(六)




「やっぱ、行くの嫌だって言うわけにもいかないよな」

 夕暮れ時、辺りはすっかり薄暗い。

 いづるの目の前には今にも潰れそうな二階建ての、今時珍しい煙突のついた青い瓦屋根の一戸建てがどんっと建っている。家の塀にはありとあらゆるところから蔦が覆い、鬱蒼と茂った草木に窓も玄関も埋もれ気味だが、ここに越してきた隣人がいるのだ。

 しかし、見た感じには人の気配がない。

「あー、いくか。いや、あー」

ぐるぐる考えを巡らせている内にアルバイトの時間へと迫って来ていた。

 ふと、玄関の照明がつく。

「やあ、いらっしゃい」

「……っ!」

 かちゃりと玄関のドアが開いて、間延びした声がかかった。やはり、予感的中と言うか、コンビニ前であった青年が出て来た。

 そろりと首を下げ、なんとか驚きを表情に出さないよう「こんばんは」と挨拶すると、相手はにこりと微笑んだ。

「さっきから玄関前にいるなぁって、なかなか呼び鈴鳴らないから帰っちゃうかと思ったよ」

「あーと、いや、その」

「有川いづるくんだよね? いねさんから聞いてるよ。今日からよろしくお願いするね」 

 いねさんとはいづるの祖母の名である。祖母が警戒しないで話せたのだから、最初の第一印象に振り回されないようにしようと小さく頭を振るう。

(なんとなく話してる感じ、悪そうな人じゃないしな)

 どことなくほがらかなフレンドリーな感じの隣人のようだし、案外、いいバイト先なのかもしれないと思い直す。

「今日からよろしくお願いします」

「はい、宜しく、なんだけどね」

 はあっと、青年は困ったようにため息ついた。

「どうかしましか?」

「うん、実は有川……いづるくんって呼んで良いかな、の、パートナーがいるんだけど」

「はあ、良いですけど、パートナー?」

「ありがとう、そう、パートナー」

 うーんと唸ってから、ぽんっと掌を拳で叩くと青年は気の抜けたような笑顔になった。

「まあ、話はとりあえず中でしようか」

 美味しい焼き菓子あるから、御馳走するよ。と言われて、少し腹の音が鳴ったのは内緒である。




 ◇◇◇                




 ふわりとコーヒーの芳しい香りが部屋を満たす。

クリームの乗ったカフェラテをいづるの前に置いて、青年は対面のソファに座った。テーブルの上にはコーヒーの他に、ドロップクッキーやマーブルクッキー、フィナンシェなど美味しそうな焼き菓子がふんだんに盛られたカゴが置かれている。

 とてもおいしそうなお菓子の数々に、少しばかりいづるの目が釘付けとなったが「でだけど」と、青年が話し始めたのでそちらへ視線を集中させる。

「まだ自己紹介してなかったよね、僕の名は上坂 遥人。こう見えてもいろんな駆除代行をしているんだ」

「はあ、上坂さん、ですね」

「よそよそしいからさ、はると、遥人の方でいいよ」

「ええっと、急には」

「無理かぁ」

「えーっと」

 なんだろうか。誰かさんたちを彷彿とさせるものがある。しゅんっとする肩の落とし方をされて、グッと唸る。ああ、仕方ない。

「……遥人さん、それで駆除とかパートナーって」

「うん、その話なんだけどね」

 呼んだ途端、笑顔で話を続ける遥人に、ははっと半笑いをする。

「どういった駆除なんですか?」

「うん、ちょっと悪戯する猫?とか獣とか捕まえるんだけど」

「猫、獣……ハクビシンみたいな獣とかですか?」

「まあ、そうかなぁ。大丈夫、ちょっと捕まえる細工をして」

「細工」

「そう、細工」

 まあ、話だけだとなんだし、せっかくだから焼き菓子食べてよと薦められるまま、マーブルクッキーを一つ手にとると、齧り付く。

さくりとした食感に柔らかな苦味と甘味のココアとプレーン、それぞれの味が口に広がりついつい手が止まらなくなっていく。フィナンシェもバターが香り、しっとりとしていて美味しい上、ドロップクッキーも大きなチョコチップクッキーがザクザク入っていて食べ応えあり、これまた甘味もちょうど良く美味しい。祖母にも分けてあげようかといづるは思うも、どうしたものかと考えていると「よかった」と嬉しそうに遥人が声をあげる。

「久々に作ったからどうかと思ったけど、口にあったみたいだね」

「え、これ、かみ……遥人さんの手作りなんですか?」

「うん、そうなんだ。あ、よければ、いねさんへお土産にどうかな?」

「あ、ぜひ」

「はは、良かった。じゃあ、台所に用意してあるから待っててね」

 そう言って台所の方へ消えて行く遥人の背を見送って、またお菓子の盛られたカゴに視線を戻す。最初の警戒心もどこへやら、外側から見たボロボロな家は、案外普通の家で拍子抜けしたのもあるが、美味しいものへの魅力には抗えないのだ。

 抗えないのだが

「……減ってる」

 確かに少々ガツガツ食べた気はするが、まだ半分以上はあったはずなのに、もうそれ以下になっている。

 思わずじっと息を堪えて凝視してみるが、減る様子はない。

「気のせい、いや」

 気のせいじゃない。

 そう言えば遥人が一人、誰かと会話していたような光景を思い出して思わず身震いした。

「どうかした?」

「!」

 声がかかって思わず背筋がピンッと伸びる。ふと、遥人が焼き菓子のカゴを見て「ああ、戻って来たのか」と呟いたのは聞き逃さない。

 戻って来た?

「ごめんごめん、君のパートナーがね、戻って来たみたいで。アイツ、何隠れてるんだか」

「パートナー」

「うん、ほら、出てこいってネオリア! 焼き菓子こんなに食べといて、隠れたっていづるくんには気づかれてるんだからな」

「あの、ネオリア? って」

 いづるが戸惑って声をかけた時だった。


「ふん、そいつがパートナーなら、俺を見つけられるだろう? 見つけてみせろ」


どこか偉そうな声が室内を響き渡った。ピキッっといづるのこめかみに青筋が立つ。


「遥人さん、その焼き菓子の箱ちょっと」

「え」

「……」

 ごそっとたくさんの入った焼き菓子の箱をテーブルに置くと「おっ!」と声が上がった。途端、テーブル下からふわふわな獣のような手がにゅっと出てきたのに、いづるは、がしっと掴んで引きずり出した。

「捕まえましたけど、これも駆除ですか?」

「あはは、順応早いなぁ」

「おい、離せっ! 俺は駆除される側じゃなくて、駆除する側だ!」

 クッキーを盗み食いしていた犯人=パートナーは、ぎゃあぎゃあと騒ぐもふもふとしたもので。

 その正体に一応、いづるはこれでも驚いてはいる、驚いてはいるが。

「焼き菓子、まだ食べたかった」

 食の恨みの方が強かった。ちなみに祖母への焼き菓子はもちろん死守した。

「離せぇ、俺は駆除対象じゃねぇっての! 畜生、焼き菓子寄越せー!」

 パートナーと呼ばれたそれは、口の悪い、ウサギもどきだった。


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