第11話 道具呼び出す月曜日 1


「……うぐう」


 夢の中で座学を経験したにもかかわらず、快眠だった。快眠だったが、夢見は悪かった。

 ゆっくり目を開けて、瞬きをする。

 何か、見えた。

 物から何かが出ている。

 黒いミミズみたいな、文字。


「は?」


 目元を擦ってもう一度目を凝らした。

 煙のように昇る黒いミミズが、見える。

 何だ一体。そう思って、昨日の夜、正しくは夢の中の出来事を思い出した。

 夢の中、ホワイトボードの前で黒マジック片手に富士野が言っていた。


「要は慣れですよ。そうだ、起きたらちょっとした助けをしてあげましょう」


 これが助けなのだろうか。

 良く見ると黒ミミズは旧式言語の文字だ。時計、机、鞄、その他色々。それぞれから伸びていくミミズ文字は同じ文字を繰り返している。

 発音は、富士野がぺらぺらと喋っていたが、とてもじゃないけど発音できそうにない。日本語以前に人類が喋る言葉じゃなかった気がする。オボロッヴェログィとかなんとか言ってた。文脈で察するとかそういうレベルじゃなかった。

 そのかわりに文字を見て、意味がそれとなく分かるようにはなった気がする。英語を覚えたての学生くらいには理解できたと思う。富士野主催講座は詰め込みで、割とハードだったけれど、非常に勉強になった。

 ベッド横にあった時計を手にとって、登る文字を見てみる。

 確か富士野の夢学習で出てきた文字だ。確か、そのまま『時計』という意味だったはず。

 時計を置いて、机を見る。机から登るミミズ文字の意味もそのまま『机』だ。

 実物を見ながら文字が出るから、分かりやすい。富士野さまさまである。


「朝よー! おきなさーい!」


 部屋をぐるりと見ていたら、母さんから声がかかる。時計を確認するともう7時半になろうとしている。

 慌てて飛び起きて、ミミズ文字が伸びていく制服をとって着替える。

 リビングに行くと、母さんがテーブルに料理を並べて洗い物をしていた。うん、見事に物という物からミミズ文字が。母さんが変な顔をする前に、さっさと席に着く。


「ねえ、ご飯終わったら行く前に、ベランダの鉢植えに水やっておいて」

「んー、わかった」


 ベランダにある鉢植えは母さんが趣味で植えているハーブがある。

 並べられたご飯を食べた後、器を母さんに預ける。父さんの姿が見えないので、今日は早出なのかもしれない。そういうことを言っていたような。

 窓を開けてベランダへ出る。ベランダには鉢植えの傍に銀色のジョウロが置いている。小さめのジョウロはシンプルな小口で、母さんが一目惚れした買ったものだった。

 そのジョウロだが、やはりというか、黒いミミズ文字が出ている。


「えーと、ジョウロ?」


 見覚えのないミミズだ。立ち上るミミズ文字を指差してなぞる。


「これで、ジョ、ウ、ロ……濁点どれだ」


 ジョウロの文字を見ながら、何回か空に書く。


「あんた、時間大丈夫ー?」

「はーい、今出る!」


 母さんの声に急いでジョウロを傾けて水をやる。入れっぱなしの水だったがいいだろう。鉢植えに水をやり終え、ジョウロを置いて鞄を取りに戻る。

 ばたばたと忙しなく出た俺は、そのとき起きたジョウロの変化には気づかなかった。

 ジョウロから出ていた文字が、揺らいで消えていた。



 学校へ向かいながらも見える、黒いミミズ文字にげんなりする。

 はじめは良かったが、いつまで続くんだろう、この効果。

 学校でもあちこちからミミズ文字が伸びる様が見られるとしたら、ちょっと都合が悪くないか。授業が困るぞこれ。いたるところから黒ミミズが伸びていく様は異様だ。

 こうなったら元凶に聞くしかない。

 今日も、ナヨから貰った厄除けの小袋を鞄に入れているが、来れるだろうか。前回はこのおかげで近寄れなかったとか言っていたけれど。

 通学路に人があまりいないのを確認して手を合わせる。


 召喚。いでよ、富士野。


 むむ、と念じて目を閉じてから開ける。

 ぱっと目を開けると、そこには、欠伸をしたイケメン様、もとい富士野がいた。

 無地の白のTシャツに黒のスポーツパンツだ。どう見ても格好良くない組みあわせだが、何故だろう、どこかでスポーツしてきたのっていう爽やかさがあった。イケメン効果、解せない。


「おっと、何か御用です? 八草君」

「おはようございます。あの、文字見えるようにしたのは、富士野さんであってる?」


 俺の言葉に、富士野はにこりと笑って挨拶を返した。


「おはようございます。ええ、そうですよ。便利でしょう?」

「いや、便利だけど、授業するときとかに邪魔になるからさ」

「おや、そうですか」


 器用に片眉を下げて、富士野は俺の頭を人差し指で指した。


「ええっと、なんでしたっけ。見えなくなーれ」


 その後に、よく分からない聞き取れない発音でホニャホニャ呟いて指が離れた。


「はい、おしまい」


 富士野が言った後、改めて周囲のものを見渡す。おお、本当にミミズ文字が消えている。


「富士野さんって魔法みたいなの使えたんですね」

「魔法? うーん、まあ、そんなものでしょう。魔女から教えられましたのでね」


 魔女というと、昨日は魔女の一族だという火釜さんを思い出した。富士野は、火釜さんの近しい親族にすごい魔女がいて、彼女の知り合いだったと言っていた。


「さて、これから八草君は学校ですか? いいですね、学校」


 しまった。付いて来たいと言いそうだ。俺は即座に首を振って手で制した。


「じゃ、ありがとう富士野さん! 遅刻するからまた!」

「はい、また後でー。また何かあったら呼んでくださいねー」


 俺の予想に反して、存外富士野は気さくに手を振って俺を見送った。なんだ、どうした。何か言われるかと思ったのに。



 富士野が消してくれたおかげか、ミミズ文字はすっかり見えず、授業中はいたって普通の時間が過ごせた。

 いやあ、消えてよかったミミズ文字。早朝と同じように文字が登り続けていたら、黒板の板書が見えなかったところだ。

 やっと終わった下校前のLHRの連絡事項をノートに書き写して、鞄に詰め込む。

 今日は昨日出かけていたナヨが帰ってきているはずだ。ミミズ文字もちょっとは分かるようになったし、報告も兼ねて会いに行こう。

 トモ男は部活に早々に出かけている。クラスにいる知り合いに適当に挨拶して教室を出る。そのまま校門まで出ると、声をかけられた。


 校門の塀に隠れて女性が立っていた。

 真っ赤な原色カラーの春コートが目に痛い。切りそろえられた髪と化粧をした小奇麗な顔は見覚えがある。

 ちょっとキツそうな目つきで俺を見る女性は、昨日公園で会った火釜さんだった。


「ヤクサ、ようやく会えた!」


 二の腕を組んで、カツンと高いヒールを鳴らす火釜さんは、俺を待っていたらしい。火釜さんの声に周りがこっちへ注目したのも気にせず、火釜さんは近づいてきた。

 俺の腕をむんずと掴むと、昨日使っていた小物ポーチをぱかりとあけた。


 瞬間、視界がぶれて、あたりに人がいなくなった。

 火釜さんの不思議道具のせいだ。この道具の説明は富士野が夢の中でしてくれた。俺がミミズ文字と格闘する傍らでぺらぺらとな。

 確か、対象を決めて切り取られた空間に限られた時間移動できるポーチだ。名前は『切り取りポーチ(化粧道具入れ兼用タイプ)』というらしい。魔女お手製の代物だそうで、世に二つとない貴重品らしい。

 前に火釜さん普通に落としていたような、と思ったので聞いてみたら、富士野は「彼女はお間抜けさんなので、貴重品をぽろっぽろ落とします」と言っていたので、取り合えずしたり顔で頷いておいた。なんだろう、この残念な感じ。

 しかも富士野の余計な情報により、火釜さんの年齢だとか小さい頃だとかが頭に記憶されてしまった。夢の中で直接頭に叩き込む使用なのかは知らないけれど、ばっちり覚えている。

 火釜さんの名誉のためにいうと、魔女の一族はそれなりに長生きなので、実年齢よりも幾分か若いまま保てるらしい。

 年齢については、うん、まあ、俺の母さんよりちょっと若いくらいでした。うん。いろんな意味で、火釜さんに好意を持ちかけてたトモ男はファイトだ。


「ねえ、ヤクサ? 私、オッラに会いたいのだけど、場所が分からないのよ。貴方知っているでしょう?」


 これは何か? 俺に案内しろというのだろうか。

 俺が黙っていると、火釜さんはなぜかムッとして続けた。どうも反抗的に見えたらしい。理不尽な。


「仕方ないじゃないの! オッラは私よりずううっと優れてるし、隠れるのが上手いんだものっ。私が一人で探すよりも、朝からずっと貴方を探し回ってオッラへの手がかりを掴むほうがはるかに楽よ」


 朝から探し回っていたのか。余程ナヨに会いたいのだな、と感心する。


「だから、今度こそ勝負よ! オッラの情報と私の魔女の血の誇りにかけて!」


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