言葉の狭間に生まれる恋

細波ゆらり

01 スタートライン



 夏休み明けの二日間の実力考査が終わった。朝から、四科目続いた試験のおかげで頭は疲れ切っていた。

 四科目ぐらい、さらりとこなす集中力と体力は受験生には必須だ。夏休み中も、塾と自宅の往復に終始し、碌に体力づくりもしなかったツケが回っている気がする。



 空調は効いているものの、換気のために窓が細く開けられているため、蝉の鳴き声がうるさい。


 映有の高校は市内の中心部にあるにも関わらず、市営公園に隣接する立地のため、緑豊かな場所だ。したがって、夏は蝉がうるさい、とても。視線を窓際に彷徨わせ、窓から見える生い茂った木々を忌々しい気持ちで眺める。


 映有がぼんやりした頭で外を眺めていると、窓に近い席の一人が振り返り、目が合った。同じクラスではあるが、話をしたことのない男子、白鳥シュウだった。



「ハル!」

 白鳥から目を逸らした瞬間、名前を呼ばれた。映有をニックネームではなく、映有ハルと呼ぶのは、親友のかすみだけだ。かすみは振り返って、教室の前を指差している。


映有エーユーは、仕入れでいいか?」

 クラス委員の金谷が言う。


 考査後、臨時ホームルームで文化祭の役割分担をしていたのを思い出す。


「え? 仕入れ?」

 慌ててホワイトボードを見ると、まさに食材仕入れの担当として、名前が書き込まれるところだった。AU、と。

 



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リーダー 金谷

サブ 鈴木

会計 山下


・事前準備

内装・外装・衣装

 デザイン ⚪︎黒田・橋本・じゅん・高橋

 資材調達 ⚪︎水野・てっしー・山本かな

 内装設営 ⚪︎佐々木・山田・橋口・西岡・近藤

 外装設営 ⚪︎村木・相澤・ゆうき・かとけん・やっさん・秀

 衣装   ⚪︎かすみ・ゆか・西谷・まこ・山本さ・原田・らん



食材・什器

 仕入れ ⚪︎楢崎・清水・中川・増田・AU


・当日

 呼び込み

 キッチン

 ホール

 レジ

 

-----------------------




「私… 当日がいいかな… 」

 呟いたときには、名前は書き終えられていた。


「楢崎からのご指名だけど… どうしても…なら、消すよ?」

 金谷がすまなそうに答える。教室中の視線が集まっていることに気づくと、断るには遅すぎたと判断した。


「… ああ… まあ、いいよ… 」

 楢崎は小学校からの付き合いだ。振り返って楢崎を見ると、手を振っている。


 成績良し、人柄良し、見た目も良し。昔から女子の人気を独占する男だ。ホワイトボードの楢崎の名前の後ろの三人は、楢崎ファンの女子共だ。役割が何であれ、文化祭で楢崎と同じ時間を過ごしたかったに違いない。

 映有から見れば、小学校一年の時に給食の牛乳を飲み切れずに大泣きした阿呆であるが、今や学校一の人気者だ。楢崎が、ファン相手に気疲れしそうな時ほど、映有を担ぎ出してくるのは昔馴染みの甘えなのだ。



 ぼうっとしていた自分が悪い。了承の意味で、金谷に頷いて見せると、役割決めは続いていく。


 高校三年の文化祭は、高校最後のビッグイベントでもあり、夏休みにつけた勉強のペースを失速させ兼ねないリスキーなイベントでもある。映有は、当日だけ楽しみたい派だったが仕方ない。



 ホームルームが終わり、ロッカーの前で帰り支度をしていると、楢崎がやって来た。


「わりぃ」

「… 別にいいよ」

 手を止めずに答えた。


「実はさ… 」

 楢崎は一歩近づき、両手を顔に添えて、映有の耳元に寄せた。


「I大の総合選抜、受けるんだよ。再来週。まあ、受かんないと思うけど… 」


「え?」

 さすがに映有も楢崎を見る。


「それ、準備できなくない? 何でリーダーなの?」

「… だよな。でも、書類は提出し終わってるし、面接だけだし、気晴らしに、と… 」

 映有が睨みつけると、ばつの悪そうな顔で明後日の方を向く。

 この顔は、中学の時にも見た。楢崎が生徒会長に立候補した時、映有を道連れに担ぎ出し、映有まで副会長に立候補させられた時だ。職員室に呼ばれた映有が、担任と学年主任の先生に荷が重いと訴える横で、お前は適任だ、俺がサポートするから心配するな、と大見得を切った。蓋を開けてみれば、気の合わない友人と生徒会をやりたくないがために映有を招き入れただけで、部活で忙しい彼の仕事の半分を映有が肩代わりした。


「面接準備は?」

 二の舞だと思いつつ、悪気のなさそうな楢崎の顔を見ると、事情ぐらいは聞いてやろうという気になる。

「まあまあ。だから、別に平気なんだけど、三人衆も同じ係じゃん。ちょっとめんどくせぇな、って思って、指名しちゃった… お前、一般だろうし、やりたくなさそうなのは知ってたんだけど… 」

 楢崎は両手を顔の前で合わせて、ごめんのポーズを取る。


「そう思うなら、やめといて欲しかったけど?」

「仕入れ先だけ決めてくれたら、後はやるから… 」

 後半はごにょごにょして聞き取れない。


「そんな簡単な話?」

 嗜めるように見ると、誤魔化すように映有の肩を叩く。

「簡単! 後は任せろ。大丈夫大丈夫!」

 楢崎は笑いながら後退ると、去って行った。



 I大志望だったとは。楢崎の成績なら、難関大の殆どは受かるだろう、ぐらいに思っていたが、具体的な志望校の名前を聞くと、何だか心がざわついた。来年の春というかなり近い未来に、自分がどこで何をしているのかわからない不安は箱にしまって蓋をしている。

 楢崎は受からないかも、と言ったが、受かれば二か月足らずで将来が確定する。それを羨ましいと思う気持ちと、楢崎のように受験から解放される友人たちを尻目に、あと半年受験勉強のラストスパートを乗り切れるだろうかという不安が入り混じる。



「… 田中さん、ロッカー、いい?」

 楢崎が去っても、手が止まっていた映有の背後に白鳥が立っていた。

 映有の開けっ放しのロッカーの戸が邪魔なようだった。


「… あ、ごめん」

 慌てて、ロッカーから参考書を取り出そうとし、手を滑らせる。


 ズサッ


 映有より早く白鳥は屈むと、落ちた参考書を拾い上げた。


「急かしてごめん。はい」

 白鳥が拾った参考書を手渡す。背が高いとは思っていたが、隣に並ぶとかなりの身長差だった。お礼を言うには、かなり見上げる必要がある。


「ありがとう」

「これも?」


 白鳥はもう一度屈むと、白いシリコンのイヤホンカバーを拾い上げた。


「あれ… そうかな… 」

 映有はブレザーのポケットからイヤホンケースを取り出し、中を確かめる。

「… そうかも。片方取れてる… 最近、よく外れるんだ」

「シリコン傷むと、外れやすくなるよね」

 白鳥は指先でシリコンを軽く押しつぶす。

「劣化ね…」


 映有は受け取ろうと手のひらを白鳥の前に出した。耳垢でも付いていたらまずい。さっさと取り返したかった。


「埃だらけだけど、まだ使う?」

 見れば、落として時間が経っているのか、ゴミが付いている。


「えっと、洗うよ」

 とりあえず持って帰ってから考えようと思った。頭の中が楢崎の受験の話で霞んでいるような感じだった。


「替え、持ってるから… あげるよ。一回、ロッカー閉めてくれる?」

 靄のかかった頭では、初めて話す白鳥の親切心に対応しきれない。言われるがままロッカーを閉めた。


「家に多分あるし、大丈夫だよ… ありがと」

 断ろうとする映有などお構いなしに、白鳥はロッカーから透明の小さなジップ付きの袋を取り出す。近くの机に中身を出すとサイズの違うシリコンカバーが五、六個、机の上に転がり出た。


「サイズ、これ?」

 同じサイズをつまみ上げると、白鳥は手のひらに載せる。

 断るフェーズではなくなり、イヤホンケースに残っているシリコンカバーを確認する。


「うん、一緒っぽい」

「それも替えたら? 新しいのに」

 今日は言われるがままという運勢なんだな、などと考えながら、白鳥が指差す手元のシリコンカバーを外す。強引な楢崎はともかく、白鳥は意外と世話焼きであることは発見だ。


「はい」

 新しいカバーを差し出され、映有は手のひらを広げる。

 シリコンカバーが手のひらに置かれる時、白鳥の指が映有の手のひらに触れた。


「!」

 アクシデント的な接触に動揺するものの、映有は平静を装った。


「あ、ありがとう。何か… お礼するね」

「いや… 余りだから。田中さんが使って。どうせ、買った時について来たヤツだし」


「…うん。ありがと」

 貰った新しいカバーをイヤホンにはめる。メーカーは違うがすんなりはまった。

 要らないものだからと言われても、お菓子か何かお礼をしないと不均衡な感じがする。初めて喋ったその日にいきなりモノを貰って礼をしないほど、厚かましくない。


「あのさ、田中さん、じゃなくて、エーユーでいいよ、みんなそう呼ぶし」

 白鳥の厚意に、今すぐ返せるものが思いつかず、思わず口走った。


「エーユー、音読みね。田中さんの雰囲気に合わないなって思ってた。"はる" の方が合ってるよ」

 白鳥は映有に背を向け、ロッカーから荷物を取り出しながら答えた。


「そう?」

 映有も、はるの方が気に入っているが、だからこそ、そう呼ぶのはかすみだけで良いと思っている。合っていると言われても、はると呼んで、とは言えず、曖昧に答えた。


「… 僕は、シュウでいい。田中さんに名前を呼ばれたことないから、一応言っとく」

 ホワイトボードにも、秀と書かれていたのを思い出す。

「同じクラスなのにね… 今まで喋ったことなかったし… 」

 下の名前を呼び捨てて良いものか考える。

 白鳥は男友達からは確かにシュウと呼ばれている。女子からはどうだっただろうか。女子と話している白鳥は記憶にない。


「帰る?」

「え?」

 映有もリュックに荷物をしまい終えていた。もたもたしている内に、教室には二人しか残っていなかった。


「地下鉄だっけ?」

「私、自転車。駅を通り越して… 北町のさらに北」

 手にしていた自転車の鍵を見せた。


「駅まで一緒に行く?」

「あ、うん… シュウ…くんは、地下鉄?」

 断る理由もなかった。


「そ。地下鉄とバス、乗り継いでる。光ヶ丘。自転車でも来れる距離だけどね」

 シュウもリュックを背負うと、教室のドアの方に首を傾けた。


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