ep.8-2.暫しわかれ《しばしのわかれ》
「午前様ですか?」
弥切と芯太が、家路についた頃、石は由の家の前で朝まで一寝入りしようと、腰を下ろしたところだった。
「子の刻のはずでしたのに、ずいぶんお帰りが遅いじゃないですか?」
ゾッとして振り返った石。
呑んでいたし、疲れていたのはあったが、これほど近くまで人の気配に気が付かなかっことなど、今までにはない。
どんな恐ろしい相手と対峙しようが、身が
「お前、忍びやったっけ?」
「なんですか、それ?」
「スイマセン..」
声の主の弦は、怒っている。
「お酒、....飲まれましたよね」
「・・.....ハイ」
「ご機嫌にお酒を呑まれて、お帰りが遅れたということですか?」
「・・....ハヤクカエロウ トシタ」
「はい?」
「・・...スイマセーン」
弦が石を見つめたまま押し黙る。
「..あの、先に寝てたらよかったんじゃ....」
無言の時間に耐えきれず、石が恐る恐る言うと、
「じゃあ誰が戸を開けるんですか?」
「・・...」
石は叱られてる子供のようだ。
戸を背にしてうずくまってる。
「由さんと妙ちゃんはもう
弦が《とても静かに冷静に》に言う。
「外で寝てるのは、いつもの
石が言い終わる前に、
「はぁ・・・」
弦は、わざと分かりやすくため息をつく。
そして、物わかりの悪い子供を諭すように、
「こちらは、
ぐうの音も出ない。
石は打たれ続けるだけ。
「そういえばこの間、いっさんが風邪をお引きあそばしたときが御座いましたね。その時、わたしがどれほどお世話したか、もうお忘れになられましたか?」
それ、一年前の話....と思いながら、弦の目線を感じて、隠しようもないのに、体を縮こませて隠れようとしする。
「元気になられたら、今度は飯が喉を通らないとか、お茶が苦いとか散々わがままを、言われましたよね」
弦は、時間を遡り石への不満をぶちまけるモードに入ろうとしている。
「いや、あ、あんまり五月蝿いと、みんな起こしちまうし、あしがみんな悪いよ、うん」
「そうやってあやまれば、なんでも許されると思って...」
適当な謝罪に、さらに弦の怒りに火が付いて、小言は続く..。
ひとしきり説教を受けた後、ようやく家に中に入ることを許された。
由と妙が寝ているなかを、弦に手をひかれて座敷に上がり、となりで横になった。
熟睡する弦の隣で、うとうとしかできない自分の小心さを哀れみながら、見えない天井を見つめ昨夜のことを考えていると。
ふと人が動く気配を感じて意識を向ける。
座敷の奥で、もぞもぞと動いている気配がする。
少し離れた場所で由と一緒に寝ていた、妙が起きたようだった。
石は身を起こして、様子を伺う。
( ・・・厠かな? 父親でもない、他人のあしには言いずらかろうなぁ・・)
隣で眠る弦を起こそうかと考えていると、妙と一緒に寝ていた由が目覚めたようだ。
由は、起きた妙を身体を起こして抱えるようにして、「おしっこ?」と聞いている。
その由の視線に、石が中座しているのが見えた。
「お帰りでした? 気づかなかったわ、ごめんなさい」
「いや...、結局、弦だけじゃなくあしも一晩休ませてもらった。助かった」
石は、ぺこりと頭を下げた。
「由さんには感謝するばかりだ。本当にありがてぇと思ってる」
薄暗い部屋にかすかな光が差し込んでいる。
「こちらこそ、弦さんが遊び相手になってくれたので、妙も喜んでました。わたしも家の手伝いをしてもらって、つい甘えてしまって・・」
「そうかい、手助けになってるんなら良かった。寝泊まりさせてもらってるんだ、気にしねぇで手伝わせてやってくれ、それから」
石は首筋に手を当て、モゴモゴと口にする。
「・・もうしばらく弦を置いてやってもらいたいんだが...いいだろうか?」
「ええ、それはわたしも有り難いし、妙も喜ぶから」
石の顔がぱっと明るくなる。
「そうかい、じゃあ甘えさせてもらうよ」
「おかあちゃん...」
妙が我慢できないのか、由を見上げて《早く連れて行って》とねだる。
「はいはい」
由は妙を抱え上げ、石にお辞儀をして、外の厠へと連れて行く。
石は座ったまま下を向いて、これからのことを考えた。
(何の目的か知らねえが、訳の判らねえ奴等に、狙われるのは厄介だ。ますます、子毛に弦を連れて行くわけにはいかねぇな...)
「しばらくは、離ればなれだ、なぁ《つる》」
ポツリと独り言、石は顔を上げ、もう眠れないなと、身支度を始めた。
石に背を向けて、横になり寝たふりをしている弦。
二人の会話と石のひとりごとを聞いていた。
(どこで起きようかな?いっさんの支度もしないと・・)
由の家にしばらく居るのは良いが、昨晩、子毛の町に行き何かあったらしい石の様子が気になる。
背後でばたばたと、不手際に身支度をする石にイライラしながら、石を問いただそうかとも迷ったが、たぶん真面目には応えないだろうと思い直す。
大事なことは必ず話してくれる人だと、わかっている。
そこは信用しているが、家が引っ越しするというわけでもないのに、身支度一つで大騒動するので喧しい。
(わたしは、ともかくこの家で過ごせば良いだけだ。後は野となれ山となれだ)
弦は自分に言い聞かせた。
「五月蝿い!もう少し静かに身支度できませんか?」
弦は、パッと、起き上がり背中の石を振り向いた。
外は、太陽が登る前の穏やかな光が差して、夜は明け朝を迎えたようだった。
「じゃ、、もう行くぜ」
いつ戻るとも言わず、石は去っていった。
あっさりとしたものだが、今生の別れというわけではない。
また、ひょこっと顔を見せに来るだろう。
そのときは、また旅に出る時かもしれないが。
「タケは置いてくぜ」
石は背負っていた網袋ごと置いていった。
なかに尺八が入っている。
石にとっては、最後の頼りとする大切なものである。
のぼる朝陽と競争するように出ていこうとするので、夕べ残して置いたご飯を握り飯にして、笹で包んで持たせる。
「これはもらえねぇよ」
弦も世話になっていて、まして子供がいる家の食事から飯をもらうのは忍びない。
石は遠慮したが、持たせてあげるように話したのは由だった。
「冷えた残りものでごめんね」
「いや有り難いが、あしはいいから、妙ちゃんに食わせてやってくれ」
「大丈夫、弦さんに家のことを手伝ってもらって助かってますから、これくらいのことは...」
「ご厚意に甘えましょう。 またお返しするときもあるでしょうから」
弦がそう言うと、石は大事そうに握り飯の包みを懐に入れた。
少しバツがわるそうな顔の石を弦は見つめる。
「お気をつけて」
「ああ」
石が出ていった後、ゆっくりできるはずもなく、朝支度でバタバタと二人の女性は働いている。
妙は、普通の子よりも聞き分けのいい子だが、いつもより早くから慌ただしかったからか、知らない人が泊まっていたことがストレスだったのか、かなりむずがっていて由が手を焼いている。
そのせいで由はいつもしている朝の仕事がはかどらない。
代わりに弦が、教えて貰いながら饅頭作りをすることになった。
初めての作業で弦も手こずり、由も妙の相手をしながら朝食の支度をして二人とも疲労し、進まない終わりの見えない朝に途方にくれた。
「由さん、起きてるかい?」
戸口の向こうから、定吉の声がした。
弦と由は互いに顔を見合わせる。
口にせずとも何が言いたいのか分かった。
ガラ!っと勢いよく由の家の玄関口が開いた。
「お、おはよう」
朝から険しい由の顔に、少し引きつりながら、笑顔で迎える定吉。
「もう、朝の支度は、・・・」
「お願い!」
「え?」
弦は、抱いていた妙を定吉に、ハッキリ言って押し付け、戸をぴしゃりと閉めた。
「??」
定吉の腕に、ゆびを咥えてむずがる妙が抱かれている。
「妙、今日も元気そうだなぁ・・」
定吉は妙を抱き直して、明るくご機嫌を窺うが・・
「げんきじゃない」
(えええ.エエ..)
妙は、かなりご立腹のようだった。
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