-第2章- 新しい町と幸せな日々

第1話 挨拶

 最初の町を出てから四日。

 俺達はイヴァンの住む町に着いた。

 俺の住んでいたところよりもずいぶん栄えていて、もう夕方だというのに、どの店も活気づいている。

 イヴァンは馬車を町の中心に停めると、俺を抱えたまま降りた。

「俺、自分で歩けるってば」

「四日間ずっと座ってばかりで疲れただろう。少しの間、甘えておけ」

 甘えるっていうか、子ども扱いしてないか?

 そのまま人目も気にせず俺を抱えてスタスタと歩き、大きな門の前に着くとやっと降ろしてくれた。

 本で見た中世ヨーロッパのお屋敷みたいだ。目の前の石造りの大きな屋敷はイヴァンの家であり、ベルを鳴らすと直ぐに中から従者と思わしき男が出てくる。

「イヴァン様、お帰りなさいませ」

「ああ。先に部屋へ戻ると父に伝えてくれ。」

 頭を下げる男に俺のことを軽く伝えると門の中へ入る。

「アサヒ、おいで」 

 俺はイヴァンに言われるまま後をついて行く。

 少し先を歩くイヴァンが俺の顔を見れなくてよかった。今、俺の顔は真っ赤になっているのだ。

 イヴァンは先程の従者に、俺を『一番大切な人』と紹介し、今日からここで一緒に暮らすと伝えていた。

 一番って……

 その言葉を反芻し頭が沸騰しそうになった俺は、庭の花壇に植えてある綺麗な花を見て心を落ち着けることにした。

 もうすぐ日が暮れる時間、赤と黄色が混ざった光が花々を温かい色に染める。それに微笑む俺の顔を、いつの間にかイヴァンが振り返って見ていた。

「これからアサヒはずっとこの屋敷に住むんだ。毎日見るといい」

 そう言って微笑むイヴァンの顔は、本当に嬉しそうで、落ち着いていた頬がまたじんわりと熱くなった。


 玄関から入ると、五人の使用人達が並んでいた。

「お帰りなさいませ、イヴァン様」

 声を揃えて言うと、門で出会った従者が既に伝えていたのか、名前を呼ばれ頭を下げられた。

「アサヒ様、ようこそいらっしゃいました」

 様って……なんだかむず痒いな。

 それからすぐに自室となる部屋に案内される。そこはイヴァンの自室の隣で随分と豪華な内装だった。

 こんなに良い部屋。急にここでお世話になることになった身柄不明な俺にはもったいない待遇だと、身を竦める。

「あのさ、俺もっと小さい部屋でいいよ。寝れたら大丈夫だから」

 隣で従者に指示を出すイヴァンの袖を引っ張りながら伝えると、困ったような声が返ってきた。

「ここは俺の自室と繋がっている唯一の部屋だ。他に移られたら夜にアサヒといれないだろ。……俺に寂しく一人寝をさせる気か?」

 イヴァンの言葉の意味が分かり顔が赤くなる。俺は目線を避けて首を小さく横に振った。

「ううん、一緒にいたい」

「決まりだな」

 イヴァンは俺の反応を嬉しそうに見ると、引き続き従者に何かを指示し始めた。部屋に荷物を置くと、イヴァンの家族に挨拶に行くことになっている。


「さ、父達はこの部屋で待っている」

 俺はガチガチに緊張していた。

 目の前には大きな扉。

 応接室だろうその部屋には、イヴァンの父と兄、そして妹が待っているという。

 大事な息子を誑かして、彼らに嫌われたって文句は言えないよなぁ。

 自分の立場やイヴァンの事を考えるとマイナスな展開しか浮かばない。いきなり現れた森育ちの記憶喪失男が恋人として家に住むだなんて、俺が親だったらすぐに追い出すだろう。

「アサヒ、入ろうか」

 差し伸べてくる手に戸惑うが、イヴァンはお構いなしに俺の手を掴むと目の前の扉を開く。ドクンドクンと心臓がうるさい。

「ただいま戻りました」

 イヴァンの声を聞き、中にいた父親と思わしき人物が視線を上げる。そして近くの椅子に座っていた若い男女もこちらを見た。

 皆、髪の色は茶色だが、色合いが微妙に異なる。父親と兄はイヴァンに似て濃い茶色の短い髪。妹は緩くウェーブのかかった薄い茶色の長髪を一つにまとめている。

 シーンとした空気が痛い。視線が俺に突き刺さっているのを感じていたたまれない。俺はどうしたら良いのか分からずイヴァンの手をギュッと握った。

 するとキャーッと甲高い声が部屋に響いた。

「可愛い〜! 兄さん、この方がアサヒさん⁈」

 若い女性が両手を頬に当て、興奮した赤い顔でイヴァンに尋ねる。

 他の二人も、心なしかワクワクした顔をしている。

 予想していたものと違った家族の反応に、どうして良いのか分からない。そんな俺の手を引き、皆の前に連れて行くと、紹介すると言って俺の肩を抱く。

「恋人のアサヒだ。今日からここに住むから、よくしてやってほしい」

 そう言うと俺に視線を向ける。

「今日からお世話になります、上川あさひです。私にできることなら何でもします! よろしくお願いします!」

 言い切って頭を深々と下げた俺に、皆が吹き出す。

「ははっ、彼はここに働きに来たのか?」

「何でもするって……ふふッ!」

 笑っている兄と妹に、イヴァンはムッとした視線を送るが、俺の方を向き直ると家族を紹介してくれた。

「こちらが父だ。領主としての仕事を俺達に譲り、今はサポートに回っている。そして兄のアルダリと妹のルーサだ。俺達は家族全員でこの地を治めている。アサヒもこの屋敷で会うことが多いだろうから、仲良くしてやってくれ」

 仲良くしてやってくれなんて恐れ多い……

 俺はとりあえず返事をして頷き、彼ら一人ひとりに頭を下げる。三人はにっこりと笑い、よろしくと言葉を返してくれた。

「詳しいことはイヴァンからの手紙で聞いてるよ。でも、想像以上に可愛くてびっくりだな。本当に、イヴァンでいいのか?」

 アルダリが俺に話しかける。何と答えて良いか分からず、「はい」とだけ言うと、今度はイヴァンの父が話しかけてきた。

「手紙では、君達はまだ恋人同士ではなかったみたいだが、あれから数日間イヴァンが頑張ったのかな?」

「えっと、」

 いったい家族に何と書いて報告していたのか。すでに俺達の仲を知っているような口ぶりで、家族がワイワイと盛り上がっている。

「好きな人ができたから、帰ってからもあの町に通うことになると伝えた。仕事を回す上で言わなければならなかったからな」

「本当に、来てくれるつもりだったんだ……」

 イヴァンは俺の肩を抱いたまま、はっきりと言い切る。

 本当に俺のことが好きなのだと実感し、嬉しさでもじもじとしていると、ルーサが興奮した様子で声をあげた。

「ねぇねぇ、こんなに綺麗なんだから、次回の陛下の誕生祭には代わりに踊ってもらおうよ!」

「駄目だ!」

 ルーサが、名案とばかりに言った言葉を、イヴァンが強く否定する。俺は急に大きな声を出した自分の恋人にびっくりし、肩が跳ねた。

「アサヒを見世物にしたくない。それにアレはお前の仕事だろう。やりたくないからと変な案を出すな」

 イヴァンの言葉に家族から、独占欲の塊だ、アサヒさんが可哀想、と声がするが、イヴァンは聞こえないといった風に俺の手を取ると、部屋を出ようと皆に背を向ける。

「俺達は部屋に戻る。また夕食時に会おう」

 それだけ言うと、俺を連れて歩き出したイヴァン。

 俺は焦りつつも、これからよろしくお願いしますという意味を込めて、再度彼らに頭を下げた。

「また後でね!アサヒさん!」

「ゆっくり休めよ」

 明るい声が後ろから聞こえたが、返事をする隙もなく扉が閉められる。

 バタン……ッ

 扉が閉まった音と同時に、思わずその場にへたり込む。

「アサヒ? 大丈夫か?」

「うん。……俺、びっくりしちゃった。嫌われてもおかしくないって思ってたから」

 家族の一人が見知らぬ男を連れて帰ったというのに、歓迎ムードで出迎えられ、安心して気が抜けてしまった。

 そんな俺を抱き起こしたイヴァンは、そのままひょいと持ち上げて横抱きにする。いきなりのことに驚いたが、イヴァンはさらに顔を近づけてきた。

「皆、アサヒが来るのを待ちわびていたんだ」

「そ、そうなの? 知らなかったから……」

「先に言っておけば良かったな」

 そう言っておでこにキスを落とされる。

 寛大な心を持つ家族には感謝しかないが、なぜ自分が歓迎されているのか気になる。それを尋ねようとしたところで、扉がバンッと勢いよく開いた。

「あら、まだここにいたの? も~、いちゃつくのは部屋に帰ってからにしたら?」

 フフフ……と笑うルーサ。

 恥ずかしくなり顔をイヴァンの胸の方へ向ける。

 イヴァンは、うるさいとぶっきらぼうに言い放つと部屋へと足を進めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る