金枝に翡翠の葉の微笑みを

水底に眠れ

第1話

タイ・サタヒップ港沖 RTNS<<Ratchaburi(ラーチャブリー)>>



 日差しは高く、雨はなくとも雲量の多い海を灰色の艨艟が進む。艦首のハルナンバーであるF449の白文字に波がかかりつつある。七つの島を意味するサタヒップの港はその名前の通り良港であるが島に囲われているため針路は限定されているし、艦長の手際が試される港でもあるから、ここまでの速度を出すには理由があった


『ヨー島離れまーす!』

『よぉし機関増速、合流予定海域までは20knでいくぞ』


 半年に一度行われる東西訓練、王立タイ海軍はその編制上、タイ湾北方艦隊・タイ湾南方艦隊・アンダマン海艦隊の3つに分かれているが、アンダマン海艦隊からも隊を送ってもらい合同で訓練をする。それに向かうのにいくばくかの遅れが生じていたのだ。地勢上マレー半島を迂回して来てくれている艦隊を待たせるのは避けたいのが心情だったし


『今回こそは5FS(Frigate Squadron)の連中の鼻を明かしてやりたいからな』


 <<ラーチャブリー>>の艦長は艦橋の艦長席である赤い椅子に座って、双眼鏡で前方の針路を警戒しつつそう艦橋要員投げかける。その言葉には、舵を取らされた新米士官を観ていた航海長が応える



『いい加減胸を貸す側になりたいですからね』



 かの5FSはアンマダン海艦隊に属し、それを構成する3艦は日本からのお下がりの不知火級駆逐艦・・・元々は派生型である秋月・秋雲の両級が建造される事になって予算上調達予定だった3艦をそのまま安価で卸して貰ったものである

 王立タイ海軍における駆逐艦とフリゲート近代化更新の嚆矢となった艦で、フリゲートである我々<<ラムバーン>>級よりも船体容量が大きく、汎用駆逐艦としてはフルスペックともいえる艦かつ調達が本級よりはるかに早かったのでシステム習熟、VLSなどの新装備に対応するためのアグレッサーの役割を果たしていた。実際これまでの演習でも更新前の艦はともかく、新鋭艦であるこの艦が配属された1個FS(4隻)ではまだ一度も勝利を得ていない。気合いが入るもの当然といった所に水を差された形と言えようか


『水道抜けまぁす!』



 ブルワークからワッチの叫ぶような報告と共に左手にカーム島が流れていく。あの島は観光でシュノーケリングやらしているために民間船が周辺にたむろしているので危険な所がある。逆を言えば、ここを抜ければサトワップ港から外海に出たとして安心できる地点であった



『艦長。ワッチ要員、通常配置に戻されますか?』



 航海長が増員していたワッチを下げるべく、艦長に許可を求めたその瞬間だった。



ドゥン!!!



 爆発のような振動、雷ではないそれが<<ラーチャブリー>>の4000t、満載ともなればそれ以上の重量をもつ船体を揺るがす


『損害報告!ワッチ、何か周辺に変化はあるか注視せよ!』



 損害報告と周辺の監視は彼に任せる、と航海長と顔を見合わせて頷く。それから艦長は艦内電話をとり、CICへ繋げる



『CIC、艦長だ。先ほどの振動後、レーダー他異常みられるか?なんでもいい、何かあったら報告しろ』

『一瞬のノイズがありましたが、特に・・・いえ、アンノウン、空中目標、R(ラウル)コンタクト・・・本艦正面から北東方向に至近を擦過、降下しつつあり!』



 その言葉を聞いて、艦長は受話器を抑えて少し考えを巡らせる。一刻の余裕もない、本艦の北東方向はウタパオ国際空港があるのもそうだが、その隣はタイ屈指の工業地区であるマープタープットをはじめとする人口密集地だ



『総員戦闘配置!これは演習ではない!EMCON解除、FCSに火を入れろ!』 

『艦長!』


 航海長が声をあげる。その声に導かれて艦橋の外を見て、絶句した



ボチャン・・・ボチャン・・・



 いくつものキラキラと光る破片が、そして燃える塊が落ちてくる。あれは・・・人か?我に帰るなり、艦長は艦内電話にがなり立てる


『CIC!当該目標の速度はどうか!』

『減速中、高度さらに下がります』



 何かまではまだ特定できないが、目標は墜落してきている。それが街まで届くかはわからない。どうする?撃つべきか

 その問いには、CICから別の解が与えられた



『不明機分裂!ほぼ速度なくなります!降下中、旋回しています』



 機体が崩壊し、動力を失った部分はそのまま落下、動力がついた部分も制御がきかなくなり、きりもみに入ったのだ。これでは回復も出来ず、陸上にも辿り着けまい。ある意味安堵した自分に嫌悪感を抱く



『目標着水!アンノウンを失探!』

『内火艇降ろし方用意!副長、艦隊司令部に連絡<<ラーチャブリー>>は生存者捜索の為、現場海域に滞留するとな!』



 仮に墜落したのが旅客機だとして、きりもみに入った機体ではGによって座席に張り付けられたまま動力の推力を得たまま着水する為見込みがないが、分解した後部の方なら、おそらくまだ可能性はある。とはいえ叩きつけられた状態であるから、いかに素早く救助するかが問題となるだろう


『しかし艦長』

『わかっている』



 騒然とし始めた艦内で航海長が問いかけてくる。言いたいことは分かっている。衝撃と共に突然現れた航空機らしきものの墜落、相手がなんであるのか不明だが、厄介な問題になるのはおそらく間違いないだろう。だがそれでも



『救助活動を行うな、なんて野暮なことは言ってこんだろう。それこそシーマンシップにもとるというものだ』

『どこかのステルス機の可能性もあります。破片もいくらか回収しておくべきかと』



 確かにその可能性は捨てきれない。海中に沈んだものをサルベージするにしても、あれこれ外国から圧が掛かってくるかもしれない。今のうちに手に入れられるものは手に入れておくのは確かに手だろう。事故なら事故調査の原因追及にも資する。確かにそうだ、深くため息をつく


『人命が優先だぞ』

『了解です』



 ウタパオ国際空港沖に墜落した機体のうち、<<ラーチャブリー>>の首脳陣が想像した通り、後部座席に座っていた彼はなんとか命を保っていった。それでも衝撃は凄まじいもので、閉じかける意識の中で周りの惨状は意識的に弾かれているのか、良く認識できない。ただ、隣にいた乗客の下半身と上半身が分割して・・・たしかシートベルトをしていなくて、それでちぎれたんだったか。視界が真っ赤だ。畜生。それを認識したからどうなるって言うんだ。今は俺も身体が動かない、こんな光景見せられたまま、迫ってくる水に溺れて俺は死ぬのか


『天音、すまない・・・』



 俺は最期まで、お前の墓参りにも行けなかったな

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