高潔なる悪夢

白兎追

第1話

「あっけなかったなぁ……」


 亜希子あきこは机に突っ伏したまま、そう呟いた。窓から入り込む夕陽が眩しかったが、それを涙ぐんだ理由だということにしておきたかった亜希子は、顔を背けることも、カーテンを閉めることもしなかった。涙ぐんでいる理由が他にあると自分で認めてしまったら、惨めさから一気に足元が崩れていく気がしていたのだ。亜希子は夕陽の眩しさに耐えることで、自分なりに意地を示しているつもりだった。

 桂亜希子かつらあきこは来年、中学生になる。ついこの間まで、両親と弟の四人暮らしだった。父親は自動車メーカーの営業職で、母親は専業主婦。弟は小学三年生で、最近近所の野球チームに入ったばかりだった。亜希子は特別勉強もスポーツも得意ではなかったが、読書が趣味で、半年前から小説を書いてはインターネットに投稿していた。中学に入ったら、創作クラブに入ろう。亜希子はワクワクしていた。亜希子が通う予定の中学の創作クラブは小説でも漫画でも、高い実績があり、過去に全国レベルでの表彰を受けたこともあった。

 しかも亜希子にとって楽しみだったのは、仲良しの藤堂える《とうどうえる》が一緒に創作クラブに入ると約束してくれていたことだった。

 亜希子も小柄ながら色白で、さらさらの黒髪に少し垂れた目が可愛いと何人かの男子に噂されたことがあったが、三ヶ月前に越してきた藤堂えるの可愛さは亜希子をはるかに上回っていた。初めて見た時、その顔の小ささと肌の抜けるような白さに、亜希子は心底驚かされた。その後、何度も芸能事務所からスカウトされたという話を聞き、えるへの尊敬の感情を抱くまでになったが、ある時、ふとしたことからえるが小説を読むのが好きと知り、亜希子は意を決して自分の作品をみせた。笑われても構わないと思っていたが、えるがびっくりした様子で素直に「亜希ちゃん、凄い! 自分でお話書けるなんて、プロの作家さんみたい」と言ってくれた時の感動は、今でも思い出すと胸が熱くなるほどだった。

 その後、急速に距離の縮まる二人だったが、二週間前に事態は一転する。

 交通事故で亜希子の両親と弟が亡くなってしまったのだ。あまりのあっけなさに悲しむ間もなく、身寄りのなくなった亜希子は隣の市にある児童養護施設に引き取られることになった。

 呆然としたまま、大人達の言うとおりに書類にサインをして、受け答えを繰り返した亜希子が久しぶりに登校して見たのは、他の級友達と楽しげに有名スポーツ選手について会話するえるの姿だった。

 しかもえるは亜希子の顔を見るや、お悔やみの言葉も言わずに、こう言ったのだ。


「ねえ、亜希ちゃん。中学入ったらバスケ部行こうよ」

「バスケ部? え? 創作クラブ…… は?」

「今、バスケの日本代表選手ですごいかっこいい選手がいるの。竹村直人っていうんだけどさ、これが」


 亜希子は途中からえるの言葉を聞いていなかった。ただのべつ幕なしに話すえるが奇妙な生き物に見えてならなかった。

 えるちゃん、私がスポーツ得意じゃないの、知ってるでしょ? それなのに、バスケ部に誘うの?

 そもそも親友が家族を失って、最初に登校してきた時に言うセリフがそれなの?

 亜希子はそう叫びたかった。

 だが亜希子の表情に気づいていないのか、無視しているのか、えるはずっと自分の事だけ話し続けていた。

 その後の学校生活はあまりよく覚えていない。手続きなどで忙しかったこともある。亜希子は今日、施設の人間とこの西日の射すビルの一室で話すことになっているが、こうして時間があるとふっと我に返ってしまう。

 私とえるちゃんの関係ってなんだったんだろう?

 あんなに一緒に小説や中学でのクラブ活動について話したのに、少し留守にしたら、もう別の子と楽しくスポーツの話をしてるなんて……

こんなにも脆い関係だったの?

 何もかも、あまりにもあっけなさすぎる。

 お父さん達の死も。

 えるとの友情も。

 私自身の将来も。

 こんなにもあっけなく崩れていくなんて。


「寂しいよ、お母さん、えるちゃん。なんで側にいてくれないの?」


 亜希子は震える声でそっと呟いた。

 いつしか机には亜希子の涙が流れ落ちていたが、拭おうとは思わなかった。

 これは夕陽のせい。

 えるのせいで泣いているわけじゃない。

 だってそうだとしたら、あまりに惨めすぎる。

 桂亜希子という少女があまりにも、お人好しのバカであきれてしまうから。

 

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