魔導書を火にくべる
蛸賊
第1話 魔法書に導かれ
おかしい。この辺りには毎日来ているはずなのに、こんな古本屋なんて見たことがない。そりゃあ、新しくできましたというのならわかるけど、これは明らかにそんな雰囲気ではない。入口から見える範囲の中も埃だらけだ。数日じゃどうしようもないほどに積もっている。
気持ち悪い。非常によくないものな感じがする。今すぐにでも回れ右をして家に帰らないといけない……と普段の僕なら思うはずだ。なのに僕はそんなことを思っていない。それどころか中に入らなくちゃとさえ思っているのだ。一歩また一歩と足が店に向かって動き出した。もちろんそれは僕の意思ではない。勝手に動いているのだ。
人通りの少ない道というわけではないから辺りにはまだ僕の他にも人がいるはずだが、どうやら僕の歩き方に違和感はないらしい。誰も声をかけてはこないし、僕も声を自分の意思で出すことができないから助けを呼ぶこともできない。
万事休すなのか。僕はどうしてしまったのだ。朝に食べた物の中に何か悪いものでもあったのか。いや。そんなわけない。そもそも朝ごはんは食べてすらいなったじゃないか。ははは。
冷静になれと自分に言い聞かせるために、ふざけたことを考えてみたけど、体はどうにもならなかった。恐怖だろう。多分そう。僕が今、恐怖を感じているはずだ。よくわからないけど。なんだか、感覚が遠く感じるんだ。自分のことなのに他人事みたいな感じ。
そうこうしているうちに僕の体は店の奥にある棚の前まで来た。腕が動いて棚の中に入っている一つの本を取り出した。赤黒い色をした本だ。表紙には何も書かれてはいない。すると僕の口が動き始めた。
「◆◆◆◆◆◆」
何を言ったのかは理解できなかった。それどころか聞き取れなかった。知らない言語の言葉というのとも違う不思議な感じに理解できなかったのだ。
体の奥からゾクゾクとした嫌なものが沸き上がってきた。
「ああああああ」
思わず、声をあげながらうずくまってしまった。怖い怖い怖い。なんだよあれ。一体何だったんだよ。自分の体が自分の物じゃなくなる感じ。二度と感じたくない。そもそも、あの状態のときはそれが平気だったこと自体が気持ち悪い。
必死に自分の体をまさぐって自分の物だと安心しようとした。それでも中々安心はできなかった。
落ち着いてから目についたのは、やはりあの不思議な本だった。どうしよう。絶対これが原因だよな。そう思うと触るのをためらってしまう。でもなんか気になる。ちょんちょんとつつくように触ってみるが、また体を乗っ取られたりはしなかった。えいっ。思い切って手に取ったが、何ともなかった。
「なんだよ。脅かせやがって」
ほんの表紙や裏はさっき見た通り、何も描かれておらず、ただ赤黒い色の絵の具を塗りたくったような感じのものだった。開いてみると、中も同じ色の紙が入っているだけ。めくってもめくっても、同じ色で何かが書かれているなんてことはなかった。
なんだこれ。不気味だ。でも嫌ではない。さっきまで感じていたゾクゾクとした恐怖ももう感じなくなってきていた。本に対してはただちょっと不気味なだけだ。でも、店の中がおどろおどろしいのは変わらない。というか、この店汚すぎる。はやく本を買って出ていった方がいいだろうな。
「すみませーん。誰かいませんかー」
カウンターらしき場所で声をかけたが、誰かが出てくる様子はなかった。こうなってしまっては僕にとれる選択肢は二つ。この本を置いて店を出るか。買わないまま店を出るか。そもそも、店の前には営業中を示す札がかかっていたはずだし、それなら留守にする方が悪いんじゃないか。うん。そうだ。向こうが悪い。ということでこの本はもらっていこう。きっと僕の役に立つ。役に立つ? 何でそう言い切れるんだろう。まあ、いっか。
店を出ると、何か変な感じがする。何かがおかしいのだ。
「あ。なんで誰もいないんだ」
店の前の道は、まだ日も高いというのに、人の気配が消えていた。いつもなら、このぐらいの時間は、そこそこ歩いてるはずだ。たまたまだろうか。体の主導権を取られるといった変なことに巻き込まれてしまったから、敏感になっているだけだろうか。
違う! 人の多さなんかじゃない。店の配置がおかしいんだ。この道の右手側の角はT路地になっているはずなのに、十字路になっている。その前にあったコンビニもなくなっている。どういうことだ。もしや異世界にやってきたとかそういうことか。ちょっとワクワク……いやしないか。ついさっき嫌なことがあったばかりなんだ。これも絶対よくないことにつながるに違いない。
「チッこっちにもファミリアの奴が……いやちげえ、てめえルーキーか」
左手側から声が響き、見るとボロボロの男が走ってきていた。
「ちょうどいい。減ったページを少しでも足しとかねえとな。イグラム」
男の右手から炎が飛び出してきた。
「うわあああああ」
急いでよけようとしたが、足がもつれてしまってしりもちをついてしまった。やばい! だが、飛んできた炎は僕の横を通り抜けていった。助かった。ホッとしつつ、急いでその男の方を向けば男も倒れていた。痛そうにしていることから、あの体についた傷のせいでこけたのだろう。
「クソが。あの女ぜってえ殺してやる!」
怒鳴りながら悪態をついている男はまたこちらに向かって手を伸ばしてきた。きっとさっきと同じように炎が出てくるのだろう。急いで起き上がりながら男に背を向け逃げ出した。
追加の炎は飛んでこなかったが、後ろから聞こえる声的に男も追いかけてきているようだった。なんでこんなことになっているんだ。訳が分からない。というかあんな炎をまともに浴びたら絶対に死んでしまう。死に対する恐怖からなのか、足がうまく回らなくなってきた。
「わっ」
遂にはこけてしまった。ダメだ。男の息づかいもすぐ近くまで来ている。ダメだもうおしまいだ。またあの炎を打ち込んできて僕はやけ死ぬに決まっている。目を閉じて震えているこちとしかできなかった。
「あがっ」
思わぬ声聞こえてきたが。次に聞こえるとしたらあの男の高笑いとかそういった類のものだと思ったのにこの声はなんだ。でも、かっかっかと歩く音は聞こえてくる。確実に近づいてきてはいるのだ。
「うーんルーキーか。ま、ちょうどいいか。よし君を新しい弟に任命しよう」
なんとも場違いでかわいらしい女の声が聞こえてきた。
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