第9話 プロポーズ

「凄い! 夜はこんな感じになるんだ」

 明るい時も美しかったが、夜になるとまた違った雰囲気になる。

 広場を囲むように下がる明かりは黄色に灯り、花が照らされて地面にその影が映っている。

 会場へ着くと、離れて配置された席には既に三組の客が食事を楽しんでおり、俺達も明かりの近くの席へ案内された。

 酒を少しだけ飲むかと聞かれ頷く。住んでいた森で安眠の為に何度か口をつけたことがあるが、少し眠たくなるくらいで妙な酔い方はしない体質らしい。

 酒と共に運ばれた料理はどれも美しく、その美味しさに感動したが、途中からは調理法が気になり、これはどのように作ったんだろうかと興味津々に料理を眺めた。


「あれ? いつの間にか俺達だけだね」

「少し遅く来たからな」

 食事が終わる頃にようやく周りに気を向けると、他の客は部屋に帰っていた。

 ここのスタッフは出来るだけ表に出ないシステムなようで、この森に入ってから姿を見たのは数えるほどだ。

 今はこの広い場所に俺とイヴァンの二人きり。

「イヴァンありがとう。最高の誕生日だよ」

 その言葉にイヴァンが微笑む。

 そしてテーブルに置いている俺の手を握り、そのまま親指で手の甲を優しく撫でる。

 穏やかな沈黙が心地よく、ぼうっとしていたが、急に頭が冴える。

 今こそプロポーズのタイミングなんじゃ……!

 握られていた手をバッと離すと、イヴァンが驚いた顔でこちらを見る。

「アサヒ?」

 不思議そうに俺の名前を呼ぶ声に何も返せず、慌てて自分の鞄に手を突っ込んだ。

 そして、焦った手つきで箱を取り出し席を立つ。

「どうしたんだ」

 唖然とした顔で座っているイヴァンの前に跪き、パカッと箱を開いて指輪を前に出す。

 突然の俺の行動に、イヴァンはポカンとした顔で指輪を見下ろす。

「イヴァン、その……あ、」

 イヴァンは俺が床に膝を付いたのを心配そうに見ながらも、続きを待っている。

「け……ッ」

「け?」

「お、俺とけ、ッ結婚して、あの……ほしい!」

 沈黙が流れる。周りには誰もおらず、二人きりの広い場所で俺の無駄に大きな声が響いた。

 シーンとした時間は体感でかなり長く感じる。

「……アサヒから、求婚してくれるのか?」

 俺は自分のあまりの拙い台詞に顔が真っ赤になり、顔を上げることができない。

 用意していた台詞は全て頭から飛び、情けない気持ちが募る。

「あの、へ、返事を……」

 俺は自信のない小さな声で呟く。

 こんな百年の恋も冷めそうなプロポーズ、俺がイヴァンの立場だったら呆れるかもしれない。

 恥ずかしさでしぼんでいく俺がさらに俯くと、その頬が両手で優しく包まれ上を向かされた。

「アサヒと結婚する」

 イヴァンは目を細め、嬉しそうに笑ってそう答えた。

 その言葉に、俺はすっかり力が抜けてしまう。

「うん、うん、」

 情けない顔のまま、何度も頷いた。

「この指輪は何なんだ?」

 俺がやっと緊張から解放されて立ち上がると、イヴァンが手元の箱を指差した。

 すっかり忘れていたが、一番重要なものだ。

 俺はイヴァンの手を取り、指輪を左手にスッと嵌めた。

 薬指に黒い指輪が光り、イヴァンはそれを見てまた驚いている。

「俺にくれるのか?」

「うん、俺も揃いであるんだ。エンゲージリングって言って、結婚の約束の指輪だよ」

 俺の説明を聞いていたイヴァンが指輪をじっと見る。

「アサヒ、こんなに素敵な贈り物をありがとう。今すぐ抱きしめてキスしたい気分だ。……部屋に、戻らないか?」

 真剣な顔に、俺は照れながらも頷いた。

 イヴァンは俺を立ち上がらせると、繋いだ手はそのままコテージへと続く道へ歩いていった。


「アサヒ」

 部屋に戻ると、言葉通りイヴァンが俺を抱きしめてきた。

 まだ扉を開けて中へ入ったばかりで、お互い靴も脱いでいない。そのまま名前を呼ばれたかと思うと、イヴァンが俺の顔を覗き込んで口を寄せてきた。それに目を瞑って身を任せる。

 ちゅっ

 音がして離れていく唇は、また角度を変えて重なってくる。頬に添えられた左手からヒンヤリとしたものを感じ、俺は嬉しくてフフッと笑った。

 しばらくそうしていたが、イヴァンが俺の顔を離す。

「俺もアサヒに求婚していいか?」

「うん」

 頷くと、両手をゆっくりと取られた。

 その手は少し震えていて、いつもの自信満々なイヴァンとは別人のようだ。

 俺はプロポーズを経験した者として、今のイヴァンの気持ちが分かる気がした。これから本当の家族になるんだって期待に震える感覚。

「アサヒ、俺と結婚してくれ」

 それだけ言うと、俺の肩に頭を乗せた。

 キザなイヴァンのことだ、まだ続きがあるのだろうと待っていたが、沈黙が続く。

 俺が背中をさすってどうしたのかと尋ねると、イヴァンが小さい声を出した。

「返事をくれ」

 苦しそうに言うイヴァンに「はい」と言うと、やっと安心したように笑った。

「本当はいろんな台詞を用意してたんだ。しかし、緊張して全て飛んでしまった」

「俺もだよ」

 イヴァンはそこでやっと、ここがまだ扉の前で俺達が靴も脱がずに立ったままだと気付いたようだ。

 俺の手を取り優しくソファへ導いた。

 緊張が解れた俺達は、やっと今日までの準備の話をすることができた。

 イヴァンがこの指輪についてもっと教えてくれと言ったので、俺はあちらの世界でのエンゲージリングについて説明した。

 結婚する際にプロポーズする側が用意する指輪で、本当なら相手の分だけであること。

 しかしそれとは別に結婚指輪という物もあり、そちらは揃いの物を付けること。

 最初はあちらの世界に倣ってイヴァンの分だけと考えていたが、『イヴァンは俺のものだ』という独占欲の現れで揃いにしたのだと告白した。

 そして、左手の薬指には心臓につながる静脈があり……

「その、愛の力が溢れてるんだ、って」

 俺は言っていて少し恥ずかしくなった。

 この世界に来る前はただの高校生であり、結婚に関しては詳しくない。

 ネットの記事で読んだ知識をそのまま伝えたのだが、イヴァンは「この指輪にそんな意味が……」と感動している。

 そして俺が揃いの指輪にした理由を聞き、嬉しそうな顔を見せた。

「俺にも付けてくれる?」

 カバンからもう一つの指輪を取り出すと、イヴァンがそれを受け取る。

 そして、俺の手を恭しく取ると、ちゅっと薬指に口付けた後、それをゆっくりと嵌めた。

「これで俺のものだな。そして俺はアサヒのものだ」

 イヴァンは今までに見た中で一番の笑顔でそう言った。


 風呂を用意し、大きなバスタブに二人で浸かる。

「アサヒはどんな台詞を用意してたんだ?」

 イヴァンは俺を後ろから抱き込むような体勢で、額に張り付いた髪を後ろに撫でつけながら尋ねてきた。

「えっと、ちょっとありきたりだけど、『イヴァンの人生を俺に下さい』って言うつもりだったんだ」

 俺の言葉にイヴァンは驚いたようだ。

「凄くグッときた……。さっきの指輪といい、アサヒは情熱的なんだな」

「あの、あっちの世界じゃ結構ベタな言葉だと思うけど」

 少し考えるが、ドラマや映画でしかそういった知識が無い俺は、普通とはどんなものか分からない。

 もしかしたらこの台詞も凄くキザなのでは? そう思うと顔が赤くなった。

「ちなみに俺は」

 そう始めたイヴァンからプロポーズのために用意していた愛の言葉を耳元で囁かれる。その甘い言葉の数々に真っ赤になった俺は、もうやめてくれと大きな声を出してその口を押さえた。


 風呂から上がりベッドへ上がると、寝間着を着たイヴァンが俺の前に箱を出してきた。

「成人の祝いだ」

「え、お祝いって、コタロウじゃないの?」

 俺が驚いた顔をしていると、イヴァンが呆れた声を出す。

「おい、コタロウは屋敷近くで見つけたと言っただろう。アサヒの誕生日に飼うことを決めただけだ」

「そっか。でも、今日はいっぱいお祝いしてもらったのに、まだ貰ったら罰が当たりそうだよ」

「いや、足りないくらいだ」

 そう言って笑うイヴァンが、俺に箱を開けるよう促す。

 包みを開けて箱の蓋を取ると中には腕時計が入っていた。

 細工は繊細でありながら、華奢なイメージのない力強いデザインだ。箱から出して手首にさっそく付けた俺は、思わず「わぁ」と声が漏れる。

「似合っているな」

「大人っぽくてかっこいい……本当にありがとう」

「アサヒはいつも忙しいからな。以前から時計が必要だと思っていた」

「あ、そういう意味なの?」

 意外だと言いたげに告げたことで、イヴァンが不思議そうな顔をしている。

「何か他にあるのか?」

「えっと、その……一緒に時を刻んでくれっていう意味かと思ったんだ」

 その言葉に、またしても驚くイヴァン。

「アサヒは、本当に情熱的なんだな」

「だから! 俺の元いた世界じゃ、普通なんだって!」

 俺はまたしても自分の言葉に照れてしまい、それを隠すためにイヴァンの胸を軽く叩いた。


 もう寝ようかと、ベッドに二人で寝そべる。

「ねぇ、本当に何もしないの?」

「ああ。別にしない日もあるだろ。俺はそんなにがっついていない」

 胸を張って言い張るイヴァンだが、そうだとはとても思えない。俺の準備のこともあり、挿入まではいかなくても、お互いに触ったりはほぼ毎日だ。

 そういう行為をしなかったのは、王の誕生祭でダンスの練習をしていた期間と、ディルの一件が解決した後だけだ。

「いや、イヴァン今日楽しみにしてたみたいだから」

「そういう意味で楽しみにしていたわけじゃない」

 俺達は、ここで明日の昼まで過ごしてから家へ帰る予定だった。

 いつものイヴァンだったらすぐに襲ってきそうなものだが、俺を横から抱きしめて寝る体勢に入っている。

「そっか」

 イヴァンが俺の身体のことを考えてそう言っているのだと気付いていた。

 俺が成り代わる前の身体の主ローシェは、北にある小さな国の王子で、代々特殊な身体を持つという。

 誕生日の日のみ妊娠が可能ということだが、男の俺がどうやって子どもを授かるのかはまだ分かっていない。

 今、この国の王がローシェについて調べているとのことで、俺達はその報告を待っている段階だ。

「俺の身体、不気味かな?」

「……何か言われたのか?」

 以前、ディルに言われたことを伝える。

『真実を知ったらすぐに気味悪がって捨てられるぞ』

 イヴァンを含めグライラ家の人達は俺が妊娠できるという事実を知っているが、それについては触れてこなかった。

 進んで自分からその話をするつもりはなかったのだが、イヴァンが不思議なこの身体についてどう思っているのか、ずっと気になっていた。

 俺自身はローシェの身体を貰った形であり、不気味かと聞くこと自体躊躇われたが、今ここでイヴァンの気持ちをはっきり聞いておきたかった。

「アサヒの身体はローシェからの贈り物だ。それを神秘的に思うことはあっても、不快に感じるなど、絶対にありえない」

 イヴァンの強い言葉に安心する。

「今は陛下からの報告もまだだ。危険なことはするべきじゃない」

「うん、そうだね」

 イヴァンは俺の額を撫で、軽く口付ける。

「アサヒはそんなことを気にしていたのか」

「たまにね。俺、図太いから普段はそういうこと考えないんだけど」

 ホッとした俺の表情は、暗い部屋では分からないだろう。

 しかしイヴァンは俺を安心させるように、後ろに回した手で背中を優しく撫でる。

「俺は今、アサヒと二人でいる時間を大切にしたい」

「うん」

「それに、ライバルがこれ以上増えても困る」

「ふふっ」

 イヴァンの小さなライバルであるララとリリの顔を思い浮かべた俺が笑いを零すと、「笑いごとじゃない」と横から拗ねた声がした。

「俺の他に求婚者が二人もいるんだぞ?」

 その真剣な声に、俺はさらに笑いが込み上げてくる。

 しばらく笑っていた俺に、イヴァンは「笑いすぎだ」と両頬を摘んだ。

「今日さ、イヴァンが言ってた通り、人生で最高の日になったよ」

「俺も同じだ」

 イヴァンの指に自分の指をそっと絡めた。硬い指輪の感触がし、俺はまたフッと笑いを零す。

 これからの二人の未来を想像して目を閉じる。


 俺は温かなイヴァンの腕の中に潜り込み、幸せを感じながら眠りについた。

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