キラーアイドル 完全版
Lime
キラーアイドル
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著作権と使用
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この物語は、実話を基に、一部改変したフィクションとして描かれています。
なお、登場する地名、団体名、個人名などは架空のものであり事実とは一切関係ありません。
キラーアイドル 小説コンテスト応募作品
著者 星野彩美
この物語を捧げるにあたり、一人の偉大なギタリスト、エドワード•ヴァン•ヘイレンに敬意を表します。
彼の指先から生まれる音は、まるで魂そのものが響くかのように私たちの心を揺さぶりました。
彼のメロディは時を超え、今もなお、世界中の人々に勇気と感動を与え続けています。
彼が刻んだ音楽は永遠に鳴り響き、その遺産は決して色褪せることはないでしょう。
この物語が、彼の情熱と自由な精神への小さな賛歌となることを願って――
偉大なるギタリストに、心からの感謝と哀悼を捧げます。
プロローグ
わたしは視線を向けられるのがもっとも嫌いなアイドル。そう……わたしは決してアイドルになりたくてなったわけではない。こんなわたし…あなたはおかしいと思いますか?
lyrics /来栖アサミ&ayami hoshino
翼を無くして彷徨いながら染める罪
自らの罪を知ったときすでに遅く
手枷されうな垂れる顔つきに面影なし
見るものすべてにギラつかせた視線
触ると切れ味鋭いナイフと銃口向ける
期待はずれの人生嘆いて罵声受けてる
冷えた心は静寂しきって思考停止状態
乱れる事ない寂しくもない無くした心
怒り狂うことなく押し殺してる私自身
個性を失った偶像は凡人に戻るために
自ら落とした翼を探して彷徨っている
少しずつ動き始めた白黒エキストラは
その色彩を取り戻そうともがき始める
人生ごちゃ混ぜにしてきたことを後悔
雲泥のような匂い放ち喚いても遅くて
押し寄せる高波に飲まれながら足掻く
狼の遠吠えのごとく叫んで慟哭してる
飄々としては人の心を弄び嘆きかける
自らの生きる道標示して欲するように
乱れる事ない寂しくもない無くした心
怒り狂うことなく押し殺してる私自身
個性を失った偶像は凡人に戻るために
自ら無くした翼を探して彷徨っている
喚きながら叫びながらの哭声と哭悲で
Copyright© .24 ayami hoshino
まだ、顔にあどけなさが残るアイドルは、この日のために準備された広いステージ上で代表曲を身振り手振り、派手な振り付けで踊っていた。
なんとも目のやり場に困るようなカラフルなステージ衣装が観客の目も心も楽しませている。
見るものを魅力するその抜群のセンスと生まれつき持ったルックスは他のアイドルの引けを取らないくらい群を抜いて素晴らしい。彼女は生まれながらにして、アイドルの素質と資質と気質を兼ね備えながらにして、もっともアイドルになりたがらないアイドル。
…わたしは…ハァ…ハァ…ネグレストの母親に育てられた。
だから、わたしもネグレストだった…。考えるだけで息苦しさが増す。胃の中から込み上げてくる胃液と嘔吐を我慢しながら必死にマイクを握りしめる。
育児放棄の母親…このときまで、愛情が注がれることなく育ったものだと思い込んでいた。わたしにはそのまま受け継がれてしまったらしい。
ステージ上で美声を力強く発して歌いながら、自分の負い目を考えるだけで過呼吸になり、苦しくなってくる。汗の滲んだマイクをギュッと力強く握りしめる。
あぶら汗にも似た冷や汗がアイドルの額から頬へと伝いながら煌びやかに飾られたステージ上にポタポタと滴り落ちる。
精神と肉体との不調和と毎日向き合っている。
すべての曲を歌い終わったアイドルに向けて、観客席の大衆は多大なる声援を送って、スマホライトで一斉に光りの輪を描いている。まるで星空のような煌めきは会場に満ちあふれていた。今日のゴール地点もまもなく訪れようとしていた。
コンサート会場は揺れるような怒涛の響めきと唸るような歓声とファンの熱気で満ち溢れている。観客の声だけで会場が地震のように轟いてるみたいだ。
今日も何とか自分を持ちこたえることができた。自分自身に必死に言い聞かせながら、息も絶え絶えに何とか堪えて最後の力を振り絞り顔をあげて、笑顔を取り戻す。
みなさぁ〜ん!……今日はわたしのコンサートに来てくれて、ありがとう!🎵また、会いましょう!コンサートでラストの曲が無事に終わりステージ上で観客に向かうと両手を前にして合わせて深々と頭を下げる。
長く綺麗に纏められた髪が地面に向かい枝垂れ髪のように下がってる。
こんなに精神的未熟で未完成のわたしでも……必死になってアイドルを演じてる。ステージ上では毎回のように必死にもがいていた。
狭いステージを右往左往しながら駆け回る。観客すべてに挨拶するように手を振りながら。彼女から伝わる熱気とオーラは大衆の視線と心に確実に伝わっている。
やがてステージ中央で背中を向けて、両手でハートマークを作りながらステージの奥へと下がっていく。
どうしてわたしはこんな大舞台で歌ってるのだろう…
自問自答ばかりする日が毎日のように繰り返される。
人から与えられた楽曲を、ファンの前で【笑顔】で【必死】に【汗】をかいて【一生懸命】に歌えているのか…私自身が不思議でならなくなるくらいだ。
もうほとんど精神力と気力で今を耐えているようだ。
決められた楽曲と脚本をもとにステージ上で演技すればいい。
ただそれだけのことだ。
まるで閉じ込められた籠の中の鳥。自分の意思もなく自分でコントロールすることさえ許されない。
幕が閉じたあと、控え室へと向かう廊下をフラフラになりながら考える。
わたし、なんでこんな事をしているんだろう。
好きでもないアイドル歌手なんて…。
わたしは父のようなロックアーティストになりたい…。
そして、いつかあのステージに立ちたい!
廊下の壁にぶつかりながら歩いていると、スタッフに声をかけられる。「大丈夫ですか?アサミさん…」と倒れかかる彼女の肩を支える。だが、
「ああ、ほっといてよ。大丈夫だから。ありがとう…」とそのスタッフの手を、力無く振り解いてまた歩き出す。顔は青ざめて白くなりつつも気力を振り絞り控え室に向かう。
だからいつもわたし自身の中で……苦しみにもがき、葛藤している。日々…毎日が自分の精神力、気力との闘いである。
人間自分の嫌なことを無理にやり通さなければならないときほど嫌なものはない。
いつかは、そのことがバレてしまうかもしれない……
ネグレストである、このわたしを。そんなこと、耐えられない。誰だって嫌でしょう?自分の内面を曝け出されると。バレないように、週刊誌にすっぱ抜かれないよう、気を張ってる。
気をつけないと、このご時世すぐにSNSにアップされて面白おかしく掻き立てられて、ネタにされる。話題のネタなんて、わたしはごめんだ…。
不安で不安で仕方ない。わたしなんて、アイドルには向いていない。決して……。いつも問題を抱えてるし。
精神力もない…気力も…体力も…アイドルを演じるだけの気持ちさえ持ち合わせてない。心は不安定の状態。
わたしは控え室に戻る
アンコール!アンコール!アンコール!…
ああ……面倒くさい。もう行きたくない。出たくない。またあんな大勢の大衆の前に出ていかないといけないのかと思うと気持ちがすくんでしまう。足がすくむというよりも、気持ちが先にすくんでしまう。言葉の意味として正しいかどうかなど、今のわたしにはどうでもいい。わたしは両手で耳を塞いで聞こえないようにする。
わたしはなぜ、アイドルをやっているのだろう。もうやめてしまいたいくらい。でもそれは仕方ないこと。やるしかないのである。プロダクションとそういう契約条件だから。社長からも社会からの重圧にも屈しないといけない。言われるがまま。
それにわたしを応援してくれてるファンの皆んなを裏切れない。支援してくれてる大勢の後援者の方々にも頭が上がらない。
頭の中が穏やかでない。複雑な心境が激しくのしかかり圧迫する感じがする。キーンと脳の中を耳の奥から発せられる周波数のような高音が最高潮に達する。おかしくなりそうだ。
ステージ裏では大勢のスタッフがパタパタと汗をかいて、撤収作業を始めるために大忙しの中、わたしはスタッフの間を払いのけ、掻い潜りながら縫うように控え室に入り、椅子へと腰掛ける。
ようやく控え室の椅子までたどり着いた。大きなため息にも似た息を吐く。それは苛立ちに似たような感情が入り乱れてることを意味する。
わたしが頼んでおいたものに目を向ける。テーブルに置いてあるスタッフが用意してくれた沢山のケータリングの中から常温にしておいた水に手を伸ばして飲み、タオルで汗を拭うと自分を奮い立たせるように、気持ちを引き締めるために、1分間深呼吸しながら静かにゆっくりと目を閉じて気持ちを落ち着かせる。
そしてテーブルに数本置いてある酸素缶を手元に置くと一本取り、マスクの穴を、ボンベのノズルに差し込み、息を吸うマスクの上部を口に当てがい回して噴射させる。ふぅ…ふぅ…ふぅ。シュー…シュー…シューと酸素が口から吸い込まれて身体全体に行き届くように集中する。
酸素缶はわたしには、必要不可欠なアイテムのひとつ。
ツアーには必ず用意してもらっている。これがないとわたしは倒れてしまう。酸素は血管を通り身体の細部まで流れ込み染み渡る。意識して集中する。そしてイメージする。
酸素は、肺胞から血液中に入り、動脈血となって全身に運ばれる。血液中の赤血球がヘモグロビンに結びついた酸素を運び、体のすみずみまで酸素を届けていく。
煩悩を取り払うかのように頭の中を空っぽにする。酸素を脳に送って血の巡りを駆け巡らせるように。
集中…集中…集中…わたしはヤレる、わたしはヤレる…
ふぅ……ふぅ……ふぅ……。
意識を一気高めていくように自身に言い聞かせていた。
胸の奥底で爆発させるようにイメージする。
軽く目を閉じながら困惑する頭の中で意識を一点に集中させる。イメージは額…眉間の中央付近に神経を研ぎ澄ませる。
そんなことは、いつものことだ。
だいぶ落ち着いてきた……。呼吸も落ち着きを取り戻すと、「そろそろ行けるかな?大丈夫かな?」と問いかけてみる。
「アサミ…そろそろ行かねえと…」バンドメンバーがアサミの控え室に顔を覗かせる。節目がちなわたしのことを心配して声をかけてきた。
「ああ、分かってる」と吐き捨てる。
いつもこんな状態のわたし。自分の気持ちを落ち着かせる方法は、学生時代に身に付けたものだった。自分で考えたものだ。これが正しい方法かどうかは分からない。本当はどうやるのか分からないし、知りたくもない。わたしは控え室のテーブルにふさぎ込む。
心理カウンセラーに相談したわけではないし。人と会うことが嫌いだから医者やカウンセラーなど見るのも嫌だ。吐き気がしてくる。考えただけで握り拳をしてしまう。自分の内面を他人になど見せたくないから。わたしがこうなってしまったのも父が亡くなってしまったことと因果関係があるのは明白だ。
そんなことよりも、毎朝、家の玄関から一歩外に出ることに躊躇する。また長い長い1日が始まるのかと考えると心の奥底から掻き立てるような蒸し返されるようなものが込み上げてくる。同時に胃の中から酸っぱい胃液がふつふつと湧いてくる感じだ。また悪夢の1日が始まるのか…
そんなとき、わたしはD.カーネギーの言葉を思い出して葛藤する心を落ち着かせるようにしている。無理にでもそうしないと足が一歩、外界へと踏み出せない。わたしの座右の銘だ。
「一歩、一歩踏み出せ……成功への近道」
その勇気をわたしにください…
わたしは顔を覆っているタオルを取り、投げすてると椅子から立ち上がり、廊下で待つバンドメンバーと合流するために控え室のドアを出る。
「いくぜ〜!おぅ!」バンドメンバーと円陣を組んで中央に片手を前に出してそれぞれ置いてゆく。
「気合いいれていこうぜッ!せぇの…おぉ!!」
…わたしの母は病気の治療も兼ねたある施設に入っている…
こんな精神状態の今のわたしには母の面倒を見切るだけの心の余裕はない。わたし自身もネグレストだから。母ほどじゃないが。本当は何もヤル気も出ないし、自身の劣等感から、見る人すべてがわたしを軽蔑して無視しているように見える。
学生時代はいつも「死にたい」とSNSの数少ない友人にDMを送っていた。人生に悲観ばかりしていた頃だ。夢も希望さえなかった。どこか死に場所はないか。どうやったら楽になれるか。そんなことばかり考えていた。
そんな暗いDMばかり送るわたしに友人はだんだんと避けていった。声をかけると遠ざかっていく。気がついたときにはひとりになっていた。唯一無二の親友だけが、わたしに寄り添ってくれた。優しく声をかけてくれた。
わたしは陰ながらいつも見守っているよ……。
アサミを応援しているよ……
彼女の言葉だけが、唯一のわたしの心の支え…。
「アサミ?やれるか?あと一曲だ。アンコールいけるか?」
「余計な心配しなくていい…わたしに合わせときゃいいんだよ。そっちこそ、大丈夫かよ?」
「ああ、皆んなおまえに着いてくぜッ!」「よっしゃ!」
わたしは幕間を終えて、歌いながらステージに出ていく…深呼吸しながら。
ギターの響く音に合わせるように、声を甲高く響かせる。今日も我ながら素晴らしいくらい喉の調子はとても良い。声を曲に合わすように。音がズレないように慎重になりながら思う。わたしなんて…。
Heart’s Lacuna (ハーツ•ラキュナ)
Lyrics /来栖アサミ/ayami hoshino
(サビ)
愛しあって…
慰めあって…
傷舐めあって…
許しあって…
木枯らしの吹き荒ぶ(吹き荒れる)
街並みを背中に、後悔背負って
でも前だけ見つめられず、ただ立ち止まる
あなたが生きてきた、精一杯の愛情を
私は素直に受け入れられずに
背を向けた…
あなたの溢れる笑顔だけが
わたしの心からこぼれ出す
受け止めようにも
両手の隙間から流れおちてく
行く先々をただ見つめるしかできず
眺めていた
(サビ)※1
愛しあって…
慰めあって…
傷舐めあって…
許しあって…
あなたに支配されたい…
わたしの心を奪って
強引に踏み込んで
その瞳の奥に潜む何か
読めない心に
わたしの中をあなたで満たして
(サビ2)※2
あなたの優しさ
あなたの気遣い
あなたの吐息
あなたの太い声
何かもの足りない
優しいだけが愛じゃない
勘違いのすれ違い
なんて鈍いの?
気づかない
届かない
この想い
響かない
ahh…ah…ah
※1
※2
© .23 ayami hoshino
こんなわたしでも得意なことがある。唯一他人に誇れるものかもしれない。
歌とダンスだけは誰にも負けない!音感が人並み以上なのは、父親譲りなのかもしれない。いわゆる、絶対音感の持ち主。
絶対音感とは生まれつきのものとされているらしい。わたしの場合、幼少期に音楽教育を父から受けている。教育されたというよりも父が奏でるギターの音をいつも身近に感じていたからだろう。
特に歌うことは人よりも群を抜いて得意だった。だけど…だけど、それにふさわしい笑顔は備わっていない。気持ちと心だけが正反対のわたしだった。
わたしがなりたいのは、こんなアイドル歌手じゃない。
父のようなロックアーティストになりたい!
コンサートが終わったときが1番ホッとする。一気に駆け抜けた感覚があった。今日一日、何事もなくバレずに過ごせたことにホっとしている。わたしは足早に会場を後にする。こんな場所、1秒でも早く離れたい。
だけど、家の玄関にたどり着くまでは気は抜けない。常に不安を抱えたままなんだ。まだ自分を解放してはいけないんだ。
身を隠すようにビクビクと怯えながらの帰路はいつものこと。
私生活ではそんなアサミだったが、いざステージに上がると別人の風格に変わる。
プロ意識への思いと拘りは人並み以上で人事を超えている。そんな彼女だから着いてくる人は後を経たない。アサミは若いながらの人格者だ。
見た目の容姿からは感じさせないくらいの風格とオーラを出している。外見で判断するような人を一番に嫌う。
そんなアサミだが、一度仕事を離れるとそのオーラを一切消し去ってしまう。
①収監
わたしは薄茶色の熊のぬいぐるみのような色の帽子を深くかぶり、丸いサングラスをして、エリの高いコートで自分の姿を隠して颯爽と足早に歩きながら街に出ていた。
さっきまで、アイドル活動していた頃の自分を思い出していた。今は違う。あれから状況が一変してしまった。身を隠さなければならない存在になってしまった。
「来栖アサミだな……?」
わたしはいつの間にか周囲を数人の男性に囲まれていた。ついに気づかれてしまった……。
今までがんばって、バレずに過ごしてきたのに……。わたし…いつも逃げてばかりの生活。もう疲れた。アサミは地団駄を踏みながらも肩を落として、「はい……そうです。」と答える。
わたしはアイドルをやっていてはいけない人間。今は無価値な人間。今はもう人々に勇気や希望を与える立場には向いていない。
わたしはとうとう拘束されてしまった。
名前ではなく「番号」で呼ばれる人間。あれからアイドル活動を休止しなければならない「ある理由」があった……。
わたしの母もある施設に入っています……。そうです。普通の施設とは異なる施設です。わたしもその施設に入ることが避けられなくなってしまった。
そこでは冷たく淡い光が廊下を鈍く照らしている。
カツ……カツ……キィ。足音が冷えた廊下に響き渡る。
心の中まで染み込んでくるような冷たさを感じられる。
まるで気持ちが凍るような静けささえ感じる。
「入れ!48号」
わたしは狭い重苦しい部屋に案内された。その硬いドアを開けた瞬間に、ヒューと冷たい空気が肌を包み込んでくる。今年はとくに冷えるようだった。わたしは身震いさせながら中へ通された。
冷たい目でこちらを見つめる監視官が小窓から覗いていた。わたしはその連中に、キツい視線を浴びせながら室内を見回す。
もっと丁寧に扱えよな…と、一瞬頭をよぎったがわたしはもうアイドルではない。仕方ないか…と諦めて部屋の様子を観察する。
施設内は静まり返り静寂そのものだった。部屋には最低限の物しか置かれていないようだ。無機質なモノトーンの壁や床が圧し掛かってくるようで窮屈に感じる。今までこの部屋で過ごした「住人」の思いが呪いのように重くのしかかってくるようだ。空気が澱んでいる。耐えられそうにない。人の思いがこんなにもその場所に自縛することを初めてしった。
ドアには誰かが引っ掻いたような傷があちこちに見られ、蹴ったようなヘコミまで見られる。壁には落書きまでされている。
時折り、廊下から誰かが歩く音がキュッキュッと反響している。外からはスポーツを活動しているのかボールの弾む音や叩く音、蹴る音に紛れて声が聞こえる。室内は花を劈くような異臭さえ放っていた。何ここ…臭い
ああ…息が詰まるようで苦しい。胸が圧迫されそうになる。締め付けられるような感じ。ネグレストであるわたしには、押し潰されそうな気持ちで息苦しさを感じる。
誰だ…わたしを押し潰そうとしてるのは。背中から覆い被されているようだ。周囲には何人もの過去の住人の魂が浮遊しているように感じられる。
しかしこれは避けられない。わたしが起こしたことだから。
あんなことをしてしまったから…。頂点まで登り詰めた今までの努力も苦労もすべてが泡のように消えていくのが感じられる。
その日からアイドルの活動を休止しなければならなくなった。世間では体調不良による休養とされていたが、実際は違った。
バンド名は「キラーアイドル」。殺人犯……。
そうです…今のわたしの裏の顔は殺人犯です……。
ここでわたしは何をやるべきで、どんな罪を償うのか……。まだ頭の中が整理できてない。こんな重圧の中で耐えられるかどうか……。はぁ…はぁ…はぁ。バンドのメンバーはどうしてるだろう。ファンの皆んなに申し訳ない。皆んな…ごめん。
わたしは狭い8畳くらいの狭い泥臭い湿った空間の湿り気のあるベッドに潜り込む。気持ち悪い。何これ。
個室には備え付けの便器まであった。こんなとこでやるわけ?
はぁ……はぁ……はぁ……。目の前が暗くなってく。回ってる。クラクラして…気持ち悪い。意識が遠のいていく。
わたしは、とうとう気を失ってしまった。
目が覚めると、ベッドに横たわっていた。「ここは……?」
気づいた?アサミさん。
本当は名前で呼ぶと叱責されるんですけど。あなたは知名度があるので、そう呼ばせてもらえますか?
アサミは気がつくと上半身を起こして頭を抑える。痛ッ…
周りを見ると先ほどいた個室ではなく、明るい一室だった。誰かがペンで走り書きする音が聞こえてきた。コーヒーの良い香りがする。デスクには白衣を着た女性が後ろ向きから顔だけこちらを見ていた。
……はい。でも、わたしのことは気にしないでください。
わたしはただの犯罪人です。他の人と同じ扱いでお願いします。今更ながら気が滅入って、自分が犯してしまった犯罪へな罪の意識が表情となってときおり垣間見ることができた。
あなたは……何か病気をお持ちなのですか?ペンをデスクに置くと椅子をこちら側に向けて女性が問いかけてきた。アサミは女性の顔を窺い見る。髪は長く束ねられと、黒い。細長く薄いメガネをかけていて、薄い唇には微かな紅が引いてある。目立たないように。化粧っけはあまり見受けられない。
わたしは、ネグレストなんです。時折、パニック障害が出ることがあります。アサミの言葉を女性医師のような女はノートにスラスラとペンを素早く走らせる。そして問いかける。
ネグレスト……?そうだったの……あなた、そんな状態でこれまでよくアイドル活動ができたわね。通常だったら無理だわ。
わたしもこの仕事をやってて、ネグレストのアイドルなんて聞いたことは無かったわね。
教えてもらえる?どうしてこうなったのかしら。こういう状況に陥ってしまったのか理由を知りたいわ。
…黙秘します。
わかったわ。あなたが自ら話してくれるまで待つわ。今は、その病気から先に治療しないとね。精神科医に診てもらう必要があるわね。
それなら質問を変えるわね。
これまで病院には行ったことはないの?
いいえ……質問を間違えてます。
行こうと思ったことさえありません。
だから全く行ったことはありません。
今までどうやって症状を抑えてきたの?
自分で工夫した方法です。誰にも知られたくありませんでしたから。医者だろうと…。
私たちのようなアイドルは、皆に夢や希望を提供すべき存在です。その私がネグレストという状態なんて……。いつどこから情報が世間に漏れるか分かりませんからね。
そう考えただけで耳の奥を劈くような耳鳴りがアサミに襲いかかる。顔色も青白くなっていくようだ。耳鳴りはやがてフラッシュバックとなって映像に変えていく。
あなたのライブ、拝見させてもらいました。素晴らしいライブでしたよ。本当に輝いていました。
皆があなたから大きな力を受けているのは確かなことだと感じました。私もすごく感動しました。急に熱く語り始めた法務教官。あれだけすごいパワーを画面越しに感じるコンサートなんてわたしは見たことがない。
私は仕事柄あまりコンサートなどを観る時間がありませんが、なんだかワクワクしてしまいました……。あれだけ大勢のファンはあなたを観に来ている。カウンセラーは今までと打って変わって表情を変えて喋っている。
やめてください!お世辞はいりません。
私は与えられた仕事をただこなしてきただけです。
すべて仕事なんです。
わたしには夢や希望などありません。
アサミは絶望感さえ感じるような表情を浮き彫りにして睨み返してきた。
ただ、無意味に仕事を黙々と淡々とこなしてきただけです。
アイドルは言われたことだけやっていればいいんです。
与えられた仕事だけを黙々とこなしていればいいんです。
自分の意思尊厳などありません。否定されて終わりです。
そんなこと言うべきじゃないわ。
あなたが成し遂げてきたことは、誰も真似できないわ。
それもとびきりの笑顔で。
コツコツと日々積み重ねてきたあなたの努力は無駄にならないし、皆んなに伝わってる。だから皆んなあなたのコンサートが見たいのよ。分かる?法務教官はジッと見つめながら、瞬きさえせずに語っている。
あなたらしい自分を知らずに見つけている。
いつの間にか身に着けている。
それはあなたの防御本能みたいなものよ。
あなたは素晴らしい声の持ち主。
それはいつのまにか周りを惹きつけてしまうくらいの魅力がある。あなたも知らないような魅力がね。
こればかりは真似しようにもできないこと。
法務教官の力説は止まらなかった。
誤解しないでね。わたしは観たままを述べてるだけ。
法務教官の言う言葉から力を感じるように思われる。
嘘やデマカセで言ってるようには見受けられない。
アサミは法務教官の言葉を黙って聞いていた。しかし、今にも反論しそうな顔つきで握りこぶしをしている。ジッと耐えているように見てとれる。
アイドル歌手の一日のスケジュールは忙しいものとなるでしょうね。アイドル歌手の典型的な一日のスケジュールを想像してみたわ。そういうと独自に調べたスケジュールを取り出した。
あなた方のような芸能人の方々は忙しいスケジュールの中で、とくにアイドル歌手はパフォーマンスや音楽制作に加えて、健康管理やファンとの交流、メディア対応など多岐にわたる活動をこなしてきたはず。
これは大変な過密なスケジュール。これをあなたはずっとやってきたし、こなしてきた。寝る時間さえなかったはずよ。
移動の時間にバスの中で寝るくらいの隙間時間しか与えられてない。
わたしは【組織】に所属している側の人間です。言われたことを機械のように、ロボットのように精密に動くだけです。
アイドルとしての感情すら、組織に管理されてます。
さっきの法務教官の言葉を180度反論するように語り出す。
わたしの意識とは別物です。
こうしなさい…ああしなさい…ここはダメ…アレはいけないと言われて指摘され指示されたことだけを行動するだけ。
妄想など決してありえません。わたしには意思はありません。
そうでないと壊れてしまう。わたしの精神が。
言われたとおりに動いているだけのほうが、まだ気持ちが少しはマシです。
組織から言われた圧力がないと自分では行動には移せないんです。怖くて。否定されそうで。自分自身を。
だから、あれは本当のわたしではないんです。
言うなれば、わたしが本当になりたいわたし自身。
ユング的に言えば「シャドウ」です。
イメージした自分のシャドウを思い描きながら、演じている別の自分。
ユングだなんて、あなた難しいことを知ってるのね。
組織から知識を与えられるんですよ。学がないとおバカ扱いされさますからね。最近のアイドルは。
あなたおかしなことをいうのね。組織なんて。
プロダクションでしょう?
あなたの言う組織とはなんなの?
ま、いまのあなたにそれを聞こうとしたところで、あなたは否定するでしょうし、口は割らないでしょうね。
それすらも、自分の意思とは無関係のこと。
組織に言われたように、組織にインプットされたことだけを喋るだけでしょうからね。
今日からあなたには、カウンセリングを受けてもらいます。
本当のあなた自身を取り戻せるようにわたしがお手伝いします。これは「命令」です。いいわね?
法務教官はこれからのスケジュールをアサミに開示した。
…アサミは無言のまま、頷いていた。
アサミは、病気の治療を受けるために施設のカウンセリングを受けることになった。独房よりいくらかマシです。
傷ついたハートは戻らない
lyrics 来栖朝美/ayami hoshino
F/ killer idle
アタシには信じないものがある
それは愛情友情絆ってやつだ
いつも燻ってギラつかせた日常
嫌気がさす綺麗事を抜かすやつ
尖ったナイフとは言わないけど
アタシのギスギスした心情はさ
錆びついた刃なのは確かだよ
ボロい勇気を奮い立たせてる
錆びれたキズナに傷ついた心魂
癒してくれるのは月の光りだけ
*
teacher教えてよ生き方ってやつ
心の持ち方ってやつと心のバランス
学んだことない精神力の維持管理
そしたら少しは前向きになれるはず
傷ついたハートは戻らない
安い服着て高貴な振る舞いして
ちっぽけな現実に壮大な夢描き
抱いた心のうちは真っ赤に染まる
棘ある友情、尋常じゃない人情
日常という牢獄に縛りつけられ
逃げることすら憚られてた日々
何するにも言いなりだったアタシ
首輪をつけた捨て猫のようにさ
抜け殻の身体で薄汚れた心で…ねえ
*
teacher教えてよ生き方ってやつ
心の持ち方ってやつと心のバランス
学んだことない精神力の維持管理
そしたら少しは前向きになれるはず
傷ついたハートは戻らない
© .24 ayami hoshino
②法務教官
牢獄という獄中の施設の門をくぐり、広がる静かな雰囲気に少しばかり緊張を覚えながらも、彼女は心の内に僅かながら秘めた希望を胸に抱いていた。これは彼女にとっては気持ちの変化の現れだったのかもしれない。微かに笑みさえ溢れ出すのを抑えている。それは心の静寂に繋がることにもなる。しかし…
収監されて喜ぶ人間などあろうか…。
自分自身で心の中に僅かな「希望」というポジティブな単語が思い浮かぶことなど、今まで数えるくらいしかなかった。
おそらく今までの重圧から解放されたことが1番の要因であることは間違いなさそうだ。
彼女にとっては、今までの日常のほうが牢獄。鑑別所のほうが理想的な現実だったのかもしれない。
この施設が自分を変えてくれるかもしれないという僅かばかりの思いが心のどこかにあったのかもしれない。
ふつふつと湧いてくるような感じはアサミにとっては初めての気持ち。外部的な圧力で締め付けられ押さえつけられるようなことではない。
カウンセリング室を出ると一通り施設内に案内される。アサミは白い壁と控えめな照明の冷たい廊下が広がっているのを見ました。その廊下には静謐な雰囲気が漂っており、彼女は落ち着きを取り戻しつつあった。
何だか温かい。身体ではない。心が解放されるような穏やかな気持ちになる。束縛されなくていい。もうわたしの生活から。あれは生活ではない。縛りつけの拘束。監禁状態のような監視された生活。開放感からくる高揚感とはこのことを言うんだろうか?逃避行からの解放ですべての苦悶が消えていく。スゥ…と心の中から蟠りが抜けていく感じだ。
毎日の生活はいつも不安だった。ドキドキしていた。もうあんな生活は嫌だ。戻りたくない。彼女の本心の言葉だった。そんな自分が、心の隙間から外に這い出てこようとしている。
わたしは胸を両手で抑えて締め付ける。ダメ。出てきてはいけない。わたしはマシン。機械なんだ。精密に与えられたプログラムを完璧にこなすだけの道具。人ではない「人で無し」だ。
こんな施設での生活なんてわたしにとって「アイドリング」停止状態の無駄な時間でしかない。
はやく服役を終えて戻らないと。
アサミは自分の感情が解放されていくことに怯えていた。
自分の感情のコントロールもできない。
間違った方向へいくことへの不安さえある。
果たしてそれが良いことなのか?間違っていることなのか?分別ができない。
わたしはわたしでない…捨て駒。配置された歩兵みたいなもの。早く盤面にもどらなければ。捕虜扱いなんてゴメンだ。
わたしは自ら先頭に立って闘うため駒にならなければ。
「アサミさん?何してるの。こっちです。」
法務教官は、立ち止まって両手で胸を押さえるアサミに声をかける。
法務教官が案内してくれた一つの部屋に入ると、そこにはシンプルなベッドとテーブル、窓から差し込む光がありました。
ここは、刑務所じゃなくて、みなさんが社会に出るために更生する施設ですからね。
鑑別所ともいうわね。とドアを開けて中へ通される。
あなたの場合はカウンセリングも兼ねてます。
言わば、学校みたいなものよ。気楽に考えなさい。
「こちらがあなたの部屋です。お荷物は片付けていただいて結構です。ここで落ち着いて、自分自身と向き合っていただきます。何かお困りのことがあれば、いつでも我々スタッフに声をかけてください。
言い忘れましたが、あなたには相部屋を使ってもらいます。ルームメイトがいらっしゃるので、仲良くしていくことから始めてもらいます。」
法務教官は虎視眈々と決められたセリフを述べるように喋る。それは流れるような丁寧な言葉で慣れている様子だった。
アサミは一瞬躊躇う素振りを見せ、身体が膠着して顔が強張る。血の気が引いていく感じが自分でもわかっている。
あの…その方は今どこに?と不安気に囁くように話しかけてきた。顔が震えているように見える。
今、別室であなたのようにカウンセリングを受けてます。
その人にはあなたのことはまだ内緒にしています。
女性ですか?と、先ほどとは打って変わってアサミは驚きもせずに顔色さえ変えずに聞き返す。
ええ、もちろんでしょ。男性と同室にしたらどんな過ちが起こるか分かりませんからね。
別に…わたしはなんでもいいです。処女じゃありませんし。
わたしにとって、アイドルにとって、肉体も武器のひとつなんです。アサミは視線を逸らさずに真っ直ぐ見据えながら法務教官を見る。
そう身体に叩き込まれてきました。今までずっと…。
私たちの身体は道具なんです。名を売るための…。
わたしの気持ちも身体も…。と虚ろな顔を見せた。
曲売りたいなら…コンサートをしたいなら…番組に出演したいなら…それ以上は言いません。
断ると芸能界から干されてしまうのがオチです。
堕ちですよ。這い上がってこれなくなるだけです。
数字を取れるような大物MCやプロデューサーにあてがわれます。身体を貪られるわけです。彼らの性欲を満たすための道具です。これ以上、まだ話しを続けますか?
「何をした」か「された」か、おおかた想像通りです。
あなたのような若い方に…噂では聞いてましたが。
あくまでもわたしの意思です。勘違いしないでください。
プロダクションも関係者も一切関係ありません。
自ら進んでやったことです。アサミは頑なに自分の意思を曲げない。
結局は最終判断はわたしに委ねられてます。
選択権があるのは、わたし自身です。
プロダクションも関係者も強制はしません。
好きなほうを選べと言われます。
あくまでもわたし個人の意思によるものです。
アサミは顔を背けて歪ませながらしゃべる。
目には涙さえ溜めているように見てとれた。
アサミが心に負った傷はとても深いと感じられる。
個人ってね。あなた…それって選択権のない半強制的な無言の圧力。暗黙の了解みたいなものじゃない。
こんな話しって…本当のことなのかしら?
あなたの言う言葉は信用できません…と法務教官は言いかけたが口をとじた。この世には言ってはいけない言葉がある。
それは患者を否定すること。わたしたちカウンセラーは、彼女が今までしてきたことを否定せずに、肯定してあげてアドバイスをしていく立場なんだから。
さあ…お入りになって。もうここはあなた方のお部屋です。
部屋の中は相変わらず殺風景で色彩すら感じられない。
「マニュアル人間」から脱したいなら自分の「独創性」「創造性」「柔軟」「自由な発想」などを磨くことね。
マニュアル人間は手順や規則に忠実に従い、柔軟性や創造性に欠けることがあります。だからこれに対立する概念は、柔軟で自由な思考や行動を示すものとなります。
絵を描いてみたり、曲を作ったり、あなたはそういうのが得意なんじゃなくて?笑
今度は、「人に与えられた楽曲」じゃなくて、あなたが作ってみたら?あなたは必要のない人間なんかじゃない。
あなたならできるわ。必ずね。
それと…間違えてもジキルとハイドにはならないようにね。
あなたのような方によく見られるのよ。
それじゃあね。
法務教官がそう説明すると、アサミは軽く頷いた。法務教官が部屋から退室すると、彼女はベッドに座り、窓からの光を浴びながら深呼吸を繰り返した。
この場所で過ごす時間が、自分の内面と向き合う大切な時間であることを心に感じていた。あの教官のせいで洗脳から解き放たれていくようだ。何だか疲れた。今日1日が目まぐるしく過ぎていったせいだ。
しばらくすると廊下から足音が聞こえてきた。横になっていたらいつの間にか寝ていたようだ。
足音は遠くのほうから徐々に近づいてくるようだった。
音は次第に大きくなっていく。
アサミの耳の奥と胸を締め付けるように圧迫されていく。
はぁ…はぁ…はぁ。ふぅ…ふぅ…。
…落ち着いて。落ち着いて。大丈夫、大丈夫よ。アサミ。
アサミは心の中で必死にもがいていた。
ヤツらはいない。もういないのよ。
アサミは耐えられなくなり、ベッドに入ると掛け布団に包まり、壁際に身体を密着させて、震え出した。
監視されてる…アイツらに見られてる。やっぱり私生活なんてアタシには許されないんだ!
壁際に身体を這わせるようにするとなぜか気持ちが少しだけ和らぐ。
足音は部屋の前で止まり、廊下から囁くような話し声が聞こえる。
ヤツらだわ。ヤツらがきたのよ…いやぁぁぁーーー!やめて!
ガチャ!…アサミさん!アサミさん!どうしたの?
大丈夫よ。大丈夫だから…ね?落ち着いて。
深呼吸しましょう。深呼吸…ふう、ふう、ふぅ…
カウンセラーはわたしを胸の間に抱き締めると優しく背中をトントン…と叩く。まるで母親の心音のように。
…落ち着いた?アサミさん。
彼女よ。あなたのルームメイトは。
アサミはカウンセラーの胸からそっと顔をブルブルと震わせながら、覗き込む。
そこには小柄な女性が荷物を前にしてちょこんと立っていた。
「こんにちは!」
individual (インディビィジュアル)
Lyrics ayami hoshino
アタシには果てしない
苦悩に感じるこの道
あなたがいれば 希望の道
あなたが 居さえすれば…
(rap part)
心に土足でズカズカ参上
この乱れるわたしの感情
考えられるその惨状
その溢れた愛に騎乗
未来の空色群青
take eazy……Shake its
"That shakes up this emotion."
(気楽にやって…それを揺るがせる
"それがこの感情を揺さぶるんだ")
昨日(かこ)の屈辱
いまのアタシの頭ん中
だけどね
あなたの優しさがアタシの中で
痛みに変わっていく
自虐して罵倒を伐倒
あなたの笑顔が希望にかわる
苦しみのなかから生まれる何かを
見出せないまま…
teenでその才能
世間(じだい)にチヤホヤされ、
このさきアタシはどうなる?
その壁はやがてくる
乗り越えるべきその壁
苦しみと葛藤
その先へはゆけない
辿り着けない
take eazy……Shake its
"That shakes up this emotion."
だけどね
あなたの気遣いがアタシの中で
苦しみに変わっていく
絶え間ない隙間ない抜け出せない
明日の陽(ひ)の光かり
みることのできない光
それは希望の光
Copyright© .23 ayami hoshino
③結花
ふ…ふ…ふー♬ふん…ふーん♪アサミは夢を見ている。
わたしはメロディを鼻歌で奏でていた。何故か落ち着く曲がある。「キラーアイドル」の楽曲ではない。
昔、聴いたことのある曲だった。たまに思い浮かぶ。わたしの記憶の奥底に置き去りにされたようだった。
たまにアサミの頭の中に現れる人がいる。誰だろう。わたしを抱っこして、肩車して。お父さん?
笑顔で微笑みかける…顔がハッキリと思い出せない。
わたしはまだ幼かった。幼すぎたんだ。
お父さんはわたしが幼い頃にこの世を去っていた。父は子煩悩だったと母から聞かされたことがある。父の傍らにはいつも音楽があった。ギターを抱いていた。女性を抱くようだった。
ギターは父の生き甲斐だった。
その曲がいつもわたしの脳裏から離れなかった。わたしが壁にぶつかったときに必ずと言っていいほど現れる。
落ち着く…お父さん。いつもわたしを和ませてくれる。
アサミ…アサミ…アサミ!アサミさん!大丈夫?
ハッ!わたしは我を失っていた。
…は、はい。大丈夫です。落ち着きました。
ご迷惑おかけして申し訳ありません。
アサミは落ち着き払い衣服の埃を落とすような仕草で誤魔化し取り繕う。
彼女よ。あなたのルームメイトの結花ちゃん。
小柄な女性はわたしに頭を下げてきた。ニコッと笑って微笑む彼女には愛くるしさがあった。ポニーテールの髪を揺らしたその女性は自分より若干歳上のように感じられる。
わたしは相変わらずカウンセラーの胸に抱かれながらも女性の顔を見つめていた。見つめるというより睨んでいた。
身を震わせながら。わたしは片時もカウンセラーの両腕を離さなかった。
ヤツらが送り込んだ刺客なのかもしれない。そうよ。そうに違いない。皆んなしてわたしを…こんな場所にまで。
ここでも監視されるんだわ。
カウンセラーから急いで離れてベッドに入り込むと掛け布団を頭から被り、横になり身体を丸めていた。
結花さん。あなたのお部屋です。彼女はあなたのルームメイトの…。と言いかけた瞬間に。
来栖アサミさん!ですよね?
結花はカウンセラーの小百合に叫んだ。
シィ…静かに。大声で怒鳴ったり叫んだりしないように。
小百合はアサミに聞こえない程度の囁くくらいの微かな声で結花に話し始めた。カウンセラーの小百合とは、先ほどの法務教官のことだ。
ネグレストやパニック障害や認知症の人にはそういう行為が1番いけないの。また間違えても後ろから声をかけたりしないようにね。病気の進行が悪化するから。分かったわね?
驚かすことがもっともいけないことだから頭に入れておいてね。いいわね?
はい。分かりました。
結花さん。アサミさんにご挨拶して。
こんにちは。はじめまして!アサミさん。わたし…ずっとあなたの大ファンだったの。逢えて光栄です。まさかアサミさんと同じ部屋になるなんて夢のようです。握手しましょ?
結花は思わず目頭が熱くなった。目の前に憧れていた人物がいるから無理はない。
こ、来ないで!わたしに近寄らないで!
アサミはこれまで、ずっと1人で生活してきた。監視されているとはいえ、誰かと部屋をともにするなんて養護施設以来のことかもしれない。
ましてや、これからずっと同部屋を他人と共有するなんてありえない事態に驚きと戸惑いを隠せなかった。
じゃあ、あとはお二人にお任せします。2人とも仲良くね。
アサミさんも自分と向き合いながら、結花さんとも話せるようにね。がちゃ…。
結花さん…ちょっといいかしら?
…は?はい。
小百合はアサミのほうをちらっと見る。アサミは布団に頭から被り震えてるように見受けられる。アサミの状態を気にしつつも、結花の手を引いて部屋から出る。
アサミさんはね。精神的な病気を持ってるの。あなたも知ってるとおり、仕事が特殊だから精神不安定に落ちいることが多い。今まで大変ご苦労されてきた。私たちの想像以上に過酷な状況の中で。
だから芸能関係者には、よく見られる現象なの。
気遣ってあげてね。あまり芸能のことを聞いたりすることは禁止します。彼女個人として接してあげて。
あまり神経過敏になるようなことも謹んでください。いいわね?さらに念を押した。
とくに、あのような人は自分を自虐する傾向にあるから。否定せずに肯定してあげてね。彼女がたとえ間違ったことを言っててもよ。いいわね?と小百合は結花に追い討ちをかけるように念を押した。
…分かりました。
「わたしは彼女に救われたことがあるんです」
彼女がいなかったら、今のわたしはここにいません。
存在すら危ぶまれていたかもしれません。結花の言葉には掻き立てられるような迫力がある。
彼女は尊敬していますし、崇拝しています。
そう…ありがとう…じゃああとは頼んだわよ。何かあったらすぐに呼ぶこと。いいわね?ここでの生活は明日から始まります。今日はゆっくり休んで、明日からの生活に備えてください。
詳しいことはお渡ししたノートを目を通しておくように。
結花はゆっくりと頷いた。話し終わり小百合が部屋を出ていったあとでも納得できない感はあったが受け入れざるを得ない状況だ。
結花は、1人取り残された感があった。部屋にはわたし1人しかいないんだ。よしそう思うことにしよう。自分の心を言い聞かせるように呟いている。
結花はとりあえず明日からの生活のリズムを調べることにした。さっき小百合から手渡されたノートを手にした。
…わたしが覚えておけば、アサミさんに伝えることもできるしね。なになに…うーむ。まるで学校みたいじゃん。
【更生施設のスケジュール】
更生施設のスケジュールは、教育、再社会化、リハビリテーション、心理的サポートなど、様々な要素を考慮して組まれています。施設によって異なるため、具体的なスケジュールは状況によって異なることに注意してください。
朝
早朝起床。寮や宿舎での起床時間は設定されている時間を忠実に守ってください。時間厳守!
朝食は栄養バランスの取れた食事を提供します。残すことは厳禁とします。与えられたものに感謝していただくこと。
生き物の生命をいただくという気持ちを持って。
午前
学校や教育プログラムへの参加。学業や職業訓練を行います。更生後に、社会復帰するためのプログラムが組まれています。
レクリエーションやスポーツ活動、運動の時間を設けてあります。教育プログラムには学習以外のプログラムも組み込まれています。身体を動かして汗を流すことの重要性を考えます。
昼
昼食。食事の後は休憩や自由時間が設けてあります。
毎食後に休憩や自由な時間があります。気持ちや精神を整える意味も含まれています。
午後
学業や教育プログラムの続きを行います。文化活動やアート、手工芸などのプログラムも実施されることがあります。
学習とは別のプログラムを実施します。主に芸術性を養うために設けた時間です。
心理的サポートやカウンセリングセッションがある場合もあります。精神的なサポートが必要な受講生はこちらを重視しています。専門家からの知識やアドバイスやサポートがあります。
夕方
夕食。食事の後、清掃や寮の整理整頓の時間が設けてあります。夕食後は寝る前の身近な整理整頓を行います。きちんとした決められた時間に整理整頓することが身につく努力をしてもらいます。
夜
自習や勉強の時間が設けてあります。宿題を仕上げたり、学習支援が行われます。
昼間のプログラムでの不明点などはこの時間に踏み込んで聞いてください。
休息やリラクゼーションの時間もあり、テレビや読書などを楽しむことができます。唯一の娯楽の時間です。
気持ちを解放して楽しんでください。
就寝
定時の就寝時間が設定され、安定した生活リズムを維持するために努められます。
以上が更生施設での1日になります。不明点があればカウンセラーに聞いてください。
他にもさらに細かいことが明記されていたが、ざっと目を通したくらいに留めた。
ふ〜ん。きちんとした規律ある生活を身体に叩き込まれるみたいね。拘置所とは言わないのね。鑑別所っていうのかしら?
ここに来てから、刑務所とか拘置所なんて言葉は聞いたことがなかった。
刺激を与えないようにカリキュラムに組み込まれているのか?
結花はアサミを気にしないように荷物をひろげて自分側が使うベッドとベッドの下に荷物をしまいこんだ。
あまり部屋の中がごちゃごちゃしないようにした配慮だろうか。まるで東南アジアか外国の刑務所みたいだと結花は感じていた。
向こうのほうでは、刑務所というには程遠い扱い方をされている。皆んなスマホは持ち込んでいるし、会話も自由だし、ゲームや娯楽施設まで完備されている。
アサミは寝てしまったのか布団が微動だにしない。
刺激しないようにって言われたもんね。
彼女から喋ってくれるのを待つほかなさそうね。
…分かってる♪ 伝わってくる♪ あなたの想い♬
言わなくても♪ あなたならきっとこういうだろう♬
それはお互いの信頼の証し♪…
良い曲よね…キラーアイドルの「あなたへの証し」
【私の知ってるアサミさんとまったく違う。まるで別人みたい…どうしちゃったんだろう。何かが彼女にあったのかな。アイドルのアサミさんは、画面のなかでキラキラ輝いていた。皆んなに元気と勇気と希望を与える存在だった。】
アサミさんは何の罪を犯したんだろう…
…結花さん。結花はドアの外から声をかけられる。
ちょっと行ってきますね。アサミさん…
返事が返ってこないことは分かっているが、とりあえず声をかけてみる。
結花が部屋から出たらカウンセラーが手招きして呼んでいた。
はい?なんでしょう。
その後アサミさんの様子はどお?
落ち着いてるみたいですけど、わたしとは話してくれません。
いったい彼女に何があったんですか?
わたしの知ってるアサミさんじゃない。
ごめんなさいね。個人的なことは一切明かせないのよ。
そうねえ…言うなれば、彼女はもともと精神的な病を患っているのよ。今まで育ってきた環境からストレスと不安と重圧、プレッシャーに押しつぶされてしまった。
それが病を加速させたようね。あの子は私たちじゃあ到底理解出来ないような重圧の中で生きてきた。それが原因である事件を起こしてしまった。
あなたなら、彼女を変えてあげられるんじゃないか…そう思ってね。
そうですね…だっていまの彼女は2年前のわたし。
わたしはネガティヴだった。何をしてもうまくいかず、後ろ向きで控えめだった性格に追い討ちをかけるように不幸が次々と舞い込んできた。昔のことを思い出すと結花もいつになく顔色を変えて険しい表情になる。
もう死んでしまおうかと、街に出てフラフラしていたら怪しい男に声をかけられて、意識が朦朧としてきて…あとのことは記憶にない。
それから月日が流れて気がついたら鑑別所にいた。
事件に巻き込まれて、収容され…。
しかし、わたしを変えてくれたのは、あるライブ。
それはわたしが今まで見たことのない伝説のライブ。
わたしの人生を変えてくれた。
「言葉に魂と人を動かす力がある」とするなら、この事を言うんだろうと感じた。画面越しからもビシビシと伝わってくる熱気に声…そうだ。ボーカルの女性のこの声なんだと思った。
ボーカルの女性の温かな響きと躍動感ある迫力の声…わたしの魂は揺さぶられた。言葉と声だけで人に訴えかけるとてつもなく大きなオーラ。
声だけで人をここまで動かすことができるって、どんな人なんだろうと感じ、手紙を何枚も送った。が、もちろん返事はない。
そのあとに彼女が活動休止したのを知った。
それから2年。
目の前にその本人がいる。来栖アサミ…その人だ。
わたしはアイドルになりたいんじゃない!
わたしがなりたいのは、ロックシンガー。
アサミはムクッと起きると掛け布団の隙間から部屋の様子を見回す。あの子はいない。私物などまったく入っていない空に近いリュックをベッドの下から取り出すと中から手鏡とブラシを取り出して、鏡を見る。
疲れた女性の顔が睨みを利かせてこちらを見つめ返している。
誰?このヤツれた不細工な顔の女は。
髪の毛は乱雑になり毛先は外に跳ねていた。
あれだけロングで艶やかだった髪はバッサリとショートになっている。
自分自身で切ったんだと気づいた。
そっか…わたし自分であの時切ったんだっけ。
もう思い出すのはよそう。そうは思ってもあの顔はわたしをキッと見つめたまま死んでいた。あの顔は忘れられない。
アサミは顔を左右にブルブルと思い切り振ると記憶から飛ばそうとしていた。頭を抱えて髪の毛を掻きむしる。その表情はいつになく険しい。
さっきのあの子…なんて名前だっけ?
わたしのことを知っていたっけ。
キラーアイドル…そうバンドのファンとか言ってたな。
もう戻ることのできない、戻れないバンド。
伝説のバンドになってしまった。もういいや。あんなの。わたしじゃない。わたしがやりたかったことをすべて奪い去ったあんな場所になんてもう戻るもんか!何だか今思えば、バンドのメンバーまでグルだったのでは?と思い始める。
プロダクションも組織もわたし1人なんて使い捨ての捨て駒。もう新しい誰かがわたしの代わりに活躍してるはず。
捨て駒のわたしは、路肩に捨てられて雨に降られてずぶ濡れになった捨て猫と同じ。昔、こんな歌詞の歌があったっけ…。
アサミは布団から這い出すとドアに向かって歩き出し、カチャ…と開けて顔を覗かせる…。ドアが開いてる…。結花がカウンセラーに呼ばれたから開けっぱなしになってる。
左右を確認すると、そっと部屋を抜け出し、職員用トイレに向かう。そっと忍び足で音を極力立てないように慎重になる。
胸の鼓動が徐々に速くなっていくのが、血液を通して脈々と伝わってくるのが分かった。
個室の下を覗きこんで、足が見えないかすべてチェックし、中に誰もいないことを確認すると、そのうちのひとつの個室に入り床にへたり込む。
わたしなんて…わたしなんて。人を殺めてしまって、人の命を奪って、わたしだけが今ものうのうと生きてる。もうこんな世の中に用はない。ぶるぶると震える冷えた手先を合わせて身を縮ませる。
施設から用意された真新しい服のポケットからカッターを取り出して、手首を刃先を当てる。カウンセラー室にあったものを小百合が目を離した隙を見て取ってきたものだ。キラリと光りに反射する刃先は冷たく冷ややかに光りアサミを誘っているようだ。
刃先はアサミに問いかける…
もう楽になればいい。この先、生きていても何も良いことなどない。ダラダラといつまでも生きながらえるよりも楽になろうよ。早く…アサミ…早く…一緒に逝こうよ。誰かが耳打ちしてくる。
また別の声が聞こえてくる。
…きさま、俺を殺しておいて自分はまだ生きてるのか?
おまえを道連れにしてやる!さぁ…さぁ!早く!
トイレの明かりはパチパチとついたり消えたりしながら暗くなりアサミの周りを何か取り囲む。視線だ。複数の視線が注がれる。それはアサミをジッと見つめるために頭上から見下ろす。
ううッ…ううう。うああああッ!あああッ…!
カチャ…!アサミさん?アサミさん!あなた何してるの?
やめなさいッ!ダメ!いけない!
殺してぇ…わたしを死なせて…!もう死なせて!
あなたまだ死んではいけない!
自分の命をそんなに簡単に…粗末にしてはいけない。
親からもらった大切な命じゃないの?
バシッ!バシッ!小百合はアサミの頬を左右ビンタをして抱きしめた…落ち着いて…落ち着いて…深呼吸、深呼吸。
ほら…やってみて。ね?
ふぅ…ふぅ…ふぅ…。大丈夫?アサミさん。
アサミは小百合の心臓の鼓動を耳で聞いていた…
ドクンッ…ドクンッ…ドクンッ。
聞こえる?わたしの心臓の音…みんな、みんなね。ツライけど、精一杯生きてるの。それは何のために?
わたしも分からないわ。わたしが生きている意味。
なぜこの世に生を受けて産まれてきたのか。
わたしだって分からないわ。
だからね、その理由を確かめるために生きてるのよ。
あなたにだって、その理由が必ずあるはず。
あなたが両親からもらったその大切な命。
あなたは自分のためだけじゃなくて、誰かのためにあるのだとわたしは感じる。誰かに勇気や希望を振り撒くために、あなたは必要とされている。こんな暗い世の中に光りを与える存在なんだとわたしは思う。
わたしにはない特殊な才能。
わたしはあなたがとても羨ましく感じる。
だって、わたしにはそんな才能はないもの。
大切にしなきゃ…ね?苦しんでいる人は世の中に大勢いるわ。
あなたが元気にしてあげなきゃ。ね?分かるわね。
…はい。ごめんなさい…ごめんなさい。ううう…。
部屋に戻されたアサミはベッドに腰掛けていた。
結花はまだ戻っていなかった。まだ小百合と話しをしているようだが、アサミにはどうでもよかった。
窓から月の光が部屋に差し込んでいた。窓からは月が見えていて虹がかかったように輪になって光り輝いていた。
あ…!月虹だわ。綺麗。なんだか、久しぶり。落ち着いた気持ちで月を眺めるなんて。ゆったりした気持ちに心が少しだけ揺さぶらる。
アサミはノートを取り出してスラスラと何かを書きとめた。
しばらくすると…
カチャ…キィィィ。アサミが月を見てボォーとしているとドアが開いて結花がそっと覗き込んでいた。
あ!アサミさん。起きたんだ。
アサミは結花を見るや否や頭をチョコっと下げた。が、しゃべりはしない。
…バンドや芸能界の話しは御法度だっけ。
うーむ、何を話せば良いのか。
あ、そうだ。わたしが来たときの話しでもしたらいいか。
アサミさん…わたしはここに半年くらい前に来たんだけどね…
「うるさい。黙れッ!静かにしろ…」
結花が自分のことを語り始めた瞬間に、アサミからキツイひと言が発せられた。
結花は、ビクッと萎縮してしまう。
…そこまで言うことないと思う…と心のうちに語りだした結花。
この人をここまで追い詰めた原因ってなんだろう。
アサミさんって、そんな人だったんですか?と結花は心の中で問いかける。
わたしはアサミさんから与えられたパワーと影響力は大きい。
口では表せないくらい強烈な影響を受けてきた。ずっと。
わたしは、あなたが存在しなかったら…
「アタシはこんな人間なんだ。アンタの夢をぶち壊して悪かったな。」
「アンタが画面越しに観ていたわたしは、さぞかし輝いててキラキラしていて笑顔を振りまいてる天使のようにしか映ってなかったんだろうさ。ハハ…お笑いだよ。あんなのアタシじゃないんだ。作り物さ。触れたら壊れてしまうジェンガみたいなもんさ。」
…この人は自分に素直になれない人なのか…
おそらく本心で言ってる言葉じゃない。
結花は手のひらを白い壁にピタリとあてがうとスゥ…と撫でながらその手触りを感じていた。
ザラザラしてる…この壁。まるで表面がザラついてる人間の心みたい。中身はしっかりしていて、土台は築かれているのにね。それに気づいていない人って哀れだと思う…。
「偉そうにアタシに説教か?おまえ…」
結花が振り返ると掛け布団を被ったその隙間から鋭い眼光が覗きこみ、ギラつかせていた。
それはフードを被ってよく見えない顔のような感じでマントを被った魔人か悪魔か死神のようにすら見える。
結花は身震いするのを堪えながら…怖い。この人。
心の奥底からくる震えが止まらなくなっていた。
わたしも確かにここに来た当初は、ギラついていたけど、ここまでではなかった。
結花はアサミに背中を向けると壁際で布団を被り震えていた。
しばらく沈黙が続いて…
「アンタもアタシに背を向けるのか?」とポツリとアサミが囁くように呟く。
お互いがお互いの壁際に向かい、ただ沈黙が続いている。
…アサミさんがキツイ言葉を言うからでしょ…と結花は頭で思っていたが、口には出さずにいた。
キーンと張り詰めた空気の漂う中、部屋内はひんやりした冷気にも似た雰囲気が立ち込める。もう初夏だというのに。
外はどんなだろう…何の花が咲いているのかな?スイートピーかな。スイートピーは春だっけ。
春から初夏に移り変わる季節は心地よいよね。何だか生きている実感を感じられる季節だから、わたしは好きだな。
そう思っているのは、結花ではなくアサミだった。心が純粋すぎる真っ直ぐな年頃。本心では素直になりたいけど、なれない。反発した言葉が思わず出てしまう。何だかしまらないなぁ。アタシ。
アサミは壁に向かい、頭を打ちつけている。
「ドン…ドン…ドンッ!ドンッ!バシッ!」
…アサミ…さん?ちょ…ちょっと!何してるんですか!
やめて!すみませーーんッ!誰かぁー!来てください!
カウンセラーやスタッフが数人部屋の中に入ってきて、アサミの掛け布団を引き離すとアサミが壁に思い切り頭を打ちつけて額から出血していた。
やめなさい!アサミさんッ!いけません!
「うるさいッ!死なせろ!アタシを殺せ!殺せ!」
「アタシは生きてる価値なんてないんだ!死なせろ!」
「こんちくしょう!離せッ!離しやがれ!」
…ちょっと、鎮痛剤を持ってきて!早くして!
アサミは病室のある隣りの部屋に移動されていった。
結花さん、何があったの?聞かせてくれる?
結花から部屋の中での出来事を聞いたカウンセラー。
そうだったの…。あなたは悪くないわ。気にしないでいいのよ。
…ええ。気にしないと言えば嘘になりますけど…わたし。
何だか、アサミさんから救われたのに、今度はアサミさんに壊されてしまいそうです。
アサミさんは鎮痛剤で落ち着いて、今は寝ています。数日は観察してみますので、しばらくは1人で部屋を使っていてくれる?
…はい。でも大丈夫ですか?あの人。
結花は今だに震えが止まらない。
結花さん…?あなた大丈夫?震えてるわよ。
あの人…怖い。恐ろしいオーラを感じます。
カウンセラーは結花を優しく抱きしめて「大丈夫、大丈夫よ。アサミさんは落ち着くまで隣の病室で療養させてみるから安心してね」
…はい。気遣いありがとうございます。
かちゃ…カウンセラーの小百合が部屋を出ていてと結花はドッと疲れが出てそのまま寝落ちした。
④手紙
あそこまでやれば、しばらく1人になれる。アサミは隣の部屋のベッドに仰向けになり両手を後頭部に回して枕代わりにして天井の電球を見つめていた。しばらくひとりになりたかっただけなのだ。
みんな同じ。アタシから遠ざかる。アタシに背を向ける。どうせアイツも同じだよ。1人が気楽で安心。落ち着ける。友人なんていらない。
どうせ、皆んな金目当てか身体目当てなんだ。貪るようにアタシからすべてを奪い去っていく。アタシの金をむしり取り、性欲を満たして。アタシはモノ。道具。商品。ただの飾り。ううう…。
パサッ…。入り口のドアの下の隙間から手紙が入ってきた。
何?アサミはムクッと起きると入り口に向かう。
手紙…?誰から?
手紙を持ったまま、ベッドに座ると開いてみる。そこにはこう書かれていた。
…アサミさん。結花です。昨日はゆっくりと話しが出来なかったので、話しも聞いてもらえないと思って手紙にしました。
わたしがここに初めて来たときもアサミさんのように、心が荒んでました。周りはみんな敵。わたしを救ってくれる人などこの世の中に存在しないと感じていました。
尖ったナイフのように、人を傷つけて傷ついて。わたしは、犯罪に加担してしまいました。知らないうちに巻き込まれていたんです。
日常生活にも嫌気がさしていました。ネガティヴで部屋に引きこもり。そんな日を過ごしていたある日。
わたしはある人のコンサートと出会いました。
その人は可愛くダンスも上手で。わたしが驚いたのはその声の素晴らしさに圧倒され魅力されていました。
時間も忘れて見入っていました。
笑顔を振り撒き、響き渡る声は見る人をすべてが圧倒されてました。その人は来栖アサミさんと言ってアイドル歌手でしたが、まるでロックシンガーのようでした。
みんなに振り撒く笑顔を見てちっぽけな自分の無能さと愚かさに反省してしまいました。
わたしは何をとんがっていたんだろう。何が不満なんだろうって考えさせられて、それ以来わたしは、この人を目指してこの人のようになりたいと思うようになりました。
それで自分の犯してしまった事を反省して、この施設に入る決意をしたんです。そうです。来栖アサミさん。あなたのおかげでわたしは立ち直ることができました。
いまでも、これからもあなたには感謝しても感謝しきれないくらいです。
だから自分ばかり責めないで。自分の人生を放棄しないで。
決してあきらめないで。
あなたは決して無能な人間じゃない。
あなたに救われた人をわたしはたくさん知ってる。
あなたを必要としている人はわたしを含めてまだまだ大勢いることも知ってる。
あなたが自分を責めるなら、その人たちが泣いてしまう。わたしには耐えられない。あなたは必要とされている人間。あなたの人生を無駄にしたらいけない。
天から与えられたその声。神様からもらったその美貌。
あなたの役に立てるなら、わたしは精一杯努力します。
どうかあなたの手助けをさせていただけないでしょうか?
わたしはいつでも扉を開けっぱなしにして、あなたを待ってます。あなたのペースでいいので…どうか。どうか。お願いします。
〜あなたの一ファンであり続ける結花より〜
アサミはその手紙を手のひらの中でクシャクシャにしていた。
ブルブルと手を振るわせながら、その瞳からは涙が溢れて止めどなく流れ出していた。…うううッ…うう
両手で顔を覆いながら涙がこぼれないように塞いでいた。
背中を丸ませながら、頭を下げて顔を下にしながら、泣き崩れた。アサミは大声で泣いた。声を張り上げるように。
…わたし。何やってんだろ。バカだ。わたしはバカだ。
わたしの声は、【わたし自身だけの声】じゃないんだ。なんて無知で浅はかだったんだろう。自分のことばかり、他人を顧みず。愚かだったんだろう。
ファンの皆んなはわたしの声を聞くのを楽しみにしている。
そんなことに気づかなかったなんて。
コンコン…コンコンコン…
アサミは顔を上げる。まだ泣き腫らした顔だったが、音のする方をみた。壁…?壁から?
コンコンコン…コンコンコン。と壁のノックは続いていた。
隣の部屋?その音は遠慮がちで小細い音だった。
気を遣っているように。隣の部屋の人物の人柄を物語っていた。それは優しく気遣い包み込むような柔らかな音をしていた。アサミも壁打ちのヌシが誰なのかは百も承知だ。
アサミは無視をしてベッドに横になるといつのまにか寝てしまっていた。今日1日がアサミにとっては途轍もなく長く感じられて疲れが出てしまったようだ。
アサミが寝入ったのを見計らったように、カウンセラーの小百合がそっと入室してくる。
小百合はアサミに近寄り掛け布団を開けてみると、背中を丸ませて両手を胸にあてがいながら泣き腫らした顔をみた。
ゆっくりとアサミの髪を優しく撫でながら手を見ると結花からの手紙が握られていた。手紙は涙で滲んでいるようだ。
まるで赤子みたい…ふふふ。
…泣いてたのね。アサミさん。もう大丈夫かしらね。笑
小百合は部屋を出ると結花の部屋には寄らずにそのまま自室に帰る。本人たちに任せましょう。
わたしの出る幕ではないわね。
結花さんなら絶対にアサミさんを立ち直らせることが出来るはず。結花から手渡された手紙をドアの隙間からそっと忍ばせたのは、小百合だった。
翌日、結花は小百合のカウンセリングを受けていた。
結花さん。アサミさんのことよりもあなた自身は大丈夫なの?
この先、社会に復帰して
はい。わたしは前にいた施設とここで数多くを学びました。絶対とは言い切れないけど、以前よりは進めてると思います。
あなただって、アサミさんと同じくらい辛いことばかりだったじゃない。
わたしも当時は荒れた生活をしてました。今からは考えられないようなことも。ドラックもしたし密売みたいな運び屋もやらされて、身体を売って手に入れたお金を渡してました。
わたしは、もう自分の未来など考えもしなかった。そんなときです。わたしの人生を変える出来事があったのは。わたしは彼女の役に立つことをしていきたいと心から思っています。
小百合さん…。
ん?どうしたの?結花さん。
わたし…わたし…。
遠慮しないで言ってみて。思ってることは吐き出してみて。
わたし…アサミさんのマネージャーになろうと考えています。
マネージャーになって、彼女を必ず復帰させてみせる。
復活コンサートをさせたい。必ず実現させたい。
そう…あなたがそう思うならそうしてみたら?
ただし、口先だけはダメ。公言して実現させなさい。
公言しないとダメ。
人はね、第三者に公言することによって、その夢が叶うものなの。中途半端な気持ちならやめなさい。
小百合の重い言葉は結花の心に浸透してゆく…
それから、数日…結花は毎日のように、壁をノックしていた。
返事はもちろんなかったが、諦めずに続けていた。
コンコンコン…コンコン…。今日も返事なし。明日もがんばるわ。わたし。
コンコンコン。
え?今ノックした?返ってきた?
鈍い音が微かではあるが、聞こえたような気がした。
遠慮がちな音だった。相手を気遣っているような蚊の囁くような音だったから、よく耳を凝らしないと聴き逃してしまいそうな甘い音だった。
結花は少し胸の高揚を抑えつつ急いで返事をしてみる。
コンコンコン。すると…
コン、コココンコン、コンコン♪
うふッ…アサミ…返事してる。
コンコンコン。結花は再びノックしてみた。すると
入り口のドアが、コンコンコン…とノックしていた。
え?入り口?
はーい。小百合さん?ちょっと待ってください。
結花は周囲を確認しながら、急いでドアに向かう。
かちゃ…。ドアを開けるとアサミがリュックを前に持って立っていた。
アサミさん…
「ちょっと…どいてくれる?アタシの部屋でもあるんだから」
え?、ああ、ごめんなさい。
…帰ってきてくれた。戻ってきてくれた。
「勘違いしないでよね?アタシは小百合さんに追い出されたから戻ってきたんだから。アンタの手紙なんかで戻ってきたんじゃないんだから…そうなんだから。」
そうなんだ…。アサミの言葉に結花は少しがっかりしていたが、あとから聞いた話しではアサミのほうから直訴してきたらしい。部屋に戻りたいと自ら申し出てきた。
照れくさそうにしながら、視線を合わさずに俯き加減で言ってたらしい。
素直じゃないんだから…ふふふ。ま、いいか。
アサミが他人の温かい心に触れたのは初めてだった。
結花の粘り強い熱意がアサミの寒い心を揺り動かしていた。
結花の想いはちゃんとアサミの心に届いていたのだった。
結花はアタシに寄り添ってくれて、アタシを評価しない。
評価するばかりの数字だけの世界で育ってきたアサミにとって、気持ちを動かされた。もう少し結花のことが知りたくなっていた。彼女のことをもっと深掘りしてみたいと思ったのだ。
アサミさん…おやすみなさい…
アサミからは返事はなかったのだ…が。
沈黙した静寂な部屋に突然響き始めた。
アサミは歌い始めた…。
月虹
lyrics / 来栖アサミ/ayami hoshino
①差し込む月明かりが 格子越しに包み込む
荒んだわたしの心に モノトーンの空間は
ただ味気なく 救いと言えばこの
窓から照らす月明かり わたしの犯した罪を
そんなあなただけが 優しく迎えてくれる
いま何をすべきかを そっと見つめてくれる
昨日までの土砂降りが 嘘のように晴れ渡り
月の輪が曇った空を 色鮮やかにして
丸い虹の輪を見て 今のわたしはなに想う
それは悲しさかそれとも 淋しさなのだろうか
悩みと苦しみ差し迫り わたしを圧迫する空間で
もがきながらも這い上がる そんなわたしの心を
白くて鮮やかな丸い輪に 希望ある未来を見い出して
救いの手を差し伸べる それは希望の光
②遠くの星が輝く夜 夢のような未来を描いて
心に刻んだ想いの欠片 闇を照らし出す光
月虹が導く道の先 勇気を持って飛び出そう
絶え間ない時の中で 信じる力を胸に抱いて
遥かな空へ舞い上がれ 限りない夢を追いかけて
一つずつ歩を進めば 希望の光が差し込む
未知の世界が待っている 勇気を出して羽ばたこう
困難だって乗り越えられる 心の中で輝く光
どんな時も希望を抱いて 進む先に広がる景色
夢を追いかけて歩き続け 月虹のような明日へ
Copyright© .23 ayami hoshino
アサミと結花はお互いのベッドの壁際に向かって横になっていたが、アサミは、突然壁に向かって小さな声で歌っていた…
それまで冷んやりと静まり返っていた部屋の中に温かな日差しが差し込んできたように雰囲気が一変していた。
まるで部屋の中、全体が震えてるように響き渡っている。
結花は黙って背中でアサミの魂歌を聴いていた。
聴きながら震えが止まらずに涙が出ていた。
その歌詞の素晴らしさもあるが、透き通るような声はアサミの現役の時、以上の迫力があった。身体の奥底から湧き上がる衝撃を抑えられずにいる。ぞぞぞ…と背筋に寒気が走るような感じだった。
…なんて素晴らしい歌声なんだろう。心に訴えかけるように響き渡る。わたしの淋しい心に。わたし1人のためだけのコンサート。2人は背中合わせのまま、お互いを意識してお互いの気持ちと心を汲みとるようにただ、黙っていた。
アサミはここ数日の間、隣の部屋で月虹というタイトルの歌詞を考えていた。今までも作詞をしたことはある。作詞はわたしの担当だったが、ゴーストライターがいたことは否定しない。
わたしが書いた詩は、すべてボツにされてお蔵入りされていた。大衆に響くような歌詞を社長からは求められていたが、納得してもらえず毎回ゴーストライターが歌詞をおろしていた。
プロダクションには社長と精通しているお抱えのライターが存在した。
養護施設でギターを触っていた頃から作曲し始めて、それに伴って歌詞も書くようになっていた。私的には自信過剰なくらいに作詞には自信があったが、あっけなくわたしが書いた歌詞は却下されてしまう。養護施設施設のみんな…元気かな。
そして…アサミは昔の頃を思い出していた。
わたしは父亡き後、母親はショックのあまりノイローゼに陥り育児放棄されてしまった。ネグレストというらしい。
幼いわたしは養護施設に引き取られることになる。淋しかった。母に捨てられた気がしていた。養護施設には似たような環境、境遇の子供たちがたくさんいたが、わたしは馴染めなかった。孤立した状態がずっと続く。
わたしを救ってくれたのは、施設に寄贈されていた一本のギターだった。使い古された感があったが、前の持ち主は大切に使っていたんだろう。直された形跡が見受けられた。
その日からギターはわたしの相棒になった。
誰から寄贈されたかは不明だった。ギターなど使うような子は、この施設には1人もいなかった。施設のソーシャルワーカーは、熱心にギターの練習をするわたしを見てこういった。
そんなにギターが好きならあなたに差し上げます。
わたしは飛び上がるような嬉しさが込みあげてきて、その日から必死になって練習した。それから何年か経過したある日のこと。養護施設のドキュメンタリー番組を撮影するためにテレビ局のスタッフが来ていた。
その中のプロデューサーらしき人物が、養護施設の中で一際目立つギターの音に驚いてわたしに声をかけてきた。
ギター好きなの?上手いねえ。ちょっと聞かせてもらえるかな?
わたしはエドワード•ヴァン•ヘイレンの真似をして引いた…。その指捌きにプロデューサーは驚愕していた。プロデューサーは鈴木という名刺をわたしに渡してきた。
わたしは引き抜かれたのだ。
養護施設を出る頃には12歳になっていた。
プロデューサーの紹介で、あるプロダクションとマネージメント契約。そのプロダクションがキラーアイドルを輩出した所属していたプロダクションだ。
そこにはたくさんのダイヤモンドの原石が所属していた。
俳優、女優、バンド…そして、アイドル。
皆んな、ダイヤモンドの原石だ。わたしはその中で気の合う友達も出来た。
彼女は、アイドル志望の黒井綾乃と言って、とても人懐こい性格をしていた。彼女がいてくれたからプロダクション入所当初は救われた。黒井綾乃はわたしより4つ歳上の16歳だった。
綾乃はわたしより先にアイドルのデビューも決まっていた。
わたしは彼女よりデビューの遅れをとってしまったが、彼女のデビューに心から喜んでいた。
⑤裏切り
わたしが15歳の頃だったうちの両親が離婚したのは。
度重なる父親の浮気が決定的になった。
わたしは母が泣いてる姿を何度見たことか。
ママ…。母のやるせなくて淋しそうな後ろ姿を見ていたら
声がかけられなかった。
母はリビングで座り込むと背中を震わせていた。
肩で泣いてるとはあのことを言うんだと初めて知った。
それから母は変わってしまった。
夕方になると化粧をしている姿を見かけるようになった。
派手さはないが薄化粧に、いつも着ることのなかった他所行きの服を着て出かけるような生活が始まった。
父が帰宅する前には帰ってきていた。家事を片付けないと父に怪しまれるからだろう。
母からは微かに大人の女性の香りがした。漂わせていた。
わたしは母は浮気をしてると知ってしまう。
誰が悪いというわけでない。すべての歯車が噛み合わなくなっただけだ。とわたしは解釈するようになった。
わたしの家庭は世間体を気にするだけの仮面家族になってしまった。いつも通りの変わらぬ日常に見えたがすべてが表向きだった。わたしは居た堪れなくなり、両親の気を引こうと思い、夜の街へ繰り出すようになった。
学校ではあまりしゃべることがなかった仲間もできて、それに加わるようになっていく。
中でも仲が良かったのが、黒井綾乃という同級生で親友になった。彼女は養護施設出身でうちの学校の芸能科に転入してきた。アイドルのデビューも決まっていた。
わたしは心から喜んだ。しかし、綾乃は悪いグループに加わっており抜け出せないようだった。
わたしは彼女のデビューを応援してあげたくて、悪い仲間との縁を断ち切るようにいった。そして、事件が起こった。
私は綾乃が抜けるというので、呼ばれていった。
1人だと不安だからとわたしを頼りにしてきた。
呼ばれた場所に行くとそこに綾乃の姿はなく、周りにおかしな連中が現れた。わたしはおかしな薬を嗅がされて…。
気がついたときには、遅かった。
わたしは綾乃が抜ける代わりとして呼ばれたのだ。
わたしは親友に売られたのだ。
綾乃はアイドル歌手のデビューの条件に過去を洗ってくるようにプロダクションの社長に言われたらしい。
仕方なかったのだ。わたしはもうどうでもよくなった。
それからは転落の人生が待っていた。高校も行かなくなり中退した。
あとはお決まりのような悪の道が待っていた。
薬の売人、売春、窃盗、強盗。挙げ句の果てには殺人未遂の事件まで起こしてしまう。
わたしは綾乃を恨んだ。心の底から。親友だと思っていた人間は、始めからすり替わりのためにわたしに近づいてきたことを知った。あまりのショックに自殺未遂を図る。
行く場所もなくなり、ふと家に戻ってみた。両親の姿はなかった。お互いが大切にする人を見つけたらしいと私は判断した。
しかし、家具はそのままだった。わたしの部屋も元のままだ。
わたしは部屋で泣いた。一晩中。泣き腫らして起きたら朝になっていた。テレビをつけっぱなしで寝てしまったことに気づく。
その時の朝の番組であるタレントの特集が組まれていた。
最近話題沸騰中のアイドル歌手らしい。わたしは取り立て流して見ていた。
見ていたというより耳だけ傾けて、クスリをやってた。ああ…気持ちいい。ハイになってゆく。この高揚感がたまらない。
クスリしながらセックスすると格別にいい。
誰か男でも呼んでセックスしようとスマホを取り出して、タップしようとした瞬間だった…。
わたしの片耳に突然飛び込んできた声…。
わたしの頭が熱くなるくらいに響き渡るハスキーボイス。
何オクターブ出てんの?このアイドルは?と驚いた。
何?この女は…?わたしは呆気に取られていた。
画面に釘付けになった。
素晴らしい声の質と伸びのある高い声。何よりも美しい。
抜群のスタイルと美貌を兼ね備えていた。
この人…本当にアイドルなの?
まるでロックシンガーじゃない。心に響いてきた。
わたしはいつのまにか涙が溢れ出して止まらなくなっていた。
翌日、両親が帰ってきた。わたしのアラレもない姿を見て2人とも泣いていた。クスリをしながら複数人とセックスをしているところを見られたのだ。
わたしはとんでもない誤解をしていた。今まで。
両親はわたしがいなくなり、2人して捜索願いを警察に出してずっと探していたのだ。誘拐されたのではないか?と心から心配していたのだ。
今までずっとほっといて何を言ってんだよ!と怒鳴ってやった。もう昔のわたしはそこにいなかった。
両親にその足で警察に行くように促された。いくら娘だろうと悪いことは悪い。罪の意識があるならきちんと刑に服すように促された。
わたしが言うことを聞かないだろうと踏んでのことだ。
テレビからはあのアイドルのライブ映像がずっと流れていた。
彼女はわたしを導いてくれてるのかもしれないと、彼女の歌声をずっと耳にしていた。
彼女の名は、「来栖アサミ」バンド「キラーアイドル」のボーカルだと知った。
人をここまで惹きつける声を出せる人…この人の魂を直に見て触れてみたいと産まれて初めて人の凄さを知った。
そして、彼女に会いたくてなった。無性に。どうしても確かめたい。彼女のようになりたくなった。
しかし、残念のことに彼女はそのあと、突然休養を発表して姿を見せなくなった。
私なりに調べてみた。あらゆる悪い人たちのコネを使って。
もちろん、もう縁は切ったがその代わり通報されて、鑑別所行きを余儀なくされた。
来栖アサミは2年間の逃亡の末に捕まったことを知った。
理由は明らかにされていなかった。
⑥衝突
翌日から、アサミはグループセラピーに参加してみることにした。結花からの心温まる手紙をもらって以来、結花のアサミへの思いが少しだけ通じたのかもしれない。
しかし、まだ完全に心を開いたわけではなかった。冷えた廊下とは違ってセラピーを受ける部屋はアットホームは雰囲気を醸し出していた。
そういう造りに設計されているのか、はたまた雰囲気をスタッフが作っているのだろう。お互いの罪や犯罪のことを口にするようなことは禁止事項に当てはまる。イジメや仲間はずれの原因にもなりうるのである。だから個人的な情報などは漏れてはならない。
しかし、アサミは他の人とは違う。
芸能人であり、名の知れた著名人なのである。それに加えて、彼女は抜群のルックスと風貌をしている。そんな芸能人が収監されてきただけで、噂になってしまう。
あれ?来栖アサミじゃないの?いったい何をやらかしたんだ。
世の中じゃあ休養ってことになってるはずだろ?
などと、コソコソと噂が出てしまうのは当然のことである。
気に食わないねぇ…アイドル。しかもあの大物の来栖アサミとはね。何なのさ、お高くとまってんじゃないわよ。
ツンケンして如何にも私はアイドルです…みたいな顔つきしちゃってさ。どうすんのさ?アイツ。
シメてやるか…今晩あたり。
語気が強く目線の鋭い女性。言葉の主は怒りの感情が込み上げてきた。虫唾が走るとはこのことを言うんだろう。彼女の怒りの矛先はアサミへと向けられるようになる。
こんな更生施設に放り込まれて今までのストレスが蓄積されて、溜まりに溜まっていた。爆発させようにも向けられるような相手はこの施設にはいなかった。
そんなときに現れた格好の獲物が、アイドル歌手の来栖アサミだった。彼女のこと知らない人などいないくらいの名が知れたアイドル歌手だった。知らない人を探すほうが困難だというくらいである。
アサミはようやくカウンセリングに参加してみようと思ったのも、結花の後押しが大きい。唯一施設でアサミに心を開いてる人物だろう。アサミもそのことはじゅうぶん感じとっていた。
結花の気持ちを汲んだのもあっただろう。もう少し結花のことを知りたいと思うようになっていた。悲しみから抜けきれてないのは確かであった。ただ、アサミの心を揺り動かすものが、結花から伝わってきた。
カウンセリング施設のスケジュールは、教育、再社会化、リハビリテーション、心理的サポートなど、様々な要素を考慮して組まれている。
アサミの日々の治療が始まり、心理カウンセリングやグループセラピーに参加した。初めのうちは緊張もあったが、徐々に他の参加者と交流を深め、自分の感情や過去の出来事に向き合う勇気を持つようになった。
アサミは徐々に平常心を取り戻すようになる。
しかし、まだアサミの顔から笑顔は見られなかった。
一度心を閉ざしてしまった人間が笑顔を取り戻すことは非常に大変なことだと思う。心の底から笑える日が来ることは相当な時間と月日を要するものだ。
アサミの口から白い歯がこぼれることはなかった。
精神的な苦痛はアサミにとって心の奥底まで浸透しているようで完治するのは困難かもしれない。
部屋で同室の結花とは少しづつではあるが、打ち解けはじめてきてはいたが、お互いが気にしていた。
その中、ある事件が起きた。
やめて!ねぇったら、やめてくださいッ!
あなた達もボォーと突っ立ってないで、2人を止めてちょうだい!誰かぁー!小百合さん呼んできてぇー!
ざけんなよ!堕ちぶれたアイドル崩れが!
あんだと!女優ズラしてるカスが!
トラブルを起こしていたのは、元女優の愛佳と朝美の2人だった。愛佳のほうから朝美に吹っかけたらしい。
すると愛佳は一方的に喋りはじめた。
アンタがいなくても世の中回るってことさ。
プロダクションの連中は、アンタの存在自体をこの世から抹消したいのさ。出演したドラマ、映画やコンサートDVDなどすべてプロダクションが闇に葬ってしまったよ。飛んだお笑い種だね。
所詮、人殺しは人殺しでしかないのさ。大人しくしてんだね。
マネージャーの何つったっけ?アイツもそうさ。
上に頭が上がらないからぺこぺこして同情買って、すべて都合の悪いことをアンタに押し付けてたっけ?
もう芸能界にアンタに帰る場所なんてないんだよ。
分かったら大人しくアタシらの言うことをきくんだね。
元女優の愛佳さまはこの先シャバに出たらアンタのこと見守ってやるさ。アタシは先に出させてもらうわ。
アタシはアンタみたいな可愛い子ぶってるアイドル女が、いっちゃん嫌いあんだよ!
皆んなから注目浴びたい!私だけを見てぇ〜とかさ。ふりふりのフリルスカートでデカ襟のステージ衣装とかチェック柄のブレザー着てママゴトdanceしてる集団とか。
皆んな同じ顔、同じ振り付け、揃ったdance、男とスキャンダルしようが揉み消したりして。頭まるめりゃいいって問題でもねえっしょ?
要するに自分だけ注目浴びたいだけなのさ、アンタらみたいなアイドルはさ。
アタシら女優は下積み時代からのし上がって来たんだ!陰で人に言えないようなこともしてきたさ。アンタみたいに顔が良いだけで売れてるヤツらと一緒にすんなよ。
ぐ…ぐッ…テメェ…ふ、ふ、ふざけんじゃねー!アサミが堪えきれずに啖呵を切っていた。
あんだよ!このクソ女が!やんのか?
アタシだって好きでアイドルしてんじゃねーんだよ。
それにアイドルにはアイドルなりの事情を抱えてんだよ。数多くのオーディションを受けては落ちて何度も何度もトライして。のしあがってきて苦労してんのはアイツらのほうさ。
アイツらはアイツらなりに苦労背負ってんだよ。皆んな口に出して言わないで、笑顔引き攣らせながら、頑張ってレッスンをこなしながらイベントやコンサートをしてんだ!わかったような口きいてんじゃねぇよ。
知った風な口ききやがって。彼女たちは知ってて何も文句言わずに仕事をこなしてんだ。アンタみたいに不満だらけの顔してるヤツなんていやしねぇんだよ。クソ女が!
アンタみたいに女優ズラしてるヤツみるとアタシのほうが反吐が出るよ。
そこへ小百合が現れた。小百合は2人をみると愛佳と朝美はお互いの胸ぐらを鷲掴みして罵りあっていた。
「バンッ!」
突然テーブルが落雷のような怪音を轟かせて部屋内に鳴り響いた。部屋内は凍りつくように静まり返る。
音に驚いたわけではない。
カウンセラーの小百合の顔を引き攣らせた鬼のような形相に我を忘れた。
「おまんら…いいかげんにしいや。その辺でやめとき…」
そういうと小百合は椅子に片足を乗せるとスカートを軽く捲り白いストッキングに忍ばせてあるモノをギラつかせた。
「これ以上、アタシの逆鱗に触れるような事はせんとき」
周りの人は皆んな凍りついていた。愛佳も朝美ですらビクビクして震え上がっていた。
もういつもの優しい小百合先生ではなかった…
小百合はそういうと乱雑になったテーブルを直し始める。
「揃いも揃って雁首揃えて何しとん?手伝わんか!こら」
皆んな終始黙って片付け終わると借りてきた猫のように背筋を伸ばして整列している。
「仲良うな…ええか?次やったら独房に放り込むで」
身震いして身体を膠着させるくらいの気迫が漲っていた。
鋭い眼光はいつもの優しいお淑やかな小百合さんではない。
小百合は後ろを向くと尻を揺らしながら入り口を出るとドアを思いっきり叩くように閉めた。
「バンッ!」
皆んな会話無くとも通じ合っているくらいの状況下にいた。
愛佳と朝美すら2人で顔を見合わせている。
…怖い、あの人は絶対に怒らせたらいけない。あの人が我を忘れたらアタシたち以上に何をするか分からない。
いったい、あの人は何者なんだろう。と全員の気持ちだった。
小百合は事務所に戻るとストッキングから「万年筆」を元に戻す。そして掌を見るや否や…「あたたたたッ…」
ふぅ…、あ〜あ怖かったぁ。と身体をブルブルさせてる。
⑦ギターの正体
アサミは久しぶりに養護施設から持ってきたギターを弾いていた。古めかしい錆びついたところも見受けられたが、弦が奏でる音の響きは、昔から変わらないようだ。
久しぶりに手にした我が子のようなそれを抱いてみた。
再び懐かしいギターをおこして、拭いていると汚れた箇所が落ちてあるネームが刻まれていることに気づいた。
なに?とあらためてギターを抱き寄せると、刻まれた名前に驚愕した。そこに彫られてあった名前は、「George•kurusu」と読むことができる。アルファベットは、スクリプト体で斜めに書かれている。
アサミは、両目を見開いたまま口を両手で押さえていた。目からは大粒の涙が溢れでていた。背中を壁に貼り付けて身を震わせている。肩で呼吸しながら、震える身体と両手でギターを抱きしめていた。
ううう…うわわわぁぁぁぁ…!あああッ!
お父さん…お父さん…お父さんのギター…そんな、こんなことって。
わたしを救ってくれたギター。
わたしの命に輝きを与えてくれたギター。
養護施設で埃をかぶって野晒しにされていたギター。
まるでアサミが来るのを待っていたようだ。
その日がくるまで、ひたすら耐えて待ち続けていたようだ。
お父さんはわたしを救ってくれた。こんなかたちで。
運命的な巡り合わせと偶然が重なり合った奇跡。
アサミはあらためてギターを眺めてみた。
1958 Gibson Flying V…と刻まれている。
なんてことなの…アサミはアイドルではあるが、ロックアーティストを目指している。そんな彼女だからこそ、このギターの価値がいくらのものなのか検討もつかない。
フライングVじゃないの…これ。
お父さんは何というギターを使っていたんだ…と驚きを隠せない。パパはよくこのギターで、バンヘイレンのエディのギターテクニックの練習をしてたっけ。
よし…わたしはヤル。このギターで…お父さんの魂がこのギターには宿ってる。ギターは神々しいオーラさえ放っている。
漲ってくるパワーは途轍もない。
父のパワーが漲るくるようだ。父親の魂が乗り移っているようにアサミには感じられていた。
⑧出所
そんな時期を過ごして、2人はお互いに心を真から開けないまま、結花が施設を出る日が近づいていた。
アサミは結花にお礼が言いたかったが、どうしても自分の口から感謝の言葉を言えずにいた。
その日が近づくにつれてアサミの心中は穏やかでない。アサミの頭の中には、今まで2人で過ごした日々が駆け巡っていた。楽しかったことも、悲しかったことも…そして、結花に辛く当たってしまった時期もあった。
結花にお礼に言わなきゃ…でも。わたし、言い出せない。
これって、プライド?わたしは底辺まで落ちぶれたアイドル。
わたしにプライドなんて、もうない。
なぜ言い出せないの?恥ずかしいから?
あ…あの…さ。
ん?何?アサミさん。
いや、何でもないよ。…なぜ簡単なひとことが言えないの?
言わないとわたし、後悔する。絶対に。
アサミさんは結花さんに何か言いたいんじゃなくて?
翌日、カウンセラーの小百合がポツリと呟いた。
さりげなく呟くように。
デスクで結花の出所の手続きをしながら、小百合はアサミに見る。アサミは下を俯きかげんに手をこまねいている様子だった。
…で?何か用なの?わたしに。
いえ…別に。
じゃあ何でわざわざこんな時間に来たのかしら?
結花が出所するまえにささやかな、お別れのパーティーなんかどうかと思って…。
いいわね!それ。良いアイデアだと思うけど、あなたが幹事になりなさい。準備もすべてあなたが行うの?いいわね?
わ、わたしが…ですか?
言い出しっぺなんだから当然でしょ。ね?
わ、わたしそういうの苦手だから…
じゃあ仕方ないわね。無しで…と言いながら小百合は、チラッとアサミを見ると、落ち込んだ顔つきで塞ぎこんでいる。
アサミさん…ときには勇気も必要だってことも学ばなきゃね。
あなた、いつも言ってるじゃないの。あの言葉…。
あ…カーネギー。
そうよ。なんて言うんだっけ?カーネギーは。
一歩踏み出せ…成功の近道。
わかってるじゃないの。やってみなさい。
はぁ…やってみます。
アサミさん。あなたには才能があるのよ。
人にはない独創性、創作性も持ち合わせている。
そのセンスはズバ抜けてる。
あなたは自分の才能をまったく活かしていない。
いま、それを試すときじゃなくて?
ハメを外すのも大いに結構。でもやりすぎないようにね。
あなたは今までじゅうぶんやってきたわ。その若さで。
もう与えられた仕事をしなくていいのよ。
あなたが思うように、やりたいように思い切りやってみなさい。そうすれば、あなた自身のなかで何かが開く。
何か見つかるはず。これからやるべきことが。
なすべきことが。
神から与えられたものを存分に活かしなさい。
もう分かるわね?
はい…分かります。わたしが今やるべきこと…
アサミが小百合の部屋から出てまもなくして、入れ替わるように、結花が話しがあるとやってきた。
話しって何?結花さん。
はい。実は…。
…なるほど。分かりました。そのことはアサミさんには伏せておきます。そのときがきたら、やってみるといいわ。
わたしは大賛成よ。よく決心したわね。
…はい。わたしなんかに務まるか、出来るか不安でしたがもう決めました。
わたしに手伝えることがあったら連絡ちょうだいね。
もちろんです。そのときはよろしくお願いします。
楽しみにしてるわ。
明日だったかしら?出所は?
はい。ここでは半年間お世話になりました。
向こうから移動されてきたときはどうなるかと思っていたけど、やり遂げたわね。偉いわ。
ありがとうございます。これもすべて小百合先生のおかげです。
ふふふ…わたしだけじゃないでしょ。
あなたを支えて助けてくれたのは、来栖アサミさんでしょ。
アイドルの…あ、違った。アイドルって言ったらあの子は機嫌を損ねるのよね。ロックシンガーのアサミだったわね。
…はい。わたしの恩師です。歳下ですけどね。笑
これから大変ね。あなたの知らない世界が待ってるわよ。
覚悟しておくことね。生半可な気持ちなら降りなさい。
相手にも迷惑がかかるから。
大丈夫ですよ。わたしなら。
わたしは一度死んだ人間です。
一度人生を放棄した人間です。
これ以上落ちることはありませんよ。
あとは登るだけです。
あなたらしい前向きでポジティブな考え方ね。
あなたなら大丈夫ね。じゃあ頼んだわよ。
日も暮れて夜の帳が下りる頃、ささやかながら結花の出所祝いが行われた。
結花も半年間だけだったが、施設にも仲間が出来てとても充実した日々を過ごしていたが、最後までアサミの笑顔を見ることは叶わなかった。
アサミも自分なりにお別れ会を開くことができて満足していた。アサミは皆んなからのささやかなプレゼントとして花束を用意していた。
最後に代表して小百合先生からひとことご挨拶をお願いします。
結花さん。無事に出所できたことを心から嬉しく思います。
施設の皆んなとも打ち解けて、仲良くなれたことはこれからのあなたの人生の励みになるでしょう。
ここで、学んだことを決して忘れずにこれからの人生を送ってください。
結花さんはその名前に相応しい行動をしてましたね。あなたの名前の由来について、深く考えたことはありますか?
あなたの名前はね。
「結」は結びつく、つながる、縁を持つといった意味を持ちます。これは人とのつながりや絆を象徴するものであり、大切な人々との結びつきを示すものです。
「花」は花や美しさを象徴します。これは、人の内面や外面の美しさ、またはその人自身が周囲に喜びや希望をもたらすような存在であることを意味しています。
だからね、「結花」という名前は、他人との結びつきと美しさを持つ人、または周囲に幸せや喜びをもたらす存在を表現する名前となんです。
あなたらしい素晴らしい名前じゃないですか。
あなたはとても前向きでポジティブなその人柄で笑顔が絶えずに周囲に喜びを与えられる人間。
自信を持ちなさい。がんばってね。
小百合の素晴らしい贈る言葉に皆んな拍手して、中には涙する人もいた。が、アサミは最後まで笑わなかった。
結花は花束を胸に持ち一礼すると拍手の中、皆んな一人一人の顔を見ていく。そして…アサミと目が合ったときに、その視線は止まった。
お互いに顔を見合わせていたが、会話はなかったが、なぜか心は通じあっていたような気がしていた。
そして夜が明けた…
見送りの仲間がいる中に、アサミの姿はなかった。
…アサミさん。最後まであなたの笑顔が見れなかった。
なんだか、淋しいね。
でもわたしは、いなくなってしまうけどがんばってね。
そう、伝えてもらえますか?小百合先生。
分かったわ。あなたの想いはきちんと私の口から伝えておくわ。じゃあ頼んだわよ。
はい!任せてください。
結花は施設を見渡す…ありがとう。ありがとうアサミさん。
じゃあ、またね。
結花は惜しみながらも施設の門に向かい歩いていく…
ありがとう
Lyrics ayami hoshino/来栖朝美
何も言わなくてもいい
あなたの思いが伝わってくる
こんな私を受け入れてくれて
支えてくれることに感謝している
アイドルでありながら人見知り
プライドは高いけれどセンチメンタル
高飛車だけど涙もろい私を
見守ってくれてありがとう
心から「ありがとう」と伝えたい
言葉にする必要はないと思っていた
都合のいい考えだった
思ったことは言葉にしなくては
苦難と絶望の過去から
未来への希望を見出せずに
無気力に日々を過ごしていた
どうしようもないことばかり
否定的でネガティブな性格
不器用で恥ずかしがり屋な私を
難しい性格の私を
陰で支えてくれた大切な友人
心から「ありがとう」と伝えたい
言葉にする必要はないと思っていた
都合のいい考えだった
思ったことは言葉にしなくては
伝わらないことがあることを知っている
ありがとう、君の笑顔が
暗い日々を照らしてくれた
囚われた時間、共にした日々
心から感謝しているよ
初めて会ったあの日から
君の優しさに触れて
孤独な夜も少しずつ
温かな光が差し込んだ
時には涙が溢れそうになっても
君の側にいて笑顔が見られた
共に歩んだこの道、一歩ずつ
君の存在が私を支えた
ありがとう、君の笑顔が
暗い日々を照らしてくれた
囚われた時間、共にした日々
心から感謝しているよ
壁に閉じ込められた日々も
君がいてくれたから乗り越えられた
信じてくれたその温もりが
私の心を強くしたんだ
時には希望が遠く感じられたけれど
君の笑顔が明日を照らしてくれた
共に歩んだこれからの道も
きっと一緒に歩んでいける
ありがとう、君の笑顔が
暗い日々を照らしてくれた
囚われた時間、共にした日々
心から感謝しているよ
この歌声に込めた想い
永遠に続く友情の証だよ
ありがとう、君がそばにいてくれた
これからもずっとそばにいよう
Copyright© .24 ayami hoshino
2人が過ごしたあの部屋の窓が、全開になっていて
アサミの力強い声がハッキリと聞こえてきた。
アサミさん…結花は涙を堪えきれなくなり、その眼から涙が溢れ出して止まらなかった。
アサミは声は現役の歌手時代を遥かに凌駕していて、素晴らしかった。
曲を作ってくれたんだ…だから姿を見なかったんだ…
一晩でこんなにも素晴らしい曲を…これ以上のプレゼントはない。こんなに素晴らしいプレゼントは今まで一度ももらったことなんてない。ありがとう…アサミさん。
アサミは歌い終えると結花に向かい、両手で手を振っていた。
とびきりの笑顔で…
ううッ…アサミさんが笑ってる。
初めてみた…アサミさんの笑顔…
なんて可愛くて綺麗なんだろう。
アサミさーん!元気でねー!
結花もがんばんなよー!
施設のスタッフも仲間も小百合も皆んな泣いていた。
あんなに素晴らしい笑顔を出せるなんて…あの子ったら。
笑っちゃうわ。素直じゃないのよね。もう。
それから半年ほど経過したある日。
施設に一通の封筒が届いた。
それは半年前に出所した結花からアサミへ宛てたものだった。
アサミさんへ。
お元気で過ごしてますか?突然のお手紙失礼します。今日はある人からアサミさん宛てにお手紙を預かってるので、送らせていただきました。
わたし宛てに手紙?誰だろう…
じつは、わたしが施設に入るまえに関わっていた悪い人たちのグループの中にいた女子が別の施設にいる話しはアサミさんに話したことがあるから分かると思いますけど、出所したことを報告に尋ねてきたら、その施設にアサミさんのお母さんがいらっしゃることをお聞きしました。
本当に偶然だったので驚きました。
わたしもアサミさんからお母さんの話しは伺っていたので、事情は知ってましたけど。
そのお母さんからアサミさんにお手紙を預かってきたので、送らせていただきました。
お母さんから伝言です。
是非いちど目を通してみたらいかがでしょう。
それでは、わたしも今起こしている事業があるので、失礼しますね。今度遊びに行きます。
それでは失礼します。
結花より
お母さん…連絡はしていなかったけど、わたしのことを覚えているなんて。
アサミは当初は母親を突っぱねていて、養護施設に入る前から悪い仲間と関わっていたりしていた。
母親が施設に入ってることで、いじめられたりしたので、いつしか関わってしまっていた。
今ではそのことは後悔している。
結花の手紙の中に母親からの手紙が入っていた。
[アサミへ]
愛するアサミへ、
初めてあなたに手紙を書きます。今まで何度も書いては捨て書いては捨てを繰り返してきました。
今回、結花さんに私の手紙を託してどれほどの感情が交差したことか。言葉では表せないほど、心からあなたに伝えたいことがたくさんあります。
あなたがカウンセリング中にいる今、私の手紙が少しでもあなたの心に寄り添い、支えになればと願っています。
この場所での日々が、あなたの心に平和と希望をもたらすことを祈っています。
朝美という名前、それはあなたの父があなたに贈った名前です。あなたの父は、あなたの未来に幸せを願って、その名前を選びました。
その名前には、あなたへの深い愛と願いが込められています。
「朝の美しさ」といった意味を持ち、新しい一日の始まりや希望、清らかさなどを象徴しています。
アサミの音楽やパフォーマンスが、聴衆に朝のような爽やかな感覚や希望を与えることを想起させていることをわたしは感じています。
カウンセリングが進む中で、過去の傷や悲しみに向き合うことは難しいことかもしれません。しかし、あなたは強くて勇敢な人です。どんな時も、あなたの内なる強さを信じています。
私はいつもあなたの味方であり、支えとなりたいと願っています。どんなに遠く離れていても、私の心はあなたと共にあります。あなたが未来に向かって歩む一歩一歩に、私の願いと愛がつまっています。
アサミ、あなたは私の誇りです。どんな未来が待っていようとも、あなたの幸せが一番です。いつでも私はあなたを応援し、支えていきます。
心から愛しています。どうか安心して、前を向いて歩んでいってください。
あなたの母より
今まで人から手紙などもらったことはなかったアサミにとって、とても心が揺さぶれる思いだった。
ファンレターはいくつももらっていたが、多忙な日々の中、読む暇など1日もなかった。わたしはこんな場所で立ち止まっていてはいけない。
ここにいる人たちからもわたしのファンの人たちからもわたしは勇気と希望とパワーをもらっていたんだ。
わたしが与えていたんじゃなくて、わたしもパワーをみんなからもらっていたことに気づかなかったなんて。
…アサミさん。大丈夫?
小百合がドアの隙間から顔を覗かせていた。
アサミはベッドに座り両手で顔を覆って泣いていた。
あなたひとりじゃないのよ…
じふんひとりで無理しようとしないで、ときには人に頼る勇気も必要よ。
みんな必ずあなたの力になり、助けてくれると思う。
…はい。ご配慮ありがとうございます。感謝しています。
わたしへの心遣いと気遣い、心から…。
私からあなたにプレゼントがあるの。
…何ですか?
これなんだけどね。出所してあなたが精神的に追い込まれて心が病んだときに表紙だけでいいから見て、私たちを思い出してね。
アサミが小百合から渡されたのは一冊の本だった。
タイトルにはこう書かれている。
「歎異抄」
なんと読むんですか?
「たんにしょう」と読むの。
そう。でもあなたにはもう必要ないかもね。
あなたの声や言葉には魂が宿ってる。
人に訴えかけるものすごい力を持ってる。
そのことを決して忘れないでね。
…はい。ありがとうございます。
わたしは浄土真宗も親鸞も分からないんだけど、人が生きることに行き詰まったときに、人は何をすべきか?そういう難しいことが書いてあるらしいわ。
勘違いしないでね。
わたしは仏教とか宗教にはまったく興味はないのよ。
カウンセラーとして、一度は目を通す人もいるのよ。
あなたのように行き詰まってる人には向いてると思っただけ。
あなたもまもなく出所ね。
これからあなたには大きな課題が残されてる。
分かるわね?わたしが言わなくても。
…はい。もう大丈夫です。
わたしが今為すべきことはひとつしかありません。
じゃあそれに向かって突き進みなさい。
もし、あなたがちょっとでも躊躇して踏み出せなくなったら、あなたの座右の銘があるわよね?
「一歩踏み出せ!成功への近道」ですね?
小百合は笑いながら大きく頷いた。
肩の力を抜いて…深呼吸して…。
さっきの歎異抄の親鸞が最後に言い残した言葉をわたしなりに解釈するとね…
まもなく私の一生は終わるであろう。
一度はあの世へ還るけれども、寄せては返す波のように、すぐに戻って来るからね。
一人いるときは二人、二人のときは三人と思ってください。
嬉しいときも悲しいときも、決してあなたは、一人ではない。
いつもそばに私たちがいるからね。
分かった?来栖朝美さん。あなたは「アサミ」から本名の「朝美」を名乗るといいわ。その方が運気が上がるわよ。笑
はい!いろいろと貴重な言葉をたくさんありがとうございました♪
結花はある施設に来ていた。始めからアサミの母親に会うために。アサミの母親に会いたいという思いが強かった。
この施設に知り合いなどいない。
初めまして。
私はアサミさんと同じ施設にいた中条結花と申します。
アサミとご一緒だったのね。それはお世話になりました。
あの子は今どう過ごしているんでしょう。
施設に来た当初のアサミさんは心がとても荒んでました。
見るものすべてに刃を向けるように眼をギラつかせていました。しかし、今の彼女は違います。本当の自分を取り戻しました。
それで…今日はそのことの報告だけじゃないわよね?
…はい。お母さんにお願いがありまして。お聞かせ願えますか?
アサミさんのお父上のことを。
アサミさんはことある毎に何かに行き詰まったときに、口ずさむ鼻歌があります。
おそらくアサミが幼少期に耳にしたんだと思います。
それを口ずさんで気持ちを落ち着かせています。
…そうだったのね。
分かったわ。アサミの父はね。アーティストだったの。
ギタリストだったのよ。有名ではなかったわ。
でもね、ギターのテクニックは業界でもトップクラスでね。彼の右に出るものは誰もいなかったわ。
彼はね。事故で腕を無くしたのよ。それでその道から引退した。それでプロダクションを立ち上げた。
それが、アサミが所属していたプロダクション。
彼は身近なメンバーを集めてプロダクションを大きくしていった。
そんな最中にあの事故が。車を運転していて事故を起こしてしまって亡くなったわ。即死だったの。ブレーキ痕がなかったから自殺だとされた。
しかしね。これには陰謀説があるのよ。彼が腕を無くしたのも事故死したのも誰かの策略だったらしいわ。
ブレーキが細工されてあったみたいなのよ。噂ではアサミが殺してしまったプロダクションの社長。彼が陰で関わっていたとされている。
このことはアサミには内緒よ。言わないでね。決して。
…はい。分かりました。今日はお会いしてくださってありがとうございました。
話しはそれだけ?結花さん。
いえ、実はですね。私は彼女のマネージャーをしようとプロダクションを立ち上げたんです。まだ小さいですけど。
まだアサミさんには言ってませんけど、復帰のためのコンサートを準備しています。
アサミさんの場合は、事件も情状酌量の余地ありで、もうすぐ釈放される予定です。
しかしですね。問題がありまして…。
結花さん。わざわざわたしに会いに来てくれてありがとうね。
あ、そうだ。これをアサミに渡してくれませんか?
…これは?
手紙よ。あの子に前から渡そうとしていたんだけど、躊躇われてね。でもあなたがいらしてくれたから決心がついたわ。
わたしはね。あの子に救われたのよ。
…お母さんが、ですか?
ええ、そうよ。あの子が画面の中で大活躍している姿を見て自分にも勇気と希望がもらったの。この子が本当にわたしが産んだ子なのか?と驚いたわ。でも血は争えない。
あの子は、父親の血をきちんと受け継いでいるって感じたわ。
結花さん…あの子をよろしくお願いします。
…お任せください!アサミさんを立派に復帰させて、世間に度肝を抜かせて見せます。
頼もしいわね。じゃあよろしくお願いします。
朝美さん…ちょっとよろしいかしら?
はい、小百合先生。なんでしょう。
小百合に呼ばれた朝美は、部屋に通された。
座ってくれる?
そろそろ聞かせてくれる?あの日のこと…。
…分かりました。すべてお話しします。
その日わたしは、プロダクションの社長に呼ばれてました。
夜も更けて遅い時間に…
しかし、そんなことはいつものこと。
社長は社長室の高級な皮仕様の北欧の椅子に腰掛けて、次のイベント企画会社の担当と話しをしていました。
わたしは社長の上に跨がり激しく動き、背中を反っては社長の背中を掻きむしっていた。
おいおい…あまり背中を引っ掻くなよ。妻が怪しむだろうが。
わたしは社長の耳に自分の頬を寄せると耳を甘噛みしながら耳に向かって吐息をかける。ふぅ……はぁ、はぁ。
社長のこめかみを掴むと、社長はわたしの大きく成り立ての乳房に顔を埋めてハダけた上着から剥き出しにして揉みしだきました。
ぷちゅ…ぷちゅ…乳輪を舐め回すとむしゃぶりつき、吸い付いた。甘い香りのするわたしの首筋に舌を這わせながら、社長はわたしに向かってあの言葉を言ったんです。
「まあまあだな。飽きたけどな。おまえの身体も…タダだから我慢するけどな。」
わたしは社長がイッたあとに社長の後ろに回るとデスクの上にあった万年筆で社長の首筋に突き刺した。
社長の首からは大量の血がブシュ…!と吹き出して、社長はわたしの身体を掴むと、「な、な、何をする…貴様。育てた恩を忘れやがって…」
社長はその場で倒れ込みました。バサッ…
ふう…ふう…ふう。わたしは万年筆を投げ捨てて、そばにあったハサミに付着した血を拭うように、自分の髪の毛で拭き取り、その場で自らの髪の毛をバッサリと切り落とし、社長の死体に投げ捨てた。
「冥土の土産にしな…」
夜中だ。誰も見てない。わたしはそのまま行方をくらました。
わたしは我慢できたんだ。これくらい。
これくらいのことなら耐えられたんだ。
承知の上だったのに。社長のあのひとことさえなければ。
あんなことを言われてまで。
わたしはアンタらプロダクションの連中の愛人じゃないんだ。バカにして…人をバカにして…女をバカにして…。ううッ…
社長が亡くなったことは翌日の朝、発覚した。
出勤してきたプロダクションの社員により発見された。
社長は全裸だったし、万年筆とハサミについた指紋とわたしの髪の毛が落ちていたことで犯人は、アイドル歌手の来栖アサミだと断定された。
が、情状酌量の余地ありと判断されていた。
社長が自分のプロダクションに所属するアイドルを次々に手を出し愛人状態にしていたことは巷で有名な話しだった。
業界の関係者が口を合わすように、わたしを庇ってくれていたんです。わたしはあとからそのことを知りました。
仕方ねえよな。あの社長じゃあ殺されても。
アイドルやら女優がかわいそうだよ。あれじゃあ。
「俺たちは社長の愛人を育ててるわけじゃねえんだよ。」
そう…そんなことがあったのね。
どんな理由があるにせよ、人を殺めてしまうことはいけないことだわ。それは分かるわね?
…はい。でもわたし…わたし。どうしても許せなかった。
あのひとことさえなければ、わたしは社長を殺してない。
ごめんなさい。ツライことを思い出させてしまったわね。
…いえ、いいんです。わたしはここで多くを学びました。
みなさんにはとても感謝しています。
人の温かさと思いやりをもらいました。
ここでのこと…わたしは一生忘れません。
その気持ちがあればどこでもやっていけるわ。あなたならね。
私たちは皆んな、あなたが再び画面の中で活躍してる姿を楽しみにしてる。精一杯頑張って。
アサミさーん!久しぶりです!
結花?結花ぁー!わたしが出所する当日施設の門まで結花が出迎えに来てくれていた。
わたしはリュックを前に持ちながら、施設を見渡す。
…ここともお別れね。結花と初めて出会った場所ね。
これからはよろしくね。結花マネージャー!
ビシビシ行くわよ〜覚悟なさい。
お手柔らかにお願いします。
小百合さん。みなさん。お世話になりました。
…朝美さん。たまには結花さんといらしてね。
はい!お世話になりました。この御恩は一生忘れません。
お礼はまだ早いわよ。あなたが活躍してるのを見てからね。
…はい!それじゃあ。
朝美は結花と施設をあとにした。
それからしばらく経過してその日がやってきた。
ねぇ…本当にわたし、ロックインカーニバルなんかに出演できるわけ?
ここは名だたるアーティストしか出れないのよ?
わたしなんて落ちぶれたアイドル上がりがそう簡単に出れる場所じゃないのよ。
結花はマネージャーになったばかりだから分からないのよ。
…確かに。無名のアーティストなんだから出れないわ。
…無名?わたしが…?
そうよ。無名で通さないといけなかったのよ。
朝美は事件を起こしてるわよね?そうやすやすと出れない。
だから、ここは敏腕マネージャーの腕の見せどころね。
ちょっと来てくれる?
…うん。どこに行くの?
朝美は結花に連れられて裏方に通された。
そこには、見慣れた顔が並んでいた。
…まさか。まさかでしょ。君たちは。
朝美!朝美!朝美!久しぶりだな。俺たちはおまえが絶対にここに戻ってくるって信じてたぜ!
…みんな。
そこにいたのは、「キラーアイドル」のバンドのメンバーだった。
よく探せたわね。朝美は感激していた。
朝美のためでしょう。彼らを探すのに苦労したのよ。東奔西走したわ。もうクタクタになるくらい。前のマネージャーさんも一緒になって、探してくれたのよ。
佐々木マネージャーが?だって、あの人はわたしにすべて罪や都合の悪いことを押し付けて逃げてたって…。
そんなデマカセ誰から聞いたわけ?
…ッたく、あの元女優の愛佳って女は…。そこへ…
やぁ。君たちかい。出演したいという飛び入りは。
マネージャーは君か?
はい。中条結花と申します。この度は無理を言ってわたしのお願いを聞いてくださって感謝しています。
それで…?彼女は?
ご無沙汰しております。鈴木プロデューサー。
やぁ朝美くんじゃないか。ずいぶんと久しぶりじゃないか。
鈴木は、朝美を養護施設で発掘したあのプロデューサーだ。
…その節は、ご迷惑とご心配をおかけしました。申し訳ありませんでした。朝美は深々と頭を下げて一分間黙っていた。
頭をあげなさい。事情はすべて把握してるよ。
君は悪くない。決してね。ああなってしまったのは残念だが、過ぎたことは忘れることだね。
それに、君のお父さんも望んでないよ。
…お父さん?父を…父をご存知なんですか?
ああ、もちろんだとも。お父さんとは私の戦友で同志だよ。
ずっと一緒にやってきたからね。
君は知らないだろうが、このロックインカーニバルを立ち上げたのは君のお父さんなんだよ。
お父さんが…?そうだったんですか。
ロックインカーニバルのスタッフが集まってきた。
来栖朝美じゃないか。伝説のアイドル。いや、アーティストの。こりゃ、こりゃ…明日の新聞一面だな。テレビも騒ぐぞ。業界全体がな。ロックインカーニバルも株が上がるぞ。
だって来栖朝美の復帰コンサートだもんな。
いいんですか…?わたしなんか出ても。
当たり前じゃないかよ。業界全体、みんな君のお父さんのファンだったんだ。
俺たちはみんな君のお父さんには感謝しても仕切れないくらいのことを助けられてきた。
その功績は多大なるものなんだよ。今や伝説になってる。
君のお父さんから学んだことは皆んな多い。だから…
今度は俺たちの番さ。
ありがとうございます…。
朝美は声を震わせながら泣いていた。
朝美くん。君たちは大トリでいく。覆面をしてくれないか?
歌の途中で、その覆面をとって観客の度肝を抜いてやれ。
面白い企画ですね。こんな晴れ舞台を用意してくださって感謝しています。
それじゃあ頼んだよ。
ま、君のことだ。大丈夫だろ。
精一杯のパフォーマンスを期待してるよ。
朝美〜!おーい。朝美!
麻里?麻里じゃない!久しぶりぃ〜!来てくれたの?
2人は抱き合っていた。
麻里とは朝美の学生時代の親友だった。麻里だけは味方になってくれていた。
いってくるね。見ててね。わたしのパフォーマンスを。
それでは…今年もロックインカーニバルに来てくれてありがとうございました〜🎵
皆んな気をつけて帰ってね。
ラストのアーティストのBsが頭を下げていた。がボーカルの稲林さんが突然声を張り上げる。
今日は、飛び入りでゲストが来てます。
みなさん。まだ帰るのは早いよ。
辺りは日が落ちて真っ暗になり出している。
照明が落とされて、突然激しいギターが響きだした。
ぎゅぃーーん!ジャンジャンジャン!
あなたへの証し
Lyrics/来栖朝美•ayami hoshino
分かってる、伝わってくる、あなたの想い、
言わなくても、あなたならきっとこういうだろう。
それはお互いの信頼の証し。
言葉の持つ意味……発する言葉の力強さ
相手にどれだけのパワーを与えて生きているか……
ただしい道を 一緒に歩む
言葉じゃない 心が伝える
信じる力で 前へ進むよ
絆が導く 未来への軌跡
背中合わせで 時には涙
支え合って 笑顔重ねる
喜びも悲しみも 分かち合う
共に歩む その意味を知る
繋がる想いが 力に変わる
言葉の中に 夢が広がる
手を取り合って 高く羽ばたく
信じる強さで 世界は広がる
何も言わなくても わかり合える
深い絆が 心を繋ぐ
言葉よりも 大切なもの
愛と信頼 永遠に輝く
Copyright© .24 ayami hoshino
なんだなんだ。このボーカル。観客は皆んなその声の素晴らしさに圧倒されていた。観客は全員すっとんきょうな顔をしている。
迫力あるボイスにオクターブ超えの声の伸びと張り上げたようなシャウト。
なんか。どこかで聴いたことがあるような声だ。
いつしか、観客の歓声はドヨメキに変わっていた。
朝美が覆面を脱ぎ捨てたからだ。
おい、おい。アレって…アレって、来栖朝美じゃねえか?
そうだよ!
あの伝説のバンド「キラーアイドル」じゃねえかよ!戻ってきたのか!これは、大騒ぎになるぜ!
ひとまわりもふたまわりもデカくなって戻ってきてる。
曲が終わると観客が総立ちになり、いつまでも拍手が鳴り止まなかった。朝美たちは、ロックインカーニバルの観客を見渡す。
その観客は奥のさらに奥のほうまで伸びていて、見えないくらい。観客は突然ウェーブを始める。
…うわぁ。綺麗…凄い。観客が…会場が一体化してる。
なんて素晴らしいんだろう。
そして、観客は一斉に…「おかえりなさぁーい!来栖朝美〜!キラーアイドル!あ、さ、み!あ、さ、み!あ、さ、み!」
その観客たちの歓声に朝美たちメンバーは度肝を抜かれた思いで、感極まって泣いていた。
鳴り止まない拍手のなか、会場は静かになる。
(これより、発言や表現に一部不適切なものが含まれることもあります。演出上のことなので、ご理解ご了承ください。)
…みなさん。今日は、ロックインカーニバルにご参加頂きありがとうございました。
また、私たちキラーアイドルを快く受け入れてくださったプロデューサーに関係者の皆様方。心から感謝します。
わたしは、この何年か服役していました。みなさんには、多大なるご心配とご迷惑をおかけしました。
大変申し訳ありません。犯した罪を償って、反省し、きちんと服役を全うしながらも、発生練習にボディートレーニングをしてきました。この日のために…この日のためだけに。
人を殺めてしまい、こんな盛大なステージを用意していたあだき、大変心苦しく感じております。
わたしなどが出れるような立場にないことは分かっております。しかし、今一度、私どもにチャンスをいただけませんでしょうか?
わたしは、後ろを振り返らずに前だけをしっかりと見据えて精進してまいります。どうか皆様方のお力を私ども「キラーアイドル」にお貸しいただけませんでしょうか?お願いします。
会場からは拍手が湧き起こりそれは、10分間続いていた。
朝美くん…もういいよ。君は君の為すべきことがこれから山のようにある。しかしまぁ、君たちの新曲には驚かされたよ。
圧倒された。君はやはり、お父さんの血をきちんと受け継いでいる。肌で感じたよ。鳥肌モンだよ。とても素晴らしかった。
鈴木プロデューサー…今日は出演させていただきまして、ありがとうございました。
いやいや、こっちがありがとうだよ。
このカーニバルに来年からは、さらに盛り上がるだろうな。君たちと出演者の人たちのおかげで。
ロックインカーニバルは、大成功のまま終了した。それから…
…小百合さぁ〜ん!お久しぶりでーす!
朝美は、結花と一緒に施設を訪れていた。
朝美さん!結花さん!忙しそうね。
…はい!毎日メッチャ忙しいです。
これも施設の関係者と小百合さんのおかげですよ。
毎日拝見してるわよ。笑顔が素晴らしいじゃない。
ここに来た当初と同じ人物とは思えないわよ。
…あ〜あ、それ言いっこ無しですよ。笑
お父さんのお墓には行ってきた?
…はい。母と2人で。近況を報告してきました。
そう…じゃあ、もう大丈夫ね。あなたはあなたらしくね。
あなたの言葉で、与えられた言葉やセリフじゃなくて。
苦しんだり、悩んだり、その場に立ち止まった時は…。
『一歩踏み出せ、成功への近道』ですよね?
そうよ。あと、歎異抄もね。笑
完
ここまで、お読みいただきありがとうございました。
誤字脱字などありましたことをお詫びいたします。
〜星野彩美〜
キラーアイドル 完全版 Lime @limeblog
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