第13話 ……移動?
列車が静かに動き始めた。
地下プラットフォーム特有のひんやりとした空気を引き連れながら車両はゆるやかな傾斜を登っていく。鉄の軋みがわずかに響き、天井の照明がトンネルの壁を流していく。数分後、列車がトンネルを抜けると急に視界が開けた。
車内に光が車内に差し込み、シミュラクラセクターの中心地が姿を現した。
眼下には幾何学的に整備された道路と建築群が広がっていた。灰銀色のビル群が規則正しく並び、各所に配置された監視塔や高出力ランプが網目のような光のラインを描いている。空中では無人搬送機がいくつも往来し、道路には無人走行車両と職員用の輸送車が隊列を組んで移動している。
まるで都市全体が一つの巨大な制御装置のようだった。
「うわ……これ、人が住んでるって感じじゃないね。無機質っていうか」
ヨウが思わず声を漏らした。額を窓につけ、食い入るように外を眺めた。
窓の外に広がる景色は先程のフェノムセクターの街並みともヨウの地元とも異なっている。博物館や資料館に展示されたジオラマのようだ。
メディアを問わず「未来の都市」を想像して作った作品は珍しくなかったが、丁度その中に迷い込んでしまったような気分である。
「居住区というより機関ね。ウチの地元はもうちょっと生活感があったわ。私達がフェノムセクターから来たってことはユイさんもご存じでしょうけど……人とか車とかもっとごちゃっとしてるのよ」
エセルが淡々と言った。唐突に名前を呼ばれたことに驚いたのか、ユイは膝元へ落としていた視線を慌てたように二人に合わせた。
ユイは二人に断りを入れた後、鞄からタブレット端末を取り出した。フェノムセクターについて調べているようだ。
──ユイは現地人であろうに調べ物をする必要があるのだろうか?少なくとも自分よりかは世界の地理に詳しいはずなのだが。
ヨウは疑問をしまい込んだままユイの手元を眺めていた。
「珍しいことじゃないわ。セクターが五十あるって話は聞いてるでしょ」
「うん」
「国家全体で人口が五億人、各セクターに一千万人っていえば規模の大きさが分かるかしら。地元と普段行く場所ぐらいしかピンと来ないってのはザラなのよ。私だって入試でちょっと覚えただけで詳しい事は全然知らないんだから」
──思った以上に人口が多い。
エセルの語る知識はこの世界の高校生が地理の授業で習う程度のものらしい。人口、文化、技術の表面を暗記することはあれど普通に生きているだけであれば一生地元を出ずに死んでいくことも珍しくないとエセルは言う。
「申し訳ありません。技術のことしか知らなくて……」
「いいのよ。私もこんなだし、この子だってそうだから」
ユイのような現地人、それも大規模な組織に属する人間であっても複数離れたセクターについて詳しい人というのは稀なようだ。
とはいえエセルが言及したように技術や産業といった事柄は受験や入社試験で求められる知識に含まれている。自らで興味を持って学ばない限り表面を薄くなぞるだけ、というのはこの世界でも変わらない。
ヨウは今まで異世界人を異質な存在と考えていたが、エセルとユイという複数の「サンプル」と出会い彼等が同じ人間であることに一先ず安堵した──もっとも数としては不十分だが。
「そうそう。街の説明をしてもらえない?私もヨウも知識は少ししかないの。移動技術と駅のことぐらい。現場運用補助員って普段あちこち行くんだよね?」
「ええ、今の仕事を始めてから地理にはそこそこ詳しくなったつもりです。本当はこの知識で観光業なんかで食べていけたらいいんですけどね……」
ヨウは二人の会話を聞きながら流れる景色を眺めた。
移動技術のメッカとは聞いていたが、先程ちらりと目にしたフェノムセクターの街並みと比べて通行人や一般車両の姿を見つけられない。歩道らしき通路はあるのだが、時折ユイと同じ制服の人間の姿が見えるだけだ。
異世界人だからこそ物珍しい光景なのかもしれないが、観光地としての価値があるかは分からない──ユイが言葉を濁した理由もそのあたりだろうか。
「現在見えているのが、第二環状区画です。シミュラクラの上層にあたる地域です。人口は約百万人です。上層は第三区画まで存在していまして……今回通るのは第二だけなんですけど。上層の雰囲気は十分に感じられると思います」
「……街が二層あるの?」
「ヨウは遠くから来た人だからね。基本は上層と下層があるんだけど、例外的に中層がある時もあるの。ここみたいに上層の中にもランクがあることもあるしね」
──セクターは二つ以上に分けなければいけないという法律があるの。そうでないものはセクターとして政府に認めてもらえないのよ。
理由こそ不明だが、この国のセクターと呼ばれる区画は例外なく全て二層以上に分割されているという。新政府が樹立した際、政府は「土地を五十に分割すること」「分割された区画の中に格差を作ること」を求めた。数に差異はあれど例外なく全てのセクターがこの法を守っている。
反乱が起きたりしないのだろうか──ヨウが疑問を口にする前にエセルがその答えを話した。国家転覆を企てる者というのは此方の世界にも存在するが、各セクターの組織や行政機関にあっという間に鎮圧されてしまうという。
現在の在り方で得をしている人間達にとって反乱分子は癌ということらしい。「テロリスト」が呆気なく歴史の闇に葬られる度、誰も覆すという発想にすら至らなくなったようだ。
ヨウにはこの国の在り方に既視感があった──これを百倍ぐらい薄めた国が自分の故郷だ。誰も反論しない。SNSで文句の一つ二つは書くかもしれないが、デモの一つもまともに起こさない国民性であった。とはいえ自身も行動を起こしたことはないから偉そうなことは言えない。
「あっ……もうすぐトンネルに入ります。トンネルを抜け次第、下層に入りますからこの風景ともしばらくお別れですね。今からガラッと雰囲気が変わりますよ」
列車はそのまま都市部を横断し、トンネルへと進路を取る。
数分後、列車がトンネルを抜けると急に視界が開けた。
目を射すような銀色の光が車内に差し込み、次の瞬間、世界の色が一変する。ユイの言葉通りトンネルを際に窓の外の風景が緩やかに変わっていった。人工的なビル群の隙間に時折ぽつぽつと廃墟が混じりはじめる。区画の境目を越える度に舗装の状態も悪くなり、装甲車の姿が目立つようになった。
やがて高層ビルのシルエットが途切れ、住宅地と思しきエリアが車窓を流れていく。半壊した建物の骨組みがむき出しになり、地表には雑草が広がっていた。壁にひびの入った集合住宅、看板の外れた店舗……整備された都市の顔が次第に煤けた現実へと変わっていく。
「ちょっとあまりにも空気が違わない?」
「下層ですから。現場まで少し距離がありますので今の内に身体を休めておいてくださいね。我々はそこまで線路を引けなかったんですよ……」
エセルの視線は窓の外ではなく、車両後方に向けられていた。
検問設備らしき構造物が遠ざかると同時に、列車のスピードが緩む。
次は――第9前線基地前。
車内アナウンスが無機質に響き、車両内の照明が一段階落ちた。
「ここからが本番ね。距離があるって、ねえ?」
──場所がどこでも下層は余りフラフラしたくないんだけど。
エセルが低く呟く。車内には少しだけ緊張が漂っていた。
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