空の祠
ビート肉
ああ、あんだでしだが、かんやぎやかばしゃっだんゔぁ。
1
"Aa, yappa anda desida ga, kam'yagï ya kabasyadda ng va."
( 『ああ、
「ああ、
酷く訛りのきつかったものだから初めはよく聞き取れなかったが、どうやらそのように言ったらしい。
私の目の前には今朝方私が
私に声を掛けた老人は、怒るでもなく、諦め切った様子で私の後ろに立っている。
私の方を向いているが、私を見ているのでもない。
老人の目には—————何もなかった。
⁂
私の祖父はこの地域の出身である。病気も滅多にしない丈夫な人だったが、一昨年首を
この村には祖父の兄弟が何人かまだ生きていて、祖父の亡くなった
祖父の実家ということもあって、子供時代、家族で何度かここを訪れたのを記憶している。その時はまだ私と同じくらいの子供が数人いたが、長じて村を出て行ってしまったのだろう。村には若者と呼べる人は一人もいなかった。
この辺鄙な村では、言葉がまるで分からない。外国語のようである。老人ばかりなので
その言葉と云うのが————
"Kenov sisi mba toreda gar ng, mesidde yugide gure ÿa"
「昨日鹿が獲れたから、食べて行ってくれ。」
——————こんな具合である。
そういえば、この村には奇妙な風習がある。奇妙と言っても、村人しか参加できない密儀的な祭礼だとか、生贄の儀式だとか云った大それたものではない。
祠である。
村のはずれの、
一見打ち捨てられたかの様に見えるその祠だが、どうやら毎日決まった時間にきちんと、近くの神社の神主が供え物を取り換えに来たりする様である。
村人はその祠を恐れている様である。
大叔父などは、「あの祠を壊すと祟られる」と言う。
初めは余所者の私をからかう為に、大叔父が嘘を言ったのかとも思ったが、どうやらそういう訳でもないらしい。多くの村人がそのように言う。
「祟られた者は必ず死ぬ。だからあの祠には神主以外絶対に近づいてはいけないし、触るなど
中には口に出すのさえ憚られると、語りたがらない者もいる。
大叔父は更にこう付け加える。
「それも一年や二年以内に、なんてもんじゃねぇ。俺の知ってる奴で一番長いのでいったら、祠壊して三十年も経ってから、気が触れちゃって、変な
変なものって、何?そんな私の質問に、大叔父は「さあ、なんて言ってたか、なんせもう二十年は前の話だからなあ」と答えた。
2
村からは
時刻は丁度七時を回ったばかりである。それでも老人ばかりの村ということもあって、村人は皆既に起きているようである。
縁側に座っていた婆さんに声を掛けられた。
「ああ、○○んどこん
「ええ、ちょっと散歩に」
「さいけえ。
婆さんはそう言って苦笑いした。
続けて言った。
「さいぎゃ、
「はい。分かりました」
「分かった」とは言ったものの、正直この時は祠のことなど大して気にしていなかった。
幽霊とか妖怪とか、そういった観念的なものを全て否定する訳ではないし、寧ろ学術的には興味深いとさえ思うけれども、生憎それを真っ向から信じる
それにしても、流石に田舎である。
清く豊かな水を湛えた、曲がりくねった小川が
頭上では見知らぬ鳥が聞き知らぬ歌を落として飛び去って行く。
叢に混じる花々には蜜を求める虫達が憩い、時々草が弓の様に揺れるのは
私は肌寒い空気の中を一人歩いて行った。
村人の誰も寄り付こうとしない、
私はその中を、脚に雑草を絡ませながら、朝露を踏み締め奥の暗がりへと進んでいった。
祠は小さかった。石製の奥行のある長方形の箱を縦にした様なものの上に、大振りな屋根が載っかっているだけの簡素な造りである。屋根は所々苔生していて、
古い。この祠は古すぎるのだ。私の様な素人でもそれくらいは分かる。苔や黴や石の目の粗さのみがそう感じさせるのではない。
ただ、なんとなく、
駄目だ。こんな所に居てはならない。ここを去らなければ。今すぐ。
私は言い知れぬ不安感に襲われ、急いで踵を返そうとした。
が、ふと、足に何か引っ掛かるのを感じた。
焦っていた所為もあるだろう。私は受け身を取る暇もなく、その
私が
気づくと、横たわる私の横に、ぼろぼろになった石の塊があった。
石は目が粗く、所々に苔や白黴が
そのすぐ
祠が壊れているのを最初に発見したのは、祝詞を唱えに来た神主だった。
彼はそれを村中に知らせて、村人は騒然となった。
当然余所者の私に最初に嫌疑が向けられ、結局、私は終日村内に拘束されることとなった。
⁂
時刻は既に
「ああ、
そう言った老人は、朱塗りの空の
彼はこの祠を護っていた神主である。
髪は既に白くなり、頭頂部は薄くなっている。両の目は相変わらず虚である。
老人は続ける。
「まあ、さい
「あの祠には何を祀ってあるんです?」
老人は私が動揺していないのに少し驚いている様だった。
「さいゔぁ
「どういう意味です?」
「さいどこに
「呪い?呪いだと言うなら、誰が掛けたんです?」
「
「皆が?」
「さい
「その、皆を束ねる為の方便が、時を経て呪いになったと?」
「さい
3
翌日、私は菅爺木村を去った。追い出される様にして、車で街に降って行った。
あれから半年ほど経つが未だに死ぬ気配はない。
しかし死ぬというからにはきっと死ぬのだろう。
私が死ぬのは一体何年後だろう。一年か、二十年か、はたまた祖父の様に既に齢を重ねてからか。
祖父は死ぬ時に何を見ただろうか。
何を感じただろうか。
それを私が知るのは、多分もっと先のことになりそうだ。
空の祠 ビート肉 @jiggy_jay
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