わたし、旅行者(トラベラー)。
宇波
京の都の鎧武者
第1話 どうしてこんなことに
どうして。
どうして。どうして、どうしてどうして!
どうして、こんなことに!!
京都の夜道。人里はさほど離れていないけれど、観光地と呼ばれる場所と、隣り合わせの路地の裏。
先ほど撒いたと思った足音が、今尚背中に迫っている気がする。
弥子は背中のリュックを腹側に回し、それをきつく抱きしめる。
名前に子、などと文字が入っているためか。
或いは元来持つ気質のためか。
弥子は、男にしては妙にひょろりとした身体を、路地裏の脇、さらに隙間に滑り込ませる。
しゃがみ込めば、真正面にて見下されない限り、見つかることはないだろう。
少しの安堵から出たため息を、それでも彼はすぐに飲み込んだ。
がしゃん、がしゃ。
金属と金属が重たく束になって擦れる音が、向こう側から聞こえてきたから。
先程から追い回されているそれは、果たして、本当に、この世のものなのだろうか。
音江 弥子は
とはいえ、成り立ても成り立て。
つい、半日ほど前。初めての仕事を『
『
それは世界各地から、旅行者の協力を募ることができるインターネット掲示板。
旅行者の仕事は多岐に渡る。
寂しい観光地の賑やかし。
観光名物考案の手伝い。
世界各地から訪れる、異国観光客の通訳や案内。
他にも、観光資源の確保、景観保護の手伝いなど。
探せば星の数ほどもある旅行者の仕事は、日本だけでなく、世界各地からこの掲示板に集められる。
しかし、旅行者の仕事とは、もしかすると、一般の人でもできるであろう仕事だけではない。
危険と隣り合わせの仕事さえ、時には存在する。
そして、旅行者の真髄とは、その仕事にあった。
例えば、正体不明の影に追いかけられる噂。
夕方、影の伸びる頃。噂の影は形を成す。
影は通常、陽の光などが物体に当たり、その光を遮ることでできるものであるのに、噂の影は対象となる物体が存在しない。
誰の足元にもない影が、自立し、早く家に帰らない子どもを追いかける、なんて噂。
例えば、夜中3時のありがとう。
とある地域のとある場所で、夜中の3時にとある儀式をすると、延々と『ありがとう』の声が聞こえてくるとか。
それはその場所に封印されていた怨霊が、儀式によって解き放たれたことによる嘲りの言葉、なのだとか。
例えば、お山の神隠し。
山の中に迷い込んだ人々が、忽然と姿を消す話。
戻ってきた人も、未だ戻らない人もいるらしい。
山中異界。その御業は神か妖か。
例えば、放課後教室の中の降霊術。
五十音順の平仮名と、鳥居を書いた紙の上に、硬貨を滑らせ占う儀式。
よく聞くそれから現れ出でたモノは、素直に帰ってはくれないだろう。
―例えば。
夜な夜な京の裏小路を、重い金属音が徘徊する話。
金属を束ねて、重苦しい音を擦らせるソレに見つかったが最後。
腰に佩いた刀の錆となるまで、追い回されるという話。
弥子は今日。
ソレを排する仕事を受けてやってきた。
そう。受けてしまったのだ。
(本当は、本当は……っ!)
ただのゴミ拾いの仕事を受けるつもりだったのに!!
声を出せない彼の心の叫び。
そう。なんということか。
彼は、単純なケアレスミスでここにいる。
旅行者斡旋掲示板で、記念すべき初めての仕事を、観光地のゴミ拾いと定めた彼。
緊張し震える手で応募するボタンを押した彼。
応募するボタンを押すときに、目を瞑ってしまったのが悪かったのだろうか。
それとも、応募した後にワンクッション入る、内容確認のページ。
それを高速スクロールで読み飛ばしてしまったのが悪かったのだろうか。
彼がそれに気が付いたのは、依頼確定メールが届いた後、依頼を出した関係機関に顔を出した時。
概要を聞いているときに、どうもゴミ拾いの内容と違うと、内心冷や汗をかいていた。
(そういえば、あの時はやたらとお高そうなお茶とお菓子を出されてた)
旅行者というのはゴミ拾いの仕事でもこんなに歓迎されるものなのか。と内心で驚いていたことを思い出す。
なんてことはない。
ただ、命を懸けて平穏を守りに行く若者を、せめて高いお菓子や何やで送り出そうという心遣いだっただけだ。
それに気がつくこともなく、呑気にお菓子を頬張っていた過去の自分を殴りたい。
それはもう。助走をつけてフルスイングで殴りに行きたい。
お菓子もお茶も平らげた後に告げられた、仕事の内容。
依頼者側からしてみれば、内容の再確認と認識のすり合わせのつもりのその話は、弥子にとっては青天の霹靂。
初めて聞く話だった。
しかし後悔は先には立たない。
彼は既に、高いお菓子をご馳走になっている。
そもそも、旅行者斡旋掲示板で受けた依頼は、最低一回はクッションが敷かれている。
この依頼を本当に受ける? と確認のための一ページが。
その場で思い留まって、引き返すことも選べるそのページを通過するということは、二度に渡って内容に了承したということ。
つまり、自身の確固たる意志で依頼を受けたも同然なのだから、その契約の破棄には相当のペナルティがかかる。
後悔が彼の背後で指を差し、大口開けて大爆笑している姿を幻視しながら。
期待と哀れみとよくわからない複雑な感情を顔に浮かべる依頼者を前にして。
彼は、是と頷くほかなかった。
―だから今。彼は後悔している。
ものすごく、後悔している。
がしゃん。
本当だったら今頃は、ゴミ拾いも終わって旅先でのんびり温泉でも入ってるつもりだったし。
がしゃん。
まさか今、温泉にも入らず逃げ惑っているとは思いもしなかった。
がしゃん。
護身用にホームセンターで買った包丁は、どう考えてもあの金属の塊に太刀打ちできないし。
がしゃん。
そもそも、あんな如何にもホンモノと思われる鎧と対峙することになるとは思ってもなかった。
がしゃん。
がしゃん。
がっしゃん。
嗚呼。
目の前に来たあの鎧が、見下ろしている気配がある。
命の終わりの臭いがした。
重たい金属が持ち上がる音。
弥子はきゅっと目を瞑る。
せめて痛みがないようにと願いながら。
がっしゃあぁん!!
ひときわ大きな音が鳴り響く。
鼓膜を震わす嫌な音が、彼の右耳から左耳へと流れていく。
痛みはない。
少しだけ遠くの方で、金属が地面を擦る音が聞こえてきた。
その音がしてすぐ。
もう一人の足音と、女の人の声がした。
「ちょっとー。通行の邪魔なんだけどー」
妙に間延びした声は、向かう道にちょっとした障害物があると言いたげに、不快感を滲ませている。
さっきまでの金属音が、忙しなく鳴っている。
それを追い詰めるか如く、足音はゆっくりと左側へ流れていく。
「へいへい、鎧さんよー。どこに行くって言うんだい?」
ガシャン!
金属音と、地面を擦る音。
金属を思い切り蹴飛ばした時の反響音が僅かに。
それから、くぐもった声が少し。
うっ、とか、ぐぅっ、とか、そんな感じの。
弥子は、恐る恐る目を開ける。
しかし、固くなった身体と緊張はほぐれない。
もしかすると、鎧と女の声が、グルである可能性もゼロではないから。
そうして開けた視界に飛び込んできたのは、地面にうつ伏せで倒れている鎧武者と、その頭を踏みつけている女。
女は、踏みつけた鎧の頭をガンガン蹴りながら首を傾げている。
その度に、その中からは苦しそうなうめき声がくぐもって聞こえてくる。
「あっ、ああああ、あの!!」
思わずといった風に立ち上がった弥子。
ヤバいと彼が思うより先に、女が振り返る。
鎧の頭は足蹴にしたままで。
「あれ? 人、いたんだー。だぁれ?」
「え、あっ、僕……」
「んー? ま、いいかぁ。君、ここ危ないからさ。早く人の多いとこ行きなよ?」
こてっと首を傾げる女の足元からは、未だにうめき声。
手足はもがいているのに、どういうわけか、抜け出せていない。
頭を押さえられているだけなのに。
「あの、その人」
「人?」
女はきょろきょろ辺りを見渡し、ようやく足元に視線を遣る。
「……ああ。これ」
すっ、と細まった目が、冷たく見えた三秒後。
何事も無かったように、その目は弥子に向けられた。
「君は気にしなくっていいよー。んーと、映画のセット。練習中。おっけ?」
弥子は思い切り首を横に振る。
女は聞き分けの悪い子を見る目で弥子を見る。
女が何か言うより先に、弥子は言葉を発する。
「その、中の人、苦しそうな声が聞こえて」
「中の人?」
ハッとしたように女は、押さえつけている鎧の頭を外しにかかる。
面頬、兜を外すと、中から若い男の人が顔を出した。
彼は情けないほどグシャグシャに泣いていて、嗚咽もひどく、何を言っているのか聞き取りづらかった。
「あー……。ははっ、だから重かったんだー」
とにかく事情を聞こうと男を慰めている弥子の横で、そんな事を呟いていた女が、やけに弥子の印象に残った。
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