魔スコット・ガーディアン
文月 想(ふみづき そう)
プロローグ
(一)
なあ、お前は、覚えてるか? 覚えてるよな。
それは今から七年前、少年いづるが八歳の頃の話。
その年は四月に入ってから一週間以上も、ずっと雨が降っていた。鈍い色の雨雲から細かな雨が地上に降り注ぐ。決して激しい雨ではない、小雨のような弱さに関わらず、一向にやむ気配がなかった。
あの日も、相変わらずしとしとと雨粒が大地を濡らしていた。
「今日もやまないや」
まあ、いいや。どうせ外に出たって楽しいことなんてない。
両親が他界し、父と母の兄弟たち、親戚がいづるを引き取るのを渋る中、母方の祖母がそっと手を引いて「私と暮らしましょう? ね、いづる」と微笑んでくれた。祖母はあまり体調も良くなく、子供の面倒を見るのはどうかと親戚が誰か止めようとしていたが、ただ微笑んで大丈夫よ、いづるは心配しなくて良いの。そう言って、連れて帰ってくれた。
そうして、いづるが母方の祖母の家へ来て、一年ちょっと。
「……おばあちゃん、早く帰ってこないかな」
少し前、ご近所のみっちゃんに回覧板回してくるわとニコニコと微笑みながら、手には手作りの笹団子を持って出て行ったからきっと長話になるだろう。だって祖母は、それはもう、人と話ができることを嬉しそうにしているから。
「平気だ、だって、おばあちゃんは戻ってくる」
両親とは、違うのだ。
ごろりと畳の上に寝転がる。畳の部屋はいづるのお気に入りの場所だ。ごろごろり、そうして暫く横になっていれば自然にあくびが一つ。
ゆっくりと瞼が重くなっていく。
「あらあらいづるったら、そんなところで寝て」
ああ、ほら。ちゃんとおばあちゃんは戻ってきてくれる。嬉しくて起きたいけど眠さにどうしても勝てないのが悔しい。
ふわりと柔らかな毛布をかけられたのを感じて、いづるがきゅっと丸くなると、大好きな祖母の微かな笑い声が聞こえた。
「まぁ、猫みたいねぇ、いづるは」
そんな楽しそうな優しい声にいづるは猫じゃないと言いたかったけど、押し寄せる深い睡魔に沈んでいった。
そんな日に出会ったのだ。
「……うん?」
ふと、何かの鳴き声が聞こえた気がして、呼ばれた気がして意識が浮上する。
ぼんやりとした思考のまま、目をこすりつつ起き上がれば、空はいつの間にか淡い菫色に染まっていた。
その空の様子に、あれっと、いづるは思って窓へ駆け寄り空を見上げる。
「雨、止んだんだ」
鉛色の雲は何処へ行ったのか、いつの間にか見えていた空には満月が地上を優しく照らし、星が幾つか小さく輝いていた。
「変な天気だなぁ」
確か、朝の天気予報では当分は止みそうにないと言っていたのにといづるは小首を傾げてから、ふと庭先に、何か動いた気がして凝視する。
それは庭先の奥、立派に聳え立つ銀杏の根元にいた。
(……猫?)
さわりと何かが動いて、いづるは窓に手をあてたたまそれを凝視続ける。猫だ、きっと猫だと心の中で何度も呟く。ドキドキと早くなる鼓動は、かちりと固まった足は、決して怖くて早まったわけでも動けないんじゃない。
(そうだよ、だって、何か分からないから、ほら)
危ない生き物じゃないか見ているだけだからと震える心に言い聞かせながら、それが姿を見せるのを待った。
ふわりと草花が揺れる。月の光を浴びて、葉についた水滴がキラキラ光ってるように見えた。
「あ」
それは人ではない、でも。
淡い月光の下に現れたのは猫ではなく、耳の長いあれ。
「うさぎだ」
ウサギだった。見えた正体にほっと安堵してから、もう一度そちらを見れば、なぜだかウサギはヨレヨレと草むらを進みだす。月光の中で見えた姿はぼさぼさとした毛、少し痩せているようにも見えた。怪我をしているのかもしれない、何かから逃げてきたのか、それともケンカでもしたのだろうか。
カラリと窓を開ける、手当てしなきゃと思ったからだ。するとウサギは、それにぴくりと反応するなり身体を震わせ、こちらにきらりと光る赤い瞳を向けてきた。
ぴたりと、こちらを見据え光輝く瞳に、いづるは小さく息を飲んだ。
来るな。まるでそう言っているような瞳に見えたのだ。けれど、いづるは声をかけてしまった。
「おまえ、どうしたの?」
ウサギに通じるはずないだろうに、なのに、なぜか伝わってしまったのだ。
「おれが、ミエルのかおまえ」
それは、目を見開いて、驚いたように呟いた。
普通ならウサギが喋るはずがない。
だからあの後、何故か再び降りた睡魔に促されるまま瞼を閉じた時、ウサギの言葉もなにもかも、夢だと思い込んだ。
「ふうん、おまえ、おれの……にしてやるよ! いつかまた会えたらきっと、な!」
いつかが本当にそんな時が訪れる日が来たら。
覚えてろよ、絶対、約束! なっ。
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