ep.7-3.石《いし》石と助五郎《スケゴロウ》
これで退散できると思ったが、助五郎は執拗だった。
「そんなに酔ったなら夜道は危ねぇだろう、寝床は用意してるから泊っていけ」
そう言って、用意された部屋に案内するよう八助に言いつける。
おそらく、最初から逃がさないつもりだったのだろう。
八助は心底酔っていて、立つこともやっとだったので、面倒くさくなり奉公人を呼んだ。
そして、「目暗を連れてけ」と言うと助五郎が居なくなったランの部屋で、ひと眠りしようと寝転ぶ。
「悪りぃが久しぶりの酒で腹が痛てぇ、下しそうだ、厠はどこか教えてくれ」
そういうと、奉公人は手を引いて厠まで連れて行ってくれた。
小さな手のまだ幼いような女の奉公人で、このままだとこの子が叱られてしまう。
「おい嬢ちゃん。あしは目が見えねえから、このままじゃ便所の穴に落ちちまう。八助を呼んできてくれ」
「あたしが、支えてあげます。どうぞおつかまり下さい」
石の脇の下にもぐりこみ支えようとする奉公人の娘。
体重をかければ倒れそうな、まだ小さい娘だ。
「おい!八助、あしはこんなとこじゃクソも出来ねぇ、もう外でするぞ!、そのまま逃げちまうからな!!」
どうせ屋敷の奥の奥、みなから見放されたような離れた場所だ、助五郎には聞こえやしまいと大声を張り上げる。
しばらくするとドタドタと足音がして、寝ぼけ眼で赤ら顔の八助が息を切らせて現れた。
「この糞野郎!」
「ああ、たしかにこれからクソをするヤロウだよ。当たりだな。クソヤロウといえば、明日の朝、旦那に言っとかなきゃな、八助のクソヤロウが部屋に連れて行ってくれないから寂しかったってな」
石は二ヤリと嗤いながら、クククと肩を揺らす。
「コ&$#*P)&$ツはあぁぁぁ‼‼」
呂律が回ってない八助が、石に殴りかかっていく。
石は、奉公人の娘を手で横に追いやると、ひょいと八助の拳を躱して、そのまま便所に放り込み戸をパタンと閉めた。
「くぁー:っ#”%’’せ(ぇ(%ぁ}{」
便所の中でなにか喚いている八助。
「嬢ちゃん、もう行きな。できりゃ見なかったことにしてくれりゃ良いんだがなぁ...」
石は便所の戸を片手で押えながら、これからどうするか考える。
逃げ出すことは決まっているのだが‥‥。
「おじさんはどうするのですか?」
「早く行きな。お前さんが叱られるだろう」
さて… ふと顔を向けると、奉公人の娘はじっとそこにいるようだ。
「どうしたのかい?部屋にもどるのが怖いのかい?」
「はちすけを懲らしめてくれたから」
「?」
話を聞くと、いつも八助に体を触られ、「お前の初物は俺がもらってやるからな」と耳元で言われたりして、泣いていたそうだ。
(糞野郎!)
今日見知ったばかりの男だが、殺意が沸いてくる。
そのとき押さえている便所の戸の向こうから、八助の鼾が聞こえて来た。
「寝たか…嬢ちゃん、この近くに外に出れるところがあるかな?」
小さな手に引かれ、案内された戸口へと歩く。
「あしが出たら戸を閉めて、黙って部屋に帰るんだよ。心配いらねぇ、八助は酔っぱらって覚えちゃいねぇだろうし、多の屋の旦那に言われたのは奴だ。嬢ちゃんはなにも言わなくていいし、なにも言っちゃいけねぇよ」
石はさっき出された酒のつまみのなかに、なぜかあった金平糖を奉公人の娘に手渡した。
由の家に戻って、妙に渡そうと取っていたものだった。
「あとでこっそり食べな」
娘は手に取った包みの中の金平糖を嬉しそうに見つめ、大事に懐にしまった。
石が屋敷から外へと消えて、娘は言われたように戸を閉めて歩き出そうとして、怯えた表情で目の前に立つ男を見た。
「
錫と呼ばれた娘は、金縛りにあったように一歩も動けない。
錫の目の前に立つ弥切は、錫の脇を抜けて屋敷の外へ出る戸を開ける。
その後ろから数人の男たちが現れ、外へと出ていく。
「俺が出たら、戸を閉めとけ」
錫は息をするのも忘れているように固まったままだ。
恐怖で涙が目に浮かぶ。
スゥ...と弥切がため息をつく。
「心配するな、俺とお前は共犯だ。俺はお前に出て行ったことを黙ってほしい。お前はあの男を逃がしたことを黙ってほしい…だろ?」
弥切が優しく話すと、錫はようやく身体を動かし大きく頷いた。
「じゃあ、そんな顔すんな。俺が八助のことも上手くしといてやるから心配するな。俺とお前は共犯だからな、俺との約束を守るやつは、俺が守ってやる、いいな」
弥切たちは、外に出て戸は静かに閉められた。
錫は、戸口に行ってもう一度、
濡れている頬を拭う錫の顔は、この短時間で泣き腫らしたようだった。
(嬢ちゃん、正直に言わなきゃいいんだがな)
石が屋敷の外に出ると、夜風が酒で酔った身体を冷やした。
あたりが月の明かりで明るいようだ、今夜は空に煌々と浮かんでいるのだろう。
奉公人の娘のことが気がかりだが、黙って囚われるわけにはいかない。
(やれやれだなぁ..)
酒が徐々に抜けていくと、気がかりが思い出されて気は滅入る。
(弦はまだ起きてるだろうか・・・)
そう思うと胸がチクッと痛んだ。
(早く帰りゃよかったなぁ・・)
助五郎がしつこいのには閉口したが、久しぶりの酒が旨すぎて、つい時を過ごしてしまった。
弦は合理的な女だから、阿呆みたいに自分の帰りを待ったりせずに早々に寝てるだろうと、思うが…。
(こんなに遅くなるなら一言、「先に寝とけよ」と言っとくべきだったかなぁ....)
他にもいろいろあるが、夜の闇に体を充てるうちに、酔いはかなり冷めていた。
(さて…、弦が世話になっているのに、由の家に厄介事を連れて行くわけにもいかねぇしな)
子毛の宿場町の出入り口にある
後ろを振り返り、《お前たちに気付いているぞ》と暗闇に向けて声を投げつけてやる。
「お前ら、酒で足もおぼつかねぇ、あしを追っかける理由がイマイチわかんねぇんだが、教えてくれねぇか? 物盗りなら金はねぇ、怪我もしたくねぇ、帰りな。あしは目暗だが、たぶん強えぞ」
少し間を置くと、暗闇から鎌や錆びた刀を手に持った三人の男たちが現れた。
黙りこくって、目を血走らせ、血の気の引いた顔で石を見つめている。
石は、男達が近づいて来ても、別段緊張するわけでなく、自然な仕草で杖の先を足元から一歩増しほど離れた場所にポンと投げ、ゆるゆると男達を待つ。
男達の背後にまだ何人かいるようだ。
(全員をいっぺんに相手にするのは面倒だ。とりあえず出て来た三人を、さっさと片づけておかなきゃなぁ)
ひとりが刃の欠けた刀を振り上げ、石に向かい突っ込んで来る。
一人目‥ その男は刃をとどかせることも振る事もなく、足元から突然跳ね上がってきた杖の先に、喉を突かれて白目を剥き、ひっくり返って地面に倒れた。
「次は?」
石は何食わぬ顔で、目の前の二人に声を投げた。
・・‥‥‥
一段と冷え込んだ風はあたりが強くなり、ゴォ‥と唸る振動を響かせながら、木々や草を揺らしている。
地面の上には、打ちのめされた男達が倒れてる。
雲間から出てきた月が、うめき声を上げる三人の男たちをじっくりと照らしてゆくが、そこには、石の姿は見当たらなかった。
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