3-4 Nichts ist schwer (あなたが側にいれば)
翌日、王宮にはアルヴィス、レイン、エドガー、マリクに加え、アレックスとセリスが呼び出される。
王宮内の入ったことのない部屋だがどこの部屋も細部まで装飾され、贅沢の粋を極めていた。中から鍵も掛けられ、外部の人間が立ち入れないようななっている。
「突然だが本題といこう。昨夜、聖域中で超弩級と推定される魔物を屠ったのは本当か、アレックス。」
出されたコーヒーを優雅に飲み干すと、場を和ませるような優しい笑顔でアレックスは応える。
「正確にはなろうとしていた異形を
アレックスの報告書を読みなから、話を聞くアルヴィスはその報告はあまりにも理路整然としすぎていた。だが、真剣な面持ちでいつもより厳しい口調で話すアレックスの姿は幾多の信者の頂点に立つ教皇としての堂々とした風格を周囲に存分に与えていた。
「記録では対象は超弩級に進化する前とは言え、与えたダメージは今まで我らの中で最高の力であった。その要因は。」
アルヴィスの問いに表情ひとつ変えず、アレックスはより低い声で答える。
「祈りの力でしょう。私は生きることを神に願った。それだけのことです。」
アルヴィスはふうんと適当に相槌をうつ。
「アルビジョワは動かなかったのか。」
それは想定問答の範疇だった。アレックスは一呼吸置いて質問に応える。
窓の外では強い風に煽られた、雪が視界を覆い尽くしていた。
「あの時、被害を最小限抑えるためにリンデンバウム卿に二重に結界を張ってもらったので、外部からの侵入は余程の力がないとむりでしよう。」
それだけ言うとアレックスは出されたコーヒーに口をつける。苦味が一気に口の中に広がる。
分が悪くなったのか、アルヴィスは今度はセリスに対象を変える。
「セリス、昨日あの時間、何故アレックスのところへ。」
予想していた通りの質問を投げかけてきた、アルヴィスに凍てつくような冷たい視線を投げかけ、低い感情の籠もらない声で淡々と応える。
「先ほどのアレックスの報告通りピアノを弾きに。大聖堂の響きはそこいらのホールより最高で、なによりも無料で使えるという大きな利点があります。」
セリスの回答にアルヴィスは大笑いをする。
「せっかくありあまる財産を持っているのだから、あんな小さい家など捨てて、広い土地に大きな邸宅とホールを作れば存分に楽しめるぞ。」
その物言いにセリスはイラッときたが、ぐっと堪えて言葉を返した。
「新しいホールと大聖堂とでは響きが全く違いますし、何よりもこの荘厳で厳粛な空間が緊張感を生み、演奏にも力が入るものです。陛下にはおわかりいただけない感情かもしれませんが。」
セリスの遠回しの厭味が炸裂したことに、レインとエドガー、マリクの3人は心の底からガッツポーズを決めたい気分だった。
「そうだな。まあ、趣味は人それぞれだ。」
笑いながら、大げさに話すアルヴィス目かげてセリスはごく小さな風の刃を発生させ、1本だけ切り落とす。アルヴィスはコーヒーカップに抜け落ちた髪を掴んで床に捨てた。
「それにしても、このマーガレット・ロサモワール。聞いたことのない名前だが、アレックスもちろん素性は調べたのだろう。」
コーヒーを一口飲むと、アルヴィスは再び報告書に目を落とす。
「地方の貴族の子で行儀見習いで来ていました。両親、本人も魔力はありません。それがあっさりと魔族に取り込まれました。大聖堂を中心にあの場所は神域だとされていますから、並大抵の魔族は入れないでしょう。ただ今回、判明したことは中から発生した事象についての脆弱性です。どうするかは、こちらで検討させていただくとして、陛下には別件でお願いが。」
アレックス端末を取り出し、アルヴィスの机の前にそっと置いて、3Dホログラムで表示する。
「昨日の戦闘で、このように楼鐘が壊れてしまいまして、その修理費を国費でお願いしたいのですが。」
「で、いくらかかる。」
アレックスはアルヴィスにそっと耳打ちをする。
「はあ、いくらなんでもそんなにか。しかし、国教と呼ばれ崇拝の対象だし、観光名所でもあるからな、仕方がない。後で見積書持ってこい。話しは以上だ、解散。」
アルヴィスが不機嫌そうに去っていった後、5人はぽつんと残された。
エドガーが口火を切って話はじめる。
「俺、アレックス様に話があるんですけどよろしいですか。レインとマリクは後で俺から話す。」
エドガーの妙に神妙な面持ちに、レインとマリクは目をあわせ、後ろ手に手を振りながら、ふたりともポータルの方に消えていった。
取り残されたセリスの冷たい視線がエドガーに突き刺さる。
「セリスには後で話す。生ハムの原木もやるから。」
セリスはあからさまにエドガーを睨みつけながら、ポータルへと歩いていった。
「アレックス様、俺の家で話を聞いてもらっていいですか。聖域はどうも敷居が高くて。」
ポリポリと頭を掻くエドガーに、アレックスはいつものように優しく慈愛に満ちた微笑みを返す。
「構いませんよ。」
エドガーの魔法でふたりは霧のように消えた。
時を空けず、2人はエドガーの家にいた。素朴だが、居心地はよく、温かい雰囲気に満ち溢れていた。
「アレックス様はコーヒーで。」
キッチンから聞こえるエドガーの声にアレックスは恥ずかしそうにに答えを返す。
「できればはちみつ入りのホットミルクで。実は苦いのは苦手でして。」
アレックスの姿に先程の厳しさの面影はなく、完全に警戒を解いている様子だった。その言葉にエドガーは笑いを堪えきれず吹き出す。豆を挽く音に続く、ミルクを沸かす甘い香り。
少しの沈黙が続いたが、所在なさげにしていたアレックスがエドガーに声をかける。
「セリスと仲良くしてると聞いていますが、あの子はよく来るのですか。」
「よく来ますよ。」
その言葉にアレックスは目を丸くして、驚きを隠せないでいた。
「遊びというより、こき使っていますね。魔法で畑というか地面を耕したり、草を刈ったり、召喚術でイフリート呼び出して木を燃やしたり、ウンディーネに水をまいてもらったり、文句をよくいっていますが、広い土地で召喚術を試せるし、何よりも大好物の生ハムの原木とチーズやソーセージの加工品を渡しているだけですから、ただの友だちです。」
どうぞと言って、アレックスの前にはちみつ入りの甘いホットミルクのカップを置くと、斜め横にあるひとり用のソファーにエドガーは腰をかける。
「俺はストレートにしか聞けませんが、外れていたならいってください。アレックス様、誰かを特別に思っていますね。そしてその相手はセリス、違いますか。」
アレックスはむせ返り、ごほごほと咳をする。
エドガーの紺碧の瞳がアレックスをまっすぐに射貫く。
「何を根拠に。」
咳をしながらも、アレックスはエドガーに答える。
「いろいろありますが、強いていうなら野生の勘ってやつです。」
そう言いながらも自信満々に話すエドガーに、やれやれと前置きをしてアレックスは話し出す。
「エドガーの推察どおり、私はセリスを愛しています。戒律では決して赦されない事ですが、それでも私は彼女の側にいたいと強く願いました。私はセリスに比べて歳をとっていますし、胸に秘めておくこともできたのですが、あの時セリスが命を賭けてこの世界を守った時に、この人がいない世界などあり得ないと思い、セリスが目を覚ました後、想いを告げ、あの子はそれを受け入れてくれた。幼い少女だったのに、いつの頃か、ずっと私は神よりもセリスを愛していました。」
恥ずかしげもなく、本心を吐露するアレックスの緋色の瞳は、暖炉の火を映し、揺らめいていた。
「この事は誰にも話しませんから安心してください。それに気づいている人は殆どいないと思いますよ。ヴィーチェは抜きにして、陛下は興味すらないし、カイエン様は気が付かれたとしたら本気でアレックス様に決闘を申し出されると思うし、レインとマリクは研究バカだし、ナナイとインターセプターは何を考えているかわかりませんが。それにしても教皇であるアレックス様でもままならないことがあるのだなと思っただけです。それで話したいという事ですけど、俺にも今すごく好きな人がいて、気立てもよく可愛くて、良くうちにもきてくれますが、貴族の娘なんです。俺は爵位なんてないただの男です。その人と結婚したいと考えいますが貴賎結婚になるんです。それを許してもらえるかずっと悩んでいます。俺にはもう両親いないから、こっちは問題ないんですが、彼女の両親に何と言われるか。そんな時にふたりが一緒にいるところをみて、理屈ではなく互いに惹かれ合っているんだなと感じたから、俺の話聞いてもらいたくて、そんな親密な中ではないのに、こんなところにきていただいて、申し訳ありません。」
エドガーの告白を聞いて、アレックスはいつものようにふわっと笑みを浮かべる。
「これは少し職権乱用になりますが、私の名でエドガーとその想い人が幸せになれるよう書簡を出すことが可能ですよ。教皇の命に向かう者はそういないでしょうから。私の事があるからではなく、元々誰でも愛しあうふたりをそれがなんであれ、許されることではないと思っています。まずは互いの気持ちを確認できたら、私に連絡をください。よろこんで書簡を出しましょう。」
優しくニッコリと微笑むアレックスの姿にエドガーは天を仰いだ。
「アレックス様、ありがとうございます。でもアレックス様自身はどうなるのです。」
エドガーの声にアレックスはううんと唸りながらもまっすぐに答えた。
「この地位を捨てます。難しいですがそれがたったひとりの愛する人と共に歩む道なら、手段は選ばないつもりです。」
アレックスの普段見ることのできない、情熱的な姿に、エドガーは目を細めた。
「セリスの自称兄たちのひとりとしては、セリスが誰かに愛されることはとても嬉しいことです。それに背中を押していただいてありがとうございます。俺、明日にでも彼女に告白します。玉砕した時はまた話聞いてもらっていいですか。」
エドガーのまっすぐな瞳に、アレックスは静かに頷いた。
──1801年、この年の冬は例年になく寒い年になった。
──翌1802年、夏。その事件は暑い夜に起きる。
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