お隣さんは呪い師らしい。

わやこな

お隣さんは呪い師らしい。

第1話 言い逃げさよなら


 とんとん からから お鍋がとろり。

 とんとん からり お鍋がとろりん。


 間の抜けた歌声が台所から聞こえる。

 時折聞こえる金属がかちゃかちゃする音は、お鍋をお玉でかき混ぜる音。

 ナヨがきっと台所で作業をしているのだろう。

 ナヨは本当はナヨという名前ではない。俺が勝手に呼んでいる。

 本当の名前は知らない。アパートの表札には鍋井と書いてあるが、それも本当かは疑わしい。なぜならナヨは自分の苗字も時々忘れている。

 だから勝手に名前をつけて呼んでいる。

 ナヨと呼ぶ理由は簡単だ。見かけがなよっとしているからだ。

 ナヨは優男で、一見すると男か女か見紛う外見をしている。それに加えて中途半端に伸ばした髪を一括りにしているせいで余計に分かりづらい。

 声を聞けば男であるとようやく分かる。


 ナヨの姿を初めて見たのは、俺が5歳のころだった。

 父さんの仕事の都合で、アパートへ引越ししたときだ。

 母さんがアパートの住人に挨拶するのをついて回ったとき、俺たちの住む隣の部屋からとてもいい匂いがしたのである。

 母さんの服を引っ張り訴えたが、母さんには匂わないようで不思議な顔をされたものだ。

 母さんが父さんの荷解きの手伝いにいったとき、こっそりとその部屋の前を見上げると、ナヨがドアを開いて俺を見下ろした。それを見計らったのかは未だに分からないが、俺はきっと見ていたに違いないと思っている。


「お前、鼻がいいな」


 わずかに感心したような風に言ったナヨの姿は、子ども心ながらにちょっと怖かった。

 開いたドアの先は薄暗く、逆光気味に見える肌は青白い。

 ナヨは玄関先から俺を見て、それから辺りを見回してから身を引いて俺を招いた。


「あがるか?」


 母さんに変な人についていったらいけないと言われていたけれど、5歳の俺から見てもナヨは弱そうでどうにでもなりそうだった。

まあ子どもだったからだ。でも今の俺から見てもナヨ程度ならどうにかなりそうだ。

 ナヨが見た目どおりだったら、の話だけど。

 そしてそのままナヨの家へあがりこんだ俺は、ずるずるとナヨの不思議な面を知ることになった。


 ナヨは、本人曰く呪い師だそうだ。

 日によって、自分は魔法使いだとか薬屋さんだとか言うが、ナヨの仕事ぶりをみるに一番近しいのは呪い師だ。

 ナヨが作業をするのは大抵台所で、本来は料理に使うだろう道具を使ってよく分からない草だか実だかを切ったりったり煮出したりする。

 台所の下にある調味料があるべき場所は、何か違う液体がはいったビンやボトルがある。頭上にある隠し戸棚には、乾燥したよくわからない物体が瓶詰めされてたりそのまま転がされていたりした。

 ナヨが作業を始めると、えもいわれぬ芳香を漂わせることがあるが時には酷い悪臭をさせることもあった。

 そういうときは俺はナヨのいる部屋にはよらず、いい匂いがするのを見計らって部屋に上がった。


「ヤクサ、お前いくつになった」


 調子の外れた歌をやめて、静かにナヨが問うてきた。

 ヤクサは俺の苗字だ。八草香やくさかおりというちゃんとした名前はあるが、ナヨは苗字しか呼ばない。

 しかしナヨがちゃんとした名前を呼ぶってのは実は凄いことらしい。

 ナヨとの付き合いももう5年になるが、その間ナヨの家で出会った人をナヨはことごとく字で呼んだ。一風変わった人たちがほとんどだったから、誰もそれを咎めはしなかったが、俺の名前を呼んでいるのにはやたら驚いていた。


「おーい、ヤクサ」


 ナヨがもう一度呼んだので、居間から立ち上がって台所へ向かう。


「今度13になるよ」

「13か。お祝いをやろう」

「誕生日には早いよ」

「まあ、受け取れるときに受け取ったらいい。ほら、ちょうど出来た」


 ナヨは鍋をかき混ぜる手を止めて、その場所をどいた。俺の腕を引いて、鍋の前に立たせる。

 鍋は不可思議としかいいようがなかった。

 夜を写し取ったような液体のなかにきらきらとしたものが浮かんでいる。まるで星屑のようにちかちかと瞬いた。


「ゆっくりすくってみな」


 そっと後ろから言うナヨに頷くと、おたまで鍋の中身を掬った。

 おたまを掬い上げようとすると液体の中で変化がおきた。星空のようにまたたいてたものが桜のような花びらになって鍋の中を泳いだ。


「これ、どうすればいいんだ?」


 掬ったはいいけれど、この後が分からない。


「これに」


 ナヨは俺のもう片方の手に小瓶を持たせてくれた。


「こぼさないで。そっと入れるように」


 静かに言うナヨに従って、慎重に移した。

 小瓶の中には夜空を切り取ったような液体とその中を泳ぐ花びら。

 それにナヨは黒いふたをして、俺の手に戻した。


「ねえ、これなに」


 たずねる俺に、ナヨは少しかがんで俺の頭をなでた。


「お前を祝福するものだよ。困難があってもそれがお前の慰めになりますように」

「飲み物?」

「いいや、役目が終われば自然と消える。大事に持ってな」

「ナヨは助けてくれないの?」


 そういうとナヨは小さく笑った。


「お前がどうしてもって言うなら、どうにかしてあげるさ」



 それきり、隣の部屋から匂いがすることはなくなった。


 部屋を訪ねても無人で、家の中はからっぽ。

 いつしか教えてもらったヤカンの連絡口も、換気扇のスイッチで呼び出す商人も、なんにもない。ただの見知らぬ部屋になっていた。


「香、なにしてるの。あら嫌だわ、お隣は誰もいないのに鍵がかかってないなんて。もう、大家さんにいっておかなきゃ」

「誰もいない? 居たよ、ここに人」

「やだわ香ったら。引っ越したときからいなかったでしょうに。変なこと言わないで」


 驚きで口が開いたのは、覚えてる限りこれが初めてだ。

 じゃあ、ナヨはいったいなんなのか。俺とナヨの思い出はいったい。

 なんだか悔しくてやるせなくて、自分の部屋にある小瓶を見つめる。それだけは変わらず、きらきらとした夜空に花びらが浮かび、俺を安心させてくれた。

 ナヨっていったいなんだったのか。

 何年も一緒にいたような気がするのに、次第に思い出は消えていくのだ。

 それに気づいたとき、俺は小瓶を抱えて眠った。

 抱えて眠ると、からりからりと鍋を回すナヨの姿が夢に出てくる気がした。

 ナヨの声、どんなだったかな。ナヨのしぐさ、ナヨの手、ナヨの顔。

 少しずつおぼろげな思い出に変わるのは無性に恐ろしかった。

 写真をとっておけばよかった。そしたら顔くらいは絶対覚えていられるのに。

 通いだした高校も、新しく出来た友達も新鮮で楽しかったけれど、ふとナヨのことが頭によぎると恋しくなった。

 引越ししたてではじめて出来た年の離れた友人。

 今も下校して、家の前に立つと隣から匂いがあるのかと探ってしまう。


「どうしてもってお願いするからさ、また遊んでよナヨ」


 ふうと息をついて家のドアをくぐる。

 くぐった先は、いつもの家のシチューの匂いだった。


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