・魔法学院 シナリオ通り漂流する
7月19日、早朝――大地が揺れた。
大地はさながら暴れ馬のように、背中で暮らす者の都合などおかまいなしに跳ね回り、恐怖と倒壊をもたらした。
激しい揺れに都中の鐘という鐘が大音量で鳴り響き、それが不気味な不協和音となって、この地で暮らす人々の心をかき乱した。
町中から悲鳴、怒号、言葉にならない叫び声の数々が上がり、第一章のラストエピソードの訪れを宣告した。
地震が落ち着くと職員宿舎から軍出向の職員である、サバイバル技術担当・クライブ教官が飛び出した。
「聞いてくれ、これは非常事態だ! 正式な権限の委譲はまだだが、あえて今すぐに軍がここの権限を預からせてもらう!」
クライブ教官は遅れて出て来た先生方に指示を出した。
「3年生には軍からの動員がかかる! 3年生の担任は、クラスの生徒を講堂に集めてくれ! アルミ先生は駐屯地に連絡を。カレール教頭先生は生徒たちを落ち着かせてくれ! 他のやつらは俺に付いて来い!」
慌ただしく先生方が散ってゆくのを、俺は時計塔の屋上から感慨もなしに見下ろした。
シナリオ通りならばこの後、正式に戒厳令が発令される。
3年生と一部を除く先生方が軍駐屯地に動員され、残された生徒は教室で待機させられることになる。
「た、頼りにしてますからね、師匠……?」
時計塔にはジェードが同席していた。『一緒に始まりを見届けよう』と、夜明け前にここへ誘った。
「お前が主人公だろうが」
「だってっ、これ現実ですよっ!? 現実で大地震が起きて、その後、魔界に送られちゃうなんて、怖いに決まってますよ……っ」
「なんにも怖くねーよ。この日のために準備して来たんだ、がんばろうぜ、相棒」
「は、はい……っ! 相棒扱いは嬉しいです……。でも、その、怖いことは全部、師匠が担当でお願いします……」
「お前な……。ま、利害は一致してっし、良いけどな」
俺たちは時計塔を離れ、ただの登場人物に戻った。
黒幕であるラスボスが魔法学院を離れるまで、おとなしく先生方の指示に従った。
教室に集められた後も散発的な地震が続いた。最初は小さかったが、次第にそれは大きくなってゆくのが不気味だった。
クラスの仲間たちは動員されてゆく3年生と先生方を不安そうに見送り、監視の目がなくなったことで徐々に席を立ち、自由行動を始めた。
本校舎と外への連絡路には用務員さんや、残されたアルミ先生が立っている。後になってからわかるが、これは黒幕の指示だった。
彼らは人体実験に荷担させられているとも知らずに、その職務を遂行していた。
「ヴァー様、貴方は何を知っているのですか?」
「なんでメメたちに、あんなのかき集めさせたでしゅか? 貧乏性のヴァレリーが、自腹切るとかおかしいでしゅ……」
この前拾った換金アイテムはあの後すぐに購買で250zと交換してもらった。その金でありったけの傷薬と
「すまん、それはその目で確かめてくれ。……そろそろ、予兆が始まるはずだ」
「予兆、ですか……?」
もう黒幕はこの学園にいないが、実際に事態が動くまでは、ただのモブキャラのヴァレリウスで努めたい。
言葉の代わりに俺は、この窓際から青く輝く空を指さした。
ミシェーラ皇女とメメさんは窓辺に寄って空を見上げた。
「今日も暑くなりそうでごじゃりますね、姫様……」
「そうね。……最近ずっと忙しかったから、こうして空を眺めるのは久しぶり」
「こうしてると、子供の頃を思い出すでごじゃります……。一緒に姫様と山に遊びに――んへ……?」
「あら、何かしら、これ……雪……?」
真夏に雪か。それなら異常性がさらに際立って、良い演出だったかもしれない。
「これ、灰でごじゃります」
「まあ、不思議、空から灰の雨ですか……?」
地震、時々、灰の雨。
新たな異常事態に生徒たちは一人、また一人と気付いて学校中が騒がしくなってゆく。
「師匠、そろそろ……っ」
「おう。ミシェーラ、メメさん、一度こっちに来てくれ」
そう言っても2人には伝わらない。
次第に本降りとなってゆく灰の雨を、窓際から見上げてばかりいる。
仕方がないので席を立ち、仲良く並ぶ姉妹みたいなその腰をこちらに抱き寄せた。
「ミギャーッ、何するでしゅかこのスケベ男っ!!」
「ヴァ、ヴァー様……人前で、こういった行為は……」
クラス中の注目が俺に集まった。
原作通り、大魔法の触媒が灰の雨となって降り注いだ。これより転移魔法が発動する。
モブキャラを演じるのはここまでだ。シナリオへの介入を始めよう。
「みんな窓際から離れろっ、何か来るぞっっ!!」
他のクラスにも届くくらいに大きな声で警告した。
クラスの連中は『は……?』とか漏らして、俺の突然の剣幕に唖然としていた。
「何かって何よっ。というかアンタッ、ミシェーラに何してんのよっ!」
「あ、あの、落ち着いて、シャーロットさん……。ヴァレリウスさんが、理由もなく女性にあんなことするわけ……。じーー……」
シャーロットとコルリ、それにクラス中の連中が皇女の腰に手を回す俺の腕ばかりを見ている。
俺は注目されようともその手を離さなかった。
この後すぐに怪異が始まることを知っていた。
「ミャァァッッ、何さらし続けるでしゅかっ、この不敬者っっ!! 姫様とベタベタしていいのは、このメメだけにごじゃ――」
その時、再び大地が揺れた。
石造建築物である魔法学院が『ビキビキ』と破壊的なきしみを上げ、激震が俺たちを揺すり倒した。
「わっ、わっ、にゃわぁぁぁぁっっ?!!」
俺は左手に皇女様、右手に小柄なメイド風侍女さんを抱いて、暴れ回る床に膝を落とした。
「た、助けてぇーっ、師匠ーっっ!!」
「うふふふっっ、まあすごいっ、これは今朝以上ですねっ、ヴァー様!!」
「ミギャァァーッッ、世界が滅びるにごじゃりましゅるぅぅーっっ?!!」
激震の中、空を見上げた。
白く銀色に輝く夏の積乱雲が消え、青空が真紅へと豹変した。
それは赤く、赤く、血のように黒い赤色に染まった悪夢の空だった。
その空には月にも匹敵するほどの輝く星々が浮かび、ここはもうお前たちの世界ではないのだと全校生徒に囁きかけていた。
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