空の祠

ビート肉

ああ、あんだでしだが、かんやぎやかばしゃっだんゔぁ。



"Aa, yappa anda desida ga, kam'yagï ya kabasyadda ng va."

( 『ああ、彼方あんだでしだが。かばしゃっだんゔぁ。』 )


「ああ、矢張やはりあなたでしたか。祠を壊したのは。」


酷く訛りのきつかったものだから初めはよく聞き取れなかったが、どうやらそのように言ったらしい。


私の目の前には今朝方私がつまづいてこわしてしまった祠が、くさむらでばらばらになっている。


私に声を掛けた老人は、怒るでもなく、諦め切った様子で私の後ろに立っている。

私の方を向いているが、私を見ているのでもない。

老人の目には—————何もなかった。



菅爺木かんやぎ村は、山深く分け入った先にある、老人しか住んでいないような僻村である。国の過疎地域にも指定されている。耕地は多くないので、昔から仕事は猟師が主だったようである。


私の祖父はこの地域の出身である。病気も滅多にしない丈夫な人だったが、一昨年首をくくって逝ってしまった。悩みのあるような素振りも見せなかったので、悲しいのとショックなのと不思議なのとで、特に祖母や父などは混濁した気持ちだった。


この村には祖父の兄弟が何人かまだ生きていて、祖父の亡くなったのちも二度ほど挨拶に来ている。今日の訪問で三度目である。


祖父の実家ということもあって、子供時代、家族で何度かここを訪れたのを記憶している。その時はまだ私と同じくらいの子供が数人いたが、長じて村を出て行ってしまったのだろう。村には若者と呼べる人は一人もいなかった。


この辺鄙な村では、言葉がまるで分からない。外国語のようである。老人ばかりなので猶更なおさら聞き取りにくい。それでも幼い頃に何度か行ったものだから、相手の話を聞いているだけなら意味を取れるのだが、喋るとなるとまるで出来ない。だから私が主に接するところの大叔父が、東京に住んでいた経験があって、標準語の話せる人間で随分と助かった。

その言葉と云うのが————


"Kenov sisi mba toreda gar ng, mesidde yugide gure ÿa"

「昨日鹿が獲れたから、食べて行ってくれ。」


——————こんな具合である。



そういえば、この村には奇妙な風習がある。奇妙と言っても、村人しか参加できない密儀的な祭礼だとか、生贄の儀式だとか云った大それたものではない。


である。

村のはずれの、雑草むぐら茫々ぼうぼうに生い茂っているくさむらに、隠れる様にして、祠がぽつんとあるのである。


一見打ち捨てられたかの様に見えるその祠だが、どうやら毎日決まった時間にきちんと、近くの神社の神主が供え物を取り換えに来たりする様である。


村人はその祠を恐れている様である。


大叔父などは、「あの祠を壊すと祟られる」と言う。

初めは余所者の私をからかう為に、大叔父が嘘を言ったのかとも思ったが、どうやらそういう訳でもないらしい。多くの村人がそのように言う。

「祟られた者は必ず死ぬ。だからあの祠には神主以外絶対に近づいてはいけないし、触るなどもってのほかだ」と。

中には口に出すのさえ憚られると、語りたがらない者もいる。

大叔父は更にこう付け加える。

「それも一年や二年以内に、なんてもんじゃねぇ。俺の知ってる奴で一番長いのでいったら、祠壊して三十年も経ってから、気が触れちゃって、変なもんが見えるって、最期は自分で首縊って死んだよ」


変なものって、何?そんな私の質問に、大叔父は「さあ、なんて言ってたか、なんせもう二十年は前の話だからなあ」と答えた。




村からは今日発つ予定だったので、帰る前に一度村全体を見ておこうと、朝食を摂ってから散歩に出かけた。

時刻は丁度七時を回ったばかりである。それでも老人ばかりの村ということもあって、村人は皆既に起きているようである。

縁側に座っていた婆さんに声を掛けられた。


「ああ、○○んどこん御孫おんまごさん。これのうはよゔにどっがよがれんですが?」

「ええ、ちょっと散歩に」

「さいけえ。せがなんらるこてぃなんじょありゃしまねんねぇ」

婆さんはそう言って苦笑いした。

続けて言った。

「さいぎゃ、せがあたるや通れかけ、決してちごゔ寄らねんやうよせだめえねぇ」

「はい。分かりました」



「分かった」とは言ったものの、正直この時は祠のことなど大して気にしていなかった。

幽霊とか妖怪とか、そういった観念的なものを全て否定する訳ではないし、寧ろ学術的には興味深いとさえ思うけれども、生憎それを真っ向から信じる性質たちではないのである。


それにしても、流石に田舎である。

清く豊かな水を湛えた、曲がりくねった小川が滾々こんこんと、水面みなもに安穏な朝日を照らして進んでいる。

頭上では見知らぬ鳥が聞き知らぬ歌を落として飛び去って行く。

叢に混じる花々には蜜を求める虫達が憩い、時々草が弓の様に揺れるのは飛蝗ばったが跳び移る所為せいである。


私は肌寒い空気の中を一人歩いて行った。


しばらくすると件の祠のあるくさむらに行き当たった。私は婆さんの言ったことなどうに忘れて、その祠とはどの様な物かと寄って見ることにした。


村人の誰も寄り付こうとしない、もりを背にしたその叢は、膝まで伸びた蓬茅ほうぼう旭光きょっこうを受けて黄色く光っている。

私はその中を、脚に雑草を絡ませながら、朝露を踏み締め奥の暗がりへと進んでいった。


祠は小さかった。石製の奥行のある長方形の箱を縦にした様なものの上に、大振りな屋根が載っかっているだけの簡素な造りである。屋根は所々苔生していて、白黴しろかびの様なものまでこびり着いている。

。この祠はのだ。私の様な素人でもそれくらいは分かる。苔や黴や石の目の粗さのみがそう感じさせるのではない。

ただ、なんとなく、おそろしい———


駄目だ。こんな所に居てはならない。ここを去らなければ。今すぐ。


私は言い知れぬ不安感に襲われ、急いで踵を返そうとした。

が、ふと、足に何か引っ掛かるのを感じた。

焦っていた所為もあるだろう。私は受け身を取る暇もなく、そのまま爪先から崩れ落ちた。


私がたおれるのと同時に、石の塊が崩れる様な、鈍く重い感触が伝わってきた。私は暫くそこに倒れたままでいた。体中の痛みが、染み入る様に全身に戻っていくのが分かった。


気づくと、横たわる私の横に、ぼろぼろになった石の塊があった。

石は目が粗く、所々に苔や白黴がしていて、長方形の箱の形をしている。

そのすぐそばには、二つにぱっくりと割れた台形が、こちらを見上げる様に転がっていた。




祠が壊れているのを最初に発見したのは、祝詞を唱えに来た神主だった。

彼はそれを村中に知らせて、村人は騒然となった。

当然余所者の私に最初に嫌疑が向けられ、結局、私は終日村内に拘束されることとなった。



時刻は既にたれ時に差し掛かっていた。


「ああ、彼方あんだでしだが。かばしゃっだんゔぁ。」


そう言った老人は、朱塗りの空のもとに黒い影となって立っていた。

彼はこの祠を護っていた神主である。

髪は既に白くなり、頭頂部は薄くなっている。両の目は相変わらず虚である。


老人は続ける。


「まあ、さいになしねんだめえな。今日けゔぐよって訳じゃねんだしぎゃ。三年後みどぅとしぇのじがもせんねんし、十年後とゔどぅとしぇのじがもせんねん。彼方あんだわざどっでわぎぇじゃねんだりゃ?なれんば仕方せがだねん。不運しうぃつがずでだでこてぃぎゃ。」

「あの祠には何を祀ってあるんです?」

老人は私が動揺していないのに少し驚いている様だった。

「さいゔぁをれわがりゃねん。ただ先祖代々おやおやよつげち護っとる。せがしね、なんまてぃっとるんがゔぁ、大げや問題かなめじゃありゃせねんぎゃ。」

「どういう意味です?」

「さいどこになんがけ御座おぢゃるごとみなせんぜとりゃばせがれぁただうぇうとるいぇごれ、さやごとん。れぁぬろゔぃ。」

「呪い?呪いだと言うなら、誰が掛けたんです?」

たれげだんぢもねん。せでうぇうんなれんば、みなげだんぎゃ。」

「皆が?」

「さいむがせくんむらたぼせがっだいぇまたや所謂部落云うんがね、くんむらもさいっだ。たばけるこてぃっだ。さんだみぇかしぇご。」

「その、皆を束ねる為の方便が、時を経て呪いになったと?」

「さいっちゃ。」




翌日、私は菅爺木村を去った。追い出される様にして、車で街に降って行った。


あれから半年ほど経つが未だに死ぬ気配はない。


しかし死ぬというからにはきっと死ぬのだろう。


私が死ぬのは一体何年後だろう。一年か、二十年か、はたまた祖父の様に既に齢を重ねてからか。


祖父は死ぬ時に何を見ただろうか。

何を感じただろうか。


それを私が知るのは、多分もっと先のことになりそうだ。

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空の祠 ビート肉 @jiggy_jay

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