃の彼にはもう分からなくなっている。


 


「君がそれを口にするとは思わなかったよ。さあ、これで私も“人殺し”だ。殺した事のない奴が机上の空論を交わし続けても、時間の無駄。お飾りの幕僚長が少しだけ、本気を出して、掃除をしたまでだ。さあ、これで軍は君たちのサポートに専念する事ができる。あんなバケモノと人間がやりあえる訳がない。」



 部屋を一度出ていくまでは、諦念の塊であった彼は、例え国王の命令だったとはいえ、初めて自分の役職を全うした満足感に満ちあふれていた。

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