祠治し
アゴトジ・セボネナラシ
祠治し 〜壊れたその祠、治します〜
電話で聞いたとおりの現場にたどり着く。
石造りの階段を上がり切ると、祠の壁面にはいくつもの穴が見て取れた。破損部の木材は乱暴にささくれだっている。
こじんまりとした祠だ。大人四人で輪っかを作ればそれを囲めるぐらいには。周囲の鬱蒼とした木々に風のざわめきを聞く。
俺は膝に手を当ててうつむき、一息ついた。慣れた道だが流石にきつい。少しめまいを感じる。
「煙草。やめちゃいましょうよ」
祠の方から向かってくる助手に顔をやった。涼しい顔をしてやがる。俺は鼻で笑った。
「俺ぐらいの歳になれば、吸う気持ちが分かるよ。お前にも」
「そうならないように頑張りますよ。ところで」
助手にスマホを向けられて、俺はその画面に顔を近づけた。
「大きな棒状のなにかで開けられ、あ、拡大しましょうか」
「老眼じゃねえよ」
助手が撮ってきた現場写真を入念に見る。これならいけそうだ。
俺は湿った地面から少しでも乾いてそうなところを探し、背負っていたリュックをそこに下ろした。
「田中さんに連絡しといて。治せそうだ」
「了解です」
俺はスマホに向かって話す助手を横目に、祠の残骸をまず整理し始めた。周囲の梢はあいも変わらず、ざわざわと音を立てている。
「あぁ。痒い」
日が落ちる前に、俺と助手は麓へと引き上げた。先の土地一帯の所収者である田中さんのご厚意で、いい宿を手配してもらった。
そして俺は温泉に浸かっている。
「虫除け、効果なかったですね」
助手が腕にできた豆粒大の赤い腫れを見せてきた。俺の体にも同じ模様が点々としている。
「羽虫避けにはなっただろ」
「あんなでっかい百足、始めてみましたよ。主かなにかですかね」
「さあな」
浴場を照らすオレンジ色の電灯が、湯船から立ちのぼる蒸気の奥で揺らめいている。
「あそこって何を祀ってたんですか」
「知らん」
「あれを壊した外地の人って見つかったんですかね」
「田中さんに聞け」
俺は湯を手のひらにすくって、顔にかけた。助手のついた溜息が湯けむりの奥にかき消えていく。
「
「俺は治せればそれでいいんだ」
「その割に、風土史とかの文献を漁ってる印象があるんですが」
「設計に関わってそうなものだけだ」
「信仰対象と建築デザインの関連ですか。それなら」
俺は右手を湯面から出した。掌を向けられた助手は話を止める。
「やめておけ。知りすぎる、ということもある」
水面が揺れている。
「……分かりました」
助手が口を開いた。
「諭したくなるんですね。歳を重ねると」
「お前って結構、俺を舐めてるよな」
俺は笑い、掌で湯面を勢いよく掻いた。湯をかけられた助手もそれに応戦しはじめ、ガキみたいな俺たちの笑い声が浴槽に響き渡っていた。
そうして祠を修繕する日々が始まった。
規模は大したものではないが、祠の設計と立地が修繕の足取りを重くさせている。
「第一印象よりもきつい現場ですね」
「今までが簡単だっただけだ。今回みたいなのも山ほどある」
「なるほど、僕が来るまでにたくさん辞めてきたわけだ」
助手は愚痴をこぼしつつ、装飾を掘っている。時々ムカつくやつだが筋はいい。俺は助手の仕事をチェックしていく。
「ん?」
一つの彫り細工に目を留めた。
「あれ? 僕ミスりましたか」
「いや、むしろ良い。手直しがいならないぐらいにな」
汗の伝っている助手の頬が笑みで歪んだ。
「竜胆さんに習ったかいがありましたね」
助手はそう言うと、手元の仕事に再びのめり込み始める。休み時に外へよく出るとは思っていたが。
「そうか」
いつものように風が吹き、俺たちは葉擦れの音に沈んでいく。
ある日、俺だけ現場に遅れた。地域の会合に参加していたからだ。
階段を登り、祠につく。最近は息も上がらなくなった。どこかの誰かさんのおかげで。
助手に進行状況を尋ね、自分の仕事に取りかかりはじめた。
日が西に傾き始め、森も少しずつ橙色を強めていく。夕の休み、荷物置き場からなにか持ってきた。白い布包みだった。
「竜胆さんの居なかった午前体に渡されたんですけど」
「誰に」
「初めてあった女性です。麓の誰かですかね」
森は静まり返っている。
「でも綺麗な方でしたよ」
俺は風呂敷を開く。白布に指の土汚れがついてしまった。これでいい。
「うわあ。綺麗な菓子ですね」
俺はこれが何事もないなにかであるように振る舞わなければないと、知っている。
「食うか」
「勿体ないですね。お礼を言いたいんですが、宿の人なら知ってるでしょうか」
端正に組まれた白い紙箱に入った焼き菓子をつまみつつ、俺は口を開いた。
「そうだな。そうしようか」
胃がむかつくぐらいに美味い。こぼれた菓子のかけらが地面に落ちる。
「最後の一仕上げもこれで頑張れますね」
微笑む助手に俺はうなずき返した。
これでいいはずだ。俺もこいつも何も知らない。知らないはずなんだ。
俺は汗を拭った。少し冷えたのだろう、膝の震えはそのせいだ。
菓子をザクザクと砕く、俺たちの乾いた咀嚼音だけが一帯に響き渡っている。
翌朝、俺は一人だけだった。
助手の荷物は部屋に残っていた。宿の人も誰一人、彼が出てていく姿を目にしなかったと言う。
彼の靴箱におさまった作業靴を触ると、ひんやりとしている。俺は最低限の支度を済ませ、朝飯について宿に断ったあと、山に向かって駆け始めた。
早朝の空気はひんやりと喉を冷ましていく。最悪なくらいに心地良い。
登り坂を走り、木の根を飛び越え、石造りの階段を駆け上がっていく。ここ数年で一番の絶好調だ。
誰のせいだと思ってる。
眼前に祠が見え始めた。この前久しぶりに見た荒れ果てた姿が嘘みたいに変わっている。
当然だ。俺が、俺たちが治したんだから。
「おい」
俺は怒声を放った。今までだったら掠れて出せなかったほどの大声。
「……いやね。こんな静かな場所で」
祠の影から白布が覗いている。細長い幾枚もの布がたなびいている。風も吹いていない無音の森に。
「違うだろ」
「なにが」
「あいつは、違うだろ! 何も関係ない」
頭上でキシキシと枝葉が軋みはじめた。軽やかに、俺をあざ笑うように。
「違うわよ。可愛いな、と思っているだけ」
足元の石を瞬時に掴み取って構えるぐらいに俺の頭は冷えていた。そしてそいつの腰掛けている祠を目にして、投げを止めるぐらいには冷え切ってしまった。
女の顔がほほえみに歪んだ。
それに目を奪われる自分に苛立つ。昨日までは助手に気取られないように頑張っていたのに。
「本当にあなたは可愛いわ。久しぶりでしょ、こっちにおいで」
女の白い腕々が手招きする。棘のように鋭い指がだんだんと向かってくる。
俺はそれを腕で払った。かえってそれが彼女の心を刺激したのか、その指は歓喜を示すように震えながら閉じていく。
ぞっとした。まるで理解できない。
「いまでは反抗期というのでしょう? あなたが成長した証。こんなに嬉しいことはそうない」
心を勝手に読むな。
「知らないふりをするのは酷だわ」
肉親でもないのに親ぶるのをやめろ。
「そう言いつつ、私に読心されることを期待している。かわいい。それに、肉親でなくとも親みたいなものでしょう」
女は腕を広げて胸を開いた。
「あなたがその道に進んだ、故はなあに?」
歯噛みする。たまらず、体を屈めた。
うずくまって瞼を閉じる。暗闇の縁からざりざりと土を掻く音が聞こえる。
「よしよし」
何本もの腕に包まれる。
「怖いよね、つらいよね。だいじょうぶ、だいじょうぶ。でも私はあなたに会えて、本当に助けられたのよ」
幼い自分に一つ警告できるとしたら、この女について話すだろう。
「分かってくれるわよね」
クソガキだった俺へ。祠に近づくな。それを壊すな。そして間違っても――
「それを治すな」
女が呟いた。あのときと同じく、背骨を伝う温かな声だった。
俺の後頭部から何かが伝ってくる。少し塩辛い、涙だった。
「そんなこと言わないで。たとえ、変えられない過去のことだとしても」
「後悔してるよ」
俺は声を振り絞った。
「分かるわ。本当にそう思っているとあたしにも分かる。でも、もしそうなっていたとしたら」
女の声が鳴りを潜める。
「この地の人々はどうなっていたのかしらね。もちろん、あなたも含めて」
俺を包んでいる腕々と指が小刻みにキシキシと震える。もう、何も言う気になれない。
いや。そうじゃないだろ。
「あいつはどうして」
「あなたのかわいい助手くんのこと?」
彼女の指が動きを止めた。
「大丈夫よ。お話してるだけ。あなたについて楽しくおしゃべりしてるわ」
「いままでもそう言ってきただろ」
「でも、本当なのよ」
俺は女の腕を掴んだ。「あら」と彼女が軽やかにつぶやく。
「返してくれよ」
「話が終わったらね」
「だから、それはいつ!」
「分からないわあ。いつかよ、いつか」
女は幼子に言い聞かせるような調子でゆっくりと喋った。そして、俺からゆっくりと身を離す。
名残惜しそうに体に沿わせていた最後の指もしまい、俺と顔を合わせた。
「誰かが心配して山に入ってきたみたい。寂しいわ」
白い人指し指が俺の口元に当てられる。
「このことは内緒ね。あたし達だけの内緒」
女が祠の影へと遠ざかっていく。やがてこちらに向き直り、手のひらをひらひらと揺らした。
「また会えるわよ」
風が拭き、森が騒ぎ始めた。それに混じって、階段を誰かが駆け上がってくる土擦れの音が聞こえる。
手をついて立ち上がった。目の前には俺たちの祠が建っている。
「竜胆くん。何かあったのかね」
「……いえ」
俺は振り返って田中さんに微笑みかえした。だって――。
「いい出来だったので、また見たくなりました」
俺はこれが何事もないなにかであるように振る舞わなければないと知っていたから。
〈了〉
祠治し アゴトジ・セボネナラシ @outdsuicghost
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