父上の契約書~おとうさんのたんじょうび~

「アサヒ……?」

 朝目覚めると、隣にいるはずの伴侶がいなかった。

 彼を抱き寄せようとした俺の腕は空振りし、シーツの感触を手の平に感じるのみだ。

 いつも自分より先に起きる彼だが、俺が起きるまで部屋から出ることはない。

 大抵は俺の寝顔を眺めているか、身支度の為に洗面所にいるかのどちらかだ。

 部屋を見渡して少し待っていたが、洗面台からは物音ひとつしない。自室にいるのだろうか。

 立ち上がり、アサヒを探してみる。寝室から出てアサヒの部屋に繋がる扉を開けるが、そこにも姿はなかった。

 どこにいるんだ……

 今日はお互い仕事だ。アサヒがいないということは、朝夕の一時間を一緒に過ごすという契約に違反している。

 いつもは後のことを考えて、こんなことはしない。

 この約束、もとい契約を破った場合は、『お仕置き』か『時間延長』を選べる。

 時間延長の場合も大抵はそういう行為をするが、俺は何でもわがままを聞いてもらえる前者を希望している。

 まだ一度も選ばれたことはないが……。

 着替えてからローシェの部屋に入ると、起きてどこかに行ったのか姿が見えない。

 彼は基本早起きであり、ララとリリに早朝から奇襲をしかけることも多い。

 今日も双子の元へ遊びに行ったのだろう。

 俺はそのまま廊下へ出た。


「アサヒ様なら、ずいぶん前に廊下ですれ違いましたよ。ローシェ様とご一緒でした」

 使用人の一人に尋ねたところ、アサヒについての情報を手に入れることができた。

「イヴァン、朝から何してんだ」

 アルダリの部屋の前で話していたからか、扉から兄が顔を出す。

「アサヒを知らないか?」

「子ども部屋じゃないのか?」

「いや、ローシェもいないんだ」

「じゃあ二人でどっか散歩にでも行ってんだろ」

 興味なさげに言ってあくびを一つすると、アルダリはバタンと部屋の扉を閉めた。

 少し歩き、双子が寝ている部屋の扉をそっと開ける。

 彼らはお揃いのベッドを並べてすやすやと眠っており、そこにローシェの姿は無い。

 愛しい伴侶と息子は、一体どこにいるんだ?

 廊下ですれ違う従者に、アサヒとローシェを見かけなかったかと声を掛ける。

「先程、お庭でお見掛けしましたよ」

「そうか」

 俺はそれを聞いて庭に向かったが、そこに二人はおらず、庭で遊んでいたコタロウが嬉しそうに駆け寄って来ただけだった。

 それからも、出会った者に居場所を聞いては探してを繰り返すが、向かった先に彼らはいない。

 広い家ではあるが、最初はすぐに見つかるだろうと思っていた。しかし、なかなか姿を見ることができない二人に、俺はゲームでもしているような気持ちがして本気で捜索を始めた。

「ここも違うか」

 談話室、応接室、執務室を訪れ、ガランとした部屋を見ては首を傾げる。

 もしかして、もう部屋に戻ってるんじゃないのか?

 俺は引き返そうと廊下を歩いていたが、食堂の前を通った時、聞き慣れた息子の声が聞こえた。

「とうさん、これも運んで~」

「うん。どこに置いたらいい?」

「えっとね~、まんなか!」

 声の主はアサヒとローシェであり、何やら中で作業をしているようだ。

 やっと安心して、扉に手を掛けた。しかし扉には鍵が掛けられているようで、ガチッと音がしてこれ以上は動かせない。

 ドアノブを何回か動かし、中に声を掛ける。

「アサヒ、ローシェ、何をしている」

 俺の声に、一瞬で中が静まり返ったが、すぐに慌てた声が聞こえてくる。

「わっ、イヴァン起きて来ちゃった!」

「ちちうえは、まだ起きないって言ったじゃん」

「いつもはもっと遅いから、完全に油断してた」

「わぁ、大変じゃん!」

 ローシェは時々、アサヒの口調を真似して話す。

 今も、小さいアサヒが喋っているようで微笑ましく、笑みが零れる。しかし、俺の存在に気付いているのになかなか開かない扉にモヤモヤとする。

「中に入りたいんだが……ローシェ、開けてくれるか?」

「えッ、あ、ちちうえは、入っちゃダメ!」

 予想外の息子の言葉に固まる。

 いつもは「はい!」となんでも笑顔で返事をする可愛い息子が、自分に駄目だとはっきり言った。

「ローシェ、そんな言い方したらイヴァン傷ついちゃうよ。イヴァン! あと二分待って!」

「……分かった」

 俺はガーンと頭に響いたショックを抑えて、アサヒに答えた。

「待たせてごめんね」

「ごめんなさい、ちちうえ」

 バタバタとした足音の後、扉が開いて二人が顔を出す。 そっくりで可愛らしい親子が隙間から顔をひょっこり覗かせている姿に癒されるが、俺はどうして食堂にいるのかを尋ねた。

「ここで何をしてたんだ?」

「えっと、もう言っちゃうね。ローシェがイヴァンのお祝いをしたかったんだって」

「お祝い?」

「イヴァン五日後に誕生日でしょ? だから今日からお祝いするんだってはりきっちゃって」

 気持ちは嬉しいが、あまりに早い誕生祝いに、頭にハテナが浮かぶ。

「とりあえず入って」

 扉越しに話していたが、バレてしまってはしょうがないと、俺は食堂に招き入れられる。

「二人でセットしたのか?」

「うん!」

 ローシェが、俺の言葉に対し元気に答える。

「ぜんぶいっしょにしたの」

「何とだ?」

「『おとうさんのたんじょうび』とだよ!」

「……どういう意味だ?」

 噛み合ってない俺とローシェの会話に、アサヒが笑いながら入ってきた。

「ローシェが最近読んだ絵本だよ。おとうさんの誕生日を五日間いろんな方法でお祝いするんだ」

「そうだったのか。それで朝早くから、こんなに素敵な朝食を準備してくれたのか?」

 アサヒの説明に納得し、色とりどりにセットされたテーブルを見る。

「朝、とうさんとお花をつんだの」

「綺麗だな」

「テーブルも、ちちうえの好きな色だよ」

「この色が好きだとよく知ってたな」

 緑がかった青いテーブルクロスは、アサヒがローシェと二人でお出掛けした時に買ったものだという。

「ありがとう」

 ローシェをひょいっと抱き上げて、瞼に口付ける。

「えへへ。とうさんとぼくの作ったおりょうりもあるよ」

「それは楽しみだな。早く食べたいから皆を呼んできてくれるか?」

「うん!」

 ローシェは元気よく頷き、小さい身体を床へ下ろした。

「起きてる人だけ呼んでくるんだよ」

「はぁい!」

 アサヒの言葉に良い返事をし廊下へ出て行った我が子を、二人で見守る。

「今日は朝からすまなかったな」

「なんで? すごく楽しかったよ」

 早くから準備に付き合わせたことを謝るが、アサヒは言葉通り楽しげな様子だ。

「五日間も祝ってくれるのか?」

「そうみたい。イヴァンを驚かせたいようだから、何をするかは言わないでおくね」

 自分の席に置かれたカードに書かれた『ちちうえ大好きだよ』の文字に、ジーンと胸が温かくなる。

「今朝、二人で魚のスープを作ったんだ」

「それは嬉しいな。俺の一番好きな料理だ」

「えぇ、まだ一番なの? 他にも、美味しいものいっぱい食べてるじゃん」

 俺の言葉に笑いながらも、嬉しそうに頬を染めているアサヒが可愛い。

 その横顔を見ていると触れたくなり、俺は小さな肩を抱き寄せ頬にキスをする。

「イヴァン、」

「可愛いから、つい」

 アサヒが上目遣いでこちらを見上げてくる。それを見ていると我慢が出来なくなり、今度は口に顔を寄せた。

 しかし……


「ちちうえ! とうさん! 皆来たよ~!」

 バーンッと扉を開けて入って来た我が子によってそれは叶わなかった。

 後ろで呆れた顔のアルダリが「おいおい」と声を掛けてくる。

「お前ら、いつまでそんな調子なんだよ」

「仲が悪いよりはいいだろう」

「まぁ、教育に悪くない程度にしろよ」

 アルダリの言葉を煩わしく思いながらも、とりあえずは「気を付けているつもりだ」と返した。

 隣でアサヒが『あれで?』と言いたげな顔をしているが、無視しておく。


「それにしても、今朝は驚いた」

「はは、ローシェの作戦成功だね」

 今は夜。俺とアサヒはベッドに並んで転がっている。

 あれから仕事で別々だった俺とアサヒは、夕食でやっと顔を合わせることができた。

 そして今は、俺達だけの時間だ。

「そろそろ寝る?」

 聞いてきたアサヒに、俺は首を横に振る。

「今朝、横にアサヒがいなくて、久々に一人で起きた」

「えっとぉ、イヴァンが起きるまでには帰ってくるつもりだったんだ」

 俺が起きてくるまでに準備が終わると予想していたため、何も言わずにベッドを後にしたらしい。

「イヴァン、寂しかったの?」

「ああ」

「うーん、約束も破っちゃったね」

「約束じゃない。契約だ」

「重々しく言わないでよ」

 笑いを含んだ声でそう言ったアサヒだったが、少しの沈黙の後、俺を見上げて口を開く。

「俺に、お仕置きしたいの?」

「ア、アサヒ?」

 俺はごくっと喉が上下する。

 いつもは俺がしつこく誘い、アサヒがセックスを了承する流れだが、たまにこうやって意地悪な顔で夜の行為を匂わせてくる時がある。

「……いいのか?」

「うん」

 アサヒが頷く。

 俺は興奮して頭がどうにかなりそうだった。

 ガバッとアサヒの上に乗ると、「待て待て」と犬のように扱われる。

「こら、急にしたらびっくりするだろ?」

「でも、お仕置きなんだから、俺の好きにしていいはずだ」

「じゃあ変えようかな。明日、二人きりの時間延長で」

「駄目だ! 変更はできない」

 慌てて返す俺の声は少し必死で、自分でも少し恥ずかしい。しかし今はそんなこと気にしている場合ではない。

 アサヒが、自ら俺にいやらしい事をして欲しいと誘っている。アサヒに言うと、「そんなこと言ってない!」と怒られそうだ。

 俺はすぐにでも襲い掛かりたいのを我慢する。

「ゆっくりするから、俺の好きにしていいか?」

「好きにって……ちゃんと俺に聞くならいいよ」

「分かった」

「俺が良いって言ったことだけだよ?」

「ああ」

 アサヒの言葉に、今日のお仕置き内容が決まった。ギリギリまで気持ち良くして、アサヒが自分から恥ずかしい場所を「触っていいよ」と言うまで、絶対にイかせない。


「キスしていいか?」

「……いいよ」

 小さく返事をするアサヒ。

 それだけでも少し頬が染まっている。きっと、この条件を出したことを後悔するだろうな。

「舌を入れてもいいか?」

「いいけど、そんなに細かく聞かなくていいよ……」

 恥ずかしがるアサヒを見下ろす。

 今夜が楽しみになった俺は、アサヒの小さくて可愛い口に舌をゆっくりと差し込んだ。


 次の日の朝、俺が起きてアサヒと二人きりの時間を堪能していると、抱きしめている胸元から声がした。

「ねぇ、この契約っていつまで続くの?」

 アサヒは朝から顔を赤らめている。

 昨夜、何をするにしても「いいか?」と許可を求めた俺に、最後は目を潤ませて「もう、好きにしていいからッ」と言ったアサヒは、文字通り俺に好きに抱かれてしまった。

「ローシェが学校に通うまで……とか?」

「何言ってるんだ。期間は書かれていないだろう」

「え、それって……これから先も、ずっとってこと?」

「そういうことになるな」

 真面目に返事をすると、アサヒは胸元に顔を埋めた。


「今度から不用意にサインはしないからな」

 小さい声で呟いたアサヒは、俺の寝間着の胸元を恨めしげにギュッと握った。

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