離れた後のSNS後遺症の実態

白鷺(楓賢)

第1話 呟きの罠

SNSとの決別を決意した日、私は大きな解放感を感じていました。もう時間に追われることなく、日々の生活や自分のやりたいことに集中できるはずだ、と。実際、その最初の数日は心が軽くなり、空いた時間を執筆や趣味に費やせるようになりました。しかし、次第に私はある異変に気づきました。SNSをやめたはずなのに、なぜか無意識にスマホを手に取り、SNSアプリを開こうとする自分がいたのです。


SNSは、瞬時に「つながり」を感じさせる強力なツールです。呟けばすぐに誰かが反応してくれるかもしれない、承認や共感が得られるかもしれないという期待感が常にある。この期待感が、次第に私を呟くという行為に依存させていきました。特に私のように自己表現を求める人にとって、SNSは「簡単に発信できる」ツールであり、それに慣れてしまうと、その感覚を手放すことが非常に難しくなります。


しかし、SNSにはもう一つの顔があります。それは、発信しても達成感が得られず、常に何かに追われる感覚に陥ることです。誰かの反応を期待しては、通知を確認し、期待通りの反応がなければ焦燥感が募る。このサイクルが続くうちに、心はどんどん疲弊していくのです。


私はその疲労感から逃れるために、SNSを完全にやめる決意をしました。SNSを離れることによって、心の余裕や自由な時間を取り戻すことができると思ったのです。しかし、すぐに私を襲ったのは、SNSから離れた後にも残る「後遺症」でした。SNSを開く衝動、もう一度呟きたいという欲求。それはまさに、中毒のようなものでした。


SNS後遺症とは、SNSをやめた後でも、日々その誘惑に引き戻されそうになることを指します。これが、私にとって一番の難関でした。SNSをやめると決めたはずなのに、ふとした瞬間に「今何かを呟けば誰かが見てくれるかもしれない」という衝動が湧いてきます。そして、その衝動を抑えることが、思った以上に大変でした。


SNS後遺症に苦しむ中で、私は気づきました。SNSは単なるツールではなく、強烈な中毒性を持つコンテンツであり、一度その世界に足を踏み入れると、簡単には抜け出せないものだということを。だからこそ、私は決してSNSに戻らないという強い意志を持ち続ける必要があるのです。


第1話では、SNSの魅力と、その影に潜む危険性についてお話しました。次回は、この後遺症との戦いについて、さらに深く掘り下げていきます。SNSをやめることは決して簡単なことではない。その現実とどう向き合うかが、これからの課題です。

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