賢い人
執行 太樹
指定された喫茶店が見えてきた。駅前の商店街にある、屋根が赤く少し古びれた小さな喫茶店。おそらく、あそこだろう。
「まったく、土曜の朝から呼び出しやがって。今月の契約数ノルマが達成していたら、こんな休日の営業なんて真っ先に断ったのにな。岸谷、お前もそう思うだろ」
先輩の竹野は、イライラを隠せない様子だった。私は、愛想笑いをしながら、そうですねと応えた。
私の勤める会社「コネクトフル」は、電気通信の企業だ。「人とつながる幸せを」を経営理念とし、通信機器やインターネット関連を通して、人々に「つながる」サービスを提供している。私は、この企業に勤めて2年目になる。
私が大学生の頃、下宿をしていた。家族と離れて心細く過ごしていた時、家族や周りの人から電話やメールを通して、たくさん助けられた。その時の経験から、人を思い、人に思われる幸せを、多くの人に届けたいと思うようになった。その時に自身が使用していた携帯電話の会社が「コネクトフル」だった。いつしか、そこに就職したいと思っていた。
喫茶店の中に入ると、年老いた男性が、いらっしゃいませと声を掛けてきた。竹野と私は、お店の中を見回した。奥の窓側のテーブル席にちょこんと1人、おばあさんが座っているのが見えた。あの人だ。
現在、「コネクトフル」は業界で2番手の企業だ。トップ企業に追いつけ追い越せと、新しい通信機器や画期的なサービスプランを開発し、近年勢いをつけている状況である。ここ5年で業界トップになるという方針を掲げたため、今年から従業員に過剰なノルマが課せられることとなった。我々営業部も、顧客を増やすために躍起になっている。竹野も私も、そのあおりを受けていた。
こんにちは、お待たせいたしました。竹野がおばあさんの方へ近寄り、笑顔でそう話しかけた。休日に、わざわざこんな所までごめんなさいねぇ。おばあさんは深く頭を下げた。いえいえと返事をし、竹野と私は向かいの席に並んで座った。今日の営業は、私がメインで話を進めるように竹野から言われていた。私は、あれから考えは決まりましたか、とおばあさんに切り出した。おばあさんは申し訳無さそうに応えた。
あれから色々と考えたんですけどねぇ・・・・・・。娘が、やっぱり私に携帯電話を持つようにってうるさくてねぇ・・・・・・。あと、孫とは電話をしたいんだけど、でも、あまり電話代をかけたくなくてねぇ・・・・・・。
今さら携帯電話なんて、とおばあさんはため息をつきながら用件を色々と話しはじめた。
私の母は、このおばあさんと同じぐらいの歳だった。母は病気がちだった。息子としては色々と心配なので、できるだけこまめに連絡をしたいと思っている。このおばあさんの娘さんも、状況は違えど、似たような気持ちだろうと思った。
おばあさんは始終うつむいたまま一通り話をし、ちょっとすみませんとお手洗いで席を立った。私は自分のかばんから、契約書と自社の商品が載っているパンフレットを取り出した。今回の訪問で、このおばあさんには、なんとか納得の行く形で契約に結びつけようと思っていた。
私はパンフレットを眺めて、おばあさんの要望に合うサービスを調べた。携帯機種は、そこまで最新のものでなくても良いだろう。あまり機能が多くありすぎても、このおばあさんには手に余る。また、家族との電話のみの使用であれば、それに合ったサービスプランがある。
すると、私の様子を横で見ていた竹野が話しかけてきた。
「おい岸谷、お前はどの方向で考えている」
私は、最新機種でなくても良いこと、インターネットなどの通信サービスを省いて通話のみの利用プランをすすめ、月額料金をできるだけ下げることを説明した。
話を聞いた竹野は、ふぅっとため息をついた。そして一言、それはだめだと断言した。私は竹野の返事に驚きと少しの苛立ちを覚えた。それとほぼ同時に、竹野は自身の考えを述べ始めた。
「おばあさんにすすめるのは、様々な機能が搭載された最新機種で良いだろう。提案するプランも、インターネットの利用が豊富にできるもので行こう」
竹野の提案したものは、このおばあさんが求めているものには合わない。こんなに高価なサービスは、必要ない。竹野は、わざと値段の高い商品をすすめているのだ。自身の売上のために。
私は率直な気持ちで、そこまでのサービスは必要なんでしょうか、と竹野に質問した。竹野は私の顔を見ていた。竹野の眉間に少ししわが寄ったのを、私は見逃さなかった。私の質問を聞いた竹野は、声を低くしてゆっくり話し出した。
「お前、わかってないな。年寄りは、時間が有り余ってるんだ。毎日、ただぼうっと過ごしているなんて、もったいないだろ。老体で家族の所へ出かけたり、買い物したりするのは大変なんだ。今はネットの時代だ。ネットで家族と連絡したり、通販や宅配サービスで買い物したりしたほうが、よっぽど良いに決まってるだろ。だから、色んな機能がついている最新機種で、ネットも使い放題のものが良いんだよ」
私が考えるような顔をしていると、その様子を見た竹野が、続けて言った。
「岸谷。おばあさんが言っていることを、そのまま受け取っちゃだめなんだよ。顧客の「今」を見るだけじゃなく、「その先」のことまで考えてやらないとだめだ。先を見据えたサービスを提案してやらないといけないって前にも言っただろ。そこがお前の悪いところだ」
私は、竹野の意見にあまり納得がいかなかった。私が何も返事をせずに黙っていると、竹野が今度は小さい声で畳み込むように話しかけてきた。
「相手は何もわかっていないばあさんだ。娘か誰か知らないが、心配だからスマートフォンを持てと言われたんだ。当たり前だが、スマートフォンについては素人だ。訳のわからない機械としか思っていないだろう。だから、知識のない相手があれこれ要望を言ってきても、そのまま「はい、わかりました」と返事をしちゃだめなんだよ。頭を使って、相手だけじゃなく、いかに自分にも利益になることを考えられるかが大切なんだ。自分の利益が、時には相手の利益になることもあるんだよ」
私は竹野の話を聞きながら、テーブルの上に置いてある契約書をじっと見つめていた。
休みの日に、わざわざありがとうございました。おばあさんは深々と頭を下げた。私と竹野は、これからもよろしくお願いしますと笑顔で言い残し、喫茶店を去った。
喫茶店を出てすぐ、竹野はポケットから煙草を取り出し、火を付けた。その煙草を一口吸ってから、並んで歩いている私によくやったと言った。そして、最寄り駅までの道すがら話し出した。
「人は、後ろに大切なものを背負うと、弱くなるもんなんだ。俺も3児の親だから、そこら辺は、よくわかってるつもりだ。それに人は、不安になると誰かを頼りたくなるものなんだ。誰彼構わずな。こっちが相手に寄り添う姿勢を見せて、あなたのことを思っていますよ、といった素振りを見せたら、相手はこちらを疑うことなく頼ってくる。俺達は、そんな人たちの不安を取り除く手助けをしているんだよ。そこを勘違いするなよ」
私は前を向いて歩きながらただ、はいとだけ返事をした。竹野は続けた。
「岸谷。お前に1つ言っておく。相手は、何の知識も無いんだよ。何も知らない者は、そんな自分を受け止め、変えようともせず、知識を与えてくれる賢い人を疑うんだ。そして、自分の状況が悪くなったときに、都合よく賢い人にすがろうとする」
竹野は、煙草をもう一口吸った。
「無知は罪なんだ。そして賢い者は、そんな無知でバカなやつに、自分の知恵を分けてあげてるんだ。バカなやつを助けてあげてるんだよ。要は、自分の頭をどう使うかが大切なんだ。そのことをしっかり覚えておけよ」
竹野が流暢に話している隣で、私は、先ほどおばあさんが印鑑を押したときの顔を思い出していた。
この物語はフィクションです。実在の人物や場所、団体などとは関係ありません。
賢い人 執行 太樹 @shigyo-taiki
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