家族はもういらない

G3M

第1話 伽耶と沙耶

 目を赤くした勝則がリビングに入ると、普段はよそよそしい沙耶かや伽耶さやが近づいて、にこやかに言った。


「お兄ちゃん、久しぶり」と伽耶。


「待ってたのよ、ソファーに座って」と沙耶。


 勝則は言われた通り座った。どうせ行くところはない。沙耶と伽耶が勝則の両脇にぴったりと座った。


「ずいぶん絞られたみたいね」と沙耶。


「ああ、」と勝則。


「ちょっと瘦せたみたいよ、お兄ちゃん」と伽耶。


 勝則はこの二人からお兄ちゃんなどと呼ばれたことがなかったので、気持ち悪かった。そもそもこの二人は自分を兄と認識していない。


「そうかな」と勝則は当たり障りのない返事をした。実のところ、眠いうえに腹が減っていて辛かった。


「お兄ちゃん、戻ってきてくれてありがとう」と沙耶。


 勝則は下を向いたまま、何も言わなかった。


「お兄ちゃん、私の目を見て」と沙耶が続けた。


「ちゃんと話をしたいの、お兄ちゃん」と伽耶。「顔をあげて。」


 勝則は悲しくなった。朝から、会う人会う人に、心配しただの寂しかっただのと言われてうんざりしていた。欠片も思っていないくせに。


「なんだよ、話って」と勝則は顔をあげて言いかけて、涙があふれた。「もう、一人にしてくれよ……。」


「大丈夫よ。私たち、気休めも慰めも言わないから」と沙耶。


 勝則が顔をあげた。立ち上がろうとした勝則を沙耶と伽耶がにっこり笑って両側から腕を組んで抑えつけた。沙耶と伽耶は勝則より一つ年下だが、小柄な勝則より身長が高い。


「兄さんとちゃんと話をしたいの」と伽耶。


 勝則は何も言わなかった。


「父さんと母さんはしばらくこの部屋には来ないわ」と沙耶。「兄さんと話をするから邪魔しないように頼んだから。もちろん麻衣姉さんも来ないわ。」


「話って何?」と勝則は細面の顔を沙耶に向けて少し傾けた。


「そんな怖い顔をされたら、話せないわ」と伽耶。


 立ち上がろうとする勝則を双子姉妹は再び両側から押さえつけた。


「兄さん、お腹すいてるでしょう?」と沙耶。「サンドイッチを用意してあるの。」


 コーヒーテーブルに置かれた箱を開けて、サンドイッチを取り出した。


「食べさせてあげる」と伽耶がサンドイッチをつまんで勝則の口元に運んだ。


 勝則は口を開けてもぐもぐと食べた。さらに妹たちに給仕されてサンドイッチを食べ続けた。水筒のお茶を飲み干すと、勝則はひと心地ついた。


「やっといつもの兄さんの顔になったわ」と沙耶。


「お話していい?」と伽耶。


「ぼく、眠いんだよ」と勝則。


「話が終わったらゆっくり寝かせてあげる。ちゃんとベッドも用意してあるの」と沙耶。「だからもう少し起きててほしいの。」


 勝則は小さくうなずいた。


「私たち、兄さんの日記を読んだの」と伽耶。


「ひどい……」と勝則。


「兄さんが盗撮事件の犯人と疑われ始めたとき、私たちはそんなはずはないと思ったけど確かめることにしたの」と沙耶。「それで、兄さんの部屋に忍び込んで日記を見つけた。」


 勝則は再びうつむいてあふれる涙をこらえた。「そんな方法で確かめなくてもいいだろ……。」


「だけど心配だったの」と伽耶。「お人好しで小心者の兄さんが罪を擦り付けられるなんて、見てられなかったのよ。」


「ぼくが犯人じゃないことはすぐわかっただろ」と勝則。


「ええ。」と沙耶。「だけどいくつか問題が出てきて、確かめなければならなくなったわ。」


「どういうこと?」と勝則。「最後の数日分を読めば僕が犯人じゃないことはわかるだろ。」


「そんなことは問題じゃなくなって、隅々まで読ませてもらったの」と伽耶。


「三年前からの分すべてってこと?」と勝則。


「そうよ、十二冊分すべてよ」とサヤ。「私たちが、感情のない冷血姉妹とか双子の魔女とかってどういうことなの!」


「そのことか……、ごめん」と勝則。「二人があまりによそよそしいから。」


「それは兄さんがあまり話さなくなって、私たちのことを避けてると思ったからよ」と伽耶。「私たちが兄さんのことを嫌ってるわけがないじゃない!」


「そうだね……」と勝則は再びうつむいた。「ごめん……。だけど誰も僕の相手をしてくれなくて、特に盗撮犯のうわさが出てからひどくなって……。」


「私たち、ひどく傷ついたわ」と沙耶。「腹が立って、もう二度と口をきかないって誓ったわ。」


「ごめん、そんなつもりじゃなかったんだ……」と勝則はうつむいたまま下手な言い訳をした。「ぼくだって二人のことを本当に嫌いなわけじゃない。」


「知らないわ」と伽耶。「それで兄さんのことをしばらく無視してたら、兄さんが家出した。」


 勝則はうつむいたまま何も言わなかった。


 沙耶が勝則の首に手をあてた。「兄さん、こっちを向いて」と沙耶の声がして顔をあげると、伽耶の平手が飛んできた。


 バシッと顔を張られて、ソファーの背もたれに倒れて、初めて沙耶と目が合った。


「どれだけ心配したと思ってるのよ!」と伽耶が叫んだ。仁王立ちになって涙を流している。


「ごめん」と勝則。


「他にボキャブラリーがないの!」と伽耶。「そんなだから誤解されるのよ!ちゃんと話をして!」


「ぼくが悪かった」と勝則。「二人のことがほんとうは好きだ。」


「勝則兄さん、」と沙耶が勝則を横から抱きかかえるようにして言った。「私たちのことを、『二人』じゃなくて、ちゃんと名前で呼んで。」


「本当は沙耶と伽耶のことが大好きだ。これからは自分の気持ちをちゃんと話すことにする」と勝則。


「私たちも兄さんのことが大好きよ」と沙耶が勝則にのしかかって押し倒した。「ちゃんと私の顔を見て!」

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